十
「あいつが黒幕なんじゃないかってな」
白さんの言葉に、目を瞬かせた。
「へえ……どうしてそう思うんだい?」
興味深そうにする青江さんに倣い、私も耳を傾ける。
「まず、奴が姿を現した時だな。まるで俺と"大太刀"との戦いを観察するように遠目から見ていた」
「うーん……私達と同じように探索してて、偶然鉢合わせたって可能性は?」
「否定はしない。だが、俺が振り返った途端逃げ出したんだ。黒と言ってるようなもんじゃないか?」
「君を鬼と勘違いしたのかもしれないよ?」
青江さんの切り替えしに、白さんは肩を竦める。
「そりゃあ酷い話だな。あの場所は最初扉が閉まっていた。俺達が扉を開くまでこの屋敷を探索してたんなら、鬼には一度は出会ってるだろう。俺の格好が鬼とは似ても似つかないとは気付きそうなもんだが」
なるほど。白さんの言葉は最もに聞こえた。
あの鬼達も未だ謎は多いけれど、仮に彼らが本丸の襲撃に来たのだとしたら、審神者はむしろ犠牲者かもしれない。
審神者黒幕説は、あくまで可能性の話だ。
姿の見えない審神者を疑うよりも、姿を見せた人物に当たる方が賢明だろう。
「じゃあ、その人を探すんだね」
青江さんの言葉に、白さんと同時に頷いた。
とはいえ、こちらから接触する手段は何もない。
その人影が何者なのか、何の情報もないのだから。
そうなると結局やることは変わらない。
この屋敷を探索して、情報収集だ。
「どんな人でした?」
「遠目からなんで不確かだが、背丈は俺と同じくらいか?それで、頭巾のついた羽織みたいなものを着ていたぜ。あとは……全体的に黒づくめだったな」
黒、と聞いて出てくるのは、この屋敷の汚れた壁や、徘徊する鬼達の濁った皮膚の色だが。
黒い衣装を着ているだけなのか、鬼達と同じ皮膚をしているのかまでは、遠目、しかも一瞬では把握できないだろう。
その人物との接触が、吉と出るか凶と出るか。
「じゃあ、僕は暫く休ませてもらおうか。悪いけれど、この部屋を使わせてほしいな」
話の区切りがついたところで、青江さんが切り出した。
「近くに誰かがいると眠れなくてね」
つまり、私達には探索に出てほしいと。
眠りが浅く他人の気配に敏感なため、もしも鬼が近付いてもすぐに目を覚ますことが出来るらしい。
「分かった。君も気をつけてくれよ」
「ああ……抜かりはないさ」
部屋を出た私達を見送って、青江さんは障子を閉めた。
***
「……」
「……」
「…………」
「…………」
会話がない。
あまりにも会話がなさすぎる。
刀装の間に向かう途中も無言だったが、その時は今のような居心地の悪さは感じなかった。
それというのも、白さんについて気になることがあるからだ。
気になるけれど、聞き出せない。
知ってしまうのが怖いとさえ思っている。
そして、白さんもまたよそよそしい。
お互い確信めいたものを持っているのに、それを見せるのを躊躇していた。
もしも私の考えていることが白さんの記憶の道標になるのなら、早く伝えてしまうべきだ。
けれど、彼が記憶を取り戻せば、今の関係は確実に終わる。
それだけでない。
私が考えていることは、それ以上にややこしいことだった。
もしも、ああもしも白さんがそうだとしたら、彼はもう……
「……さて」
「っ?!」
前を歩く白さんが急に声を出したので、ぎくりとしてしまった。
大袈裟な反応に振り向いた白さんはきょとんとして、それから頬を掻きながら話し出す。
「……とりあえず部屋から出たはいいが、どうやってあの黒いやつを探すか考えないとな」
「あ、そ、そうですね」
何を言われるのか身構えてしまったけれど、その内容に安堵した。
今まではとにかく情報を集めるために探し回っていたけれど、今は黒い人影に焦点を絞っている。
屋敷を探索するのは変わらないとはいえ、着眼点を絞ることは出来ないだろうか?
「まず、俺が見た時にあの男がいたところへ行ってみないか?」
「確かに、何か手掛かりがあるかも」
思い出したように間取り図を取り出して広げた。
それを覗き込んだ白さんが、紙面に指をすべらせる。
「俺達がいたのは顕現の間で、奴はその向かいに現れたから……ここか?」
長い指が辿りついたのは、屋敷の中心近くの廊下だった。
「ええと、今いるのがこの辺りで……」
先程まで休息を取っていた部屋は手入れ部屋というところだった。
そこから顕現の間へ戻る途中の廊下を、地図で指さす。
手入れ部屋は顕現の間から少し離れ、屋敷全体で見ると端の方に位置している。
位置的には出陣の間に近いようだが、途中の扉が開かないので大きく回り道をしたようになっている。
改めてみると、屋敷の造りはとても複雑だ。
廊下が随所に張り巡らされ、どこからでも繋がるようになっているが、その分部屋の配置がばらけている。
今はその廊下も殆んど通り抜けできないようだし、まるで迷路のようだった。
今まで通ってきたところを見ると、徐々に中心へ向かっているようだけれど、それもこの屋敷に閉じ込めた者の目論見なのだろうか。
「一度顕現の間へ戻って、それから……」
「この廊下を曲がるといいようだな」
「ほう……?」
入り組んだ廊下を懸命に追っていると、正面の白さんが吹き出す気配がした。
何事かと顔を上げると、白さんが口元を緩めながら自身の眉間を指でつつく。
またむつかしい顔になっていたと言いたいらしい。
この便利なご時世、紙の地図なんてそう見ないのだ。
読み解くのに慣れていないのも仕方が無いと思うのだが。
むっとした私に対して、くつくつと笑っていた白さんは、徐に手の平を差し出した。
「道のりが心配なら、迷わないようにしようじゃないか」
そう言いながら優しく細められた目で見つめられては、文句も引っ込んでしまう。
「……はい」
おずおずと乗せた手を、白くて細い指が絡め取る。
大きな手の平、冷たい指先。
慈しむような瞳を向けられると、誤解してしまいそうだ。
この時間がこの先も続いていくのではないかと。
今だけは、縋ってもいいだろうか。
何も知らないふりをして。
まだ、傍にいたいと願ってしまう。
***
顕現の間の向かいの廊下は、建物内の廊下で繋がっていた。
中庭に面した廊下を渡り、再び薄暗い廊下へ引っ込む。
白さんに引かれながら、半歩後ろをついて歩く。
繋がった手は、二人の間でふらふらと揺れている。
白さんの空いた手は腰に差した木刀に乗せられているが、それが振るわれたのは随分と前のことだ。
「あの男を見てから、どうにも鬼共に出くわさなくなったな」
「あ、確かに。そうですね」
その人影を自分で見たわけではないが、その人物が鬼達を指揮している可能性は大いにある。
白さんと"大太刀"との戦闘を見て、"彼"が他の鬼を引き下がらせたのだとしたら、タイミング的には辻褄が合う。
やはり白さんのいう黒幕説が濃厚か。
会話もそこそこに歩くこと数分、そろそろ目的地のはずだ。
「さて……この辺りみたいだが」
白さんが足を止めたので、私も合わせて止まる。
中庭に面した廊下、雨にけぶる向こうに、"大太刀"との戦闘で破壊された顕現の間の障子が見える。
こちら側は、先の戦いによる被害はないようだ。
真新しい破壊痕はないが、昔に荒らされた跡や泥の跡は同じように残っている。
けれど向こうの廊下とは異なる、小さな違和感があった。
「こいつは……」
白さんが何かを発見したようで、しゃがんで床板を見詰めている。
同じ場所を覗き込むと、違和感の正体が見付かった。
泥に汚れた板の中で、更に黒く濁った部分がある。
雨に濡れたような、水滴が落ちたような跡だ。
その痕跡はまだ新しく、無数の点となって筋を作っていた。
立ち上がった白さんが、向こう側の顕現の間との距離を測る。
「ふむ……あの男がいたのもここだな。ってことは」
「その人が残した跡ってこと?」
白さんの言葉を引き継ぐと、彼は「ご名答!」と片目を閉じてみせた。
そういう表情を自然にやってのけるのは、なんというか、なんというである。
「こいつを辿ってみるとしよう」
「うん、追いかけましょう」
この跡が何によるものかは分からないけれど、ヒントを残してくれているのはありがたい。
床を注意深く見詰めながら、廊下の先を進んだ。
しかし、それはすぐに終わってしまった。
「また足止めか……」
ため息混じりに吐き出された白さんの声。
私達の眼前には固く閉ざされた扉。
跡はそこで不自然に途切れているので、恐らくこの扉の先に続いていると予想できる。
また、"鍵"がいるらしい。
ここから引き返して、道中を家探ししなければならないということだ。
そのことを思ってか白さんもげんなりしている。
鬼もめっきり出てこないし、少々飽きが来ているのかもしれない。
「進んだかと思えばすぐこれだな。全く、あいつに追いついたら問い詰めてやろう」
「はは、そうですね」
文句を言いつつもさっと引き返しているところを見ると、諦めたわけではなさそうだ。
この屋敷の外に出る。そして、記憶を取り戻す。
白さんの中で、その目的に変わりはないのだろう。
真っ白な背中に視線を向ける。
細いと思っていたけれど、私と比べれば大きくて広い背中。
歩き出した白さんは、私から遠ざかっていく。
そのまま離れてしまうのだろう。全てが終わった後は。
「どうかしたかい?」
動かない私を不思議に思った彼が振り返った。
金の両目が私を映している。
「……いえ」
なんでもないと首を振って、その背中を追った。
***
来た道を少し遡ったところには、物置らしい小部屋がある。
白さんが入口の引き戸を引っ張ると、軋んだ音を鳴らしながらなんとか半分ほど開いた。
床に投げ出された書物か何かが引き戸の溝に閊えているらしい。
部屋自体が狭いせいか刀傷は少ない。
ただし、中央に置いてある机の上に一際大きな飛沫の跡がついており、ここで何が起こったのか想像に難くなかった。
「……」
「大丈夫かい?」
血の気の引いた顔をしていたらしく、白さんが気遣って声を掛けた。
彼も一度顔をしかめていたけれど、私よりもずっと切り替えが早いらしい。
記憶がなくとも慣れているから、だろうか。
「だい、じょうぶ、です。"鍵"を探しましょう」
「そうか……しかし、気分が悪くなったらすぐに言ってくれ」
白さんの言葉に頷く。
白さんのことも気がかりだが、この屋敷で過去に起こった出来事も未だ不明瞭だ。
白さんが見たという黒い人影を追えば、真相が明らかになるかもしれない。
その道程では、この机のようなものが沢山出てくるのだろう。
慣れたいとは思わないけれど、いちいち卒倒しているわけにはいかない。
大きく息を吸って、背筋を伸ばした。
「それじゃあ俺は奥の棚から見ていこう」
「じゃあ私は手前から」
散らばった書物を乗り越えて、白さんが奥の本棚に手を付けた。
私は入口付近にしゃがんで、散らばった書物を摘み上げる。
接地部分は完全に張り付いてしまったらしく、持ち上げた瞬間紙の破れる感覚がした。
情報収集も兼ねて中身を確認しようと思ったが、これでは読めたものではない。
仕方がないので落ちているものは放置して、積み重なったものをチェックする。
表面がふやけて形が崩れてしまっているが、何冊か読めるものがある。
ぺらぺらと捲ってみたが、その内容は殆んど理解できなかった。
そもそも"鍵"はどんなものだろう。
これまで発見したものは、集合写真と古びた御守り。
どちらも扉を開ける"鍵"というにはあまりにもかけ離れている。
まじないを解くキーアイテムというニュアンスの方が近いだろう。
この屋敷の仕掛けを作った人物にとって重要なものなのかもしれない。
ということは――
「……?」
何かに行き当たりかけたその時、ふと視界に写り込んだものがあった。
本と本の隙間にあったそれを何気なく引っ張り出す。
それは、一枚の紙だった。
酷く汚れて端もぼろぼろになっているが、指の感触に覚えがあった。
表面のつるりとしたさわり心地は、それが写真であることを告げている。
だとすれば、集合写真のようにこれも"鍵"なのかもしれない。
今見ているのは裏面だ。
表面の写真にはどんなものが写っているのかと、手首を捻って表返した。
「――!?」
瞬間。
本の山がわなわなと震え、飛び出す影が一つ。
細長い体をくねらせ宙を揺蕩うのは。
「ッ、"短刀"!?」
突然のことに対処する余裕もなく、仰け反った体が後ろに倒れ込む。
「迷子!」
しかし、床に打ち付ける感触は無かった。
代わりに感じたのは、一本の支え。
一瞬で飛び込んだ白さんが片腕で私を抱き寄せ、空いた手に握られた木刀は"短刀"の頭蓋を貫いていた。
「怪我はないか?」
「は、はい……」
暫く鬼が出ていなかったので油断していた。
というか、今までの"鍵"は鬼から出てきたものだ。
近くにいてもおかしくないと考えるべきだった。
驚いて固まってしまったものの、白さんのお蔭で無傷だ。
それを確認した白さんが短く息を吐いた直後、どこかの拘束が解けるような感覚がした。
やはりというか、この写真が"鍵"だったらしい。
白さんも扉が開いたのを感じ取ったらしく、私が握りしめた手を指さした。
「どうやら開いたみたいだな。何を見付けたんだ?」
「あ、ああ、ただの写真でしたよ。結構汚れててよく分かりませんでしたけど……」
そう言ってくしゃくしゃになってしまった写真をポケットに突っ込む。
「そうか……屋敷の謎の手がかりになるかと思ったが、仕方ないな」
白さんはそれ以上"鍵"を気にすることなく立ち上がった。
「扉は開いたんだ、さっさと追いかけようぜ」
彼の意識は黒い影に向かっているらしい。
「あ、はい」
急かされるままに立ち上がると、白さんはすたすたと出口へ向かう。
その背中を追いかけながら、ポケットの中に入れたままの手を抜いた。
手の中には、先程の"鍵"。
皺だらけになってしまった写真を、もう一度確認する。
古びてはいるが、写っているものが分からないほど汚れているわけではなかった。
咄嗟に嘘をついてしまった。
なぜなら、そこに写っていたのは――
白さんと、同じ顔をした青年だったから。
2018.05.13