実技試験
前期も終盤に近付いた日、期末試験の結果が帰ってきた。
順位はなんとか上位をキープ。筆記試験は問題なさそうだ。
ホッと一息ついたちょうどその時、担任に呼び出されて、今から実技試験を行うから準備しろと言われた。
前々から打診していた編入への実力を測るための場。
話がどうなっていたか不安だったけど、なんとか機会を得たらしい。
体操服を準備して、指定された場所に向かった。
そして現在。
大きなコンクリート製の建物の中。
私の目の前に、相澤先生。
相変わらず真っ黒な格好で、なんとなく目が怖い。
実技ともなればヒーロー科の先生が出てくることは想定できたはずだけど、やっぱり少し苦手だった。
「綾目、職場体験の事だが」
「は、はい」
職場体験……ヒーロー殺しのことだろうか?
公表されなかったとはいえ、学校には話が行ってるだろう。
まさか内申に響くの?ヒーロー科編入は不可能……?
青ざめる私に、めんどくさそうに言葉を続ける相澤先生。
「そう構えるな。お前の個性についてはこっちにも話が来てる」
「個性、ですか?」
「ああ……お前の個性、体育祭の時から進化したらしいな」
「……はい」
私の個性、アイジャック。
通常の場合では、対象に触れた後2分間だけその視界をジャックする。
でも、今回の職場体験を通して、新しい使用方法を見つけた。
相手に同意を取った状態なら、継続時間は一気に伸びる。
そして、相手の脳に情報を送り込むことで視界も邪魔しない。
名付けるなら、『アイジャック・遠隔通信モード』。そのままである。
「でも、この技は味方との連携を想定したものです。実技試験はどう……?」
「その技については一通り聞いてる。確かに味方同士なら便利になったが、対ヴィランを想定するとお前の個性はまだ弱い。そこで――」
「わーたーしーがー……」
「!?」
辺りに響く快活な声。
ハッと見上げると、頭上高く吊り上げられた金網のてっぺんに、天井に付けられたライトの光を受ける影が一つ。
「上から来た!!」
お決まりの台詞と共に飛び降り、見事な回転を付けて地上に降り立ったのは。
「お……オールマイト!!」
赤と青のビビットカラーに、白や黄色のラインが施されたピッチリスーツ。
立ち上がった二本の髪。
白い歯輝く影の濃い笑顔。
不動のNo.1ヒーローが、目の前にいた。
体育祭とか、廊下で遠目に見たことはあったけど、こんなに間近で見たのは初めてだ。
数いるヒーローの中で一番ファンなのはエンデヴァーさんだけど、オールマイトだってもちろん尊敬している。
彼がいるからこそ、今の日本の犯罪率が抑えられている。
その笑顔で、どれだけの人が安心できただろう。
それにしても作画が違う。すごい。
「すごい、本物……!!どうしてオールマイト……先生がここに!?」
「ん〜〜この初々しい反応!慣れきったヒーロー科の生徒達からは受けなくなって久しい感覚……」
「……」
何やら感動しているオールマイト先生を、冷ややかな目で睨む相澤先生。
ゴホンと咳払いして改める。
「実技試験は、私が相手をしよう!」
「え……うえええ?!!」
オールマイト相手に何をしろと!?
いや、さっきから気になっていることはあった。
先生の後ろにある設備。
オールマイト先生が飛び降りたのは、天井に吊られた金網だった。
それはコップを逆さに置いたような形をしていて、その下方に位置する床にはリングが設置されている。
そう、リングだ。格闘技で使うようなアレだ。
吊るされた金網が降りてくれば、四方と天井を取り囲まれた閉鎖的なフィールドが完成する。
つまり、金網デスマッチ。
「…………………………死ぬのでは?」
自分でもびっくりするくらい単調な声だった。
死を目前にすると冷静になるんだな。
「ノンノン、話は最後まで聞くものだぜ。試験の内容は『鬼ごっこ』だ」
外国人っぽく指を振るオールマイト先生が私の言葉を否定する。
「おにごっこ?」
「そう!つまり、私をヴィランだと想定して、このフェンスの中を逃げ回る私に一度でも君の個性を発動させればクリアだ。制限時間は10分!」
10分間の鬼ごっこ?
フィールドはこの狭い檻の中。更に先生には自分の体重の半分とかいう重りも付けられて、動きが制限される。
個性を発動……つまり追い掛けて接触することが勝利条件?
それで実技が推し量るのか?単純な体力テストと変わらないような……
訝しむ私に相澤先生が言葉を投げかける。
「こいつは編入のための実技試験、普通科の評価には関係ないから棄権も可能だが……どうする」
「もちろん受けます!」
即答した。
意図がわからないけれど、やらない選択肢はない。要は合格すればいいんだから。
「OK、早速準備しよう!綾目少女、リングの上へ」
ぐいっと親指で示すオールマイト先生。
ドキドキする心臓を押さえつつ、リングに上がる。
***
吊られた金網がゆっくりと降りて、オールマイト先生と私のいるリングを閉じ込めた。
完全に退路を絶たれた状態だ。思ったより閉塞感を感じる。
この中で鬼ごっこ……逃げられる範囲は限られる。
けれど、前に立つオールマイト先生は、余裕たっぷりだ。
そりゃNo.1ヒーローがこの程度で焦るはずないけど、状況はこちらの方が有利じゃないのかな?
先生がまずどう出るかは分からないけど、ヒーロー科の特性として、個性を重要視している以上、絶対に触れられない距離までガン逃げなんてことは……
開始のゴングが鳴った。
途端、オールマイト先生は高く跳躍する。
それはもう、風圧で体が傾くほど力強く。
「えっ……え?」
「さあさあ鬼さん、全力で追い掛けてきな!」
呆気に取られる私に、金網の天井にぶら下がったオールマイト先生が挑発的な言葉を吹っかける。
照明が眩しい中、不敵に笑うオールマイト先生。
「そ、そんな全力で!?」
「もちろん!こいつは実技試験だぜ?簡単に合格出来ると思ったら大間違いだ」
天井までひとっ飛びって相変わらず規格外……って見上げてる場合じゃない。
と、とにかく追いかけなきゃ。この金網を登るしかないよね……
「HAHAHA、遅い遅い!そんなんじゃ日が暮れちゃうぞ」
ガッシガッシと懸命に登る私を爽やかに笑い飛ばし、オールマイト先生はスイスイと金網を移動する。
むむむ、このまま登って天井に辿り着いても先生はあっさり手を離して下に逃げるだろう。
かといって私が真似するにはこの金網の天井は高すぎる。
天井近くに来たときには、飛び降りれる高さじゃ無くなっているだろう。
登るのも時間がかかる上、わざわざ降りるのもタイムロスだ。
そもそもこの試験内容は変だ。
実技試験というのに、私の個性を使う機会が殆どない。
個性発動させたら試験終了なんて条件が実技試験でアリなんだろうか。
……いや、先生方はそこを見たがっている?
私の個性が発動されるところを。
つまり……
「ボーッとしてる場合か?」
「!」
いつの間にかオールマイト先生がすぐ近くに!?
慌てて腕を伸ばしたけれど、あっさりと避けられてしまった。
そのまま金網から離れた私はリングに着地する。
オールマイト先生は蜘蛛みたいに金網に張り付いたまま、ひょいひょい飛んでいる。
つまり、先程の不意打ちを除いて距離は充分に取られている。
これだけ力量の差を見せつけられたら、個性無しで追いつけないのは明白だ。
重りとか鬼ごっことか、なんとなく追いつけそうな要素は全部ひっかけじゃないのか?
先生が期待してることはなんだ?
このステージも、この形式も、そのために用意されたもの。
どうする?どうすればいい?
考えろ。必要なものは何か。
この試験の合格基準は――
「!」
こういう、ことだ!!
***
「……合格だ」
地面へ着地したオールマイト先生を見て、相澤先生が告げた。
「綾目の個性をヴィランに使うにはネックになることがある。初期動作として相手への接触が必要……逆に言えば、そこを超えれば通用する。先の職場体験でやって見せたように、お前の個性は進化の可能性が高い。今回の試験は、その可能性を探るものだったというわけだ」
「ナイスファイトだ、綾目少女!」
影の濃い笑みでサムズアップするオールマイト先生。
嬉しさ余って勢いよく礼をする。
「ありがとうございます!あの、合格ってことは……」
「この試験に関しては、だ。編入はまだだぞ」
期待した目を相澤先生に向けたけど、あっさり返されてしまった。しょんぼり。
「だが、今回の試験で個性の成長が認められた……つまり、これから個性の強化に専念してもらう。夏季休暇だからと休んでられんぞ」
「個性の強化、ですか?」
「ああ。個性を伸ばす、そのためにも……ヒーロー科の林間合宿に特別に参加してもらう」
林間合宿……!
お茶子ちゃんから話は聞いてたけど、そこに私も参加できるんだ。
普通科よりもヒーロー志望として意識の高いヒーロー科の生徒達と過ごす一週間、得るものも大きい気がする。
「人数の関係上、お前はA組と行動を共にしてもらう。詳しくはこいつを読んでおけ」
相澤先生からしおりが手渡されて、期待に胸が膨らんだ。
お茶子ちゃんは楽しそうなイベントだと話してたけど、そこはヒーロー科、多分相当大変な特訓になるだろう。
エンデヴァーさんにはまだまだって言われたけど、対ヴィラン用の幻覚もどうにかなるかもしれない。
発動時間とかも特訓で伸ばせるかな?
今から楽しみだなぁ!
「では解散といこう。林間合宿、がんばりたまえ!ちなみに私はお留守番さ」
オールマイト先生が笑いながらもどことなくしょんぼりしているような気がする。
去ろうとする大きな背中を呼び止めた。
「あっ、オールマイト先生!」
「おや、何かな?」
「少しお訊ねしたいことが……あの、オールマイト先生は私の母をご存知ですか?」
エンデヴァーさんも知っているといっていた、お母さんのことを。
お母さんの仕事がどういうものか、知識として知っている。
職業柄、ヒーローと会う機会が多いらしいので、オールマイト先生ももしかしたら、と思った。
オールマイト先生は顎に手を当てて少し考えて、思い当たったように口を開いた。
「君のお母様……綾目さんだね、存じているよ。仕事柄、何度かお会いしたことがある」
「やっぱり……あの、先生の知っている母を教えていただけませんか?母が元気だったのは、私が小さな時だから、母の記憶は曖昧で……」
「そうか。君は……」
オールマイト先生が一度口を噤んだ。
私の境遇を知っているからだろう。
「立派な人だった。我々ヒーローがヴィランや災害から人を救うのが仕事なら、彼女はその後のメンタルケアを行う……とても大事な仕事をされていたね」
世の中には、ヒーロー以外の職業も沢山ある。
雄英普通科を卒業した人が多く選ぶ警察官もその一つ。
そして、ヒーローが救った人の身体や精神の治療を行う医療従事者も大事な職業だ。
お母さんは、セラピストだった。
ヒーローに命を救われても、心を傷付けられてしまった患者さんに向き合って、ゆっくりとその傷を癒す人。
その個性を使って、患者が求めるものを連想し、想像し、夢を見せていた。
「私……私は母に憧れて、あんな風になりたいと思いました」
私の目標の人だけれど、記憶は曖昧で。
ヒーローのことを探っている今、少しでも目標をはっきりとさせたくて。
お母さんがどんな人だったのか、知りたいと思った。
「なるほど、君はお母様を目指しているんだね。目標を掲げるのはとても大事なことだ。けれど、お母様そのものになる必要はないと思うぞ。君には君の"らしさ"ってやつがあるからね」
ポンと肩に手を置かれた。
大きな手の平は暖かく、力強く、そして優しい。
「今は不安に思うことも沢山あるかもしれない。けれど君の一生懸命な姿勢は、きっと周りの人達も見てくれているだろう。皆が力になってくれるさ」
「そう、ですね……」
職場体験で思った。
今の私がいるのは、独りよがりの私を救ってくれた人がいたから。
その皆に追い付きたいと思ったから。
隣で一緒に走ってくれる人がいたから。
「お話してくださってありがとうございます、先生」
「いいってことよ。これでも教師の端くれだからね!」
眩しい笑顔で去っていくオールマイト先生を見送った。
私らしさ、か。
その言葉はまだ難しい。
目標も定まり切っていないまま、それでも皆と走りたいと必死に食いついてる状態では、"私らしさ"は分からない。
それでも見えてくるだろうか。
なりたいヒーローを見つけたときには、私らしくあれるだろうか。
***
前期最後の休日、おばあちゃんから電話が掛かってきた。
なんとなく察しがついていたけれど、送った手紙に対するもの。
結構真摯に書いたのに、電話に出るや否や爆笑されたので、やっぱり書かなくてよかったと意固地になりかけた。
けど、応援すると言ってくれた。
いい仲間に恵まれたねと。
あんたはあんたのやりたいようにやってみなさいと。
母親に憧れたところと、自分の思うヒーロー像を上手く調和させてみろと言ってくれた。
「うん……ここで頑張ってみるよ。ありがとう、おばあちゃん」
その言葉にほっとした。
これからも心配かけるけど、よろしくね。
私の思うヒーロー像。
今はまだ分からないけど、見つけてみせるよ。
前期が終わる。
***
何気なく過ぎていく日常。
しかし、ヒーロー殺しの言葉は、病魔のように世間を蝕んでいた。
そしてそれはゆめも例外ではなく。
彼女はまだ気付いていない。その身を侵す病魔に。自身に降りかかる災難に。
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後書き。
林間合宿に参加する口実ゲットだぜ。