五条「そんな術式はないよ」

「一人じゃ流石に食べきれないか……」

今日はお菓子を大量に作り、五条さんとお茶会を楽しむはずだったのが、彼のドタキャンによって予定が狂ってしまった。
こちとら早朝6時起きで調理実習室にこもって、ガシガシせっせとクッキーやプリン、フロランタン、パンナコッタと菓子を量産していたというのに。
けど、急に仕事が入ったのだから仕方がない。五条さんも珍しく申し訳なさそうにしていたし、彼を責める気にはならない。

「……デコピンくらいなら許されるか」

とはいえ、問題は目の前にある大量のお菓子の山だ。いくら甘い物が好きな私でも、この量を一人で完食するのは厳しい。
数日かけて食べるにしても、クッキーとか焼き菓子ならとにかく、プリンやパンナコッタ、ババロアは今日か明日には食べ切らないと、腐ってしまう。
……仕方ない。小分けにして生徒に配ろう。確か自室に余ったラッピング袋があるはず。

そう思って入口を向くと、そこには伊地知さんが立っていた。

「あれ、五条さん担当なのになんでここに?」
「はは、まあ確かに私、五条さんの専属みたいになっちゃってますけど……。五条さんは今回新幹線での移動ですので」

あの五条悟のほぼ専属という地位にあってもあまり嬉しそうじゃないのは、あの五条悟だから、だろうな。
二人は高専時代から付き合いがあり、伊地知さんの性格からしてかなり可愛がられていたと思われる。断れないのをいいことに。
しかも高専時代の五条さんは、

「今より更に自信家で、尊大で横柄で、その上ハイスペックイケメンという厄介なクズだった」

とショーコさんから居酒屋で聞いたことがある。
伊地知さんはあんなに頑張ってる、しかも的外れで空回りな頑張り方ではなく、ちゃんと頑張ってるタイプの努力家なのに、なぜこうも不憫なんだ……。
あ、それよりも。

「わざわざ調理実習室に来るなんて、私に何か用事でもあったんですか?」

何か調べて欲しいサンプルでもあるのか。
はー……呪霊触る前に、早くお菓子を分けてしまわないと。

「え? あ、いえ。たまたま通りがかったらお菓子のいい匂いがしたものですから、つい来てしまいました」

ええ〜……。なんなんだ伊地知潔高26歳!
なんだそのはにかみ笑い! 可愛いにも程がある!!
こんな可愛い成人男性、他にいる!?

こんなに可愛いのに、なんで五条さんは当たり強いんだろう。
伊地知さんを労いたい。めっちゃくちゃ甘やかしたい。
ごめんみんな。お菓子は分けられない。

「伊地知さん、今忙しいですか?」
「い、いえ。夕方からまた仕事がありますが、それまでは特には何も……」
「じゃあ、一緒にお茶会して下さい」
「へっ!? な、なんか私に選択肢なさそうなのは気のせいでしょうか……」
「『お茶会する』と『逃げて追われて強制参加』の二択です」

ガクガク震えながら全身で縦に頷かれて、罪悪感抱いちゃうけど……伊地知さん見てると可愛くて、ついついいじってしまう。







「うえぇぇぇッ!? な、なんで……それ……」
「いや、見てたらわかりますよ〜」

最初は、お仕事大変ですね的な話で色んな(五条さん絡みの)苦労話を聞いていた。
けど途中で、

【かやの先生のどこに惚れたのか】

という話題をぶっ込んだところ、伊地知さんは飲んでいた紅茶を盛大に吹き出し、ゴホゴホとむせ、茹で蛸の如く真っ赤な顔で動揺してくれた。

「やのちゃんを見つめる伊地知さん、すごーく優しい目をしてるんですよ。やのちゃんから話しかけられるとなんか嬉しそうにしてますし、やのちゃんが缶コーヒー手渡したら、すぐに飲もうとしないでいつまでも缶コーヒーを嬉しそうに見つめてますよね」
「ヒィィィ……これなんの罰ゲームですかぁぁぁ……」
「わあ〜可愛い……。で、やのちゃんの好きなところはどこですか?」

伊地知さんが吹き出した紅茶を布巾で拭いて、ティーカップに新しく紅茶を注いで手元に置くと、「優しいのか意地悪なのかはっきりしてないのが怖い……!」と怯えられた。
失敬な!

「私のことはいいでしょう。それより、正蔵寺さんこそ五条さんとはどうなんですか」
「どう、とは? どうなるのが伊地知さんの理想ですか? 勝手にカップリング漫画を描いて同人誌デビューでもなさるおつもりですか? 東京ビッグサイトで壁サーになるのが最終目標ですか?」
「デビューしません!! 壁サーなんてそんな高望みしていません!!」

ごまかし方としては落第点。
私と五条さんがそういう関係ではなく、そもそもなりようがないというのは伊地知さんでもわかってるはずなのに。

「あ、でもお二人がデキてるって噂してる方々は実際いますよ」
「そうですか。あとでその"噂してる方々"とやらのリストをください」
「不穏!」

私は一生独身貴族を謳歌してやるって決めてる。
五条さんは一緒にいて楽しいから、彼が結婚して所帯持つまでは互いの家に遊びに行ったり、桃鉄やったり、日帰りスイーツ食い倒れ小旅行したり、いつまでも二人でアホやってたい。
けど五条さんと恋人関係になりたい訳じゃない。そもそも私には誰かに恋する感覚がよくわからないし。
自分が誰かとキャッキャウフフといちゃついてる姿、うーーーん……カオス。天変地異。

「正蔵寺さんのような方でも、他人の恋心はわかるんですね……」
「…………」
「あっ、や、別に今のはアナタを馬鹿にした発言ではなくて、えーっと…………ご自分は恋愛しないのに、どうして私の、こ、ここ、あの……恋心、には気づくんですか」
「他人の感情には、昔からよく気がつく方ですから」

口元の動き、目の色、言葉を発するまでにかかった時間、選んだ単語、声の高低や速度などのアクセント、漂う雰囲気。
その全てが《情報》として私に伝わる。
良い感情も、悪い感情も。

「やのちゃんはナナミンさんに気持ちが向いているようなので、ここは伊地知さんの腕の見せ所ですね」
「! あー……、そうですよねぇ、やはり……。七海さんは一級呪術師ですけど私は呪術師諦めて補助監督になるような不甲斐ない男ですし、私なんかが大人オブ大人な七海さんに敵うはずもなく、一体どうしたらいいのやら……はは……。彼女は七海さんと並んだ方が華やかで、地味で冴えない私と並ぶより余程絵になりますよね……」

い、伊地知さんが弱気になっている。これはいかん。
元クラスメイトで付き合いは長いんだし、伊地知さんはこんなに頑張り屋で優しくて一途で、特に《誠実さ》ならその辺の誰にも負けない。
軽薄な五条さんとは天と地、月とスッポン、象とアリ、シャチとミジンコほどの差がある。

いじらしい伊地知さんから告白されたら、やのちゃんはもう、キュンキュンしすぎて胸押さえながら卒倒するに違いない!
こういう普段大人しい穏やかな相手が突然男気見せると、それはもーーーー効果は絶大なんだ。
五条悟が告白するより説得力があり、信用度も高く、破壊力がもう、やばい。……さっきから五条さんマイフレンドの扱いが酷い気がする。

これはなんとしても、伊地知さんの手助けをしたい。伊地知さんには報われて欲しい。キューピッド役になりたい。二人をくっつけて、初デートを見守ってニタニタしたい。

「なんなら伊地知さんとやのちゃんのお茶会、セッティングしますよ」
「えっ!? いやっ、そんな……あの、そ、そんな……二人きりだなんてそんなことになったら私は……」
「私は?」
「恥ずかしすぎて嬉しすぎて、昇天しちゃいますッ……!!」

なんなんだこの人……。的確にこっちのハート狙い撃ってくんじゃん……。
え、何。そういう術式の持ち主なの……? 伊地知潔高は、《相手を的確にキュンとさせることで萌え死にさせる術式》の持ち主なの……?
そんな術式ある?

薄れゆく意識の中、私の名前を呼ぶ伊地知さんの必死な顔が見えて、なんだか笑ってしまった。
とりあえず、お茶会はセッティングしよう。
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