「よう、カス女」
「げ…」

声をかけられた瞬間、私は自分の寿命が縮んだような気がした。振り返らなくてもこんな風に人を呼び止める奴に思い当たる節は一つしか無かった。蛭魔に半ば強引に押し付けられた偵察を終え暢気にそのまま、観客席で録画したビデオを確認なんてしていた自分を呪った。ひやりと背筋が凍るのを感じながらゆっくりと降り帰ればやはりと言うか、真後ろに見た事のあるドレッドが立っている。

「…何か用かな、阿含」
「テメーみたいなカスに用何かねぇよ。つーかさっきげっ、つったろ。俺様に声かけてもらってんだからもっと嬉しそうにしろ」
「んな横暴な…」

小さく限りなく小さく呟いた筈なのに目の前で私を見下ろしている彼も耳にはしっかり届いていたようで思いっきり睨まれた。阿含とは蛭魔つながりで知り合ったが彼の怖さには未だに慣れないというか、これから先も慣れるような時が来るとは思えなかった。

「ていうか、よく気付いたね。こんなにたくさん人がいるのに」
「あ゛ー?観客の中からテメーを見つけるなんて俺にとっちゃ朝飯前なんだよ」
「へ、へー…」

さっきまで途中からだが試合に出てたのに何時見つけたんだ、と思ったがあえてそれは口に出さなかった。ビデオの確認で気付かなかったが、話しかけてきた阿含が既にあの制服に着替えている姿を見るに私はだいぶ長居をしていた様なので、一刻も早く帰りたかったが目の前の彼がそう簡単に返してくれるとはこれっぽっちも思えない。が、終わったらすぐ戻ってこい、そう何時もの様に念を押して学校で練習をしながら待っているであろうあの悪魔の姿が脳裏に浮かびどうにか突破口を必死で考えた。

「あのさ、阿含」
「テメーこれから暇だろ。行くとこあっから付き合え」
「暇じゃないし…」
「ちなみに拒否権はねえ」
「そんな…!い、いや本当に無理だから!私阿含に付いてったら殺されるから!!」

その言葉に私の手首を掴みどこかへ連れて行こうとしていた阿含がぴたりと止まった。先程までと雰囲気が打って変わった彼は不機嫌そうにこちらを振り返る。あぁやってしまったと後悔したが時既に遅し。一体何が気に触ったのか分からなかったが面倒な事になったと頭を抱えた。

「…なんだテメー、まだあのカスとつるんでんのか」
「‥阿含。いたい」

彼らの中が悪い事なんて重々承知しているのに焦るあまり口を滑らせてしまったことにひどく後悔した。握られた手首がぎりっと悲鳴をあげる。それでも容赦なく入れられる力に眉をひそめていると遠くに何やら辺りをキョロキョロと見回す人影が見えて私は思わず声を上げた。

「う、雲水…っ!!」

その人影は私の声にこちらへ視線を向けるなり慌てて駆け寄ってくる。助かった、そう思うのと鞄の中の携帯が鳴ったのはほぼ同時だった。

「こんな所にいたのか。探したぞ阿含」
「るせー、俺は今このカス女と話してんだよ。邪魔すんな」
「みょうじは嫌がっているだろう…放してやれ」

そう言う雲水に阿含は渋々と言った様子で手を放した。赤くなっているそこを見ながら申し訳なさそうに雲水が頭を下げる。

「すまない、みょうじ。阿含が迷惑をかけたみたいだな」
「いや、別に…」

そんなことは、と言いかけた言葉が止まる。先ほどからうるさく鳴り続ける携帯がさすがに気になって来たからだ。画面を見なくても相手は分かっていたが阿含の前で出るのもあれだし、それに何より気まずくて出る気にはなれないでいた。

「出ないのか?」
「きっと急ぎじゃないだろうし、大丈夫だよ」
「でもさっきから何度も鳴っているようだが…」

ちらりと阿含を盗み見れば少し離れた場所で完全にそっぽを向いてこちらの会話には入って来る様子は無い。このまま無視し続けてもいずれは出ないといけないなら、少しでも早い方が良いだろうそう思い、雲水にごめんね、と一言入れてから恐る恐る通話ボタンを押した。

「は、…」
「遅っせえ!!!!!油売ってねーでとっとと帰って来やがれ!!こンの、糞糞糞◯◯がっ!!!」

こちらがしゃべるより前に耳がキーンっとなるような声が携帯から容赦なく発せられる。案の定と言うか想像通りと言うか蛭魔は相当おかんむりのようで思わずため息を吐きそうになりながらも話をしようとしたがそれは叶わなかった。

「え…?」
「……」

耳に当てていた筈の携帯はその向こうから蛭魔の怒りの声を発しながら今、何故かまた私の背後に立っている阿含の手の中にあった。いつこっちに来たんだと思ったがそれよりも携帯を取り返す方が先決だと手を伸ばす。

「かえし…」

て。そう言うよりも早く彼の手の中にあった私の携帯はバキッと嫌な音を立てながら見事に真っ二つになった。そしてそれをあたかもごく自然に私の手の中に落とすと彼は雲水の静止も聞かずに、そのまま踵を戻し出口の方へと歩いて行った。あまりにも普通に全ての事をやった阿含にあっけにとらてれいると不意にその足が止まった。

「………俺は悪くねぇ」

そう言う彼の背中はまるでいたずらをして親に怒られ拗ねた子供みたいで。雲水がひたすら謝りながら慌てて阿含の後を追うのを見送る私はしばらくその場に立ち尽くすほか無かった。


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