少し低めの、それでいてちょうどいいそんなうちはくんの声で名前を呼ばれるのが私は好きだった。私の頭を占めるのは眼前に開かれた問題集ではなく、専ら先ほどの彼とのやりとりだった。

「なまえ、ここは、」

何気無い会話の流れで投げかけられたその言葉に、さながら漫画の様に私は机の上の腕を滑らせた。そして目の前にいる私の名前を呼んだ彼はと言えばしまった、という表情をした後ばつが悪そうにそして頬をかすかに染め上げすまない、と一言。お付き合いと言うものを始めて2ヶ月あまり、確かに彼は今まで私のことをみょうじと苗字で呼んでいた。だから私自身今日はあわよくば名前で呼んでもらおう、そんなことを心の中で密かに決意していた…だがまさかこんな形でそれが叶うとは。不意打ちとはいえ確かに彼の口から発せられた自分の名前に私は動揺を隠せずにいた。

「みょうじ、その、…嫌、だったか?」
「?!嫌じゃなわけっ!むしろ…っ」
「むしろ…?」

あ、と気付いた時にはもう遅い。勢いで喋った自分を殴りたい衝動に駆られつつこの状態をどう乗り切るか思案を巡らせたが、考えれば考えるほど焦りというか何というか…頬が熱くなるのを感じそろそろと目線を下にずらした。すると今度は卓上の私の手に彼の手が重ねられ少し距離も縮められてしまいじわりじわりと逃げ場を塞がれる。

「……なまえ?」

嫌がっているのではないと気付いたのだろう、そして何を言いあぐねているのかも。ずるい。全くもってずるい。

「…い、やじゃないよ…呼ばれるの、イタチ、くんに」

緊張で速くなる鼓動に言葉を詰まらせつつ私も彼の名前を呼んだ。だってうちはくんが私のように動揺するなんて微塵も想像しかなったから。少し照れてくれたらなあ、くらいだったのに。重ねられていた手にきゅっと力が込められ握られて、それから柔らかい何かが唇にふれた。ほんの一瞬感じたそれの正体に気付いたのは改めて彼と視線を交えたとき。

「…え、」
「俺も嫌じゃない…少し照れるが」

少しはにかむような笑みを浮かべるその表情に鼓動が早まる。どうしよう、まだ言い慣れないが幸せそうな彼を見ているともう一度呼びたいそう思った。情けないほど小さな私の声を彼はしっかり聞いてくれたらしい。なまえと、もう一度名前を呼ばれ心臓がふるえた。



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