結婚前if 〜噂を肴に魚をつつく〜


女なんて、俺にとっては欲の吐口(はけぐち)でしかなかった。
ある程度好みで誘いやすい相手を適当に誘い、したい時にし、飽きたり面倒になったら適当に理由をつけて別れ、また新しい女を作る。そういうものでしかなかった。

「鬼頭夏也乃です。よろしくお願いします。」

ある年、俺のいる部署に配属された新人の女・鬼頭夏也乃。仕事の進行の都合で、人事課主任の俺自ら彼女を指導しないとならなかった。新人、それも女相手にあれこれと教えねばならんのは正直面倒ではあったが、俺は保身のために社内の女には手を出さない主義だったため、ほとんど男に教える要領で指示を出した。
すぐに音(ね)を上げると思いきや、鬼頭夏也乃は案外根性のある奴で、肝が据わっていて、苦労していたのは最初の2、3日だけでそれ以降は簡単な仕事はほとんど任せられるようになった。

「あれ、尾形ちゃん1人?」

ある昼休み、たまには外で食べようと、安いことで有名な定食チェーン店に寄った。焼き魚の骨を箸で取り除いていたら、営業部の白石、それから杉元に見つかった。面倒だから聞こえないフリをしたのだが……あろうことかこいつら、俺の許可も得ずに相席しやがった。

「…他に空いてる席あんだろ。」
「そんなかたいこと言うなよ〜。同期の仲じゃん。」
「同期なだけの間柄だろ。」
「わかったよ。通路を挟んだ向こうのテーブル行って、大声でお前の名前を呼びながら話しかける。それでいいな?」
「いいわけねーだろ馬鹿が。そんなことされたら個人情報を店中の輩に知られて迷惑だ。」
「じゃあここでいいよな。」

こうなったらさっさと食べて先に出てしまおう。そう思って白飯をかき込んでいると、唐突に白石が、

「てっきり新人の美女……夏也乃ちゃんだっけ? あの子と来てると思ったんだがな〜。」

と言い、一瞬だが何故か箸が止まった。

「……鬼頭は大体いつも売店で買って、5階にあるひと気のない休憩スペースで広報の女友だちと2人きりで食ってる。」
「あらヤダ! 秘密の花園だわ! 禁断の百合が咲き誇る、シークレットガーデンだわ!」
「そんなんじゃねえよ。その広報の女、経営陣の月島常務がツバつけてんだぞ。」
「えっ、カタブツのあの月島常務が?」
「いつも不機嫌そうなあの月島常務が?」

普段は無表情で淡々と黙々と仕事をこなし、繁忙期になると肘をつき、眉間にシワを寄せて「クソッ」と言いながらも仕事をきっちり終わらせることから【ザ・仕事人】と陰で言われている"あの月島常務"が、5つ以上は離れている年下の女に心を奪われているという状況は中々滑稽だ。(この女がまた歳の割になんとも落ち着いていて、穏やかではあるがガードが固く隙がないものだから、カタブツの月島常務がどう苦労するか考えるだけで笑える。)

「しかもその女、同じ九州人ということで鯉登専務と仲がいいらしい。」
「まさかのトライアングル!?」









話しながらもあいつらより早く店を出られた俺は、会社に戻るといつものようにエレベーターで5階へ上がり、物陰からあいつを見つめる。
……楽しげに語らうあいつの笑顔を見ると、胸がざわつき、どうしようもない寂しさと泣きたくなる衝動に襲われ、同時に何かが救われたような、実に妙な感覚になる。

その年の忘年会、それもあの白石によって、これが【恋】というものなのだと知った。

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