林間合宿・二日目(前編)
林間合宿二日目、女子部屋。
一番に起きたのは八百万さんだった。
「皆さん、そろそろ起きなければ集合時間に間に合いませんわ」
綺麗に髪を結って、すっかり準備を整えていた八百万さんが、A組副委員長らしく他の女子と私を起こす。
「うぅ〜あと5分……」
「おはよ……ヤオモモ朝からしっかりしてんね」
眠い目を擦りながらゆっくり体を起こして、ここが合宿所で、A組のみんなといることを思い出した。
「んん……おはよう」
「おはよー」
布団のへこみからして、座り込んでいるらしい葉隠さんから返事が返ってきた。
……葉隠さん、眠るときは何も着ないんだ。
芦戸さんが中々起きないらしく、八百万さんに揺さぶられている。何故か部屋の隅っこで。
あそこまで寝相で転がっていったのかな。
漸く全員目を覚ましたところで、布団をたたんで身支度を整えて、ぽてぽてと集合場所に向かう。
「ふあ……く」
あくびを噛み殺しきれずに、目尻に涙が溜まった。
まだ朝日が昇って間もない時間だ。眠気が覚めきってない。
梅雨ちゃんの猫背が二割増しだし、お茶子ちゃんも寝癖が取れてない。
集合場所に到着しても、みんな眠そうにしていて、なんとなくゆるい空気が蔓延っている。
「お早う諸君」
生徒達を待っていた相澤先生は、早朝でも変わらない格好で佇んでいた。
「本日から本格的に強化合宿を始める。今合宿の目的は全員の強化及びそれによる"仮免"の取得。具体的になりつつある敵意に立ち向かうための準備だ。心して臨むように」
その言葉に身を引き締める生徒達。
空気が一瞬で授業中のものに塗り替わり、私の意識もはっきりした。
本格的に始まるヒーロー科の特訓……しかも学校外の環境。
私にとって貴重な経験だ。ドキドキしてきた。
手始めに現在の個性を測るため、爆豪くんが投げ飛ばしたボールの測定値は709メートル。
凄い数値だと思ったけど、入学直後から殆んど変わってないらしい。
愕然とする生徒達を連れて、相澤先生が向かった先は見晴らしのいい広場だった。
そこで待機していたプッシーキャッツの四人がフルバージョンの登場台詞を唱えてキメポーズを取り、それぞれの個性の解説が行われる。
"サーチ"の個性で生徒達の状態をいっぺんに把握して、それぞれに見合った訓練場を"土流"で形成、"テレパス"で複数への同時アドバイスを行い、殴る蹴るの暴行……最後だけおかしくないかな。
けど、少ない人数で多数の生徒達の面倒を見るのに適した個性の持ち主だ。
"サーチ"と"テレパス"、私の個性にも通ずるものがあるかもしれない。後でアドバイスをもらいに行こうかな。
ピクシーボブの個性で、広々とした空間があっという間にダイナミックな地形へ変貌し、それぞれの特訓が始まる……前に、私に手渡された携帯型テレビ。いまどき珍しい電池式で動くタイプ。
そして相澤先生からの指示。
「この場にいる全員とパスを繋いで、そこに映る映像をひたすら送れ」
脳で構築する工程を省いた、目から脳への送信。
熱暴走ギリギリまで耐えて、小まめに休憩を挟みつつもひたすら送り続けろと。
個性は使えば使うほど伸びる。筋トレと同じく沢山使うことで、限界突破を図るというわけだ。
今まであまりする機会のなかった、大人数で連続的な送信。
二十五人分繋がったパスの分厚さを感じながら、ゴクリと唾を飲み込んだ。
***
朝から昼へ、そして日が落ち、あっという間に二日目の特訓が終わった。
目がピリピリして、頭が熱でフラフラだ。
途中からB組の生徒も合流していたようだけど、皆がどんな訓練をしていたのか見る余裕もなく、ただそこら中から飛んでくる阿鼻叫喚を耳にしながら、パンクしそうな脳や目をフル回転させていた。
冷却シートを貼り替えながら周りの皆の様子を見回すと、全身泥だらけだったり頭から血が流れていたりで、中々ハードだったみたい。
お茶子ちゃんは青白い顔をしてるし、飯田くんの足から煙が上がっている。
緑谷くんの怪我は、特訓というか殴られた跡が目立つなあ。
温くなったシートを片付けていると、背中から視線を感じて振り返った。
こちらを見ていたのは轟くんだった。
ぱちりと視線がぶつかったのが気恥ずかしくて、笑ってごまかす。
「轟くん。お疲れ様」
「……ああ」
轟くんは一見怪我はないみたいだけど、少しぐったりしてる。
あと、服がしっとりしている。
話を聞くに、ドラム缶で湯に浸かりながら氷結の個性を発動し続ける特訓だったらしい。
熱湯の温度調節と、氷結を慣らす特訓。
個性がハイブリットだと、人の二倍大変そうだ。
話している間に、しっとりしていた服も炎の個性で乾かしていた。
大変そうだけど、便利そう。
「私の個性、ちゃんと送れてたかな?」
「そうだな。問題なかった」
「そっか」
軽く息を吐いた。
相澤先生やマンダレイさんから時々声を掛けられていたけど、轟くんにそう言ってもらえると安心する。
「さァ昨日言ったね、『世話焼くのは今日だけ』って!」
「己で食う飯くらい己でつくれ!カレー!!」
「イエッサ……」
みんなぐったりしているけど、今日から夕飯の支度は生徒自身が行う。
泥だらけの体操服から私服に着替えて、調理場に集まった。
「はれっゆめちゃんイメチェン!?」
「ん?ああ、これはね……」
目ざとくお茶子ちゃんに発見されたのは、この眼鏡のことだ。
度は入っていないけど、ただの伊達眼鏡でもない。
職場体験を経て、目から直接脳へ情報を送れるようになって、目の負荷が増えた。
目にも脳と同じようにキャパがあって、それを超えると一時的な失明にも至ると診断されたので、実践時以外は出来るだけ休めるよう特殊なレンズの眼鏡を作ってもらったのだ。
星の数ほどある個性に対して診断を下すお医者さんも大変だ。
「そっか、ゆめちゃんの個性強くなったもんね。初めて見たときビックリした!」
職場体験の後、緑谷くんと飯田くんも合わせて三人にお披露目したときを思い出す。
みんなそんな使い方があるのかと驚いて、特にお茶子ちゃんは誰よりもいいリアクションをくれたものだ。
「ありがとう。でもまだまだだからこの合宿で強化したいんだけど、結構ハードだったね……」
「だねー、カレー沢山食べて体力回復せんと!」
野菜を流しに運びながら、お茶子ちゃんと取り留めもない会話をする。
***
「眼鏡女子……かなり貴重だぞ」
「うちの眼鏡といえば飯田だけだもんな」
峰田と上鳴の会話を耳にして、轟は二人の視線の先にいるゆめを見た。
水洗いした野菜にてきぱきと包丁を入れている。
二人は、見慣れない生徒の見慣れない姿に視線を送っているようだ。
私服姿は見たことがあるが、その顔に付いた見慣れないものに気付く。
なんということもない眼鏡だが、いつから掛けていたのだろうか。
そんな疑問が浮かんだところで、ふと思った。
自分は、普段のゆめのことをあまり知らない。
体育祭や職場体験など、学校イベントの経験が色濃い記憶となって刻まれているが、実際のところゆめと共にいる時間はA組の生徒と比べてもずっと少なく、イベント以外で彼女と遭遇したことはほぼない。
麗日や緑谷達に誘われて食事を共にするようになったとはいえ、彼らを通じなければ殆んど連絡すら取り合っていないことになる。
綾目ゆめとは、どういう人間だろうか。
轟の中のゆめの印象といえば、まず轟の父親のファンだという点。
職場体験を通してその実力は認め、支持する人間がいると理解したとはいえ、轟にとって父親は相容れない存在だ。
今後の父親との関係をどうするかはさて置いても、将来エンデヴァーを許すことは絶対にないと言い切れる。
ゆめの場合、エンデヴァーの人間性というより派手な個性や活躍シーンが好きらしいので、また微妙な心境になる。
ゆめは、ヒーロー志望としてエンデヴァーの仕事ぶりを参考にすることはあっても、結局はファン目線に落ち着いてしまうらしい。
それ以外に印象に残っているのは、誰かを傷つけることを恐れ友を救いたいと思う優しさや、自分の将来に対して悩みながらも、日々邁進している姿。
目指すヒーロー像や個性の活用方法は轟ほど固まっていないようだが、悩むたびに何かしらの答えを見つけているところは、素直に感心できる。時折生真面目過ぎて煮詰まっていることもあるが。
あとは、体育祭で垣間見せた"野心顔"。
あれだけが、先に挙げた印象のどれとも異質だった。
しかし、体育祭以降同じ表情を見たこともないので、深く気にすることでもないのかもしれない。
総合的に、真面目で優しく、時折暴走しがちな印象だった。
だが、この合宿で、自分の知らないゆめの姿が沢山あることを知った。
個性を使わずとも立ち回れるほど磨き上げた体術。
麗日達と訓練を行うほどの行動力や熱意。
野菜の皮を剥く彼女の包丁さばき。
そして眼鏡。
知らない面が次々と見えてくると、知らなかったことの多さに気付く。
体育祭以降、他人に目を向けるようになった。
見ていなかったわけではない。それなりに評価をして、持ち得る能力や自分の個性との相性を測っていた。
けれど、他人の人柄に触れたのは、体育祭以降だ。
クラスメイト達の心情を知って、飯田の憎しみや、八百万の苦しみに気付いた。
そして、手助けをしようとした。
それは緑谷のお蔭でもあり、ゆめの影響もある。
お互いがんばろう、とゆめは言った。
真正面からぶつかってきた緑谷とはまた異なる、寄り添うような言葉。
走るレーンは異なれど、隣で駆け続けようと。
あの時まで憎しみしか見えていなかった轟に、隣を見ることを思い出させた言葉だった。
だからだろうか。あるいは、生まれ育ちの境遇がなんとなく似ていると感じるせいか。
共に過ごした時間は少ないが、会うたびに違う側面が見えるゆめに少なからず興味があった。
今は、その興味を好きにしたい。
***
水を入れるために鍋を運んでいる途中で、ゆめの側を通る。
その手元を見ると、大量のジャガイモに包丁が入れられ、ボウルの上に山積みになっていた。
今も手際よくカットしてみせたイモを、その山に追加している。
「料理慣れてんな」
「うん、今まで家族の分をおばあちゃんの手伝いでやってたから、こういう大人数で食べるようなのはよく作ってたよ」
だから一人で暮らし始めた頃はよく作りすぎちゃって、と苦笑するゆめ。
普段家の掃除などは手伝えど、料理はからっきしな轟にとって、その感覚は未知の領域だった。
元々家族で暮らしていた口ぶりだが、彼女の家庭は少なくとも母親が入院中だったはずだ。
以前聞いた話では、ゆめが"おばあちゃん"と呼ぶ人物や、"ちび達"と暮らしていたのは知っているが、それがどういう規模の集団なのか分からない。
「おまえんとこって……いや、悪ィ」
口を開いてから、うかつだったと閉じた。
以前ゆめが轟に、身内……エンデヴァーの話をしていいのか気にしていたのを思い出す。
轟自身、エンデヴァーの事は嫌いだ。ゆめが好きだというのは彼女の自由だが、家庭の話まで突っ込まれるのが好きではないのは確かだ。
ゆめの家庭も込み入った話があるなら、あまり問いただすものではないだろう。
だが、ゆめは存外あっけらかんとして言う。
「いやいや、気にしないで。えっと、うちは結構大家族なんだ。おばあちゃんが経営してる孤児院なんだけどね、そりゃあもう毎日ちび達が騒がしくって……私より年上の人たちはみんな自立して、私が年長者だったから、家のことも大体私がしてたんだ」
「……そか」
ゆめが孤児院での暮らしを懐かしむように目を細める。
その表情は優しいもので、彼女にとって苦になるような話ではなかったと安堵した。
「孤児院……もしかして綾目さんのおばあちゃんって、見守りヒーロー・レディテレサ?」
会話を拾った緑谷が、興奮気味に会話に加わる。
「わぁ、さすが緑谷くん、正解!」
「聞いたことねえな」
「それもそうだと思うよ。レディテレサといえば前世代のヒーローで、活動最盛期は今から40年前だし地方を中心に活躍してたから全体的に見ると知名度は高くない。子供を守るのに特化した母性派ヒーローとして有名だったけど現在の活動内容はあまり報道されていなくて、ヒーロー活動で得た資金で孤児院を運営しているって聞いてたから思い当たったけど、まさかレディテレサが"おばあちゃん"なんて呼ばれてるとは思わなかったよ。だって彼女の個性は……」
「緑谷くんストップストップ」
早口でつらつらと語る緑谷に、包丁を置いて手を突き出すゆめ。
「あ、ご、ゴメン……」
「君達、作業に集中したまえ!!」
そこへ飛んできた飯田の一声で、緑谷とゆめは慌てて作業に戻る。
轟もまた水道に向かい、手に持った鍋に水を入れようとしたところで、ふと頭に疑問が浮き出した。
ゆめは高校に入るまで孤児院暮らしだったと言った。
だが、母親と暮らしていたとも言っていたので、彼女が孤児院に入ったのは、母親の事件の後ということになる。
それまでは母親と共に暮らしていたのだろう。
では、彼女の父親はどうしたのだろうか。
母親が事件に巻き込まれたとき、父親はどうしていたのか。
母親のことは聞いたことがあるが、父親については何も知らない。
自身の父が"アレ"だけに、他人の父親というのは想像がつかない。
ただ、彼女がわざと話題を避けているのなら、聞き出さない方がいいだろう。
疑問を隅へ追いやって、轟は蛇口を捻る。
***
大量の野菜を切り終えたので、次は煮込む番だ。
大きな鍋に野菜を入れて、かまどを探して辺りを見回す。
炭をいじったり、火を付けたり、お皿を準備したり……皆それぞれに働いている。
爆豪くんが個性で火を付けようとしたのか、かまどごと爆破していた。
八百万さんは着火ライターを創造している。
轟くんは火付け役であっちこっちから呼ばれている。
賑やかな声と、日が落ちた後のしっとりとした空気が混ざって、心地よい風が生まれる。
良い空気だな。
風を感じて微笑んでいると、空いたかまどから声が掛かった。
「綾目さーん、こっちのかまど空いてるよ」
「あ、はーい。よいしょ……っと」
大きな鍋を持ち上げて、かまどの上に設置する。
「轟、火頼む」
私を呼んだのは尾白くんだけど、火を点けるのはやはり轟くんだった。
「ああ」
短く返事した轟くんが、左手から炎を出す。
やがてちりちりと焦げた匂いと共に、薪に火が点いた。
揺らめく赤。揺蕩う灯。
綺麗だな、轟くんの個性。
「ありがとう、轟くん」
言葉はなかったけれど、紅白の頭が軽く頷くのが見えた。
……あ。
笑ってる。
轟くんの口元が、ほんの少し。
穏やかな風に溶けるような、かすかな表情。
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後書き。
やっと轟くんの心理描写できた難易度高い。
本編のあのシーンめっちゃ大事だと思うんですが夢なので夢主視点ですまない。
2017.10.03