きっと妻に似る。


妻が消えた。
そのことに気づいた瞬間、月島軍曹は、かなり強い焦燥感に襲われた。
朝目覚めたら隣に祐季がいなくて、朝食の準備で先に起きたのかと、その時は何も感じなかった。が、家のどこにも彼女の気配がない。
台所はしんと静まりかえっており、厠にもいない。風呂場にもいない。

連れ去られたのか、自分に愛想を尽かして出て行ったのか、それとも突然、元いた「令和」とかいう時代に戻ってしまったか。

(……鶴見中尉に、報告しなければ)

ギュッと力強く目を瞑り、バラバラに爆ぜ散ってしまいそうな胸や頭、ぐしゃぐしゃな感情を、一旦落ち着かせる。
とにかく月島軍曹は、走った。


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執務室で、鶴見中尉にしがみつき、どこか伺うようにこちらを見つめる幼い女の子を見た月島は、その子にどこか見覚えがある気がしたのだが、はっきりしない。

「……その子は一体?」
「祐季くんだ」
「は」

事態が飲み込めない。
しかし、言われてみればこの幼女、どこか妻に顔立ちが似ている気がするのだ。
鶴見中尉によれば、昼過ぎにこの部屋で椅子に座ってうたた寝をしていたところ、いつのまにかこの子が膝の上に座っており、中尉にもたれて一緒に寝ていたらしい。
服装や髪型が時代にそぐわないため、もしやと思い話を聞けば、色々共通点が見つかり、祐季だと確信したとのこと。

「6歳の祐季くんもなかなか可愛らしいものだろう。なあ、月島軍曹?」
「え? ああ…はい……」

鶴見中尉に頭を撫でられ、照れ臭そうに頬を膨らませて俯く姿は、確かに愛らしく映った。
しかし、仕事があるからねと言って、鶴見が月島の元へやろうとすると、祐季は怖がってその場で踏ん張る。

「…………」

幼女とはいえ、妻に怖がられたのは月島基にとってショックだった。
強引に捕まえて抱え上げると、祐季が不安そうに鶴見中尉を見る。

「月島はな、あまり笑わんだけで、祐季くんのことは全力で守ってくれるからな」

鶴見の言葉を受け、黒々とした丸い瞳が月島を捉える。安心させるように頷くと、こくんと頷き返された。

普段知っている祐季に比べると、幼い祐季はかなり大人しい。口数が少なく、警戒心が強く、なんだか子猫でも見ているかのようだ。

「生まれたのか!?」

鯉登少尉は月島軍曹が抱えている祐季を見て、開口一番そう言い放った。
突然大声を出して接近され、肩を跳ねさせて強くしがみつくのを見て、祐季が鯉登を警戒しているのを感じ取る。

「顔立ちは母親似だが、表情に乏しい様子は月島にも似ているな。いつのまに産んだのかは知らんが……」
「…………」

説明するのも面倒だと思ったので、月島はもうこの際「娘」ということにしておこうと考えついた。

「女は笑顔でいなければいかんぞ? 父親のような無表情だと、せっかく愛らしい顔をしておるというのに、嫁の貰い手がつかん」

鯉登に頭を撫でられ、祐季は先程と同じく、照れ臭そうに頬を少し膨らませ、こくんと頷いた。

「キエッ……」

小さく鳴いたと思ったら、鯉登はしばしフリーズしたのち、両手で顔を覆い、仰向けに倒れた。

「……月島ぁん」
「…………なんですか」
「月島のお嬢さんを私の妹にくれ」
「何言ってるんですか。駄目に決まってるでしょう」

いちいち行動が大袈裟な少尉を、祐季は不思議そうに、まん丸な黒目でじっと見つめている。

「キエエエエエむぜ……。『兄さあ』と呼ばれたい」
「あにさあ?」
「キエエエエエッ!!!!!!」

通路で、猿叫と共に転がり悶える少尉を見下ろす月島軍曹の視線は、なんとも冷ややかだ。
なんとなく祐季の目に映したくなかったため、月島は足早にその場を立ち去った。


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「なんだ月島軍曹。お前、もうそんな年頃の娘こさえてたのか」

鯉登少尉の次は、菊田特務曹長と出くわした。
ニヤニヤ笑いながら寄って来ると、祐季を見て「へえ」と言う。

「良かったなぁ、嫁さん似じゃねえか」
「……そうですね」

似てるも何も本人だよ、という話はさておき、「祐季に似ている」という感想は鯉登少尉と同じだが、菊田はそれに加えて「(父親似の顔面じゃなくて)良かったなぁ」ときた。
菊田は祐季の頬を指でふにふにしながら、

「お嬢ちゃんは、父ちゃんみたいな無愛想にはなるんじゃねえぞ? せっかくの別嬪さんが台無しになるからな」

と語りかけた。
内容は鯉登のと同じはずなのに、月島はさっきよりもイラッとした。

「ヤニの匂いが移ります」
「ハハハ、意外と子煩悩だな。お前、娘が大きくなって見合いするってなった時、全力で邪魔しに行く人間だろ」
「…………」

散々茶化して、菊田は去った。

仕事部屋で黙々と月島が書類仕事をこなしている間、祐季は大人しかった。
「ここに座っていなさい」と言われた通り、その場を動くことなく、邪魔することなく、座って待っている。
共に仕事をしている鯉登が、合間合間でソワソワと祐季をチラチラ覗き見るため、その都度月島が注意した。
祐季より鯉登少尉の方がよっぽど手がかかるではないか、と月島はため息を漏らしそうになった。

「よし」

今日の仕事を終えて月島が振り返ると、祐季は座ったまま、壁にもたれかかって眠っていた。
月島が抱き抱え、半開きの口から垂れているよだれを鯉登がハンケチで拭い、微笑んだ。

「この間抜けな寝顔は、きっと月島に似たんだな!」

幼い寝顔を眺めながら月島は、目を覚ますとたまに見る、口の端からよだれを一筋流しながら呑気な顔で寝ている妻の姿を思い出す。

この日の晩は第七師団で酒盛りが開かれることとなっており、祐季はほろ酔い状態の兵たちから、「これも食え」「あれも食え」と食べ物を貰った。食べ切れない分は、月島が食べた。
へべれけの酔っ払いたちは寄ってたかって祐季を抱っこしたがったのだが、祐季は月島にしがみついて離れようとしなかった。
最初はあんなに警戒されていたのに、随分と懐かれたものだと、酒を飲みながらポンポンと小さな頭を軽く叩くと、嬉しそうに笑って見上げてくるものだから、感極まった月島は祐季を抱き締めて、顎ヒゲを頬に擦りつけた。
月島は、酔っていた。


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翌朝。
昨夜、宴会場として使われた大部屋では、あっちもこっちもそっちも、自室に戻らなかった酔っ払いたちが倒れており、いびきが響いている。
二日酔いでズキズキ痛む頭を押さえながら月島が目覚めると、妻が胸にもたれて眠っていた。

半開きの口からよだれが流れているのを見て、月島は

(娘が欲しいな)

と思ったとか。


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