いつか星は燃え尽きる


起きて、鏡に映る顔を見ると殺したい衝動に駆られる。
 本来なら肌が覗くはずの額の右半分は、黒々と光る源石に覆われている。右目の視界が黒に侵され始めているから、そのうち片目は見えなくなるのかもしれない。フェリーン特有のふさふさの獣耳の根本も硬い源石が侵していた。

「あなたは優しい人になるのよ、泣くのはそのための準備なの。だから悪いことじゃないわ」

 幼い頃、些細なことで泣く私の手を握り、母はよく慰めてくれた。
 ヴィクトリア王国の裕福な家庭に生まれた私は一人娘だったこともあり周囲に可愛がられて育った。荘園や集会でお茶を楽しみ、話に花を咲かせる、そんな争いとは無縁の日々を送っていた。けれどある日、感染者の死に巻き込まれ、その死体から生まれた源石を浴びたことにより周囲も私も一変した。鉱石病に感染した私を家は受け入れてくれなかった。しばらくして一人娘は事故で死んだことになった。
 行くあてのない私を拾ったのがレユニオンという組織だった。
 感染者が虐げられることのない世界を作るために抗い、戦っている____それは当然の権利であり我々は行使すべきだと熱狂的に語られ加入したものの、私は非感染者全体に憎しみを抱いているだけではなかった。
 ただ一人だけ、年々母に似ていくこの顔を見ると殺意が喉から飛び出しそうになる。今すぐこの首を掻き切って殺したい。憎い。苦しい。

 ひびが入った鏡を見つめる。忌々しい顔が見つめ返す。気付けば手のひらに爪を立てていた。
 シュミレーションを、殺す練習を頭の中でした。

 息を吐いて、吐いて、吐いて、

 右手を鏡に叩きつけて、そのままの勢いで洗面台に突っ伏しげほげほと咳き込んだ。鏡の破片が爪と指の間に刺さっているのかズキズキ痛みを訴えてくる。蛇口を捻り、出てきた水に手を突っ込むとあっという間に赤い液体が洗面台を汚した。

 鉱石病に感染してからというもの、心が動く回数がどんどん減っていた。好きだったミュージシャンの曲を聴いても、ご飯を食べても、泣いている人間を見ても、人を殺しても胸が踊ったり苦しくなったりしない。それなのに自分の顔を見たときだけコントロールできないほどの殺意に襲われる。同僚の話によると優しかった青年が感染者になった途端凶暴化した例もあるらしく、身体に染み付いた源石が何らかの影響を及ぼしているのだろうということだった。

 指先を伝う赤い水が少しずつ薄くなり、段々と透明になっていく。鏡は顔を上げた私の姿を映せないくらいぼろぼろになっていた。





 龍門へ向かうと通達があった夜は冷たい雨が降った日だった。幹部の一人であるメフィストの機嫌がすこぶる悪く、ファウストが宥めていた。
 狙撃隊は慣れたそぶりで傍観していたが合流して日が浅いメンバーは不安そうだった。それでもメフィストのアーツを知る彼らは沈黙するだけだった。

 やがて伝達が終わり自由になると、賑やかな空間へと様変わりした。食料の調達も行われ、今晩のメニューは寒空に相応しいシチューになった。私は皿を受け取りファウストを探した。
 あちこち歩いて回ったが、雨音に負けない声で歓談する中にはいなかった。我慢できずに歩きながら口に入れたシチューはひどくしょっぱい。この食事の味はどうにかならないものだろうかと首を傾げながら見張り台へと足を向ける。

 見張り台に到着した私が見たのは、座って遠くを見つめるファウスト、それから彼の肩に頭を預け眠りこけるメフィストの姿だった。普段お目にかかれない情景に声をかけるのも忘れ立ち尽くした。メフィストの寝顔には年相応の少年のあどけなさがあった。幹部として戦場で残虐な戦いに身を投じようと、二人ともまだ子どもだ。珍しく胸のあたりがざわついた。

「どうした」

 気配に気づいたファウストがこちらをみていた。その手がクロスボウに伸びていて、慌てて要件を伝える。

「食事ができたから、呼びにきた」

 緊張が解け、クロスボウがそっと置かれる。小さく息を吐いたメフィストが首を横に振る。

「いい。メフィストを起こしたくない」
「そう」
 それなら、と思い立ってコートのポケットをごそごそ漁る。目当てのものを引っ張り出すとファウストの感情表現の乏しい顔がいくらか引き攣った。
「シチューは食べかけだけど、これは新品。食べる?」
「それはなんだ?」
「とかげの干物」
「……遠慮しておく」

 ファウストは元々寡黙で、メフィストのように雄弁に語らない。それでも彼が仲間思いの優しい人だと、狙撃隊の面々は理解していた。
 見張り交代の意味も含めてここに来たのだがファウストが動けないので彼の隣のスペースで外を見ることにした。視界が白くなるほど雨は強まっていた。

「メフィストのそんな姿、初めて見た」
「最近はアーツを頻繁に使っていた。消耗するから控えるように言っても……聞き入れる回数は少ない」

 なんと答えるべきか迷い、この寒さで冷めてしまったシチューの残りをかきこむ。ごくんと飲み下せば口内にざらざらした食感が残った。
 メフィストに忠告できて、なおかつ彼がそれを素直に聞き入れるのはファウストかレユニオンのトップであるタルラだけだろう。メフィストはタルラに心酔しているというのは有名だったし、けれどそのタルラから離れた場所にいる今、メフィストの傍にはファウストしかいない。

「たまに、メフィストにアーツを使わせることが正しいのか分からなくなる」

 そうぽつんと呟いたファウストの横顔は痛みを堪えているように見えた。贖罪を求めるかのような声が、寡黙な彼からこぼれている。

「それは、メフィストが選ぶことだと思う」
「だが、俺は、……手遅れになる前に行動するべきだった」

 ファウストの姿が、幼い頃泣いていた自分と重なった。胸が、心臓のあたりがズキズキと痛みを訴える。
 今すぐファウストの手を握って、その続きを言いたかった。母が幼い私にしてくれたようなおまじないの一種を。けれど私では力不足だ。ファウストの孤独を埋める鍵は隣で眠る彼が握っている。

「私達は、狙撃隊はあなたの選択についていく。だから、」

 言い募ろうとして、自分の眼に涙が溜まっていることに気がつく。どうして。もうずっと苦しくなることはなかったのに。
 私は首を横に振って、見張りに集中するフリをして目をそらした。ファウストは毛布を広げメフィストとともにくるまった。
 雨は一晩中降り続けていた。





 ファウストとメフィストの一面を目撃してから、少しだけ世界に色がついた気がする。食事は相変わらず不味いが、それでもマシな味付けの日がある、依然として旗色の悪い戦いに駆り出されても、それこそ龍門を駆け抜ける今、不思議と心が熱く燃えている。

 夕焼けのオレンジに紫の光が一閃した。ファウストの攻撃だ。正確に敵の頭を貫いたそれは、私達を奮い立たせる。


 だから、あなたも自分のために生きてほしい。


 あの夜飲み込んだ言葉の続きが頭をよぎった。
 感染者の扱うアーツは身体の源石を利用している。当然使用した者を蝕んでいく。摩耗する私達にとって無意味なエゴだと口の中が苦くなった。
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