酔わせるつもりが酔わされた。


いつもそういう行為に誘うのは自分ばかりで相手から誘われたことがない、と、近頃少々不満を感じていた鯉登音之進。
そこで、労いと称して第七師団内で定期的に行われている酒宴に、自分の妻である祐季と、尾形上等兵の妻である夏也乃を呼ぶことにした。
鯉登の作戦は、酒で酔わせてそういう雰囲気に持って行こうという、なんともわかりやすいものである。

目的は妻から誘ってもらえれば達成するので祐季だけを呼べば良さそうなものだが、この酒宴には尾形も来ている上、祐季も夏也乃も、未来からやって来たという特殊な境遇にあることは同じなので、片方だけ呼ばないのは筋が通らないのだから仕方がなかった。

(…………おかしい。)

宴会が始まってもう30分はとうに過ぎている頃で、周りはとても盛り上がっており、賑やかというよりは騒がしい雰囲気である。

「鯉登夫人、天ぷらですが何か召し上がりますか。」
「あ、えーっと……では、かぼちゃを頂きます。」

鯉登の隣で月島と仲良く会話している彼女。そう、鯉登の妻である祐季。
もうお猪口で5〜6杯は飲ませた筈だ。鯉登の故郷である薩摩でも有名な、強めの酒を。

(ないごて顔色が変わらん!?)

日本人は酒に弱く、特におなごは弱いものだと思っていた鯉登は驚きすぎて、感想が上手くまとまらない。
鯉登の計算だと、4杯程飲ませたところで妻の顔がほんのり赤くなり、隣に座る自分に体を預ける結果になっている筈なのだ。
だのに当の祐季は、相変わらず肌が白いままである。

(尾形の妻など、一升瓶を抱きかかえて尾形のあぐらに頭を預けて寝ているというのに……!)

まさか、自分の妻がいける口だったとは。
籍は入れたが式を挙げていないし、一緒になってまだ数週間で、その間に夫婦で盃を交わしたことがなく、妻が酒に強いか弱いかの情報がなかったのだ。
完全に計画を間違えた、と、周囲が盛り上がっている中、一人で頭を抱える鯉登を心配したのか、月島と談笑していた祐季が会話をやめて顔を覗き込んで来た。
突然のことに、鯉登はあからさまに驚く。

「な、なんだ!」
「もし気分が悪いのなら水桶を探して来ますから、あまり無理しないようにして下さいね。」
「い、いや、別に吐きそうになどはなっておらん。」
「そうですか。」

たったそれだけの短い会話を交わすと、祐季と月島の会話は再開され、再び鯉登は一人で頭を抱えることとなった。

(なんだか今の心配のされよう……。母親が子供を気にかけるかのようだった。…祐季から見て、そんなに私は子供なのだろうか。)

考えれば考える程、気持ちがどんよりと沈んでいくようで。
隣にいる筈の妻が部下の月島と親しげに話していること以外耳に入らなくなり、誰かは識別出来ないがその複数人の"誰か"から勧められるがまま、酒を注がれては飲み注がれては飲みを流れ作業のように続ける鯉登であった。







「ッ! …ぇ…つぅっ!?」

あれからどれくらいの時間が過ぎたのか。
いつの間にかフェードアウトしていた意識が浮上し、鯉登が慌てて体を起こすと襲われたのは、強烈な頭痛と吐き気、胸焼けであった。

「二日酔いなので、大人しく寝ていた方がいいですよ。」

殆ど表情を変えずにスッと水桶を差し出しながら背中を優しくさすってくれる祐季。

「ふ、二日、酔い……? 日付変わったんか!?」
「はい。もうお昼くらいです。鶴見さんから『今日と明日はゆっくり休み、明後日からの仕事に精一杯励め』と伝言を預かってます。」
「…………。」
「音之進さん、注がれたお酒を椀子そばのようにスイスイと次々飲んでしまうので、面白がって宇佐美さんや尾形さんもお酌に加勢していましたよ。」
「は……。」

一体どれだけ飲んだんだ、そもそも自分は今己を介抱してくれている妻を酔わせようとしたのではないか、結果として敬愛する鶴見中尉に迷惑をかけてしまっているではないか、などなど鯉登の頭の中には色々な反省の言葉が浮かんだが、二日酔いのせいなのか、それともちゃっかりお酌遊びに乗じた2人の上等兵への呆れと怒りのせいなのか、言葉が上手くまとまらない。

「味噌汁なら入りそうです?」
「…………。」
「あ、もう少し入るのなら、うどんにすることも出来ますよ。」
「…………。」
「……音之進さん?」

返事がない夫を心配して手を伸ばすと、その手をパッと掴まれて勢い良く引き寄せられる。

「……おいは、わいん息子じゃらせん。夫じゃ。」
「え? はい……。」
「子供扱いすっな。」
「…………ふ。」
「!? なっ、ないごて笑うど!?」
「だってなんだか、今の音之進さんが子供みたいで……ふふっ。」

可愛い、とまではなんとか言わずに胸の内に留めたが、気持ちをなんとか表さずにはいられず、力一杯鯉登を抱き締める祐季。

(こ、こいはまるで祐季に押し倒されちょっごたっ…!?)

今の体勢を想像するだけで体温が上がりそうな鯉登。
抱き締め返そうとしたら体が離され、

「…では、元気そうなのでうどんにしますね。」

優しい微笑みでそう言うから、鯉登は大人しく頷くしかなかった。

だけど一瞬だけとは言え子供扱いされたのが悔しいため、回復したら何か仕返ししてやろうと思う鯉登であった。
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