玄関から見て左側、長い廊下を真っ直ぐ進むと、やがて曲がり角に出くわす。 廊下のガラス戸の向こうは相変わらずの雨模様だけれど、日はあるので辛うじて明るい。 その分、曲がり角の先は一層暗闇に沈んで見える。 その先に目的地があった。 「ここが出陣の間か」 闇に沈んだ襖は、表面はがざがざに荒れているものの案外立て付けが良いらしく、ぴたりと閉ざされ中の様子は分からない。 ただ、嫌な空気はひしひしと伝わってくる。 ……あまり入りたいとは思わないけれど、そういうわけにはいかない。 白さんも、青江さんも脱出のために手を尽くしている。 ただでさえ、白さんに守ってもらっている現状だ、私一人だけが目を背けることはできない。 白さんが、襖に張り付いた。 部屋の中の気配を探っているのだろうか。 「……どうやら先客がいるらしい」 「っ」 その言葉で息を飲んだ私に、口元に指を当てるジェスチャーをする白さん。 嫌な想像が頭を過って怯んでしまった私と正反対に、白さんはずっと冷静だ。 襖に手を掛けると、ほんの少し横にスライドした。 ここは封じられていないらしい。 僅かに開いた隙間から中を覗き込む白さんの後ろで目を細める。 「……!」 鬼がいる。それも、二体。 袈裟の下の瞳は虚ろで、あてどなくふらふらと部屋の中を徘徊している。 正面切ったときのギラついた眼光とは打って変わり、悲壮さすら感じられる。 「まだこちらには気付いてないな……」 そうか。 だとするとあの眼光は、私を見るときだけ宿るものなのだろうか。 「少し待っていてくれ」と小声で話す白さんに、黙って頷いた。 白さんが指示するままに、襖から距離を取る。 それを確認した白さんが、短く息を吸った後、勢いよく襖を開いた。 「――!!」 同時にこちらに気付いた二体の鬼。 反射的に振り向いたけれど、飛び込んできた白い影に対応する間もなく、内一体が倒れた。 残った一体が大きく吠える。 びりびりと空気を震わす咆哮は、距離を置いてもやはり恐ろしい。 怒りに身を任せ突進する鬼が、白さんにぶつかった。 その瞬間、白い衣を翻し、白さんが体を捻る。 相手の攻撃を躱して、かつ回転で勢いを加えた。 木刀を薙ぐ。 みしりと鈍い音が鳴り、もう一体の鬼も地に沈んだ。 「……やっぱり、すごい」 ものの数秒でこの場を制圧してしまった。 見ているだけでも力んでいた肩から力を抜く。 鬼は恐ろしいけれど、白さんは強い。 この人といれば、安心かもしれない。 「さ、もう大丈夫だぜ」 ちょいと手招きされて、おずおずと室内に入った。 室内はいっとう薄暗く、先ほどの戦闘が嘘のように沈んでいる。 二体の鬼は塵になって崩れ、その後には何も残らなかった。 「こいつらは何も持っていないようだな……」 鬼がいたところを木刀でつつく白さんを横目に、室内を見渡す。 部屋の大きさはそこまで広くはなく、本棚や机は見事に破壊され、辺りに散らばった木片が足場を狭くしている。 辺りにぽつぽつと液体のようなものが飛び散った跡があるが、あまり触れないでおきたい。 壁に貼られた紙の跡がいくつかあり、殆どが破れて瓦礫の中に埋もれていたけれど、中にはまだ壁に張り付いているものもあった。 筆で書かれた文字は、私でも問題なく読める。 『戦績』、『出陣回数』、『手入れ』…… 内容は殆んど分からないけれど、チーム分けのように番号の振られた名前や物資の数、兵の数などが書かれていた。 やはり、武装集団が使用していたのだろうか。 散らばった瓦礫の中から一枚の紙を拾い上げた白さんが、中身を見て言う。 「布陣図か……ここは出陣前の作戦会議にでも使っていたのかもな」 「布陣図?」 ホレ、と白さんが手渡してくれた紙には、どこかの地形のような絵と、"凸"マークがいくつか描かれていた。 出陣……戦争、いくさのことは良く知らないけれど、こんな山奥の屋敷から、大がかりな部隊が戦いに赴いていたのだろうか。 いくつかの紙を見ても、ちらほらと戦に関するワードが見える。 この屋敷はどうやら"本丸"と呼ばれていたらしい。 「あ、これ……」 「どうした?」 束になっていた紙を引っ張り出してめくると、筆で描かれた絵が現れた。 そこに描かれているのは、あの蛇だった。 ほかのページにも、あの鬼や、見たことのない姿の物の怪が描かれている。 後ろから覗いた白さんも気付いた。 「どうやらここの屋敷に住んでいた連中は、こいつらと戦っていたらしい」 "短刀"、"打刀"、"脇差"……描かれた蛇や鬼には、それぞれ名称が付けられている。 それらが今この屋敷を徘徊しているということは、この屋敷の住人達は争いに敗れてしまったのだろうか。 しかし、この屋敷の住人と鬼が戦っていたとしても、私は無関係だ。 それなのにあれらは私を襲ってくる。 そして、白さんのこともまた謎が深まった。 見付けた資料のことを、まるで他人事のように話す白さんだけれど、彼はあの鬼達との戦闘に慣れていると言っていた。 この屋敷の住人、襲い来る鬼、そして白さんのこと。 閉じ込められたことも含めて、これら全てが無関係とは言い難いように思う。 ……けれど情報が少なくて、憶測の域を出ない。 もう少し、この屋敷について暴く必要がありそうだ。 *** 「ふう……粗方探したが、目ぼしいものは見付からないな」 大きな破片を退かした白さんが、曲げていた腰を伸ばす。 戦に関する資料が幾つかあったけれど、この屋敷の結界のような機能や、青江さんの言っていた"鍵"については分からなかった。 この部屋にないとすると、あと探せる場所と言えば厠くらいだけれど。 "鍵"の正体が何か分からない以上その可能性も無きにしも非ずだけれど、トイレにある"鍵"というのは、あまり想像したくない。 どうしようかと思案していると、体をぐっと伸ばして、軽く息をついた白さんがこちらに振り返った。 「こりゃあ当てが外れたか?一度青江と合流して――」 その言葉は、途中で途切れてしまった。 白さんは、短く漏れた息を吸い直して、腰に下げた木刀を抜く。 「白さん……?」 まさか。 つられて息を殺して、身じろぎせずに気配を探る。 部屋の中で動く者はいない。 耳に届くのは雨の音だけ。 鬼や蛇の時のように足音は聞こえない。 ――いや。 聞こえた。 雨音に混ざって、僅かな音が。 床を擦る音。 白さんも僅かに反応した。 聞き間違いじゃない。 床を滑るように、何かが動いている。 足音を殺して、移動している。 つまり……相手はこちらに奇襲をかけようとしている。 今までの、ゆらりと現れては突撃してくるようなものとは明らかに異なる。 知性を持ち合わせている、のか。 白さんが無言で木刀を持ち上げた。 私たちが入った襖とは別の方向に、閉じられた襖がある。 破れてはいないものの、飛沫のような跡が付いて汚れている。 この奥も、廊下になっていたはずだ。 襖の向こうで、気配がする。 今までの敵よりもずっと重い、肌が焼付くような空気。 白さんが、ぐっと腰を落とした。 ……気付いている。 向こうも、こちらが待ち構えていることに。 襖を隔てているというのに、白さんはしかと相手を捉えているようだった。 空気が張り詰め、張り詰め、張り詰め。 一瞬の緩みが、命取りになりそうで。 口の中が乾く。 カラカラになった喉を通過する空気が、乾いた音を立てる。 どれくらいの間、睨み合っていたのか。 長いような、短いような。 張り詰めた、空気が。 ――弾けた。 けたたましい音と共に飛び込んできた塊が、白さんとぶつかる。 それは、鎧武者のような姿の、しかし異形の物の怪だった。 頭に身に着けた烏帽子は、平安か鎌倉か、確かその頃の武士が被っていたと聞いたことがある。 しっかりと身にまとった鎧、がっしりとした四肢。 怪しい光を放つ瞳は、先ほどの鬼……落ちていた資料によれば"打刀"と呼ばれる者よりも、正気を保っているようにも見える。 「……"太刀"だ」 双方の刀と木刀が交わり、力で押し付けあっている。 「は……随分と、強情じゃないか!」 白さんは笑っているものの、"太刀"の力はすさまじく、押し返すことが出来ないでいるようだった。 「し、白さんっ」 「なあに、心配するな。力自慢のようだが、押しの一辺倒じゃあ驚きが足りないだろ!」 均衡しているように見えた力勝負も、一瞬の隙は生じる。 相手の力が緩んだ瞬間、ぐっと体重を掛けた白さんが、刀を薙ぎ払った。 腕を持っていかれ懐が空いた"太刀"。 けれど、白さんの木刀が届く直前に後方へ飛び退り、切っ先が掠めただけだった。 「はは、そうこなくっちゃなあ!」 白さんが追撃に出る。 "太刀"も刀を振るって応戦し、激しい打ち合いになった。 一撃打ち合うたびに、部屋中の空気が震動する。 その衝撃だけで尻込みしてしまう。 白さんはすごく強いと感じていたのに、それと互角に渡る"太刀"。 絶え間なく響くぶつかり合う音。 自分の状況も忘れて、ただただ見守ることしか出来ない。 「ふっ!」 一瞬の隙を点いて、白さんの木刀が太刀の額を突く。 ごずん、と重い音が鳴った。 今のは、効いた? 大きく後ろに仰け反った"太刀"が、ふらふらと後退する。 「――!!」 が、"太刀"はすぐさま体勢を整え、刃こぼれの激しい刀が白さんの頬を掠めた。 「ッ!」 思わず目をつぶる。 けれど、白さんは怯まなかった。 伸びきった"太刀"の腕を絡め取ると、そのまま捻り上げた。 「ガ、アア!!」 苦悶の表情で暴れるが、白さんの腕は緩まない。 とうとう刀を取り落とす"太刀"。 白さんは逃さなかった。 地面へ墜落する刀を宙で掴まえ、そのまま―― 「そら、返すぜ!」 「!!」 くぐもった音。 "太刀"が握っていた刀が、"太刀"を貫いていた。 大きく口を開けて悶絶していた"太刀"は、やがて力なく白さんにもたれかかる。 瞳から光が消え、四肢はだらりと垂れ下がり、二度と動く気配はなくなった。 先ほどまでの燃えるような気配が失われ、やがてその体も末端から塵と化す。 「……は、あ」 思い出したように息を吐き出す。 全く動けなかった。 指先が震えている。 自分とは次元の違いすぎる応酬に、なすすべもなかった。 じわじわと指先に体温が戻り、先程までの状況が思い返される。 何も出来なかった。逃げることも、助けることも。 ただでさえ謎が多い状況で、知り合ったばかりの人に護衛を頼むしかない自分の無力さと、それでも拭い切れない不安に苛まれる。 「おっと、こいつはどうやら当たりだったらしい」 さっきまでの戦闘などものともしないのか、白さんの口調は変わらない。 怖く、ないのだろうか。 私には、到底太刀打ちできるようなものではないのに。 白さんは、いったい何者なのだろう。 記憶がないと、恐怖もないのだろうか。 「ほら、こいつはなんだろうな……おーい迷子、どうかしたかい?」 「あっ、ご、ごめんなさい。ちょっとぼーっとしてました」 ひらひらと目の前で踊る手の平に意識を引き戻され、白さんの手の中にあるものを注視する。 ボロボロになった紙切れ……写真のようだ。 水に濡れてふやけたのか、よれてしまっている。 随分古いものですっかり色あせているし、汚れや破れがひどくて内容が上手く読み取れない。 どうやら人物らしきものが並んでいるようだ。 「集合写真……でしょうか」 「写真……ここに住んでいた連中のものか?」 先に入手した日記の欠片とは違って、触れても何も起こらない。 様々な見た目の男性が並び、こちらを向いている。 それぞれ武器を所持していて、やはりここが戦闘集団のための場所だったことを連想させる。 彼らが戦士だったのだろうか。 「あれ、真ん中の人……女性でしょうか」 着物姿の人が、写真の中心に座っていた。 顔の部分は汚れて見えないが、武器を持っているようには見えない。 配置から考えて、この女性がこの"本丸"の主ということだろうか。 今の状況と、何かしらの関係があるかもしれない。 「なあ、さっき見えた記憶の中にも、女人が出てこなかったか?」 白さんの言葉で思い出す。 先ほど見えた記憶の断片にも、確かに女性が出てきていた。 日記の持ち主と女性との関係は不明だ。 この写真の中にいるのかもしれないけれど、それも分からない。 ふと、少し遠いところで何かの音がしたような気がした。 それは白さんにも聞こえたようで、同時に顔を上げた。 「今の音……あそこの扉が開いたんじゃないか?」 「え、じゃあ……これが"鍵"?」 何の変哲もない古びた写真だけれど、当たりだったのだろうか。 先ほどの場所に行ってみれば分かるだろう。 しかし、扉が開けば、その先もまた探索しなければならないわけで。 いくつかの戦闘を行ったけれど、数を踏んでも恐怖は消えず、自分の無力さをひしひしと感じるだけだった。 私に出来ることは少なく、白さんに頼るしかない現状だけれど、それでも、この本丸の謎を解き明かすことが糸口となるのなら。 この屋敷で何が起こったのか。 この女性は、あの鬼達は何者なのか。 あの記憶の持ち主は誰なのか。 それらを解き明かすことが、出口に繋がるのかもしれない。 「行きましょう、白さん」 屋敷の奥へと繋がる扉へ。 2017.10.08
DADA