職場体験・三日目(後編)
「ビンゴだ」 「緑谷くん!?何故……!?」 「ワイドショーでやってた……!ヒーロー殺し被害者の六割が人気のない街の死角で発見されてる。だから……騒ぎの中心からノーマルヒーロー事務所辺りの路地裏を……虱潰しに探してきた!」 ヒーロー殺しを警戒しつつ、路地に視線を廻らす緑谷くん。 その目が壁にもたれかかるプロヒーローを捉え、次に私に向いた。 「綾目さん?!」 緑谷くんが飯田くんを探していたのなら、飯田くんがここにいるのは予想の範疇だろう。 けど、さすがに私がいることは予想外だったらしい。 「街で緑谷くんを見かけた……慌ててたからもしかしてって」 動かない体で声だけ振り絞る。 飯田くんを助けようとしてこの様なので情けない。 「ごめん、体動かなくて……」 「斬りつけられてから……恐らく奴の"個性"」 「それも推測されてた通りだ……斬るのが発動条件ってことか……?」 緑谷くんの顔を汗が伝う。 飯田くん一人ならまだしも、三人も動けない人間がいたんじゃ逃げることも出来ないだろう。 「緑谷くん、手を……出すな。君は関係ないだろ!」 堅く制止する声。 飯田くんの表情は、ここからでも見える。 復讐に捉われた目。 「何……言ってんだよ」 緑谷くんの顔色が変わる。 「仲間が『助けに来た』。良い台詞じゃないか」 ヒーロー殺しが動いた。 ゆらりと姿勢を低く落とし、緑谷くんを睨み上げる。 「だが俺はこいつらを殺す義務がある。ぶつかり合えば当然……弱い方が淘汰されるわけだが、さァどうする」 傍で見ても総毛立つような気迫。 真正面から受けた緑谷くんの足が震えている。 これほどの殺気を当てられ、恐れないほうが難しい。 それでも緑谷くんは睨み返しながら、後ろ手にスマホを操作していた。 位置情報の送信、あれはグループ連絡かな? 緑谷くんも戦って時間を稼ぐつもりだ。 「やめろ!!逃げろ、言ったろ!君には関係ないんだから!」 それに対し飯田くんが声を荒げた。 けれど緑谷くんが言い返す。 「そんな事言ったらヒーローは何も出来ないじゃないか!」 「!」 「言いたいことは色々あるけど後にする……!オールマイトが言ってたんだ、余計なお世話はヒーローの本質なんだって」 緑谷くんはニッと笑った。 それは飯田くんに向けられた言葉。 でも、ヒーロー殺しも、そして私にも聞こえていた。 ヒーロー殺しはどこか嬉しげに口角を上げている。 そして私は、目を見開いていた。 驚いていた。 その言葉に、その笑みに気付かされた。 飯田くんの心境を恐れて躊躇した私と、恐怖を圧して笑みを浮かべる緑谷くん。 立場は同じなのに、決定的に違う姿勢。 余計なお世話は、ヒーローの本質…… そうだ、思えば緑谷くんはそうやってもう救ってきていた。 轟くんを、私を。 "緑谷のやつがめちゃくちゃやって、全部ぶっ壊しちまった" そういって轟くんは微笑んでいた。 "だから……待ってるよ" そう言って、緑谷くんは私に笑いかけた。 私にはなかったもの。 ヒーローになるって決めた。 卑怯な手は使わずに、ヒーローらしくヒーローを目指そうって。 でも、どこまで踏み込んでいいのか分からなくなって、また誰かを傷つけるのを恐れて、深く覗くのは止めようとした。 それは他人を傷つけないけど、助けることも出来ない。 大事なときに躊躇して、上手く動けなかった。 何もできないままじゃ、ヒーローにはなれない。 沈み込もうとしているのなら引き上げて。 道を誤ろうとしているのなら手を差し伸べて。 ヴィランと戦うだけがヒーローじゃない。 それは役割のことも、気持ちのことも。 ヒーローってなんだ? 私が目指してるものって、なんなんだろう。 分からない。分からなかった。 当然知っているようなつもりになっていたのに、いざ自分が動こうとしたら、何も出来なかった。 私が今までもがいていたのは、全部私のためだったから。 地面に落ちて身動きも取れない状態で、視界がぐるぐる回り出す。 砂利のこすれる音。 緑谷くんが姿勢を変えた。 思考の沼に落ちかけていた私の意識が戻ってきた。 混乱した頭をなんとか切り替える。 何であれ、今は目の前のヴィランを何とかしないと。 緑谷くんの連絡を誰かが見て、通報してくれたならまだ…… 通報……そうだ、送信! 体は動かなくても、個性使用に支障はない。 緑谷くんの登場で、戦況が絶望的なのに変わりないけど、思考に少し余裕が出来た。 考えろ、今この状況で出来る最適解を導き出せ。 情報の送信、でも相手の視界を覆ってしまう。 危機迫る状況ならなおさら事故につながる。 焦るな、冷静に。 ……あ。 さっき廻った走馬灯。 怯えて弱った患者の両手を優しく握り、祈るように目を閉じる母。 繋がった手の両側で、お互いに目を閉じて数秒。 すると患者は安堵したように表情を緩ませていた。 魔法のようだと思ったのが、子供の頃の思い出。 お母さんの個性。私と同じ個性…… よく思い出してみると、患者は、個性発動の対象は、目を閉じていた。 私の個性、アイジャック。 その名の通り、相手の視覚を上塗りして幻覚を見せる個性。 つまり、目を閉じた状態では通じない。 なら、お母さんはどうやって相手に幻覚を見せていた? 目蓋を閉じていても見えるところ。 目じゃない。 目に写ったものを認識する場所……つまり脳内に直接!! 固定観念に凝り固まっていた。 初めて個性を使ったときから今までずっと、視覚情報しか使ってなかったから考えもしなかった。 私の個性は、私と相手をパスでつなげる。 今までの使い方では、パスを繋げた後に、私の脳と相手の目でしか通信していなかったけれど、実際はお互いの全身の器官が接続された状態だ。 機能としては備わっていたけど、使っていなかった。 母に教わったのは、視覚だけだったから。 でも、辿り着いた。ようやく分かった。 送り先は脳! 送る情報は、私の見ている視覚全部! 体は動かなくとも、私のいるここからなら戦況全体を見上げることができる。 脳内で再構築してる暇なんてないし負荷もかかる。だから、私の目から相手の脳へ直接送る。 さっきは焦ってしまったけど、幸いパスはあと一本残ってる。 やったことはない。けど、できることがあるならやるしかない。 体が動かないのはむしろ好都合だ。 全神経を集中させる。意識を目に、相手先の脳に。 目がバチバチと音を立てる。 「〜ッ!」 初めて使った機能が悲鳴を上げている。 耐えろ、集中しろ。 送り先を間違えるな、相手の脳に! 届け!! *** 緑谷出久が相手に向かって駆け出す。 対する男――外見的特長からして、ヒーロー殺しステインが長物を振る。 だが、一瞬で加速した緑谷が懐へと滑り込んだ。 すかさずステインが空いた手で、腰に下げたナイフを引き抜き切りつけようとする。 それよりも早くステインの股を潜った緑谷。 高く飛び上がり、ステインの頭上へ。 男が振り向きざまに薙いだ刃は空を切った。 緑谷が体を捻り、拳を引く。 それを見上げるステイン。 そして―― なんだこれは。 何を見ているのか。いや、見せられているのか。 足を動かしながら、轟焦凍は戸惑っていた。 緑谷からの一括送信による通知。 位置情報だけで最初は何か判別できなかったが、緑谷の性格から考えて、この場所で何か起きていると判断した。 エンデヴァーに住所情報と救援要請を伝えて駆け出した矢先、突如頭の中で再生された映像。 地面から見上げるようなアングルで、路地裏のような場所で緑谷とステインが戦っている。 そのそばでうなだれているプロヒーローと、クラスメイトの飯田天哉。 恐らくこれは、職場体験で同じだった少女、綾目ゆめの個性。 経緯は分からないが、今ゆめは二人と共にステインに遭遇しているようだ。 目で見える視界はそのままに、脳内で浮かび上がるように映像が流れ込んでくる。 轟の認識している彼女の個性と異なる動きに戸惑ったが―― 映像の中で、緑谷がうずくまる。 ステインに一撃を当てたが、男が刃を舐めた瞬間脱力した。 恐らくは"個性"。 地面に伏した緑谷を通り過ぎ、ステインの足はこちらに向かう。 映像が動き、ステインを見上げる。 つまり、ゆめが目の前に立ったステインを見上げている状態だ。 轟は速度を上げながら、電信柱の住所を確認する。 近い。 目当ての路地が見えた。 映像の中で、ステインが刃を掲げる。 「!」 路地の中は暗く見えないが、射程内の距離にある。 ならば。 考えるより先に体が動いていた。 *** 「口先だけの人間はいくらでもいるが……お前は生かす価値がある」 緑谷くんも封じられた。 血の経口摂取で相手の動きを止める個性か! 緑谷くんを評したヒーロー殺しが、こちらへ歩み寄る。 ヒーロー殺しの言には一貫性があって、中心に一本線が通っているようにも感じる。 私の戸惑いを見抜いたし、今もまだわだかまりがある。 でも、生かすとか殺すとか、命の判断を他者に下すのは身勝手だ。 そんなヴィランにやられる筋合いはない。 目がピリピリする。焦点を合わせるのも難しくなってきた。 それでも、まだパスは繋がっている。 「ちくしょう、やめろ!!」 緑谷くんが叫ぶ。 「やめろ!彼女に手を出すな!!」 飯田くんも喚く。 私の体は動かない。 ヒーロー殺しの眼が、私を見下ろす。 刃が再び持ち上がる。 でも、まだ、くそ。 私、まだ何も出来てない。 誰か、エンデヴァーさん、轟くん……! 「!!」 その時。 うねるように炎と氷塊が迫る。 ヒーロー殺し目掛けて放たれたそれは、私とヒーロー殺しを引き離した。 熱気と冷気が一気に押し寄せる感覚。 これは、この"個性"は。 「氷と炎……まさか!」 緑谷くんの声。 振り向いたけれど、人影はない。 路地の向こうから放たれた攻撃に訝しむヒーロー殺し。 姿が見えないところからの、居場所を把握した遠距離攻撃。 ……私の個性だ。私の視覚情報が、届いてる! なら、今の視界も届いてるはず。見なくちゃ、送らなくちゃ! ヒーロー殺しの方へ顔を戻し、視線を廻らす。 緑谷くんも、飯田くんも、ヒーローも地面でへばった状態。 そして、ヒーロー殺しが着地した瞬間。 路地の果てから延びた氷が、地面全体を覆った。 ヒーロー殺しは飛びのいたけれど、緑谷くんたちを巻き込んで氷が膨らんでいく。 続いて放たれた炎に溶かされ、三人とも氷山を滑るようにして手前に転がった。 負傷者が一気に引き戻される。 そして、ようやく視界の端に見えたブーツ。 「無事か綾目」 掛けられた声は、この三日間で聞き慣れた声。 目が限界を迎え、"個性"を止める。同時にパスも切れる感覚がした。 ぐらつく視界の中で、轟くんを見上げる。 その半身に炎を纏っている。それは体育祭以来の姿で、直接見たのは初めてだ。 原初の力、炎の個性。 赤々と燃え盛る炎が、光の届かない路地裏を照らし出している。 その様は、見惚れるほど猛々しい。 幼少期に憧れたエンデヴァーと同じ。 でも、エンデヴァーとは違う。 轟くんの、力。 「轟くん……」 ヒーロー殺しに向けられていた目が、一度こちらを見下ろした。 「見付けたんだな、個性の使い方。いきなり何かと思ったが、慣れりゃ問題ない」 「う、ん……うん!」 よかった、使えた、私の個性。 少しは役に立てた……のかな。 轟くんが、動けない面々をかばうように前に立つ。 「あと緑谷、こういうのはもっと詳しく書くべきだ。遅くなっちまっただろ」 そう言って持ち上げたスマホの画面には、緑谷くんが送ったらしい位置情報が載っていた。 「轟くんまで……」 「何で君が……!?それに、左……!」 「何でって、こっちの台詞だ。数秒"意味"を考えたよ、一括送信で位置情報だけ送ってきたから。意味なくそういうことする奴じゃねえからな、おまえは」 話を続けながらも、両の個性でヒーロー殺しを牽制する。 轟くんはここに来る前にプロヒーローへの救援要請をしていたらしい。 あと数分もすればプロも現着するとのこと。 抜かりない……! 「こいつらは殺させねえぞ、ヒーロー殺し」 ヒーロー殺しは無言だった。 四人目の介入者をじっと見据えている。 「轟くん、そいつに血ィ見せちゃ駄目だ!多分血の経口摂取で相手の自由を奪う!皆やられた!」 「らしいな。おまえが動けなくなったのも見えた」 「え!?」 緑谷くんがどういうことだと驚いた。 後で説明した方がいいだろう。けど、今は目の前のヴィランだ。 相手の獲物は刃物。轟くんの個性なら距離を取って戦える。 でもそれは向こうも承知のはず。 「!」 投擲! ヒーロー殺しが肩に装備していたナイフが轟くんの頬を掠めた。 同時に迫るヒーロー殺し。 迫るナイフを氷壁でガードするも、既に刀が宙へ投げられていた。 気付いた轟くんが対処しようとした瞬間、ヒーロー殺しの舌が頬の血を掬い取ろうと伸びる。 ギリギリのタイミングで炎を放ち引きはがした。 「っぶねぇ」 なんて攻防だ。一瞬一瞬が気を抜けない。 今動けるのは轟くんだけ。 動かない体にやきもきする。 「何故……三人とも何故だ……やめてくれよ……」 近くに転がった飯田くんが呻いている。 「兄さんの名を継いだんだ……僕がやらなきゃ。そいつは僕が……!」 慟哭。憎しみに揺れる目。 それはかつての私に似ていて、そして体育祭の頃の轟くんにも通ずるところはある。 「継いだのか、おかしいな……俺が見たことあるインゲニウムはそんな顔じゃなかったけどな。おまえん家も裏じゃ色々あるんだな」 轟くんが出した巨大な氷塊が、瞬く間に切断される。 散らばる氷で遮られる視界の中、轟くんに迫るヒーロー殺し。 炎で応戦しようとしたその腕に、ナイフが突き刺さる。 「轟くん!」 炎が怯んだ内に、ヒーロー殺しは頭上高くに飛び上がっていた。 落下地点には、動けないプロヒーロー。 腕を庇って反応に遅れた轟くんが、上を見上げて眉根を寄せる。 しかし、ヒーロー殺しが落ちる前に、緑谷くんが壁を飛び伝ってその服を掴んだ。 あれ、緑谷くん動いてる!? 「緑谷!」 「なんか普通に動けるようになった!」 ヒーロー殺しの個性、効果時間に個人差があるのか! 「時間制限、じゃねぇな」 緑谷くんが最後にやられたはずだ。 ちらりと後ろを振り返る轟くん。 その瞳に映るのは死屍累々……ではないけれど。 「私まだ動かない……」 「俺もだ……」 「……」 私はもちろん、プロヒーローも、飯田くんもまだ動けずにいた。 壁にこするようにヒーロー殺しを引っ張る緑谷くん。 そのボディにヒーロー殺しの肘が打ちつけられ、あえなく落下する。 「下がれ緑谷!」 「ひえ!」 すかさず氷塊がヒーロー殺しに迫るも避けられた。 距離が空いたタイミングで、緑谷くんの思考が始まる。 「げほっ、血を摂り入れて動きを奪う。僕だけ先に解けたってことは……考えられるのは三パターン。人数が多くなる程効果が薄くなるか、摂取量か、血液型によって効果に差異が生じるか……」 なるほど確かに。 まだ動けない面々は、自分の血液型を申告する。 「血液型……俺はBだ」 「僕はA……」 「私AB……」 「血液型……ハァ、正解だ」 個性が割れたと知って、ヒーロー殺しも肯定した。 緑谷くんはO。 つまりO型が効果時間の短い血液型という訳か。 「わかったとこでどうにもなんないけど……」 血液型は全員バラバラ、誰が、いつ解けるかも分からない。 今すぐ撤退しようにも、動けないのは三人。 そして、相手の反応速度。 轟くんの個性も避ける程の速さでは、振り切るのは難しい。 「プロが来るまで、近接を避けつつ粘るのが最善だと思う」 それが動ける二人が出した結論だった。 「轟くんは血を流しすぎてる。僕が奴の気を引きつけるから後方支援を!」 「相当危ねえ橋だが……そだな。二人で、守るぞ」 轟くんと緑谷くん。 決して楽観できない状況なのに、二人の背中が逞しく見える。 それなのに私は、見てることしかできない。 ……守られることしか出来ないのか。 「2対1か……甘くはないな」 ヒーロー殺しが目を細めた。 飛び出した緑谷くんのあとを炎が追いかける。 二人の連撃にも、ヒーロー殺しは怯まない。 それどころか、さっきよりも動きが俊敏になっている。 焦ってるのか。 「ぎゃっ!」 緑谷くんの片足が斬られた。 「ごめんっ轟くん……!」 ヒーロー殺しが刀を舐め、緑谷くんが崩れ落ちる。 轟くんも腕から血が流れ続けている。 二人共ボロボロだ。 目の前で友達が傷付いてるのに、私の体はまだ動かない。 悔しい、歯痒い。 そしてこの歯痒さは飯田くんも感じていて、多分私の何倍も心にのしかかっているだろう。 「止めてくれ……もう……僕は……」 弱々しい声は、その心情を表していた。 揺れる瞳。崩壊寸前。 飯田くん、せめて何か、私が出来ることは―― その時、轟くんが吠えた。 「やめて欲しけりゃ立て!!なりてえもんちゃんと見ろ!!」 「――ッ!!」 轟くんから飯田くんへ。 それは、彼だからこそ、憎しみを超えた先に立ったからこそ、言える言葉。 ……私には言えなかった言葉。 飯田くんの拳が、固く握り締められた。 ヒーロー殺しが轟くんへ迫る。 氷と炎で交互に応戦するも、相手の動きは俊敏だ。 「言われたことはないか?"個性"にかまけ挙動が大雑把だと」 炎を避けられた轟くんの懐にヒーロー殺しが潜り込む。 「化けモンが……!」 刃が轟くんの胴体を切らんと迫る。 「轟くん!」 思わず叫んでも、体は動いてくれない。 ――その時、飯田くんが立ち上がった。 「レシプロ……バースト!!」 2017.08.16
DADA