尾形「娘に甘い。飴だけに」


「ははァ、随分と嫌われたもんだな」

自分の妻にしがみつき、後ろから涙目としかめっ面を覗かせる6歳の女の子を、尾形はとても愉快そうに見つめる。

祐季は、まだ元の姿に戻れていない。
本来なら夫である月島基と暮らすのが筋だろうが、月島は幼い子どもの面倒を見るのには不慣れなため、夏也乃には懐いているようだからと、ずっとここ尾形家で寝泊まりしている。

……だが、尾形が完全にこの幼女をおもちゃにしており、やれクモだ、やれしいたけだと、とにかく揶揄って遊ぶのだ。
お陰で尾形はすっかり苦手意識を持たれてしまった。

「ほら祐季チャン、夏也乃は今から飯の支度で忙しくなるんだ。抱っこしてやるから膝の上に来いよ」
「やだ。百おじちゃんよりお姉ちゃんがいい」
「……百之助さん、お願いですから優しくしてあげて下さいな」
「俺はいつも優しいだろ」

得意げな顔の旦那に、夏也乃は苦笑いで応えた。

「やっ……」

尾形は無理やり祐季を抱えると、作ったようなニコニコ顔で、「お外で遊ぼうか」と言って家を出た。
「いじめたら駄目ですからね」と夏也乃が釘を刺せば、「わかってる」とやけに楽しそうな返事が聞こえた。不安ではあるが、今から支度をしないと夕食の時間が遅くなる。
夏也乃は台所へ向かった。





祐季を連れた状態で兵営にいては、誰かと鉢合わせして色々と面倒になりかねない。特に祐季に「あにさー」と呼ばせてデレデレしている薩摩隼人に出くわしたら、問答無用で斬りかかられるかもしれない。
尾形は町に繰り出すこととした。

昼はもう過ぎているため、八百屋や魚屋には夕食の買い物に来ている女性たちが多い。
尾形に抱えられたまま、祐季はすれ違う人たちをボーッと見ていた。

「……俺もそうだったが、その辺を走り回っているガキに比べてお前は大人しいな」

キャーキャーと甲高い声を上げながら町中で鬼ごっこに興じる数人の子供を眺めながら、尾形は言う。

「どこか見たい店はあるか?」
「ううん、いい」

首を振られ、尾形はハァ、とため息をつく。

「いくら俺のことが気に食わないとしても、ガキが遠慮なんてするもんじゃねえぞ。せっかく町に連れて来てやったんだ。お前は女なんだから着物だの小間物だの、なんか見たい店はあるだろ」
「いい。本当に、ないの」
「……なるほど。いつも『兄さあ』から買ってもらっているから、欲しいものが思いつかんのか」

あのボンボン少尉殿のことだ、祐季が頼んでも頼まなくてもあれやこれやと買い与えているに違いない、と尾形は嘲〈あざけ〉りを込めて「ははッ」と笑う。
しかし、幼女は首を振る。

「あにさーも断ってる。困らせるのは嫌だけど、欲しくないから」
「…………」

尾形は考えを巡らせ、鶴見中尉から団子を勧められ、祐季が美味しそうに嬉しそうに口いっぱい頬張って食べているのを、たまたま通りかかって物陰から盗み見たあの日を思い出す。

そこで待ってろ、と伝えて、尾形はサッとどこかへ向かう。少しして戻ると、懐から小さな巾着を取り出し、祐季に手渡す。

「?」
「やる」

なんだろう、と興味津々で開けてみると、中には色とりどりの飴玉がゴロゴロ詰まっている。

「お前は食べ物が好きだろ。簪や着物に比べれば、飴なんぞ安いもんだ」
「……でも」
「なんだよ。鶴見中尉の団子は食うくせに、俺の飴玉はいらんと言うのか?」
「…………」
「ハァー……ちょっとそれ寄越せ」

小さな手から巾着を奪い取ると、ふたつほど飴を取って自分の口に入れ、改めて巾着を渡した。

「このふたつは俺の分だからもらう。これでいいだろ」
「…………ありがとう、百おじちゃん」
「……ああ」

目を細めて笑い、巾着を開いて嬉しそうに覗き込む姿を、尾形はしばらく猫のような目で凝視していた。





夕食の時間、祐季は興奮気味に巾着を夏也乃に見せた。「それなーに?」と夏也乃が尋ねると、

「百おじちゃんが、飴玉買ってくれた!」

と瞳をキラキラさせながら言う。

「あら優しい」
「俺はいつも優しいだろ」
「フフッ、はいはい」

夏也乃は、尾形が心なしか穏やかな表情をしているのに気づき、本当にいじめなかったんだなぁと感心した。

いつも夫婦の間に祐季を挟み、川の字になって寝ているのだが、尾形を嫌がる祐季は大体、夏也乃に寄り添って寝ている。
しかし今夜は尾形にぴったりくっつき寝ているものだから、夏也乃は思わず吹いてしまった。

「……なあ」
「なんですか?」
「娘が欲しい」
「ブッ」

突然のなかなかな発言に、夏也乃はかなり強めに吹き出してしまう。
だけど尾形は至って真面目な顔をしているから、冗談で言っているわけではないと理解した。

「出来ればこいつに似た娘がいい」
「それは遺伝子的にかなり難易度高いのでは」
「我慢ばかりするくせに、もらうと喜ぶこいつを見ていると、無性に甘やかしてやりたくてたまらん」
「その割にはいびり倒してるじゃないですか」
「…………うるせぇ」

妻からの的確なツッコミに、気まずそうに視線を逸らした尾形を見て、夏也乃はクスクス笑う。

「百之助さん、娘には甘そうですよね」
「娘に甘い俺は嫌か?」
「大好きですよ」
「なら励むか」

夏也乃につられるように、尾形も優しく微笑んだ。




数日後、元に戻った祐季は月島から力強くギュウギュウに抱き締められ、なぜか飴玉が詰まった巾着を持っているので「これは誰から? いつのまに?」と聞いた。
すると尾形が「俺が買ってやった」とニタニタ笑って言うので、記憶のない祐季は「あの尾形さんが……?」と混乱。

鯉登少尉からは

「もう『あにさー』とは呼んでもらえないのか……」

と、やたらがっかりされるのでわけがわからず、月島や尾形、夏也乃にも尋ねたのだが、「知らない方がいい」の一点張りで、益々わけがわからなかった。
鶴見中尉にも聞いてみたが、穏やかに微笑むばかりで何もわからなかった。

そしてある日、夏也乃は妊娠し、涙腺がゆるい祐季は号泣した。


一覧に戻る

トップページへ