俺だけのお前でいて欲しい。



尾形上等兵とその妻は、それはそれは仲睦まじい。
このことは、第七師団内では有名なことである。
しかし今、尾形上等兵は別の女と肩を並べていた。

「…………あの。」
「何だよ。」
「気が散るんで、よそに行って下さい。それか、せめて違う席に移って下さい。」
「随分はっきりものを言うじゃねぇか。流石は月島軍曹の嫁だな?」
「いや、誰の嫁だからというのは関係ないです。」

尾形上等兵は、月島軍曹の嫁・祐季の隣に座っている。
他にも席はたくさんある中で、わざわざ、彼女の隣を選んで座っている。
祐季は夫である月島基軍曹に頼まれていた絵を届けに来ていて、宇佐美上等兵から彼は今席を外していると言われたので、こうして食堂で趣味の絵を描きながら待っているのだ。
待っていたら、どこで噂を聞きつけたのか、尾形上等兵がやって来て隣に座ったのである。

「私と尾形さんは特別仲がいいわけじゃないのに、何で最近やけに絡んでくるんですか。」

そう、尾形が祐季に絡むのは今日が初めてではない。
ここ2週間ほど、尾形は連日祐季の元に来ては近距離で絡んでいる。

「あまり尾形さんと一緒にいると良からぬ噂を立てられそうなんで、本当に、どっか行って下さい。」
「良からぬ噂って何だよ?」
「いい年した大人なんですからわかりますよね。浮気してると思われたくないんです。」
「お前は俺の好みじゃねぇから安心していいぞ、月島祐季。」

ニヤニヤとしながら肘をついて見てくる尾形をジト目で睨み返し、祐季ははぁーとため息をついた。

「私が尾形さんの好みじゃないにしろ、こうしていつもいつも一緒にいると、周りの暇人共は『浮気かな?』『月島軍曹の嫁と尾形上等兵殿は出来てるんじゃないですか?』…なんて、根も葉もない噂話で勝手に盛り上がるもんなんです。
ったく暇人共が、そんな色恋話に興味示してる暇があんならとっとと走り込みするなり小銃の命中精度を上げる訓練するなりしろやって思いますよ。」
「…お前、意外と口が悪いんだな。」
「はいはい、ごめんあそばせ。」

おっとりしていて上品、という印象を皆に抱かれている月島の嫁の意外な一面を見た尾形は、ほんの少しだけ得をした気分になった。しかしその得をどこで活かせば良いのかは、尾形にも誰にもわからない。

「…で、何が目的なんですか。」
「あ?」
「やのちゃんとそれはそれは仲睦まじい尾形百之助上等兵殿が、好みではない私にこうして連日つきまとっているんだから、何か目的があるんですよね?
何か情報でも欲しいんですか。それとも何かに協力して欲しいんですか。」

とっとと用を済ませてさっさとよそに行って下さい、と貼り付けたような笑顔で畳み掛ける月島の嫁を前にして、ほんの一瞬だけ尻込みする自分を嘲笑しながら、数日前に尾形の嫁に関して下品でくだらない妄想話を笑いながらしていたらたまたま近くにいた月島の嫁に突然顔面を殴られ鼻を折った下川一等卒の断末魔を思い出しながら、尾形は諦めて白状することにした。

「……俺の嫁、モテるだろ。」
「あー、はい。色気ムンムンなんで、エグいくらいモテてますね。」
「それを俺もやってやろうと思ってな。だからわざわざお前に連日接触しているんだ。」
「…………すみません、今の説明だと趣旨がわかりません。」
「…お前はもう少し頭の切れる女だと思っていたが、とんだ買いかぶりだったようだな。」

はあ〜と大袈裟にため息をついて露骨にがっかりされ、祐季は咄嗟に今持っている鉛筆を尾形の鼻の穴に突っ込んでやりたくなったが、そんなことをすれば流石の尾形でも涙目になるだろうし、尾形の鼻の中に穴が増えれば彼の妻である親友が多少なりともショックを受けるだろうと我慢した。

「もう少し言葉を付け加えて、誰が聞いてもわかるように順序立てて説明して下さい尾形百之助上等兵殿。」
「いちいち嫌味な女だな。……まぁいい。説明してやろう。」

尾形のちゃんとした説明によれば、自分の嫁のモテっぷりがものすごい勢いで高まっており、尾形の嫁をオカズにするだけでは飽き足らず、とうとう呼び出して直接想いを告げる者や、恋文を渡す者まで現れたらしい。
尾形の嫁・夏也乃は全て丁重に断っているようだが、嫁のモテモテさ加減を目の当たりにした尾形は、いつか自分は捨てて行かれるのではないか、と不安で不安で仕方がないようだ。
尾形から「好きだ」と言えば「私も大好きよ」と笑顔で返してくれるし、尾形が言わなくても一年中、毎日毎日嫁から愛情をたっぷり注がれている自覚はある。
だからこそ、尾形は大好きな嫁に捨てられることが怖いのだと言う。

そこで尾形が考えた作戦が、他の女にベタベタと接触し、ヤキモチを妬いてもらおうという作戦だった。
その《他の女》に選ばれたのが、月島祐季である。というのも、第七師団の敷地内で女に分類されるのは、尾形の嫁と月島の嫁くらいなものだ。(食堂のおばちゃんやばあちゃんは論外だろうと尾形は考え除外した。)
連日、親友とは言え他の女にベタベタしていれば、流石の夏也乃であっても少しは妬いてくれるだろうと、尾形は淡い期待を抱いているというわけだった。

「覚えたての恋の駆け引きを試す生娘みたいですね。」
「生娘なわけねぇだろうが。初夜に嫁とやってる上、そもそも俺は結婚前から遊郭に通い慣れてるんだぞ。」
「体のこと言ってるんじゃないですよ。精神的な部分です。そんなに気になるんなら、直接本人に問いただせばいいじゃないですか。『俺を捨てないでくれ』って泣き叫びながら。」
「そんなみっともないこと出来るかアホ。…何笑いながら言ってるんだ。さてはみっともないとわかった上で言ってるな?」

ぶふっと笑いを堪えながら提案になっていない提案をする目の前の女を、尾形はまるで白石を見るかの如く白い目で見つめた。

「……直接愛情を示されるよりも、俺がいないところであいつが俺への愛情を示してくれた方がこう、いいだろ。」
「なるほど。それはわかります。」
「だから俺がお前とコソコソやってて、それに対してあいつが嫉妬すれば、俺は安心出来る。」
「あ、やのちゃんがこっち見てますよ。いい笑顔で。」
「何ッ!」

祐季が見つめる先を追えば、そこには確かに、こちらを笑顔で見つめる夏也乃がいた。




「…尾形夏也乃、祐季が来ているそうだから俺はもう行くッ!?」

いきなり腕を取られ、月島はびっくりして声が上ずってしまった。というのも、隣の尾形夏也乃が月島の腕に自分の腕を絡めたからである。

「なっ! な、なん……!」
「もう少しだけ……こうしていて下さいな。」
「何のつもりだ! おい!」
「祐季さんならほら、私の旦那様と一緒に向こうで座っていますわよ?」

夏也乃の旦那、つまり尾形上等兵と、自分の嫁が一緒に座っていると聞いて月島の表情がわずかに厳しいものに変わった。

「何? 尾形と? 一体なぜ…………おい。向こうの2人の視線、怖いんだが。」
「ええ。明らかに嫉妬してますわね。 祐季さんも百之助さんも可愛い……!ふふっ。」
「笑っている場合じゃないだろう! お前は視線が外れているからいいだろうが、俺は……!」
「百之助さんの方は私が何とかしますから、祐季さんは頼みますね? 月島様。」

離れる際、絡めた腕に力を入れてギュッと更に密着してから、尾形夏也乃はようやく月島を解放した。

帰宅してから、月島は嫁の機嫌取りに努めてから一晩かけて無事に仲直りし、尾形はいつも以上に嫁にべったりとくっついて回って本当に満足するまで嫁を離さなかったらしい。
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