日常
いつぞやの放課後。
「綾目くん、次の日曜は空いているかい?」
「日曜?」
珍しくD組にやってきた飯田くんが私を呼び出し、最初に言った言葉だった。
クラスで浮き気味の私とA組の生徒という組み合わせにクラス中の視線が刺さっている。
最初の頃に私がA組に行ったときも、物珍しそうに見られたものだ。
たとえ同級生でも、科が異なると交流が極端に少なくなる。私とA組面子との関係は希少なのかも。
「というのも、ネイティブさんから遊園地のチケットをいただいたんだ。ほら、先日の職場体験で色々とあったろう」
「ネイティブさん……ああ、B型の」
血液型を言われて一瞬固まった飯田くんが、確かにそうだったと頷く。
……我ながら真っ先に思い出すのがそこなのはどうかと思った。
ネイティブさんといえば、職場体験中に起こった事件の場に居合わせたヒーローだ。
「あの時のお礼だそうだ」
「お礼……」
職場体験で起こった事件。
連日メディアを騒がせたヴィラン、ヒーロー殺しステインと、雄英生達が戦った。
ヒーローのこととか社会の難しさとか、色々と考えさせられた事件だ。
ネイティブさんは四人分のチケットを用意してくれていたけれど、期限が来週までだと言う。
「緑谷くんも轟くんも日曜は用事があるらしい。せっかくいただいたものだから、誰か知り合いを誘おうと思っているんだが……」
話を進める飯田くんは、以前のようにシャキシャキしている。
あの事件で一番大変だったのは飯田くんだろう。後遺症もだけれど、精神の話も含めて。
でも、ヒーロー殺しに対して向けた目は、もう過去の出来事だ。
飯田くんは、緑谷くんと轟くんに救われた。
……私はまだ未熟で、力になれなかった。
「うーん、せっかくだけど私も遠慮しておくよ。そろそろ期末だから勉強に力を入れたいのもあるけど……飯田くんの友達と行くのなら、邪魔になっちゃうから」
「そのような事はないが……了解した。気を使わせては楽しめないだろう。それに勉強はとても大事だ!」
「うん。また機会があれば誘ってほしいな」
「ああ、こちらこそ。その時は麗日くんも誘ってみるとしよう」
てきぱきとチケットを片付ける飯田くんを見て、ふと口を開いた。
「……飯田くん」
「む、なんだい?」
「……いや、私頑張る!期末も実技も、飯田くんに……ヒーロー科のみんなに負けないくらい。それでヒーロー科、私も入るよ!」
「ああ、気合い十分じゃないか!俺も負けてられんな!」
両手を大げさに振り上げて激励を送る飯田くん。
飯田くんに何か言いたかった。
でも上手く言葉に出来なかったから、代わりに今後の抱負を口にした。
それでよかったと思う。前を向いていこう。
***
いつぞやの昼休み。
授業参観のお知らせ。
そう題打たれた紙が配られたのは、数日前のホームルームにて。
職場体験を終えて期末試験までの間に行われる、保護者に普段の授業風景を見てもらえる機会。
色々と破天荒な雄英高校でも、こういった学校らしい催しはあるらしい。
授業参観は全クラス同日だ。
人の出入りを纏めたいんだろう。
セキュリティの厳しい雄英高校は、保護者とはいえ部外者の立ち入りを制限している。
体育祭なんかの催しものの際はその限りではないけれど。
「普通科はただの授業だけど、ヒーロー科は何するの?」
食堂は人がひしめき合っていて騒がしい。自然と大声になりがちだ。
今日は麗日さん、緑谷くん、飯田くんと轟くんのA組面子とご飯を食べに来ている。
こうして何度か食堂に足を運ぶうちに、すっかり白米のとりこになってしまった。
「んっとねー、感謝の手紙の朗読だって!ちょっと恥ずかしいや」
おいしそうにご飯を頬張りながら答えたのは麗日さん。
テレテレした顔もうららかである。
そこに飯田くんの言葉が飛ぶ。
「良い機会じゃないか。日頃お世話になっている保護者の方へ感謝の気持ちを表すのは、普段は中々ないことだからな」
真面目な意見をいただいた。
緑谷くんも、恥ずかしいけど仕方ないといった顔でやんわり頷いている。
轟くんは相変わらずポーカーフェイスだけれど、手紙の内容でも考えてるみたい。
保護者への感謝、かぁ。
確かにこの歳になってクラスメイトに見守られながら本人に向けて朗読するのは恥ずかしそう。
保護者といえば。
「みんなのところは誰か来るの?」
「うちは父ちゃん!遠いから無理しなくていいって言ったけど来てくれるって」
「母が来てくれるそうだ。そうなると手紙の内容は母にのみ宛てたものにした方がいいのだろうか。絞り込めば枚数は減らせるかもしれないな……」
「飯田くん、やっぱり沢山書くんだ……うちはお母さん」
それぞれ答える中、自然な流れで緑谷くんがこちらにも訊ねる。
「綾目さんのところは?」
「うちは来れないって。おばあちゃん一人でちび達の面倒見てるから。場所も遠いし中々ね」
「おばあ様か、以前にも話に聞いているが……ご両親は仕事なのかい?」
「ん……そんなところ」
飯田くんの言葉。それは当然の疑問だ。
けど、口ごもってしまった。
事情を知ってる轟くんも一瞬箸を止めた。
曖昧に笑う私を見て、察した飯田くんが謝罪する。
「すまない、不躾な質問をしてしまった……」
麗日さんと緑谷くんも「おばあちゃんと血がつながってないってそういう……」みたいな表情になり、楽しい食事の時間が一気に落ち込む。
「ううん、大丈夫大丈夫!」
慌てて手と顔を振る。
いらぬ心労をかけさせまいと轟くんにキラーパス。
「あ、轟くんのところは誰が来るの?!ま、まさかエンデヴァーさ……」
「それだけはねぇ」
「ソッカー」
突然のエンデヴァーさんの話題もズッパリ切り捨てた轟くんであった。
「……姉貴が来る」
「お姉さん?」
轟くんにはお姉さんがいるのか。
「じゃあお姉さん宛に手紙書くんだ」
「まあな。普段から家のこととか殆どまかせきりだし、感謝してねえことはねえが……」
「私もそれ思った!一人暮らし始めて、母ちゃんのやってたこと全部やりだしたらすっごい大変だったから、いつもありがとーって」
麗日さんの言葉を受けて、緑谷くんが遠い目をして呟く。
「お母さん……心配かけまくってるもんな」
個性を使うたびに体がバキバキになってたら、ご両親はそれはもう幼い頃から心配で倒れまくっていただろう。
あれ、でも職場体験の時の緑谷くん、そんな大怪我負わなかったような?
はて。
手紙、か。
普通科はただの授業だから用意する必要はないけれど。
普段からスマホでやり取りはしているけど、小さな画面に並ぶ文字と、アナログな手書き文字では伝わるものも変わるだろうか。
おばあちゃん、私が雄英に行くって言ったときは、猛烈に反対してた。
今思えば、どうして止めようとしたのか分かる。
ヒーローのことを何もわかってなかった私を応援できなかったんだろう。
でも、最終的には折れて、自己責任だと念を押されて送り出された。
多分、ものすごく心配かけてる。
電話することもあるけど、直接のやり取りだとどうしても恥ずかしくて言えないこともある。
でも、手紙なら……素直になれるかもしれない。
「私も書いてみようかなぁ」
「ゆめちゃんも音読する!?」
「いやそれはさすがに」
「あはは……」
そうして日常は過ぎていく。
***
授業参観前日の休暇。
「おーい、ゆめちゃーん!」
呼び止められて足を止めた。
ヘッドホンを外して辺りを見回すと、通りの向こう岸に麗日さんを見付けた。
麗日さんの他に二人の女子。A組の蛙吹さんと八百万さんだ。
近くの横断歩道を渡ってそちらに向かう。
「麗日さん、偶然だね。三人でお出掛け?」
「ううん、二人共偶然会ったんよ。今日は友達とよく会う!」
「綾目ちゃん、体育祭以来ね」
「ごきげんよう」
大きな目と猫背が特徴の蛙吹さんと、綺麗に縛り上げたポニーテールで凛とした顔立ちの八百万さん。
蛙吹さんとは体育祭で昼食を共にして以来、八百万さんとは顔を知ってるくらいの認識だけど。
「今から私の家でお餅パーティするんだけど、ゆめちゃんもどう?何か用事だった?」
「用事って程じゃないけど……」
「トレーニング中でしたの?」
私の格好を見て訊ねた八百万さん。
運動靴とジャージにハーフパンツ、キャップにヘッドホンで走っていたのだから連想しやすいだろう。
それに気付いた麗日さんが申し訳なさそうに頭を掻く。
「あ、邪魔しちゃったかな」
「ううん、全然。せっかくだから私も参加したいな」
「ホンマ!?」
「ぜひぜひ」
頭を縦に振ると、麗日さんの顔にパッと花が咲いた。
ご機嫌な麗日さんを先頭に、女子四人が歩き出す。
「綾目さんもヒーロー志望でしたわね。ランニングも体づくりのために?」
「そうなんです。毎日やらないと訛っちゃうから」
「ランニング中に曲とか聴くんやね。何聞いてたの?」
「あ、これは英語のリスニングを」
「リスニング!?」
「まあ、とても勉強熱心ですのね」
目を皿にする麗日さんと、感心したような八百万さん。
なんだか少し照れくさい。
「いやぁ熱心というか、隙間時間でも勉強しないと成績維持出来なくって。学力も体力も人並みだから……」
「謙遜なさらないでください。努力も実力の内ですわ。綾目さんは素晴らしい才能をお持ちだと思います」
「うんうん!ゆめちゃんはすっごいおもち……お餅……」
「お餅好きだねぇ」
なんて会話しながらキャッキャとじゃれ合う様子を、蛙吹さんがじっと見詰めているのに気付かなかった。
***
麗日さんの家は一人暮らし用のオートロックマンションだった。
キッチンは広いけれど、部屋の方は私のところより少し手狭に感じる。
年季が入ってるけど綺麗なところだ。
「上がって上がって!狭くてごめんね」
「お邪魔します」
「まあ……」
部屋の中を見た八百万さんが言葉を無くしている。
「麗日さんはここで毎日暮らしているんですの?生活スペースをこんなにコンパクトに纏められるなんて……!」
まあまあと連呼しながら色んな扉を開け閉めしている八百万さん。
その目はキラキラと輝いていて、今まで見たことないものに対する好奇心でいっぱいだ。
その後ろでそっと麗日さんに訊ねる。
「ちょっと思ってたんだけど、八百万さんってすごいお嬢様なの……?」
「そうみたい……さっきもスーパーの買い物カートですごい興奮してた」
「皆、先に食材を冷蔵庫に入れましょう」
蛙吹さんの言葉で当初の目的を思い出した面々が、お餅の準備を始めた。
「すみません、見慣れなかったもので……」
ちょっと恥ずかしそうにしている八百万さんがなんだか可愛らしい。
普段どんな豪邸に住んでいるのかと想像しながら、準備の手伝いを始める。
「お茶子ちゃん、お餅を焼くのはオーブンを使えばいいかしら?オーブン用のプレートも貸してほしいわ」
「はーい、こっちの棚に大きいのがあってね……」
蛙吹さんがテキパキと準備を進める。食事の用意に慣れているみたいだ。蛙吹さんも一人暮らしなんだろうか?
「チョコお餅がメインだけど他のも用意しよっか。チーズ乗せてみる?納豆もあるよ」
「冷蔵庫開けていいかな?チョコはどうしようか、刻んで溶かすの?」
「フォンデュ風やね。それもいいんだけど、今回は……乗せます!」
「乗せる……ですの?」
「乗せて焼きます!」
「乗せて焼くんですの!?」
どやと胸を張る麗日さんに慄いてる八百万さん。
どうやらチョコをトッピングする発想に得体の知れない恐怖を感じているらしい。
チョコお餅、普通に美味しそうな響きだけどなぁ。
キッチンスペースで他のトッピングの準備をする蛙吹さん。
その隣に冷蔵庫から取り出したきな粉を置いたところで、蛙吹さんから声が掛かる。
「綾目ちゃん」
「ん?」
「私、思ったことはなんでも言っちゃうの」
手を止めた蛙吹さんのつぶらな瞳がこちらをじっと見詰めている。
わざわざ前置きをするほど、物申したいということだろうか。
私、蛙吹さんに何かしたかな……
何もしてない、というか接点もそんなに無かった気がするんだけど。
「あなたと初めてお話したのは体育祭のときだったわね。あの時少し……怖かったの」
「怖かった……?」
「ええ、今と同じくらい何気ない会話だったけれど、綾目ちゃんの雰囲気がなんだか怖くて、ちょっぴり逃げ腰だったわ」
殆ど記憶にないけれど、そんな風に思われてたのか……
確かにあの頃はなんというか勝利に貪欲だったから、ちょっとピリピリしていたのかもしれない。
A組の人たちのことも、体育祭で勝ち上がるための情報源として見てたし、学校以外で誰かに会うこともなかった。
「でもね、今のあなたは丸くなったわ。自分の居場所を再確認したみたいに」
その言葉は的を得ている。
見失っていた目標を設定し直して、自分の立場や実力も嫌という程実感して、まだまだだってちょっと嘆いて、それから。
……今は、A組のみんなに早く追い付こうと思ってる。
「だから、今なら改めて言えると思うの。私のことは梅雨ちゃんと呼んで。あなたとお友達になりたいわ」
「うん……分かった、梅雨ちゃん!」
力強く頷くと、梅雨ちゃんはにこりと笑った。
「ありがとう、嬉しいわゆめちゃん」
間もなく準備が出来て、皆でチョコお餅を食べた。
うん、美味しい。
2017.08.27