職場体験・一日目
準備にてんやわんやしているうちに、職場体験の日が来てしまった。
ヒーロー名を考える余裕も無く、ヒーローコスチュームも無いので体操服を持ってきた。
校外とはいえこれも授業。駅までクラスで移動して、そこから各々企業や事務所へ散らばる手筈だ。
担任の軽い挨拶が終わり、D組の生徒達が改札へ向かい出す。
私もそれに続いて改札を通り、ホームから電車に乗り込んだ。
エンデヴァーヒーロー事務所……その外観や所属しているサイドキックなど、ホームページに掲載された写真を思い出しながら息を吐く。
心臓が早鐘を打っている。緊張が治まらない。
子供のころの思い出、テレビ画面の向こうで焦がれたヒーローのイメージが抜けないまま、体育祭で鉢合わせた本物の存在感を思い返して更に震えた。
エンデヴァーに会ったら何を言えばいいだろう。
まずは挨拶、それから自己紹介かな。
私の個性、体育祭の情報だけじゃ分かりにくいだろうと、実演のシュミレーションもしておいたけどどうなるだろう。
轟くんから聞いてるとは思えない。
彼のお父さんへの態度を顧みるに、真っ当に会話してるとすら思えない。
轟くんはエンデヴァー事務所に来るのかな。
飯田くんが言うに事務所のスカウト枠は2つ。
轟くんが来なければ1人で職場体験……うっ、急に不安になってきた。
***
不安は半分ほど杞憂に終わった。
エンデヴァー事務所の前で、轟くんにバッタリ会ったからだ。
「轟くん!」
「綾目」
道路より高くなった入口、その階段の前で立ち止まっていた轟くんに小走りで近寄る。
通学用カバンの他に見慣れないスーツケースを持っていた。多分ヒーローコスチュームが入ってる。
私が隣にたどり着くと、轟くんはふと事務所を見た。
近くで見上げると首が痛くなるほど大きなビル、その1階からてっぺんまで全てのフロアがエンデヴァーヒーロー事務所だ。掲げられた表札も重厚な文字でそう告げている。
轟くんはここに来ると決めたんだ。
ちゃんと見てみるって言ってた、ヒーローとしてのエンデヴァーを。
「……入るか」
「うん」
階段を登って入口へ。
自動ドアが開くまま、足を踏み入れた。
***
大きなビルの中は外見通り広々として、受付に声を掛けると、サイドキックだろうか、スーツの女性がやって来た。
その案内でエレベーターに乗り、上の階へ。
扉が開いてすぐ先の部屋に入ると、サイドキックの人達が慌ただしく動いていた。
電話でやりとりしてる人、書類のチェックをしている人、パソコンで何か打ち込んでいる人……
職場体験で最初に見るのがこういうデスクワークとは驚きだ。
物珍しげに眺めていると、部屋の奥、両開きの大きな扉の前にやってきた。
案内はそこまでで、中に入るよう促される。
扉の造りはどっしりとして、その先からこの部屋とは異なる空気を感じる。
すなわちここは社長室、もといエンデヴァーの執務室だ。
この先でエンデヴァーが待っている。
そう思うと心音が大きくなって、指先が冷たくなってきた。
扉に手を掛けた轟くんが、大丈夫かと視線を寄越す。
落ち着け、轟くんもいるし大丈夫、うん。
深呼吸して、コクリと頷く。
それを見た轟くんが、その手に力を込めた。
大きな扉が開き、部屋の様相が明らかになる。
黒を基調としたシックなデザインの壁や天井に囲まれ、豪奢なシャンデリアや、高級そうな革のソファ、フカフカの絨毯、額に入れられた絵画などが気品や風格を醸し出している。
それにしても広い。大きな窓から差し込む光が部屋の半分にも届かない。
この面積を丸々一部屋使おうという気になったのは、権力の誇示か、はたまた趣味か。
部屋の奥、執務机の向こうで仁王立ちするエンデヴァーさん。
ヒーロースーツに包まれた筋肉で膨らんだ体、弾ける炎、視線から受ける圧力。
部屋の雰囲気も相まって、めちゃくちゃ存在感がある。まさに組織のボスという感じ。
すごい、とにかくすごい。
轟くんのお陰で少し緩和したと思った緊張が蘇ってきた。
憧れのヒーローと向き合って興奮する自分と、これは授業の一環なんだと叱咤する自分と、その圧に及び腰になる自分が心の中でわちゃわちゃと喧嘩してる。
ううん、手汗が滲んできた!
「待っていたぞ焦凍。ようやく覇道を進む気になったか」
執務机の前まで近付くと、エンデヴァーさんはまず轟くんに声を掛けた。
声にもいちいち覇気があって、演説でも聞いてる気分だ。
向き合う二人を見ていると、フラッシュバックする体育祭の記憶。
轟くんとエンデヴァーさんのやりとり、なんだかソワソワする。
「あんたの作った道を進む気はねぇ。俺は俺の道を進む」
相手の言葉を受けた上での否定。
淡々と並べられた言葉は、以前のような真っ向からの拒絶ではなかった。
轟くんとエンデヴァーさんに何があったかはよく知らない。
けれどあの日、病院で見せた表情。
雪解けのおぼろげな笑みは、確かに轟くんが変わった証だ。
リセットされたばかりの道を歩こうとしている。
「フン、まあいい」
エンデヴァーさんは慣れたといわんばかりに口角を吊り上げ、早速コスチュームに着替えるよう指示した。すぐにどこかに行くのかな?
サイドキックの案内で轟くんが部屋を去り、私だけその場に残される。
……おや?
エンデヴァーさんは今、私に視線を向けている。
圧がすごい、とにかくすごい。
私も着替えに行きたい!
「さて、体育祭以来だな、綾目ゆめ君」
声を掛けられ緊張ゲージがMAXになる。
「は、はい!あの時はお声がけくだしゃってありがとうございました!!」
バッと頭を下げる。下げながら赤面していた。
また噛んだ!
恥ずかしい。いっそ穴を掘って埋まりたい。
しかしエンデヴァーさんは流石のプロヒーロー、全く意に介さず会話を続ける。
「焦凍との戦いを見せてもらった。君は確か、お母上と同じ個性を持っていると聞いたが」
「はい!!お母さんと、え……」
今、エンデヴァーさんはなんと言った?
お母さんと同じ個性を持っていると、聞いた?
誰から?
個性の話なんて、プロヒーローでもあるまいし、話題にするのは近しい人だけだ。
例えば学校のクラスメイト、職場の同僚、ご近所さん。
接点があるとすれば、雄英高校の先生がヒーローとしてエンデヴァーと会うこともあるかもしれない。
けれど、先生には母と同じ個性だとは伝えていない。伝える必要もないだろうし。
10年前世間を騒がせたニュース、その頃から活躍してるヒーローなら知っているだろうけど、そこで知ったというニュアンスじゃない。
聞いた、とは私とお母さんの個性を知る人の口から直接ということで、つまり――
「母のことを、ご存知なんですか?」
真っ先に思い当たる人物は、お母さんだった。
おばあちゃんも個性のことは知っているけど、違うと思う。
おばあちゃんはプロヒーローだけど、活動範囲や活動分野、さらにはヒーロー活動最盛期も異なるエンデヴァーさんと接点があるとは考えにくい。
そして、お母さんのエンデヴァーに対するミーハーっぷりは、視点を変えれば違うものも見えてくる。
ふわっとした記憶の中で、エンデヴァーがいかに素敵なヒーローか熱弁する母。
あの語り口は、まるで知り合いみたいな感じだったように思える。
「彼女から聞いていないのか?いや、もう10年も前になるか……君が知らずとも仕方あるまい」
エンデヴァーさんの言葉で確定だ。
意外なところで判明する新事実。
お母さんとエンデヴァーさんは知り合いだった。
「じゃあ私を指名したのも……?」
私の実力じゃなくて、母を知っていたから、そのよしみでなのか。
「確かにお母上を知っていたからという部分はある。だが君を指名したのは、もし君がお母上と同様の力を扱えるのならば、我々の活動効率が格段に向上すると考えたからだ」
母のよしみ、というより、母の能力を買っているからの期待。
エンデヴァーをしてそこまで言わしめるお母さん、実はかなりすごい人だったの……?
母と同じ個性だから私を指名した。それはとても嬉しいことだ。
でも私の実感では、私の個性がヒーロー向きだとは思えない。
ヴィランと対峙したとして、個性発動のために相手に触れる必要があるので、どうしても接近戦になる。
逆に発動すれば接近し過ぎると見破られる可能性がある。
そんな個性をどうして――
「まずは見せてみろ、君の個性」
「えっ」
机をぐるりと回って前に出たエンデヴァーさんが、その巨躯から腕を突き出す。
距離が近付くとさらにズンとくる圧。
このポーズは、腕に触れて個性を発動しろということだろう。
いきなりあのエンデヴァーに?いやいや無理無理シュミレーションはしたけどこんないきなり執務室で?!
「えええぇ……」
「どうした。個性を見せられんようでは職場体験も行わんぞ」
うぐっ。
エンデヴァーさんの声色から、本当に置いてかれるかもしれない焦りが生じる。
ええいままよ!半ば投げやりにエンデヴァーさんの拳に触れた。
バチリと電流が走るような感覚がしてパスが繋がった。すなわちエンデヴァーさんの視界をジャックした。
落ち着け、落ち着け。
シュミレーション通りに、脳内でイメージを構築して相手の網膜に出力する。
大丈夫、相手が誰であれ私の個性は変わらない。
仰々しく両手を広げて、さぞ今から何か起こしますと見せつけた。
すると、広い執務室の一角、その壁と天井の隙間から何かが滴る。
水だ。
雨漏りのような数ミリの幅が、天井から床へ垂れている。
それが二箇所、三箇所と増えて、数ミリから数センチへ太くなり、その軌跡が繋がり、あっという間に全方位に広がった。
壁面全体から溢れる水がドボドボと床を浸していく。
「ほう……」
水の勢いは留まらず、ついに広い床全体を覆った。
じわじわと上がる水位がエンデヴァーさんの靴を濡らし、膝を、腰を、肘を、胸元を、水中に沈めていく。
私の姿をまるっと飲み込んだ洪水は、ついにエンデヴァーさんの頭に差し掛かり――
「終いだ」
完全に沈んだはずのエンデヴァーさんは、ただ一言を告げた。
効いてない。
No.2に生半可な幻覚が効くわけないと思っていたけど、思ったからこそ何度もシュミレーションしたのに、それでもアッサリと見破られた。
ショック。
しょんぼりしながら幻覚を止める。水中の部屋はあっという間に元通りだ。
仁王立ちのまま眉一つ動かさなかったエンデヴァーさんが、淡々と評価を告げる。
「焦凍を翻弄する程の個性、どれほどかと思ったがまるでなってない。お母上が嘆くぞ」
とても辛口。
頑張って準備しただけに辛い。特に最後の一言がとても辛い。
「部屋中を水没させるという発想は良い、上手く騙せば大抵は怯むだろう。だがあまりに突飛な発想は幻覚だと見破られる。それを補うほどのリアリティは15歳程度の経験で出せるものではなかろう。そもそもの前提として相手の体に接触しなければ発動できない個性では、ヴィランに見せること自体難しい。今の君では愚作だ」
「ぐ、愚策……」
バッサリ切られた言葉にザクザクと突き刺されながら、その通りだと唸るしかない。
体育祭だって、エンデヴァーの幻影で派手に炎を撒き散らした結果、轟くんに見破られてしまったわけで。
インパクトを重視しすぎて、細部までリアルなイメージができなかった。
水の流れ、波紋までは日常的に見ることが出来ても、オフィスが水没する様までは分からない。
それこそヒーローが出動するレベルの災害に巻き込まれでもしない限り。
ポジティブに取れば経験次第で良くなるけれど、悪く言えば今は全然ダメということ。
つまり、ザコ。
今まで披露する機会は少ないとはいえ、こういう対人戦術ばかり想定して訓練してきた私にとって、鈍器で殴られるような衝撃だった。
強い個性だとは思ってないけど、だからこそ工夫を凝らしてがんばってきた。凝らしすぎて体育祭はちょっとアレだったけど。
それでもだめだというのなら、もうどうすれば……
「綾目、ヴィランと戦うだけがヒーローではない」
「え……?」
「どうすべきかは自力で考えろ。君もさっさと着替えてこい」
それだけ残して会話を締めくくると、エンデヴァーさんは部屋を出て行った。
***
その後サイドキックに案内された更衣室で、体操服に着替えながら考える。
今の私では愚策。憧れのヒーローからの言葉だけにショックも大きい。
けど、エンデヴァーさんは私の個性を買っている。
"ヴィランと戦うだけがヒーローではない"
この言葉は、エンデヴァーさんからのアドバイスだ。
期待されてる。No.2ヒーローに、憧れのヒーローに。
なら、落ち込んでる暇はない。
考えろ、考えろ私!
己を叱咤しながら更衣室を後にして、指示された部屋に向かう。
1階にある大部屋の扉を開けると、数名のサイドキックとヒーローコスチュームに着替えた轟くんがすでにいて、私の姿に気づいた轟くんが声を掛けた。
「遅かったな。なんかあったのか」
「まあちょっとね……それ、轟くんのコスチューム?」
「ん?ああ」
轟くんのヒーローコスチューム姿、初めて見た。
ハイテクそうなベストとか、パッと見素材が分からないジャケットは轟くんの個性を機能的に補佐してくれるんだろう。
シンプルで凝った装飾もなく、なんというか轟くんらしい。
飾らなくても絵になるあたり、生まれ持った見た目の良さが際立つ。
「かっこいいね、ヒーローって感じ」
「そうか?おまえは作ってないのか」
「普通科はそういうの無かったんだ。羨ましいや」
それにしても、サイドキック含め多種多様なスーツの中で、いかにも高校生な体操服姿だとちょっと肩身がせまい。
ヒーローコスチューム、普通科でも作ってもらえないかなぁ。
サイドキックの人もそれぞれ雑談を繰り広げる緩い空気が数分、ややあってエンデヴァーさんがやってきた。
とたんに引き締まる空気の中、轟くん共々サイドキックの人達に紹介される。
エンデヴァーさんに俺の息子強い自慢みたいな紹介をされてあからさまにムッとした轟くんは、なんだか学校での印象と違って見えた。
紹介が終わると集まっていたサイドキックは散開し、それぞれの仕事に戻っていく。
そのうちの数名がエンデヴァーさんに指名された。
「前例通りなら保須に再びヒーロー殺しが現れる。しばし保須に出張活動する!市に連絡しろぉ!」
そう宣言したエンデヴァーさんは次々に指示を繰り出し、あっという間に出張の準備が整った。
その素早い行動に、ぽかんと見守ることしかできなかった。
「ついて来い。ヒーローというものを見せてやる」
私と轟くんに向けて不敵に笑うエンデヴァーさん。
迷うことなく進む足取り、そのあとをサイドキックがついていく。
その後ろを追う形で事務所から出た。
職場体験が始まる。
向かうは保須市、ヒーロー殺しの元。
2017.07.30