いつからだろうか、彼から煙草の匂いがしなくなったのは。煙草自体はあまり好きでは無いのだが、どういう訳か体染み付いた煙草の残り香は、自分でも分からないが何故か少しだけ好きだった、だから気付いたのだろう。勝ったら増築と言う約束のもと設計図を見合わせて何やら話をしている彼らの後ろ姿を眺めながらそう思った。きっとまた無理難題を押し付けられているのであろう、ムサシは苦笑いを浮かべている。

「…おいなまえ」
「え、あ」

余程気になったのか後ろに立っていた私はいつの間にか彼かに並ぶ様に座り込んでおり、蛭魔の呼びかけにはっとして無意識とは恐ろしい物だと肩をすくめた。この至近距離で鼻につくのは汗と土臭い匂い、やはり煙草の匂いはせずそれは確信へと変わった。一人で納得している間にどうやら話は終わっていたらしく話の内容に少し雑談が混じっている。これはチャンスだ。

「…ムサシさ、いつ煙草やめたの?」

会話に割って入る私の質問にムサシは面を食らった顔をした。図星かな、と思っていると直に困ったような表情に変わり、癖なのだろう耳を掻いている。そんな彼に先に話しかけたのは蛭魔だった。

「何だ糞ジジイ…テメー煙草やめてたのか」
「あー…。まぁな」
「へー、やっぱりそうだったの」

蛭魔の問いかけに間の悪い返事を返しながらムサシはそれ以上何も言わず、仕事があるからと言ってそそくさと去って行ってしまった。ぽつんとその場に残された私と蛭魔。少しの沈黙が流れた後で彼の帰るか、と言う声に頷いて校門へと歩き出す、気のせいかのも知れないが何だか空気が重い気がした。

「…お前なんで糞ジジイが煙草やめた事知ってたんだ」
「え?」
「…だ・か・ら、煙草やめた事にどうやって気付いたのか聞いてんだ!」

直に苛ついている事を感じ取った。勿論その理由もだ。そしてそこまで鈍くないし、今更かまととぶる気なんてさらさらないことも。

「匂いかなー、私、何でか分かんないけど残り香?って言うの?あれ、結構好きでさ」
「ハッ…イヌかよ、お前」

不貞腐れた様にそう言った蛭魔の姿がおかしくてつい笑ってしまうと軽く叩かれる。

「何笑ってやがる」
「んー?別に」

はぐらかす私に舌打ちをし、少しずつ不機嫌になりつつも歩幅は私に合わせたままな蛭魔の優しさに我慢が出来ず頬が緩んだ。好きなんだろうなあと嬉しさを噛み締める。幸い彼は前を向いたままなのでこんな緩んだ顔は見られずに済みそうだ。

「心配しなくても大丈夫だよ」
「……何が」
「私、きっと蛭魔が思ってる以上に蛭魔の事好きだから」

夕日とともにしっかりと脳裏に焼き付けたその時の年相応な蛭魔のその表情を私は、きっとこれから先も忘れられない。


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