「あ…目、覚めた?」

頬が冷んやりとしてその冷たさに俺は目を開けた。見慣れない風景の中にあの時見た女が驚いた顔で俺のことを見ている。どこだここはとか、なんでお前がとか聞きたいことはたくさん浮かんできたがこんなにやられたのは久々で起き上がるのも、口を開くのすら何となく億劫だった。

「体はどう?」
「……」
「喋れないくらい痛むの?」
「…かすり傷だ」
「悪態つく元気はあるみたいで安心した」

へらへらと笑う女に起きてと催促されるがまま上半身を起こすと、何となく雑と言うか…心なしか悪意のような物を感じる手当てを受けた。こんな怪我をしたのはいつぶりだろうか、本気で目の前の敵に向かった事すら久々な様な気すらして。そんな少し埃のかぶった記憶を巡る俺は意識は、ひりりと痛む頬に容赦なく塗られた消毒薬に急浮上した。

「ってェな…!…もう少し優しく出来ねぇのかよがさつ女」
「!?それが手当てしてもらってる人の態度?……こてんぱんにやられたくせに…」
「っ…!!」
「はい、そこまで」

痛いところを突かれた事と、先程の手合いの一件も相まってかつい喧嘩腰な態度に。目の前の女も売り言葉に買い言葉で、今にも一触即発といったその空気に優しげな声は降ってきた。女が頭にぽんと置かれたその手に跳ねるように振り返るのにつられて視線を上げると、何時ぞや見たあの笑みを浮かべた奴がいた。

「先生…!」
「廊下の方まで声が聞こえていると思えば…、君も案外元気そうで安心しました」
「……」
「さぁ銀時が探していましたよ。行ってあげなさい」
「!先に教えてください!!」

話を聞くや否やもう俺なんて眼中にないと言った様子で足早にその場から去って言ってしまった。どたどたと遠ざかる足音を困った顔で眺めていたその視線は、不意に俺へと降りてきた。

「まったく、寺子屋に道場破りなんてきいた事ありませんよ。ケガがこれ位で済んでよかった」
「………俺より弱い奴と試合うのはもう飽きただけだ。本当はアンタとやりたかった…まさかあんな奴に…」
「あなたは十分に強いですよ。あの銀時とあれだけやり合ったんですから…道場破りさん」

***

ぐるりと寺子屋を一周した辺りでやっと私はお目当の人物を見つけることができた。見つからない訳だ…どうやら銀時もあの道場破りの事が気になっていたらしく、彼はあの部屋の反対側の角の陰にいた。きっと部屋の中ではまだ話をしているだろうと思い足音を立てないよう注意を払いつつ、私はその背中へと手を伸ばす。驚かせない様にゆっくりと。

「銀時」
「!?なんだお前か…急に声かけるなよ…」
「だって先生が、呼んでたって…銀時も怪我したの?」
「……別に?大したもんじゃねーけど松陽が診てもらえっつーから」
「いいからみせて?」

引かないと思ったのだろう、ばつが悪そうな銀時は声を潜めたままそっと着物の袖を捲った。確かに大した事ではないがうっすらと赤い筋ができていて、負けたとは言えあの銀時にかすり傷…純粋に感心していると何となくそれを感じ取ったのだろう口をへの字に曲げて腕を振り払われた。

「もういいだろ」
「…後で絶対きてよ」
「へいへーい」

銀時のその態度から後で無理やり押しかけようと心に決める。あ、でも手当ての道具一式あの部屋に置いたままだった。先程飛び出したから何となく行きづらい気もするけれど、仕方ないなと思う私の視界にあの日見たもう1人の姿が入る。

「あ」
「?」

私の声に銀時もそちらを向く。すると視線がぶつかってハッとした様な表情の後素知らぬふりで彼はその場を後にした。そうか、あいつにもあんな風に心配してくれる友達がいるのかと思うと何となくほっとした。…ほっとした…?

「知り合いか?」
「何言ってるの、銀時もあの時見たでしょ」
「……あー、あ…あの時の女か」
「え、いや、男の子でしょ?」

胸につっかえた様な謎の違和感も、すぐに何時もと同じ様な会話を銀時と交わすうちに気のせいだと思えてきた。そんな矢先だった、自分の名前が耳に届いたのは。

「名前ですか?」
「あいつ女のくせに剣術やんのか」
「おや…そんな事言っていいんですか?あの子も強いですよ、うちの看板娘です」
「なんかそれ違うだろ」
「ねぇ、名前」
「!!」

いつから気づいていたのだろうか、いや、先生の事だからもうずっと前から気付いていたのかもしれない。話の流れではなくしっかりと私を呼ぶその声に出て行くか迷って隣を見たが銀時は1人足早にその場を去っていた。…裏切り者め…。

「銀時は行っちゃいましたか」
「……人の親切を素直に受け取らないやつなんて知りません」
「まぁそう言わずに、ね?」
「せ…」
「じゃあ後は任せましたよ。道場破りさん、もう少し体を休めて行ってくださいね」
「え!」

ぽんぽんの私の頭を撫でた先生はあっという間に部屋を後にした。結局初めと同じふたりきり。何を話したらいいか見当もつかなくて銀時の逃げ足の速さは先生譲りなのかも…とかどうでもいいことを考え始める。

「…………名前」
「……え」

その沈黙を破ったのは彼の方だった。この時の私の顔はさぞかし間抜けだったのだろう、少しだけ本当に少しだけ彼が笑った。

「お前の名前だろ」
「そ、そうだけど…」
「…さっきは悪かった。……あと手当て…その、助かった」
「あ……うん」

何故かそっけない返事しか返せなかったが彼もまた視線をそっぽに向けたままそう言ったのでお相子。そしてぽつぽつと会話らしい何かを交わすたび少しだけ興味が湧いた。彼はどういう人物なのだろうかとか、何を考えて銀時に挑んだんだろうとか、考える中でふとある事に気付く。

「名前…」
「?何だやっぱ違うのか?」
「私のじゃなくて、君。名前は?」
「……高杉晋助」
「高杉くん」

少し驚いた顔をした彼と目があう…仏頂面ばかりだが案外表情豊かなのかもしれない。そして何となく銀時に似てるような気がして。

「よろしくね、高杉くん」

明日からはもっと賑やかになりそうだし、とりあえず後で先生に頼んで包帯とか消毒薬とか買い足しておこう。こんなに明日が楽しみなのはいつぶりだろうか。差し出した手が握り返される事は無かったけれど、きっと来るであろうその何時かに夢を馳せて。


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