《友人》という免罪符

恐怖を前にして動けない恐ろしさというものは、実際に経験しなければ理解するのは難しいと思われる。
刺されるとわかっているのに、体が重く、動いてくれない。
私はここで終わるのか。短い人生だったなぁ……。もっと甘いものたくさん食べたかった。

「たかが注射で何馬鹿なこと言ってんの」
「なんでショーコさん呼んだんですか! 解熱剤くださいよぉ……」
「高熱でしんどいようなら解熱剤飲ませろって私は言ったんだけどな。五条が聞かなくて」
「ふふーん」

何をやらかしたか知らないし聞きたくもないけど、夜蛾学長から逃げて来たらしい最強の友人は、床に四肢を投げ出し動けないでいる私を見て、すぐにショーコさんを呼びに行った。
いや、呼びに行くんなら床に放置しないでくれよと悪態ついちゃったけど、ショーコさんを呼んだことで更に恨みが強まる。

「なんだ? ゆきは私が診察するのは不満か?」
「いえ、ショーコさんの腕は尊敬レベルで認めてます……」

治療の腕は本物なんだ。たとえ国家試験を受けるにあたって提出した情報に、多少の捏造があったとしても。
スキルについては何も心配してない。私が心配というか不安なのは……

「ねえ硝子ー、刺さないの?」
「まだ診る箇所あるからもう少し待て」
「ゆき、心配しなくていーよ! 友達の僕がしっかりそばで見ててあげるから! だからそんなに怖がるなよ〜」

……この男、体調回復したら鼻フックしてやる。出来れば三輪ちゃんが見ている前で。
五条さんだって自分が熱出した時は注射嫌がって、《無限》発動させてた癖に。
そんなことを考えていたら左腕がスウッとひんやりして、いよいよぶっ刺されるのだと悟った。

「ゆき……これ注射だから。そんな、死を覚悟したかのような表情するなよ」

どんだけ嫌なんだよ、と呆れるショーコさんも美しいなぁと思いながら、出来るだけ視界に五条悟を入れないように注意する。

「ここ最近、朝から晩まで働き詰めだったものなぁ。ゆきは五条とつるむくらいアホに慣れてるけど、仕事に関しては真面目すぎるとこあるから、もっとアホになっていいよ」
「そうだよ僕を見習ってよ」
「五条はもう少しゆきを見習え」

なんてことない時に言われたら感動ものなんだろうけど、話しながらショーコさんが私の腕にトントン触れて血管を探しているから、注射されるんだーという恐怖が邪魔してる。
とりあえず五条さんは仕事に戻ってくれていいです。

「チクッとするから〜」

注射でも採血でも、針が刺さる前にかけられるこの言葉はなかなか慣れない。






ぶっ刺された翌日、立って歩ける程度には回復したと思ったらショーコさんと五条さんから、

「休めるうちに休んどけ」
「大人しく出来ないんなら本棚の中身全部ブックオフで売り払うよ」

と厳重に言われてしまい、大人しく寝ているか本を読むか飲み食いするかしか出来ない。五条さんに至っては最早脅しじゃんか。
私のところには、先生たちだったり生徒たちだったり、伊地知さんまで来てくれたりで、寝たきりでも退屈はしない。
普段は「変態」だの「萌えクラッシャー」だの「ナイスボディーの持ち腐れ」だの言いたい放題されてても、こうしてひっきりなしに見舞いに来てもらえると、好かれてんなーと感じられる。
ありがたいことだ。

「あっ! 野薔薇それな〜にぃ〜? 僕には大人気ケーキ店の焼きプリンが入ってるように見えるんだけど」
「ゆき先生に買ったやつだから。五条のじゃねーから」

「悟お前、授業サボって自習ばかりやらせてんじゃねーぞ」
「寝込んでる友人ほったらかして授業なんか出来っかよ!」
「生徒ほったらかして教師なんか出来るのか」

「正蔵寺さん、体調はいか……あ、五条さんまだいるんですね」
「何、伊地知。いたら駄目なの?」
「い、いえ」

「おーいゆき、頼まれてた橋◯環奈の写真集買って来たぞ〜。サンタ◯ェは見つけられなかった」
「うあーやった! 環奈ちゃんヒャッホウ可愛いぃぃぃぃ……! サンタ◯ェはやっぱ入手が難しいですかね。わざわざありがとうございます」
「生徒にヌード写真集頼むんじゃないよ」
「俺、人間のその感覚わかんねぇし、そういうの気にしないからいいよ」

………………なんで一日中いるの、 五条悟このひと
呪術界最強の男は、クソがつくほど忙しい。授業で祓う時以外、五条悟本人に舞い込む依頼はどれも1級または特級の呪霊を相手にする内容だ。
途中何度か伊地知さんが入り口からチラチラ姿を覗かせて、「あの、五条さん」「あの……」と遠慮気味に声をかけているの見えたから、何か会議か仕事の連絡をしたいんだと思う。
伊地知さんの立場を考えると、辛い。

「伊地知さん来てるの気づいてますよね」
「うん。無視してる」
「仕事して下さいよ。かやの先生呼びますよ」
「…………呼んだら本棚の中身ブックオフね」

テメー。
心配してくれてるのはわかるし、感謝で胸がいっぱいなんだけど、私はもう30歳であって「パパ行かないでぇ」って朝の玄関で泣きついてパパを困らせる5〜6歳の幼女じゃない。
なんっっっだその幼女。可愛い。

「せっかく一緒にいるのに大切な友達からそんな冷たくされたら、悟泣いちゃうぅぅぅ」

五条悟くん(28)、可愛くない。
可愛いと思える時と思えない時があるけど、今は「思えない」と判断した。
グビグビと目の前で、ショーコさんがくれたジュースの詰め合わせを勝手に開封して平然と飲まれているのを「あらあら」と笑って許せるのは、6歳までですわ。

「先生なんだから幼稚園児じゃなくて先生してて下さいよ」
「今の僕は先生じゃなくて友達だもーん」
「流石の私でも、自分が熱出したせいで各方面に迷惑かかるのはいい気しないんですけど」

読書用の机の上に、飲み終わった空き缶でタワーを作りながらケタケタ笑う五条さんと反比例するように、私はどんどんテンションが下がっていく。
あー本当に、この人は……。
はあ、とため息ついてベッドから降り、部屋を出ようとしたところで片腕掴まれた。

「どこ行くの」
「五条さんがサボるんなら、私は仕事に戻ります」
「仕事のしすぎで熱出したのに?」
「私が寝たきりなせいで五条さんがサボって、それで夜蛾学長や伊地知さん、やのちゃん、その他大勢に迷惑かかるってんなら、休みなんていりませんよ」

友達や仲間は協力し合って支え合って、群れてつるんで一緒に困難に立ち向かうのが理想的な姿だと思う。
一蓮托生、死なば諸共、共倒れ……なんてことになってはならない。特に《こちら側の世界》は。
私一人が熱で倒れたせいで、五条悟という《最強》が《ポンコツ》にランクダウンしてしまうのは、よろしくない。非常に、よろしくない。

私と五条さんとでは関係性が違うけれど、「傾国の美女」や「絵姿女房」という言葉が浮かんだ。
「傾国の美女」は美女を妃に迎えたせいで皇帝や国王が妃にうつつを抜かして政治を疎かにして、やがては国を滅亡させてしまうもの。
「絵姿女房」は奥さんを好きすぎてそばを離れられず、仕事になかなか行かない旦那の話。
女一人でこうも男はポンコツになるのかと、なんとも奇々怪々な話だ。

私は多方面に迷惑かけるレベルで旦那をポンコツにする「美女」や「女房」には、なりたくない。
かやの先生…やのちゃんには、「傾国の美女」になれるレベルの美しさが備わっていると思ってる。けど彼女がただの美女と異なるのは、相手を魅了した上で、しっかり尻を叩けるところ。
年齢問わず女性からキャーキャーチヤホヤされる、異常に見た目がいい五条悟グッドルッキングガイを前にしても、そこは同じ。書類に不備があればどうしようもない時を除いて追い回し、目に余るレベルのおふざけには武力行使する徹底ぶり。流石です。

私は五条さんとは波長が合うみたいで、悪ふざけには悪ノリするし、スイーツ食べたいって誘われれば一緒に食べるし、揶揄い合ったり、一緒に雑誌見ながらどの女の子が好みか話したり、男女というより男子のノリってよく言われる。
一緒にアホやるのは楽しいから好きだけど、限度はある。「アホ」はいいけど「馬鹿」はいけない。

「腕、放して下さい。仕事行くんで」

ずっと私の腕を掴んだまま動かない友人の顔を見上げると、

「だあってえええぇぇぇぇ友達一人にしたくないんだもおおぉぉぉぉん!!」

……この人、本当に28歳なんでしょーか。
ベソベソ泣きながら、目隠しの上からごっしごっしと涙を拭こうと空いている手で擦り、どんどん泣き方が酷くなっていく。
ええー……。

「謝るからぁぁぁぁ! ごめんて言うからぁぁぁぁぁ! だから嫌いにならないでぇぇぇ!!」
「190cm以上あるアラサー男からボロボロ泣きつかれるの、気持ちが悪いな……」
「気持ち悪くないもん!! 友達なのに酷いお!!」
「酷いお」

なんかこっちが悪いみたいな、こっちがいじめて泣かせたみたいな絵になってるのやだ。

「てか五条さん、なんか……」

酒臭くね?
まさかと思って、相変わらず腕を掴んだままの五条さんと一緒に机まで進む。積み上げられた空き缶をひとつ取って確認してみれば、「お酒」と表記されている。
ショーコさんがくれたのはジュースじゃなくて、果実酒だった訳だ。なんてこった……。
いつも飲み会で五条さんがソフトドリンクばかり飲んでいるのが気になって、ある時ナナミンさんにこっそり聞いてみたら「五条さんは下戸なんです」と返された。

「えっぐ、えっぐ……ぐす……」
「そうかぁ、五条さんは酒飲むとこうなるんだね〜」
「気持ち悪いなんて酷いお…酷いお……」
「わかったんで、『酷いお』やめて下さい」

とりあえず泣き止ませようと、「気持ち悪いと本気で思ってる訳じゃない」「可愛いですよほんと、可愛いですよ」「最高の自慢の友達ですよほんと」などなど、ご機嫌をとる。
しばらくそれを続けてなんとか泣き止んだ五条さんは、今度は眠いと言い出して、私のベッドを提供する羽目になった。
なんで病人の私が、友人とはいえ酔っ払いの介抱を甲斐甲斐しくしてやらにゃならんのだと思うと、泣けてくる。

「……ゆきは、僕を一人にしないでね」

寝つく直前にかけられた言葉は、酔っ払いの戯言ではなく本心だと信じたい。
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