六
"槍"の遺した残骸の中に、"鍵"があった。
古びた御守りだ。
紐は切れ、汚れがひどく文字は読み取れず、中身も真っ黒で、どんな効果があったのか今では分からない。
その御守りを手に取った瞬間、写真のときのように何かが開かれる感覚があった。
少し探索すれば、閉じられていたはずの扉がいつの間にか開いていたのを見つけた。
地図で確かめたところ、屋敷の少し奥へ入り込むことになったらしい。
外へ出る手段を探しているというのに、開く扉は奥へ続くものばかりだ。
誘い込まれているような気がして、不安がじわじわと募る。
けれど今は、白さんと繋がった手がそれらを緩和してくれた。
遭遇する"短刀"や"打刀"を相手取るとき、その手はするりと離されるけれど、鮮やかに仕留め終わった後、白さんは再び私に手を差し出すのだった。
奥へ奥へと進む道のり、言葉数は少ない。
お互い無言で歩いていると、時折白さんの手に力が入ることがある。
その時の白さんの背中は少し気を張っているように見えた。
そんな時、繋いだ手を軽く握り返すと、力んでいた背中が緩む。
白さんにも不安や焦りがあって、私にも同じようにある気持ちを、この手を通して共有している。
出会って間もない二人だけれど、少しずつ、歩み寄っていた。
***
「おっ、ここは開くな」
廊下を黙々と進む中、白塗りの壁の途中にあったスライド式の木の扉を引いて声に喜色を滲ませた白さん。
その先の空間は狭く、壁に沿って並んだ本棚には無数の書物が並んでいる。
地図にも書いてあったが、ここは書庫らしい。
荒らされた跡は少ないけれど部屋全体が水浸しになったようで、湿気と年期で殆んどの書物はダメになっていた。
机の上に放置されていたものも酷い状態だったけれど、何冊か辛うじて読めそうなものもあった。
室内を物色するのはきょろきょろしている白さんに任せて、これに目を通してみよう。
脆くなった紙を破らないように、慎重に摘み上げる。
萎びた頁をゆっくり捲ろうとしたけれど、頁同士がくっついて離れない。
四苦八苦してようやく引き剥がすと、視界に細かい字がびっしりと飛び込んできた。
整然と並ぶそれらは手書きではない、機械で出力したような活字だ。
今まで見てきたのは立派な日本家屋、時代錯誤な日本刀を背負った物の怪や戦に関する紙の束で、ここにあるものも古いものだと考えていたので驚いた。
写真が残されるくらいには近代で、けれど戦争のあった時代となると、これだけ綺麗な明朝体が並ぶ書物があるのは不思議だ。
いや、戦争と言っても相手はあの異形達。
実は私の知らないところで、今もなお戦いが繰り広げられているのかもしれないが。
……と考えたところで妄想でしかない。情報収集のため、とにかく中身を読んでみよう。
中を検めてみると、『本丸規定 第三版』と第打たれた項目が長々と続いていた。
この屋敷を利用していた人々の決まりごとだろうか?
頁が捲れるとはいえ、やはり大半はぐちゃぐちゃになって解読できない。
斜め読みすると、この本丸の主は"審神者なる者"と呼ばれ、部下となる者を従えていたらしい。
拾った写真を取り出してみる。
恐らく中心に立っている女性が審神者なのだろう。
とすれば、周辺の戦士達は皆彼女の部下ということになる。
それから審神者の業務などが小難しい言葉でつらつらと書かれていたが内容の殆んどはよく分からない。
"刀装"、"鍛刀"、"手入"、"出陣"……出陣は先の部屋でも想像したのでなんとなく分かるとして、他の業務はなんなのだろうか。
戦をしている以上、怪我人の治療は必要だろうけれど、手入れとは道具に使う言葉だ。
恐らく前の二つも道具……それも刀に関することだろう。
審神者とは、刀を作る者なのだろうか?
そして、ちらほらと見かける"刀剣男士"という単語。
内容から考えて、戦士達の事をそう呼称していると考えるのが妥当だろう。
刀を扱うからそう呼ばれているのか、それとも何か別の理由が――
「わっ!」
「うひゃあ?!」
突然肩に何かが触れ、背後から大きな声が飛んできた。
飛び上がった私の顔を、からからと笑いながら白さんが覗き込んでくる。
「はは、驚いたか?君、こんな顔して書を睨んでたぜ」
と言ってぎゅっと眉間にしわを寄せる白さん。
そんなむつかしい顔をしてたのか……いやそれにしたって驚かすのはよくない。絶対よくない。
「いや、すまんすまん。だがあまり煮詰め過ぎるのも毒だろう?」
口では謝りつつも、あまり反省の色を見せていない。
この野郎、こちとらホラーは苦手なんだ。
それにさっきまで焦っていたのは誰なんだか。なんだか調子が狂う。
「もう……で、他に何かありましたか?」
「いや、目ぼしいものは何も。どれもこれも水浸しになったみたいだ。ただ……」
水浸し、か。
一つ目の"鍵"を開けた時も、青江さんが指摘していた。水の跡。
何か関係があるのかもしれないと考えながら白さんの行動を見守っていると、彼が後ろ手に隠していたものを取り出した。
「そら、こいつだけは綺麗なままだったぜ」
白さんの手の平に乗っているのは、白い折り鶴。
確かに萎びた様子もなく、折り目も綺麗にのびのびと羽根を伸ばしている。
「鶴ですか……」
「ああ、綺麗なものだろ」
確かに、使われている紙は輝くほどに白く、繊細な模様が施されて美しい。
何の変哲もない折り鶴。
いや、この古びた屋敷において、ここまで美しいままなのは逆に不自然だけれど。
なんとなくデジャヴを感じながら、折り鶴と白さんを見詰める。
白さんは気に入ったのか手の平の上に乗せたままにこにこしていた。
……なんというか、ギャップ。
ついさっき木刀を振り回していた人と同一人物かと疑うほど柔らかい顔をしていた。
いや、白さんは純粋な人だ。
純粋ゆえにこういう表情もするのだろう。
戦闘時の勇ましさも、弱音を吐露したときの儚さも、そして今の子供っぽい姿も、間違いなく白さんの人となりを表している。
それにしても。
「白さんに似てますね」
「ん?俺と、こいつがか?」
「あ……いや、ええとまあ」
変なことを口走ってしまった。
白さんはその名の通りカラーリングが白いし、折り鶴の色と模様の美しさにも通ずるところがあると思った。
思ったけれど、折り紙と似てると言われても困るだろう。
しかし白さんはより一層笑みを深めて、折り鶴をこちらに差し出した。
「そうかそうか、ならこいつは君が持っていてくれ」
「私が?」
「ああ、君に持っていてもらえると嬉しい」
「はあ」
とりあえず受け取っておいた。
見れば見るほど綺麗な折り鶴。
誰かが折ったものなのだろうけれど、一体誰が折ったというのか。
これだけ綺麗な状態だと、逆に何かあるのではないかと疑ってしまう。
"鍵"というわけでもないようだけれど、持っているくらいなら大丈夫だろうか。
「それで、そいつには何が書いてあったんだ?」
「そうですね、えっと……」
審神者のこと、刀剣男士のこと、読み取れた内容をかいつまんで説明する。
「想像ですけど、審神者という人が武器の作成・管理を行って、刀剣男士と呼ばれた人達がそれを使っていたのかと」
と、私の見解付きの説明を聞き終わった白さんは、「なるほどなぁ」と神妙な面持ちで頷いた。
「白さんはどう思います?」
「ああ……」
「……?」
白さんは顎に手を当てて、それっきり黙りこくってしまった。
考え事をしているらしいので、大人しく待つ。
無表情で目線を落としている白さんは、正直言ってとても綺麗だ。
そんな呑気なことを考えている場合ではないのは百も承知だけれど、少し落ちた目蓋のお蔭で長い睫毛がよく分かる。
形のいい鼻と薄く開かれた唇は、溜息が出るほどの完成度だ。
本当、同じ人の腹から産まれたものとは思えないくらい。
「――……いや、まだ憶測の域を出ないな」
ようやく口を開いた白さんが一言こぼしたところで、ずっと見とれていた事に気付いた。
ごまかすように顔をそむけると、視界の端で白さんがはてと首を傾げていた。
別段気を悪くした様子もなく、白さんは改めて口を開く。
「とりあえず青江にも共有しておかないか? 審神者というものが何なのか……この屋敷の情報には違いない」
「そうですね。青江さん、今どこにいるんだろう」
「来た道を戻ることになりそうだな……」
苦笑いする白さんに、私もげっそりした顔をする。
連絡手段もないので仕方がないけれど、この広い屋敷の廊下を何度も往復したくない。
重い体を持ち上げて、ふと気付く。
机の上に戻した本はあちこち破れていたけれど、その中でも大きくページが抜け落ちている部分があった。
それが人為的なものなのかは分からないけれど、目次と照らし合わせてみると、とある項目が丸ごと失われているようだった。
その表題は、"本丸規定 第三十七――本丸閉鎖の儀"。
***
「やあ、何か収穫があったようだね」
「……」
結果として、来た道を戻ることは殆んどなかった。
書庫を出て最初の角を曲がってすぐ、青江さんに遭遇したからだ。
相変わらず薄ら笑いを浮かべて佇む姿は心臓にこの上なく悪い。
元々開かなかった扉が開くようになったことは青江さんも把握済みで、そろそろ情報共有が必要だろうと向こうも私達を探していたらしい。
審神者と刀剣男士というワードを渡すと、青江さんは興味深そうに頷く。
「なるほど、審神者というのは神通力の類の力でも持っていたのかな。屋敷の管理もしていたということは、今この屋敷を閉じているのはその審神者とも考えられるねぇ」
「ええ……」
つまり、この屋敷の主だった審神者が今なお健在で、異邦人である私達を閉じ込めている……?
オカルト的な話は門外漢なのではっきりと否定はできないけれど、審神者という人は延命の術でも持った陰陽師なのだろうか。
「あ、そういえば……本丸規定の中でごっそり無くなってたページがありました」
「そうなのか?」
それは聞いてないと白さんが横から身を乗り出してくる。
それは仕方がない、私だって部屋を出る直前に気付いたのだから。
「『本丸閉鎖の儀』というページがまるまる無くなってて。閉鎖といえば今の状況もそうなのかもしれないですね」
「確かに語句の意味としては間違っていないね。けれど、儀というからにはもっと特別なものなんじゃないかな?」
「特別……?」
「そう、本丸の機能ごと停止するような、ね」
「それはどういう……」
「――おっと待ちな、何か近付いて来てるぜ」
白さんの制止の声で、会話は止んだ。
廊下の向こうから何かがこちらへ向かっている。
やがてばたばたと派手な音を立て飛び出したのは、"打刀"だった。
その異形に一度びくりとするものの、何度か見た姿なのでいい加減慣れてきたというものだ。
白さんもすぐさま対応し、迫る鬼を一太刀に伏せる。
「随分と慣れたものだね。君達、何度あれを倒したんだい?」
青江さんが感心したように問うたのを、剣を払って腰に納めた白さんが返す。
「さてなぁ……正確には覚えちゃいないが、十五ほどはいったんじゃないか?」
「そうか、見事なものだね」
「君の方は遭遇してないんだな」
「ああ、なんとか避けているよ。出会っても僕は対処できないからね」
そう言って肩を竦める青江さん。
白さんの手際の良さは確かにすごい。
もしかして白さんは審神者の、あるいは刀剣男士の血筋の生き残り的なやつだったのだろうか?
激しい戦闘の末かつての先祖が使っていた山奥の屋敷まで逃げ延びたけれど、そこで追手の手に掛かり力尽きてしまった。
なんとか命は凌いだものの、その影響で記憶が失われてしまった――
……我ながら妄想甚だしい内容である。
そしてこれだと先程の審神者黒幕説と矛盾する。
「ああそうそう、僕の方はこんなものを見付けたよ。綺麗な玉だったんだろうけど、砕けてしまったようだ」
といって青江さんが取り出したのは、つるりと丸い金の玉……の欠片。
なんだろうこれは。宝石のような質感でもないし、ただの玉ではまるで用途が分からない。
青江さんは妙に気に入ったとかで表面を撫でまわしてご満悦の様子である。
「これはまだ状態が良い方だったけれど、この辺りには似たようなものが沢山転がっていたよ」
青江さんが見たというのは、地図上では刀装の間と呼ばれるところだった。
刀装、とはこの玉のことなのだろうか?
「他に目ぼしいものは?」
「そうだねぇ……大きな鏡と、隣の部屋にも何かが散らばっていたようだけど、詳しく調べる前に彼らが近付いて来たから退散してしまったよ」
「なら俺達が代わりに調べよう」
「ああ、頼むよ」
地図を辿ると、確かに今私達がいるところは、刀装の間、その隣の顕現の間へと繋がっているようだ。
しかし青江さん、いつの間にそんなところまで。
疑問に思ってその顔を見詰めても、相変わらずよく分からない薄ら笑いを浮かべるだけだった。
***
「じゃ、また何かあったら会いに来るよ」
情報交換も程々に、青江さんが踵を返す。
立ち去ろうとする直前、ふと振り返った青江さんが、私に目を向けた。
「君、なんだか雰囲気が変わったねぇ」
「そうですか?」
「ああ、頼もしい限りだろ?」
何故か白さんが自慢げに横からちゃちゃ入れしてきたので、それをやんわりと押し返す。
「君達、随分と仲良くなったようだね」
「え、まあ、そうなるのかな……」
会って間もない人だけれど、一度心中を吐露してから白さんは幾分か気楽に接するようになった。
私もそれは別段苦にはなっていないし、仲が良いといえばそうなのかもしれない。
「いいことだよ。人の縁は脆いものさ、失わないように努めるといい」
「はあ」
それだけ残して、青江さんは去っていった。
歳の割に達観して物事を見てる人だ。
いや、青江さんの歳は知らないが、見た目だけで判断するなら若いと思う。
それを言うなら白さんも年齢不詳なのだが。
人間離れした綺麗な姿で、男らしいところもやんちゃなところも持ち合わせた人。
「白さんって……」
「ん?」
「……なんでもない」
年齢のことを記憶喪失の人に聞いても仕方がない。
もしも、こんなに若々しい見た目でずっと年上だったとしたら驚きどころの話ではないし、実は私より年下だったとしたら、逆にショックで落ち込みそうだ。
遠い目をした私に大丈夫かと声を掛ける白さん。
年齢不詳の姿はいつまでもその姿のまま在り続けていてもおかしくなさそうに見えた。
大丈夫、まだ何も決まっていない。
現実を見ろ迷子。
「それじゃ、行くとするか」
「はい」
目指すは刀装の間。
2017.12.23