林間合宿・二日目(後編)
「おまえらとつるむ気はねえ。話しかけてくんなよ」
痛烈な一言を残して、小さな背中が去っていく。
目線を合わすためにしゃがんだまま、伸ばした腕が宙にぽつんとおいてけぼりになった。
たった一言。
その声と表情は、小さな体に似合わないほど複雑で、明らかな拒否の中に、苦しそうなもどかしそうな感情も見え隠れするようだった。
けれど、言われた言葉と態度が、その思考を深読みできる余裕を奪ってしまった。
口を半開きにして固まった私の中で、先ほどの言葉がこだまする。
ショック、だった。
***
出来立てのカレーが疲れた体に染み渡る。
A組のみんなと協力して作ったカレーは、結構おいしく出来たと思う。
疲労もスパイスとなって、口に運ぶスプーンが止まらない。
それにしても……
先ほどの出来事を思い出して、スプーンを持ったままため息をついた。
「綾目さん、どうしたの?」
それに気付いた隣の緑谷くんが、こちらに声を掛けてきた。
「うん……ちょっとフラれちゃって」
「フッ……!?」
その目が大きく丸まって、顔がみるみる内に赤く染まっていく。
ああ、そうだった。緑谷くんは、女子と会話するのも最近やっと慣れてきたような純情ボーイなのである。
何を思っているのか、顔を真っ赤にしながら不自然にカチコチになっているのに、とても焦っているのが伝わってくる。
器用な焦り方だなあ。
あと、緑谷くんの向こうでこれまた眉間のしわが大変なことになってる人がいる。
全くうららかでないお茶子ちゃんである。
色々察しはつくけれど、こちらについてのコメントは控えておこう。
言葉選びを間違えたので、首を振って付け加える。
「ああいや、洸太くんのこと」
「え、あ?」
予想外の人物の名だったのか、緑谷くんのこわばりがカクリと解けた。
その向こうでお茶子ちゃんもぱちくりと瞬きをする。
「さっき、洸太くんが一人ぼっちでいたから声を掛けたんだけど……」
あれくらいの年頃の男の子は、孤児院にも沢山いて、よく一緒に遊んだものだ。
孤児院のちび達と同じようについつい構ってしまったけれど、思ってもみないほど冷たく返されてしまった。
洸太くん。マンダレイさんの従甥で、初対面で緑谷くんに強烈パンチを繰り出した男の子。
雄英生とも、プッシー・キャッツの人達ともあまり一緒に居たがらない。
理由はわからないけど、合宿生……ひいてはヒーロー関係者全体が、どうにも嫌われてるみたいだ。
「そっか、実は僕も気になってたんだけど……」
後で声を掛けてみるよ、と緑谷くんは続けた。
「うん……」
結果は変わらないような気もするけど……
理由が分からないからこそ、声を掛けてみるのも大事かもしれない。
それにしても緑谷くん、初対面がアレでもめげずに接してみようという気概、ナイスファイトだ。
緑谷くんらしいというか、緑谷くんの中のヒーローらしさというか。
こういう些細なところにも、それぞれの人間性が現れる。
ヒーロー科の生徒達の性格とか、理想のヒーロー像の参考になるかな?
そう考えると、合宿中、やるべきことは沢山ありそうだ。
***
食事を終え、入浴を終え、あとは就寝するだけ。
今日も再び峰田くんの騒動があって、彼のエロに対する執念は最早ある種の才能だと思うしかなかった。
A組女子たちが思い思いに過ごしながら取り留めもないことを話しているとき、扉の向こうから声がかかる。
八百万さんがドアを開けると、そこに立っていたのはB組の拳藤さんと小大さん、塩崎さん、そして柳さんだった。
峰田くんの騒動……B組女子の風呂を覗こうとした事件を解決したことに対するお礼をしに来たらしい。
持ち寄ったお菓子の詰め合わせを芦戸さんが受け取って、葉隠さんが提案する。
「女子会しよー!女子会!せっかくだし」
女子会。
それは華やかで甘美な響き。
やろうやろうと盛り上がる女子たちが、あっという間に場を整えた。
お菓子を囲むように円になった女子の中、八百万さんと芦戸さんの間に納まって、女子会について考える。
雑誌とかでよく見る単語で、女子が集まることをそう呼ぶのは知っている。
でも、自分の経験はどうかと言われれば、あんまり……ほぼ……いや、まったくない。
「……実は私、女子会初めてなんですけど……」
「わ、私も」
八百万さんがもじもじしているのに便乗する。
「どういうことをするのが女子会なんでしょうか?」
「女子が集まって、なんか食べながら話すのが女子会なんじゃないの?」
「女子会といえば……恋バナでしょうがー!」
葉隠さんの言葉で、女子たちの目がきらりと光った。
顔を上げたり、逆に目を逸らしたり、恥ずかしさと期待にソワソワしている。
まだお菓子の封を開けていないのに、甘酸っぱい空間が広がったみたい。
ヒーローの卵とはいえ、こういうところはみんな年頃の女の子だ。
私もなんだかムズかゆくなってきた。
「それじゃ、付き合ってる人がいる人ー!」
意気揚々と話題を振った葉隠さんに、返事をする人は誰もいなかった。
みんながみんなきょろきょろしてるから、本当にいないらしい。
これだけの女子が集まって、一人もいないのか。
私たち、女子高生のはずなんだけど……
「中学のときは受験勉強でそれどころじゃなかったけど、雄英に入ったら入ったで、それどころじゃないもんなー」
拳藤さんの言葉にみんな頷いている。
私もこの二日間ヒーロー科のハードな実技を体験したので、その言葉はよく実感できる。
「うわー、でも恋バナしたい!キュンキュンしたいよー!ね、片思いでもいいから誰か好きな人いないのー?」
身を乗り出す芦戸さんの言葉に、一番反応したのはお茶子ちゃんだった。
顔が真っ赤に染まって茹蛸みたいになってる。
思い出すのは今日の夕飯の出来事。
緑谷くんにフッたフラれたの話をしたときに無言で食い付いてきた、あの時の表情を見れば、誰の事をどう思っているか一目瞭然だ。
そうだった、お茶子ちゃんが青春していた。
雄英生といえど、女子高生のギリギリのラインは保てた気がする。
真っ赤になった顔を指摘されたお茶子ちゃんが女子たちに詰め寄られ、焦りすぎて個性を発動してしまった。
浮かび上がる葉隠さんと芦戸さんを慌てて降ろす。
「でもほんまそういうのと違うから!そういう話が久しぶりすぎて動悸がしたというかっ」
「どれだけ久しぶりなんだ」
焦っているお茶子ちゃんがなんだか微笑ましくて、そっと笑顔で言葉を投げかける。
「ふふ、お似合いだと思うよ」
「ゆめちゃんまでなに言うとん!!?」
お茶子ちゃんがぐりんと首を回してこちらを向いた。
夕飯時のことを気にしていたらどうしようかと、それとなく応援していることを伝えたつもりだ。
けど、当の本人は余計に真っ赤になってしまった。
……ちょっぴり仕返しも入ってたりもする。
「えっ、ゆめちゃんは知ってるの!?」
「誰だれー?」
ワクワクしている芦戸さんと葉隠さんの向こうで、お茶子ちゃんが破裂しそうになっている。
これ以上引っ張るのもかわいそうだ。
「ううん、ただのひっかけだよ。やっぱりいないんだね」
「なーんだ、そうなの」
残念そうに唇を尖らせた芦戸さん。
膨れ上がった熱気が収束していくのを感じたところで、疲れた様子でお茶子ちゃんが布団に沈む。
これが女子会の空気か。
「あ、でもでも気になってたんだけど」
パチンと音が鳴った。
葉隠さんが思い出したとばかりに手を叩いたみたいだ。
「綾目さんって轟くんと仲良いよね?」
「……え?」
急に話題に挙げられて、瞬きを一つ。
なぜそこで轟くん、と私?
「え、そうなの?いつから?いつの間に!?」
瞬時に標的を変えた芦戸さんが食い付いた。
「それウチも思った。なんか他の人より打ち解けてたよね」
「へえ……体育祭で闘ってたし、それがきっかけだったとか?」
耳郎さんと拳藤さんも話に乗っかり、みんなの視線がこちらに集まる。
「ゆめちゃんは職場体験も轟くんと一緒だったんよね……」
復活したお茶子ちゃんが力なく差し込んだ言葉で、芦戸さんのテンションがあがった。
「二人で職場体験!?気になる気になるー!!」
ずいっと身を乗り出した芦戸さんにたじろぐ。
芦戸さん、この手の話に人一倍熱意を感じる。
「え、ええと……エンデヴァーさんから指名もらえたので行ったところご一緒しまして……」
「まあ、ということは、綾目さんもヒーロー殺しの事件に巻き込まれてしまったんですの?」
八百万さんがハッとした声を挙げた。
「あ、そうだね。あの時助けてくれたのが……」
言いかけて、事実が公表されていないことを思い出した。
あの時助けてくれたのは、轟くんだけど……
「……助けてくれたのがエンデヴァーさんで。いやぁ、すごく強い個性だったなあ。No.2の実戦を間近で見れるなんて感動だよ!あのね、体験で改めてエンデヴァーさんって本当にすごい人だったって思った。テレビのニュースとかバラエティとか見るのと実際の活動見るのでは大違いで本物の……」
「待って待って!話逸れてるよ!?」
「なに、綾目ってエンデヴァーファン?」
腕を振って静止を掛けているらしい葉隠さんと、若干口元をひきつらせてる耳郎さん。
むむむ、別に変なことじゃないと思うけど。
ちなみに待ち受けはまだエンデヴァーだ。
「ああいう方こそ心が傷ついているかもしれません。そんな傷を癒してさしあげたい……」
「茨、まさかエンデヴァ―が!?」
祈りを捧げるように瞳を閉じた塩崎さんの言葉で、場は更に混乱を極めた。
びっくりした拳藤さんの質問に、塩崎さんがふるふると首を振って否定して、葉隠さんが声を大きくして場を治める。
「静粛にー!!とにかく、職場体験は轟くんと一緒だったんだよね?」
「付き合ってるの!?」
むむ、結局こっちに話が戻ってきちゃったか。
「いやまさか……というかA組の男子なら、緑谷くんも飯田くんも、轟くんと同じくらい仲良しだよ」
それに、私と轟くんが一緒にいた時間なんて、A組のみんなと比べたらずっと少ないはずだ。
私よりもA組の女子の方がそういう可能性は高くなるんじゃないのか。
しかし、葉隠さんは大きく首を振る。
「いやいや、必要なのは時間じゃないんだよ。お互いの気持ちが大事なんだから」
「き、気持ち……」
「うんうん、轟のことどう思ってるの?」
二人ががんがん寄ってくるので、若干体勢がきつくなってきた。
その迫力に押されつつ、投げかけられた言葉をかみ砕く。
轟くんのこと……
轟くんの、印象。
最初に出会ったのは、入学して間もない頃、A組の扉を挟んでのことだった。
あの時は、冷たい目をした男の子だと思っただけだ。
まだヒーロー科への編入しか見据えてなかったから。
正面切ってぶつかったのは、体育祭。
体育祭自体はあまりいい思い出ではないけれど、あの時全力でぶつかったから、その後があると思う。
病院で見せた表情が、きっと轟くんの本来の顔。
お互いに見えていなかったものを見るようになって、一緒に歩き出そうとして。
頂点に立つための障害、利用するだけの対象だった人が、同じ土俵に立つライバルに変わった。
それから、職場体験。
轟くん父子の関係とか、ヒーロー像とか……少しずつ、轟くんという人柄が見えてきて。
そして……ヒーロー殺しに遭遇した。
あの時、あの場所に現れた轟くんは、誰よりもヒーローに見えた。
轟くんは強い。
単純な個性の力と、それを活用する技術力、判断力。
もうすでにそこらのプロにも負けない力を持っていて、将来トップを狙えるだろう。
それくらい実力があるおかげか、轟くんの中で、物事を測るための指標というか、価値観がある程度定まっていると思う。
だから、自分の実力を客観的に判断できるし、周囲の人間の能力もしっかり測れる。
例えば、体育祭で自分を十分に補佐してくれる騎馬役を素早く集められたり、職場体験で自分の考えを一つの例としてアドバイスしてくれたり。
自分の意見がしっかりしてる分、若干大人の人に噛み付くこともあって……もしかしたら、一番身近な大人のエンデヴァーさんと上手く関係が築けていないのも一因かも。
出会うたびに色んな一面が見えるようになって、最初の印象から、轟くんはどんどん変わっていく。
今は、同級生の中で、はるかに成熟した思考と実力を持った人だと思ってる。
体育祭以降、少し柔らかくなったのか、柔軟さも持ち合わせるようになったし、これからもどんどん強くなるだろう。
尊敬するし、少しでも追いつきたい。
認められると嬉しい。
そう思うのは、私も轟くんも、ヒーローを目指してるから。
同士で、ライバルで、仲間だからだ。
だから、轟くんのことをどう思ってるのかと問われると……
「……お友達です……」
と答えるしかないんだけど……
「えー!!」
案の定、不服そうな二人。
「だってあの轟だよ?A組トップの成績で!」
「個性も派手だし!」
「イケメン!」
「クールボーイ!」
「男子って意識したことないの!?」
交互に迫る芦戸さんと葉隠さん。
限界ぎりぎりまで引き切って、私の腰は限界だ。
「な……ないです」
「ええー!?」
「二人とも、そろそろゆめちゃんが潰れちゃうわ」
梅雨ちゃんの冷静な声でようやく引き下がった二人に、やれやれと肩を竦める女子たち。
お帰り私の上半身。腰が砕けるかと思った。
「えっと……確かに轟くんはすごいと思うよ。個性もかっこいいし、尊敬しちゃう。でも、だからこそ歯痒く感じるというか……」
「その気持ちは分かりますわ。私も轟さんとの実力差を強く感じてしまったことがありました。けれど、私には私の持ち味があると気付かせてくれました。今は……負けていられないと思います」
「うんうん、同級生が頑張ってると、私もがんばろーってなるよね」
ゆっくり頷いた八百万さんと、腕をぶんぶん振るお茶子ちゃん。
そうだよね。私たちはみんなヒーロー目指してがんばってる真っ最中だ。
恋とか愛とか、言葉を聞くとなんだかフワフワした気分にはなるけれど、まだよく分からない。
その気持ちは分かるのか、芦戸さんも観念したように布団に仰向けになった。
「うー、確かにみんなヒーロー目指して必死だもんね……でも、これじゃ全然キュンキュンできないよー」
「あ!それじゃあさ……」
葉隠さんが新たな提案をして、みんなそれに対して思い思いの言葉を語っていく。
次から次へと移りゆく話題と、お菓子の甘い風味。
女子会はまだまだ終わりそうにない。