「へー!じゃあなまえ姉ってそんな小さい頃から妖兄と一緒にいるんだ」
「うん、小さい頃は今じゃ考えられないぐらい可愛かった…」
「ひ、ヒル魔くんが可愛い…?」

部活も終わったその後でグラウンドの整備中の男子メンバーとは別に部室で備品の整備をしている彼女たちの間ではそんな会話が展開されていた。

「でもでも妖兄が小さい頃なんて想像がつかないなー」
「あはは、蛭魔は確かにあの頃から生意気だし口も達者だったけど、まだひょろっとしてたからさ。悪知恵だけじゃ勝てないこともあって、そう言う時は私が庇ってたりしたんだ。信じられないでしょ」
「…あのヒル魔くんでもそんな頃があったなんて」
「だからまもりのセナに対する気持ち、少しだけ分からなくもないんだよね。
ま、今の蛭魔にはそんな事思えないけど!」

あはは、と部室には楽しげな声がひびく。懐かしいなんて少しだけ干渉に浸りつつも会話はどんどん進んでいった。いいな、こう言うの。

「…じゃあさ、なまえ姉は妖兄のことどう思ってんの…?」
「……どうって?」
「そりゃあ、もちろん…」

そこで話は唐突に途切れる、いつもの勢いで部室の扉が開いたからだ。勿論そんな風に扉を開ける人物は一人しかいない。

「あ?…何だよ」

先ほどまで話の渦中にいた人物がいつも通りに部室に現れたので思わず凝視していると、その視線に少しだけ不機嫌そうに蛭魔はそう言った。その反応に3人は顔を見合わせ少しだけ笑い合う。そんな私たちを横目に蛭魔は椅子に座りパソコンを取り出しキーボードを鳴らし始める。後ろからは今日も顔やユニホームに練習の成果をつけるチームメイトが続々と入って来ていた。必然的に賑やかになってきた部室に携帯の着信音が鳴り響く。直に自分のだと気付いたなまえは鞄の中から携帯を取り出し、確認した後帰り支度をし始めた。

「あれ、帰るのなまえちゃん?」
「うん、ごめんね。ちょっと野暮用できちゃって」

手早く返信ともう一通メールを打ってから皆に軽く頭を下げて足早に部室を後にする。そんななまえの姿を眺めていた蛭魔の携帯が今度は鳴りだす。確認すればその差出人は今しがた部室を出て行った人物で、不思議に思いつつ開いてみればそこには”お母さんが夕飯作り過ぎたから食べに来てだって”とだけ書かれていた。絵文字の一つも無いそんなメールに舌打ちをしてから再びパソコンへと視線を戻した。

「…つーか直接言えよ、あの糞◯◯」

そんな文句を呟きながら画面に広がるデータに保存をかけそっとパソコンを閉じた。



***



駆け足で時計を確認しながら校門を飛び出す。母から届いたメールは今日蛭魔を夕飯に呼んで欲しい事、それとその夕飯の買い出しを頼むと言う旨が書いてあった。夕飯はカレーかと思いつつ母の指定したチョコレートは少し離れた所にいかないとないため少し焦がならお店を目指していた。

「あー、蛭魔にゆっくりでいいって伝えればよかった…!」

そう呟きつつ近道をしようと裏道へ入った。こちらからいけば確か直ぐだったはず、と思っていると不意にその抜け道の前に人が立っている事に気付く。こちらに来る訳でもなくただ立っているその人影を不信に思ったがそのまま行ってしまおうとしたその瞬間、背後からにゅっと手が伸びて来て何かを無理矢理嗅がされた。

「おー、本当だ。コイツだよコイツ。間違いねー」
「マジで?お手柄じゃん!俺ら」

薄れ行く意識の中わずかに聞こえた会話の内容にもしかして、と思い当たる節があったがもうそれ以上は考えられず、私はそのままその場で意識を手放した。
次に目が覚めた時は何やら見た事の無い廃墟のような所にいた。しくったなと冷静に考えながら今何時だろうと辺りを見回すと不意に上の方から声が降って来た。

「目ェ覚めたか」
「…だれ?」

声のする方には見た事無い、でもよくあるような典型的なちんぴらがどかりと座ってこちらを見下ろしていた。

「テメー、ヒル魔の女なんだろ?」
「……はぁ?」
「しらばっくれても無駄だぜ?こちとらちゃーんと調べは付いてんだからよォ」
「それ調べた奴無能だよ。早く切った方がいいかも」

はっきり言ってこんな風になるのは今回が初めてではなかったから特に慌てる事のない私の態度に苛立ったの、かこめかみ辺りに青筋を立てながらじろりとこちらを睨んでくる。でも蛭魔の方が数倍怖い気がした。

「…随分と余裕じゃねェの、お嬢さん。とりあえずさァ、ヒル魔に電話かけろよ。助けてーってな」
「嫌だ…呼んだらヒル魔殴ったりするんでしょ?」
「よく分かってんじゃねェか、俺は賢い奴は好きだぜ」
「……いや」

そう言うのとほぼ同時に真横に金属バットが振り下ろされた。あと数センチと言う距離は流石に肝が冷える。見下ろす視線には苛立ちが浮かんでいた。

「…女だからって容赦しねェ主義なんだ、俺。男女差別ってよくねェだろ?」
「……確かに、そう思う」

私はそう言いながら素早く立ち上がりまず真後ろにいた男に肘鉄を決めた。あまりに突然の事に驚いているその一瞬の隙に目の前の男に一発蹴りをかましてやった。ざわざわと騒ぎだし始めた周りは、ざっと見回すと限り5、6人と言ったところ。これぐらいなら大丈夫だろうと手の自由を奪っていた縄をほどく。

「何年あの蛭魔と居ると思ってるの。なめてもらっちゃあ困るね」



***



「あらー、妖一くん!早かったのね」

軽く会釈をしながらその言葉に少し違和感を感じた。てっきり先に帰ったであろうなまえが出てくるものだと思っていたからかと考えたがそれは直に否定された。

「そういえばなまえは一緒じゃないのね?」
「…?あいつまだ帰ってないんスか?」
「そうなのよ。何時ものチョコレート、頼んだんだけどどこまで買い出しに行ったのかしらあの子…」
「……俺呼んできます」
「あら、いいの?…じゃあお願いしようかしら」

じゃあ、と言い背中を向けてから急いで携帯を開く。どこでなにしてるんだと呼び出したが中々出ない。胸の辺りがざわつくような嫌な予感がふと襲って来た。

「…チッ…あンの、糞◯◯…!」

呼び出すのは諦めどうやら携帯の電源自体は入っているようなのでGPSで探すことに切り替える。徐々に大きくなるざわつきと比例する様に足が速く動いた。GPSが点滅したまま動かないその場所は廃墟で、そう言えばいつかこの辺にいた奴らの脅迫のネタを取ったな、なんて事が脳裏を掠め血の気が引くのを感じた。勢いもそのままで中に入りなまえの姿をがむしゃらに探していると少し離れた所から物音がしてその方向へ向かい目の前の扉を迷う事無く開ける。暗い廃墟の中、地面に座り込んだ小さな背中が見えた。

「なまえ…っ!!」
「あ…!蛭魔っ!」

にこっと笑った彼女の姿を見てひとまず安心する。無事でよかった、心底そう思った。それど当時に一人で解決してしまうだけでなく、へらへらしているなまえに苛立ちも覚えた。辺りにはそれなりの体格の男達が数人転がっている。まさか蛭魔がそんな事を考えているなんて想像もしないなまえは笑ったまま困った様に眉を下げ口を開く。

「よかった…今連絡しようかと思っててさ」
「…よかねえよ。…つーか、お前怪我は?」
「怪我は、ない。と思う…けど足ぶり返したみたいでさぁ。やっちゃった」

彼女の言うぶり返したと言うのはきっとあの事故の怪我の事だろう。医者から激しい運動は厳禁だと言われていた筈だと言ってやろうとしたがふと、微かに肩が揺れている事に気付いて何も言えなくなってしまった。

「…ったく。ほら、乗れ」
「え、い、いや。いいよ別に!この年で恥ずかしいし!…それに歩けないわけじゃないし」
「見え見えな嘘付くんじゃねー。…早くしろ」
「し、失礼、します…」

少し遠慮がちに背中に乗って来たなまえが思いのほか軽くて、なぜだか心臓の辺りがきゅっと締め付けられるような気がした。



***



あの廃墟を出てしばらく歩いたが、会話は一切無く無言の状態がひたすら続いた。沈黙が気まずくなるような関係ではないが、今だけは別だった。肩で息をし、普段では絶対にありえないような表情をして私に駆け寄って来た時の蛭魔を思い出して申し訳ない気持ちでいっぱいになり、鼻の奥がつんとした。

「……そういえば、今日ね、まもり達と蛭魔が小さい頃の話してたんだ」
「あ?…何でそんな話してんだよ」
「流れで。あの頃の蛭魔可愛かったなー、とか私が庇った事があったなー、とか色々思い出してさ」
「……で?」
「…蛭魔、大きくなったよね」

微妙にあった隙間を埋める様にくっついてみる。てっきり止めろとか言って静止がかかるかと思っていたのに蛭魔は何も言わないので少し恥ずかしくなってしまう。随分と広くなった背中にもうあの頃の面影は無い。

「…ったりめーだろ。いくつだと思ってんだ」
「あはは、それもそうだね」

多分今日あんな話をしたからだ。どうにも変な気分になっているような気がするし、今私はちゃんと会話が出来ているのか分からなかった。

「……何で、助け呼ばなかったんだよ。糞◯◯」
「それは…」
「彼処に転がってた奴らの目的は俺だろ。…なんで呼ばなかったんだよ」
「…、」
「黙ってたら分からねぇ。正直に言え、嘘はなしだ」

顔を見なくても蛭魔が真剣に話しているのは分かった。そして冗談で答えてはいけない事も。別に後ろめたい事もないので言えば良かったが口が開かず、うまく喋れない。そんな私を知って知らずか、蛭魔はいつもの怒鳴りつけるような口調から打って変わって静かな口調でなまえ、と私の名前を呼んだ。それは反則だと私は息をのむ。心臓の鼓動が早くて、これだけくっついていたら伝わってしまうんじゃないかと心配になった。

「…だって今暴力事件とか起こしたら、クリスマスボウル行けなくなるでしょ…」
「それは主務のお前も同じだろ」
「私はいーの!それにあれは正当防衛だから」
「頭悪い癖に訳分んねぇ理屈並べんな、この糞◯◯」
「また…さっきはちゃんと呼んだのに、ケチ」
「誰がケチだ、誰が。つーか背中で暴れんな!糞◯◯!!」

少しでもどきどきした自分が悔しくて少しだけ動いてやると何時もの調子で怒られる。徐々にいつも通りに戻れている気がしてほっとした。このまま全部うやむやにしたかった。

「…大体、お前一人助けてそれで不祥事起こさねぇ事なんざ、俺にとって朝飯前だ」
「ひ…、ひる…」
「ちったー頼れ。…もうなまえをおぶるぐらい出来んだよ」

何故かその言葉に今になってぽろりと涙がこぼれた。ずずっと鼻を鳴らしても蛭魔は無言だった。いつもなら飛んでくるであろう文句もない。

「ひるまの、ばか。あほ、かっこつけ…っ」
「あぁ?!」
「…これからは、もうちょっと、頼ってやる」
「…、……おう」
「頼って頼って困らせてやる…」
「おー怖い怖い」
「…もう、あの頃の蛭魔じゃないもんね」
「ケケケ…」

なんだか上手く丸め込まれたような、そんな感じがして悔しくて仕返しと言わんばかりにべしんと軽く頭をたたいてやった。

「…お前覚えてろよ」
「へーへー…あ!まって!その前にスーパー!買い出ししてない!!」
「はぁ?!この糞◯◯!先に言えよ!!…ったく回り道じゃねぇか」
「ごめんごめん」
「…倍返しだかんな。全部合わせて」
「はいはい…」

蛭魔の背中に耳を当てるとなんだか私と同じように鼓動が早いような気がした。それは気のせいかもしれないけど、少し伸びた家までの帰り道少しだけ自惚れてもいいかな、と思いつつ私は蛭魔の体温を感じながら目を閉じた。


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