入学
下宿から学校までの距離は近い。
玄関を出て大通りを道なりに歩けば、すぐに立派な校門が見えてくる。
雄英高校の性質上セキュリティもばっちりなハイテク門を潜り、敷地内に入った。
見上げれば、すぐそこに校舎が見える。
行きかう生徒たちはみんなこの高校に進学できた喜びや誇り、将来への期待を背負って校舎へ向かっている。
そうだ。私も、この高校に合格して、今日の良き日に雄英高校一年生となったんだ。
胸の奥がじんわりと暖かくなるような、期待と不安が込み上げてくる――
「ヤバいよー!入学初日にぎりぎりはヤバ……ひゃっ!」
「わっ!?」
校舎を見上げて立ち止まっていたからか、後ろから走ってきた生徒が激突した。
全く予期してない出来事で、軽く吹っ飛ぶ勢いでよろけた私はあえなく地面に熱い接吻……
とはいかなかった。
「浮いてる……?」
地面に倒れる前に、体が浮いてる。
これは、個性だろうか?ぶつかってきた人の。
「ごめんね!遅刻しそうで急いでた!」
地に足が着いたのを確認すると、浮遊感が消える。
振り向けば、新品の制服を着た女子生徒。
ふわっとした栗毛色の髪と、申し訳なさそうに笑う表情が愛らしい。
なんだか心がうららかになる。
「ううん、大丈夫。さっきのあなたの個性?」
「そう!私のせいとはいえ怪我がなくてよかったーってあ!ヤバイもうこんな時間……」
うららかな女子生徒は腕につけた時計を見て慌てだす。
なんだかさっきから様子がおかしい。
ちなみに私のスマホ画面を確認すると、予鈴まであと5分。
まだ余裕のある時間だ。
周りの生徒もそれぞれの歩調で黙々と校舎へ向かっている。
「あの、時計ずれてないかな」
スマホの画面を見せながらたずねると、女子生徒は丸い目をぱちぱちしながら腕時計とスマホを見比べている。
「……ホントや!!慌てて損しちゃったぁ……ありがとう!」
力の抜けた顔をしたと思ったら、直ぐに明るい笑顔に変わる。
表情がころころ変わるチャーミングな女の子だ。
「あなたも新入生?」
「うん!私麗日お茶子!今日からA組だよ」
「私は綾目ゆめ、D組だよ」
クラスが違うことを知ると、ちょっと残念そうにそっかと零すうららか少女。
A組ということは、ヒーロー科か。
すごいな、あの試験に合格したんだ。
「っていうか綾目さんの壁紙!エンデヴァーだね!」
「えっ、あ、うん……ファンでして……」
何気なく見せた画面に食いつかれるとは、さすがはヒーロー科、なのかな。
元気良くいいよね!と肯定してくれる麗日さんにちょっと照れながら、取りとめもない話をする。
ヒーロー科のこと、担任のこと、これからの授業、噂の新任にあのヒーローが来たらしいこと……
雄英高校……待ち受けのエンデヴァー始め、数々のヒーローを排出してきた超エリート校。
トップヒーローを目指すなら誰もが目指す高校だ。
――ただしそれはヒーロー科の話。
広大な敷地に堂々と建つ校舎は、その見た目通りに中も広い。
下駄箱で麗日さんと別れ、A組、B組の教室を横切って、D組の教室の扉を開ける。
中にはすでに生徒がいて、会話したり、1人で椅子に座っていたり思い思いに過ごしていた。
1年D組、普通科。
それが私の所属するクラスだ。
席について周りの生徒を眺める。
みんなどことなく平凡な、派手な個性の少ない姿だ。
"雄英入るの憧れてたんだ"
"普通科もプロヒーローに見てもらえるし"
聞こえてくるのはそんな会話。
みんな雄英生になれたって浮足立っているただの高校生だ。
雄英は注目度の高い高校だけど、それはあくまでヒーロー科の話。
オールマイト、エンデヴァー、様々なトップヒーローを排出した高校と謳われているけれど、普通科からヒーローデビューした例はほぼない。
ヒーローは、だけど。
普通科といえど侮るなかれ、教える教師は超一流のプロヒーロー達、将来のキャリアは約束されたも同然だ。
普通科の生徒の多くは有名大学に進学したり、警察などの公務員、一般企業に就職している。
ただ、やっぱりどうしてもヒーロー科のオマケとして見られがちだ。
同じ雄英高校生といってもメディアが注目するのはもっぱらヒーロー科。
そして教師もヒーローなので、ヒーロー志望者の方がアドバイスしやすい。
そのことを考えてやさぐれる人、なんでもいいからとにかく雄英高校に入ったという事実が欲しい人、様々な生徒達がなんとなく心にもやを抱えながら、それでも今日からの3年間に思いを馳せている。
チャイムと共に前の扉から教師が入ってきた。
簡単な自己紹介にざわつく生徒たち。
プロヒーローが担任となるのだから、テンションも上がる。
本日の流れとして、入学式と明日からの学校生活に関するガイダンスを行うという説明の後、廊下に並ぶよう促される。
独特な校風の雄英高校とはいえ入学式は普通にあるらしい。
……と思っていたけど、入学式のホールに来てみればヒーロー科がA組B組どちらも参加してなかった。
どういうことだろう?
校長先生のながーい話を右耳から左耳へと受け流した後、教室に戻るとガイダンスが始まる。
事前に配られていた入学後の資料と内容はほぼ同じ。
成績優秀者は、本人が望むならヒーロー科への編入も可能……この説明を受けた時、教室内でざわついたのは一部だけで、他の生徒は苦笑い。
――よし。
動くなら一人で迅速にだ。
「先生!」
ガイダンス後、教室から出た担任を追いかけて呼び止める。
「あの、今日の入学式、ヒーロー科のクラスはどちらも出席していませんでしたね?」
担任が言うには、A組は個性把握テストといって個性ありきの体力テストを実施していたらしい。B組も同様にヒーロー科用の特別メニューを実施していたとか。
入学前から思っていたけど、やっぱり"差"が大きい。
普通科とヒーロー科、授業の内容も生徒の意思も大きく異なり、このままだとどんどん離されるだろう。
"ヒーロー志望"の身としては。
普通科からもヒーローに就職出来ないなんてことはない。
けれど雄英においてヒーロー志望ならばまずヒーロー科に入学する。
ヒーロー科特有の実践経験を多く取り入れたカリキュラム。
卒業後即戦力、トップヒーローを目指すならそこは免れない。
ただヒーローを目指すだけなら、他の高校のヒーロー科という手もあるだろう。
でも、ただのヒーローじゃだめだ。
ナンバーワンにならなくちゃ。
だから私は、この高校に入った。
ヒーロー科の入学試験は受けたけれど個性との相性は最悪。
自分でもヒーロー向きの個性ではないと自覚しているけれど、どうしても諦めるわけにはいかない。
ぐっと拳を握りしめて、自分の目標を再認識する。
私は、ヒーローに、なりたい。
「先生……先ほどのお話で、成績優秀者はヒーロー科へ編入できるとおっしゃってましたよね」
私の言葉に驚いたような反応をする担任。
入学早々編入希望なんて、びっくりしないほうが少ないだろう。
「私、ヒーローになりたいんです」
どうしても、絶対に。
担任の目をぐっと見つめて訴える。
担任は、私の目をじっと見つめ直して、何かを決めたように頷いた。
それから教えてもらったのは、編入可とする判断方法について。
必要なのは学力と実技。
学力は定期テストで、実技は別途テストを行うか、あるいは形になる成果を上げることで一定の判断基準を得られる。
学力はもちろんトップを目指すとして、実技の方はアピールできるチャンスが少ない。
直近で実力をアピールする舞台は、5月初めの体育祭。
それまでに、どうやって、どこまで調整できるかが勝負どころだ。
……よし、当面の目標は決まった。
体育祭で成績を残して、ヒーロー科に編入する。
そのために今から準備する。
あらゆる手を尽くして、万全を期して臨めるように。
先生にお礼を言って教室に戻ると、生徒はまだ残っていた。
初日ということもあってお互い自己紹介して友達作りに勤しんでいる。
「あ、綾目さんだったよね。どうしたの急いで出て行って?」
自分の席に戻ると、前の席の女子生徒が声をかけてきた。
「ちょっと先生に聞きたいことがあって」
「ふーん……ねえねえ、綾目さんの個性ってどんなの?」
出た、個性の質問。
初対面同士の会話では平凡な話題の一つだ。
今も教室内でちょっとだけ個性を披露して注目を集めてる生徒がいたりするし、ほとんどの人が会話を広げるきっかけにできる。
でも……
「えっと、どんなのだと思う?」
「えー教えてよぉ。あっ私はこんな個性なんだけど」
女子生徒……山田さんが人差し指を腹を上にして突き出すと、指先から噴水のように水が吹き上がった。
「面白い個性だね。私のとは全然違う」
「んー、秘密なの?ヒントちょうだい!ヒント」
「えぇ……そうだね」
上半身を捻ってこちらを向いている山田さん。
笑顔の素敵な女子生徒だ。
その視線はやや下を向いていて、目が合う気配はない。
それをじっと見つめて口を開く。
「今、面倒って思ってるでしょ」
「え?」
「初対面同士の話題として個性を取り上げるのは常套手段。なのにそれを拒否する人物に声をかけてしまった……面倒な子だな、別の子のところに行けばよかった、でも今更席を立つのも変だし」
「な、なに言ってるの?そんなこと――」
「思ってることそのまま、人のこと勝手に言い当てて気味悪い、かな?」
「っ、綾目さん」
たまらず立ち上がった山田さん。
椅子が派手な音を立てて転がり、静まった教室の中で視線が集まる。
「ヒントのつもりだったんだけど、気を悪くしてごめんね」
にこりと笑うと山田さんはつられてひきつった笑みを浮かべた。
腕を組んで、いいよとか細く返す山田さんは、完全に私を避けようとしている。
「それ、綾目さんの個性……?」
「どうだろうね?ああ、無理しなくていいよ」
それでもなんとか会話を試みていた山田さんだが、私の言葉に完全に逃げてしまった。
慌てて荷物を掴んで教室を去った山田さんの背を見送っていた周りの生徒たちが、今度は私に視線を投げかけてくる。
興味、疑問、懐疑。
そういったものが渦巻いているのを感じる。
"相手の心を読む"。
それが私の技術だ。
会話をしっかり聞いていた近くの男子生徒がじっと見てくるので、意味深に微笑み返すと慌てて離れていく。
それにつられて周りの人が距離を取る。
――これでいい。
友達ができないのはちょっとしんどいけど、これも将来のため。
今のでクラスメイトには私の個性が"心を読む"と認知されたことだろう。
そんな個性を聞けば、乱用できない法の下とはいえ、普通の人は距離を置きたがる。
そうすればこれ以上詮索されることはないだろう。
つまり、私の"個性"の真骨頂が知られることはほぼなくなった。
白けてしまった空気に申し訳なさを感じながらも、気にしないふりで教室を出る。
後の布石……体力作りはもちろんのこと、体育祭に関する事前情報がほしい。
今一番のネックは、ヒーロー科の生徒達の個性が把握できないこと。
なにせあの試験を合格した人たちだ。
個性も並々ならないものばかりに違いない。
試験会場で相当目立ってた人もいたけど、あの場で誰が受かったか分からない。
なんとか探りを入れられないかな。
できることはなんでもしなくちゃ。
「ヒーローになるために」