林間合宿・一日目(オマケ)
結局、A組生徒とゆめ達が魔獣の森を抜けたのは夕方のことだった。
疲れ切った体で晩御飯をかき込み、日も暮れた頃に入浴時間がやってきた。
風呂である。
温泉である。
露天風呂である。
湯気の揺蕩うしっとりとした夜の空気。
A組男子が入浴する大浴場で、ことは起きようとしていた。
「求められてるのはこの壁の向こうなんスよ……」
「一人で何言ってんの峰田くん……」
この時のためにあらゆる手を尽くしてきた峰田が、風呂の壁にめり込む勢いで張り付いている。
隣の浴場……A組女子達が入っているであろう場から、女子達の声が漏れ聞こえる。
「気持ちいいねえ」
「温泉あるなんてサイコーだわ」
湯船に絆された気の抜けた声は、警戒心の薄れた裸体の女子がそこにいることを容易に想像させた。
「ホラ……いるんスよ……今日日男女の入浴時間ズラさないなんて。事故……そう、もうこれは事故なんスよ……」
「……!!」
峰田の言葉で、その状況に気付いた男子達の間に緊張が走った。
決して薄くはないこの壁の向こうに、生まれたままの姿の女子がいる――
女子達の会話から少しでも何かを得られないかと耳をそばだてる者、いやそんなことはヒーロー志望としてどうなんだと思いつつも悪魔のささやきに抗いきれない者、そもそも興味の無い者……それぞれが風呂場の張り詰めた空気に身を置いていた。
そこへ、壁の向こうから聞き慣れない女子の声がする。
「わあ、結構広いね」
今日から行動を共にしているD組女子、ゆめのものだ。
峰田が魔獣の森での訓練の間舐めまわすように見ていた肉体は、思春期女子らしくそれなりに発育していたと記憶している。
「えっ……ゆめちゃん、すごっ」
そこへ、麗日のハッとしたような声が耳に届いた。
「すごいね、これ本物?」
続いて耳郎も感心したように声を上げる。
――なんだ、何が起きている?
峰田の脳内で疑問が生じた。
服の上から見た限りでは、ゆめの発育具合はそれなりだと判断したはずだ。
しかしこの反応とは、目算を誤ったのだろうか。
峰田の中の格付けでは、麗日はそこそこ、耳郎はそれほどでもないなので、その二人が驚く程度ではまだその判断が間違いだったとは言えない。
「まあ……同じ年頃の女性でこのように立派なものは、初めて目にしますわ」
だが、八百万の声で疑念が増大した。
あれだけの凶悪なものを持った八百万でさえ、それほどに言わしめるとは。
まさか、着やせするタイプなのか。
「そ、そうかな」
「ねえねえ、ちょっと触ってみていい?」
「え……うひゃ、くすぐったい!葉隠さん!?」
「あー、私も!」
高い仕切りの向こうから飛んでくる黄色い声と水しぶきの音。
葉隠と芦戸がゆめに抱き着く妄想が峰田の脳内で展開される。
めくりめく百合の花が咲き乱れている。
これはもう、行くしかない。
眼前に壁があるというのなら、それを超えて行くしかあるまい。
「峰田くんやめたまえ!君のしている事は己も女性陣も貶める恥ずべき行為だ!」
「やかましいんスよ……」
飯田の至極まっとうな言葉も、悟りの境地に至ったかのごとき表情で一言に蹴散らした。
「壁とは超える為にある!!"Plus Ultra"!!!」
「速っ!!校訓を穢すんじゃないよ!!」
頭のもぎもぎをもぎっては壁に貼り付け、虫のごとく上り詰める峰田。
その顔は欲望に塗れ、頂点を貪欲に目指していた。
あと少し、もう少しで壁の向こうへ――
だが、壁の間から現れた洸汰によって、その野望は潰える。
***
落下した洸汰を咄嗟にかばった緑谷と、峰田を引っ張って出て行った飯田がいなくなり、男風呂は元の空気を取り戻す。
峰田に流されてあちら側に行ってしまうところだったと湯船に身を沈めるものや、早々に上がる者がいる中、上鳴もそろそろ上がろうかと腰を上げたところで、女風呂の会話が耳に届いてしまった。
「全く峰田のやつ!」
「なんというか……すごいんだね峰田くん」
「ゆめちゃんも気を付けてね」
「うん……」
「ところで綾目、さっきの続きなんだけど……ウチも触っていい?」
「えっ!い、いいけど……」
「ね、ちょっと力んでみてよ」
「ええ……こう?フッ!」
「割れてる!すっごー!」
「かたっ!綾目さんムキムキじゃん!!」
「ムキムキではなっ……ダメ、くすぐったい!」
どうやら、先ほどの会話は腹筋に関することだったらしい。
割れるほどの腹筋とは、いったいどれほどのものなのか。
ふと、上鳴は男風呂を見回す。
ヒーロー科だけあって、たいていの男子は屈強な肉体をしていた。
見た目からして体格のいい面々はもちろん、爆豪や尾白もしっかりとした筋肉がついている。
この場にはいない緑谷も、地味な割に以外とがっしりしていた。
強力な個性に目が行きがちな轟も、均整のとれた細マッチョだ。顔が良いので余計に腹が立つ。
そっと自分の腹筋を見下ろす。
決してなくはない、むしろモデルのように細く引き締まって良いバランスだと思える。
が。
ヒーロー科として、男子として。
ゆめの腹筋が、もしも上鳴よりも硬く引き締まっているのだとしたら。
男のプライドに関わる。
そっと目を閉じて、トレーニングを増やす決意をする上鳴であった。
***
「やっほー、遊びに来たよ男子達!」
「おーよく来たな女子。まあ入れよ」
芦戸さんが扉を開けると、瀬呂くんが出迎えた。
食事の場で男子部屋が大部屋だという話題になって、後で見に行く話になってたとか。
A組女子に交じって私もやってきたわけだけど……ヒーロー科の実践訓練が初めてだったのもあってか、今とても眠い。
「うわー広いね!いいなあいいなあ」
両腕をぶんぶん振り回しているらしい葉隠さんの前で、芦戸さんもきょろきょろしてる。
「トランプ持ってきたしなんかしよーよ!」
「君達、先に眠っている人もいる。あまり騒がしくしないように!!」
ワクワクしている女子に向かって飯田くんの注意が飛んだ。
飯田くんのその声が一番大きい気がする。
寝てる人もいるんだ。私も結構眠い。
「私も先に戻るね……」
「えー、綾目さんも一緒に遊ぼー!早く仲良くなりたいし」
不服そうに頬を膨らませる芦戸さんは、昼間のヘロヘロ具合が嘘みたいに元気だ。
「俺も遊びがてら色々聞きてえ。綾目って最初から編入志望だったんだろ?ヒーロー科の入試受けたのか?」
「D組って女子多いのか?」
男子達もわらわらと質問を投げかけてくる。
「うう、答えるから一人ずつお願い」
なし崩し的に大部屋に入ることになってしまった。
人数が多いのでトランプはやりたい人だけすることになった。
私は眠いので観戦しておく。
壁に寄りかかって足を抱えて座った。
両脇に座った轟くんと八百万さんもそれぞれ観戦している。
目蓋を擦る私を気遣って、八百万さんが声を掛ける。
「初めての訓練でお疲れでしょう。眠りたくなったらいつでも言ってくださいね」
「うん、ありがとう。昼間の武器もありがとうね」
「いいえ、あの場は誰もが協力すべき時でしたから当然のことですわ」
昼の出来事を思い出して、金属バットをスイングする感覚が蘇る。
ヤンキー……ではないけど。もしかして、八百万さんや轟くんにもヤンキーみたいに見えてたのかなぁ。
ちょっと恥ずかしいなと思い返す私の隣で、轟くんもまた昼間の訓練を思い出して口を開く。
「おまえの個性も助かった」
「お役に立てて何よりです」
元々轟くんに協力してもらって編み出せたようなものだし、そう言われると嬉しい。
「そうでしたわ。綾目さんの個性、体育祭の時とは印象が……」
他愛もない会話を繰り広げようとしたところで、芦戸さんがトランプを掲げた。
開始の宣言がされると、部屋の空気の流れもそちらに引き込まれる。
「七並べしよ。ジョーカーはなしね!ちゃっちゃと配るよー」
「7持ってる人ー」
「んじゃ上鳴から時計周りね」
「それじゃ手始めに8から」
トランプメンバーを中心に起こった賑やかな空気が、やがて夜の穏やかな空気に混ざり合い、部屋全体に広がる。
ふと、部屋を見回した。
A組にも色んな人がいるけれど、それぞれのスタイルでリラックスしているのが見える。
トランプで騒ぐ人達、おしゃべりに花を咲かせる人達、窓際で瞑想する人、これほど騒がしくても爆睡している人……
みんながワイワイしてるのを見るのは楽しい。なんだか実家のちび達を思い出す。
「ねー綾目さん、さっきの質問私も気になる。ヒーロー科の入試受けたの?」
トランプで遊びながらこちらに質問を投げかけてくる葉隠さん。
「入試は受けたけど落ちちゃった。滑り止めで普通科も受けてて……心操くんと似たような経緯かな」
「心操……C組の!」
「あいつどうしてるんだろうな……」
「つか、今日の森で思ったんだけどよ、体育祭のときの綾目の個性ってあんなんだったか?」
手札から一枚のカードを畳の上に置きながら、切島くんが尋ねる。
「個性は色々ありまして……ちょっと使い方を変えてみたんだ」
「へえー、綾目さんの個性ってなんだか難しそうだけど、まだ色々使い方はあるの?」
「んん……そこは模索中」
室内が暖かいからか、喋りながら眠気が押し寄せてきた。
膝の上で組んだ腕に顔を乗せる。
「ねえクローバーの4持ってる人誰?パスしかできないよ」
「あー、俺もパス!」
「……おっしゃ、一番乗り!」
「あー!瀬呂じゃん!」
瀬呂くんが上がったらしい。
悔しそうにしてる面々を見ながら、だんだん目蓋が落ちてきた。
隣の轟くんが閉じかけた目を覗き込んでくる。
「綾目、寝るなら戻れよ」
「あまり無理はいけませんわ。明日も合宿は続くのですから」
八百万さんも心配そうに肩に手を置いてくれる。
それがなんだか心地よく感じた。
そう……ここは、居心地がいい。
雄英高校に入学してから一人になることが多かったけれど、久しぶりに沢山の人と一緒に長い時間を過ごしている。
にぎやかな空気に包まれて、体がほっこりする。自然と口元に笑みが浮かぶ。
だから、もう少しだけこの空気を楽しみたかった。
「もうちょっと……いたい」
「……そうか」
轟くんの一言。
存外優しい声色だった。
それにしても、なにか喋ってないと寝ちゃいそうだ。
そんな私を見てか、轟くんがふと口を開く。
「……おまえ、個性なしでも以外と動くんだな。個性頼りの立ち回りがメインかと思ってた」
それは、意外というか、感心したような口調だった。
ぼうっとしていた頭をなんとか回す。
さっきの話の続きかな。昼間の訓練での事を言ってるみたいだ。
確かに、体育祭では個性を中心に据えた戦闘だったし、職場体験も個性を重視して、支援型の技を覚えた。
それらを見ていた轟くんには、個性重視の戦法と思われても変じゃない。
そもそも幻覚を見せる個性と聞けば、肉体労働はあまりしないイメージかもしれない。
でも、元来の私は結構肉体派なのである。
「んー……おばあちゃんの教育方針がね、健全な精神は健全な肉体に宿る、みたいなやつで。格闘技とか叩き込まれてて……」
毎日ラジオ体操や外で遊ぶ時間を設けているので、私のみならず、家のちび達はみんな元気いっぱいだ。
「それに……個性が無くても動けるくらいじゃないと、ヒーローになれないから……」
ヒーローになるために。
そう思って、ずっとトレーニングを続けてる。
雄英に入ってから、ヒーローへの考えも色々変わったけれど、ヒーローになるって決めたときからそこは変わってない。
その言葉を聞いた轟くんが、小さく頷いた。
「……そうか」
その声にどんな感情が乗っていたのか、測ることは出来なかった。
ああ、ダメだ。そろそろ本当に寝そう――
「ゆめちゃんは毎日トレーニングを欠かさないものね」
そこに突然ひょこりと飛び出した梅雨ちゃんがコメントをはさむ。
その後ろから同じくひょこりと顔を覗かせたお茶子ちゃんも口を開いた。
「そうそう、ゆめちゃんの腹筋すごいんだよ!!」
「……ゲッホ!!」
腹筋て!
一気に目が覚めた。
浴場での話をここに持ち出すとは!!
「腹筋?」
「割れてんのか……?」
首をかしげてオウム返しした轟くんと、深刻そうな顔で問いただそうとする上鳴くん。
興味を持たないでほしい!
慌ててさっと立ち上がった。
「さ、さてね!?あー、そろそろ就寝時間だし、いい加減眠いから戻るね!また明日よろしく、おやすみ!」
そのまま早口で捲し立てて、勢いよく飛び出してしまった。
なんで私の腹筋事情を同じ年頃の男子に教えなくちゃいけないのか。
うう、恥ずかしい。
お茶子ちゃんめ、ちょっぴり許さないぞ!
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後書き。
オフロダイジ。
2017.09.23