林間合宿・三日目
合宿も三日目、中盤に差し掛かった。 皆疲労が抜けきってない様子で、補習組は特にきつそうだ。 補習って何をやってるんだろう? ヒーロー科に追いつくためにも、私も参加した方がいいかもしれない。 そんな生徒達も容赦なく扱く相澤先生が説教する。 「何をするにも原点を常に意識しとけ。向上ってのはそういうもんだ」 原点…… 私にとっての原点は、お母さん。 お母さんみたいな……それでもってヒーローらしく…… うーん、まだ"ヒーロー"の部分が弱い感じがする。 そういえば、エンデヴァーさんが言ってたお母さんが使ってた"個性"の使い方ってどんなものだったんだろう。 映画みたいなって、ざっくりしすぎて全くわからない。 携帯テレビの画面には、面白みのないニュース番組が映っている。 映画の中みたいな豪快なアクションや演出のこと? 目立つヒーローは、みんな映画の中みたいな個性ばかりだし、なんとなく合ってるような。 このニュースキャスターの個性は大きな角だけど、もっと別の個性を被せるような、派手な感じに…… 「綾目、イメージが崩れてるぞ。集中しろ!」 「は、はい!!」 怒られてしまった。 今は余計なことは止めて特訓に集中しよう。 *** 今日の夕飯は肉じゃがを作る。 二回目の炊事ともなれば、みんなの手際も格段にアップしてる。 今日は包丁を持っている爆豪くんの手際の良さに感心するお茶子ちゃんや、補習を引きずっているのか辛そうにしてる切島くんを眺めながら、ジャガイモの皮を剥く。 「君たち手が止まってるぞ!!最高の肉じゃがを作るんだ!!」 どこからか、張り切った飯田くんの声が飛んできた。 緑谷くんと轟くんに向けられた言葉らしい。何か話してたのかな。 緑谷くんが作業に戻ると、水を入れた鍋を運ぶ轟くんがこちらにやってきた。 「鍋置いとくぞ」 「うん、ありがとう」 こちらの手元を覗いて、「手伝うことあるか?」と問いかける轟くん。 他の人達の作業状況を確認する。 かまども人が足りてるみたいだし、野菜を切るのに当てた方が良さそうだ。 「じゃあ玉ねぎお願いしようかな。轟くん、普段料理は?」 「……しねえな」 「そっか……」 高校生なら自炊をする人は少ないだろう。 梅雨ちゃんも弟や妹の為にご飯を作ってるって言ってたけど。 あ、轟くんはお姉さんがいるっていってたし、お姉さんがしてるのかな。 「はい。じゃあ一緒にやろうか」 まな板と包丁を用意して、水洗いした玉ねぎを一つ置いた。 まじまじと玉ねぎを見つめる轟くんが、なんだかあまり見ない反応で面白い。 得意分野ではすぐに判断して行動する轟くんも、慣れないことはちょっと慎重だ。 「まずは皮を剥いて……縦に半分こします」 「……」 ぺりぺりと皮を剥がして綺麗になった玉ねぎをまな板に戻し、ストンと包丁を入れる。 無言で真似をする轟くんが、同じところまで行ったのを確認して、続けて包丁を入れていく。 「こんなもんか」 「うん、バッチリだよ」 やや不揃いな大きさだけど、丁寧に切られた玉ねぎが並んだ。 「じゃあ、残りの分も同じように切ってもらっていいかな?」 玉ねぎが山と積まれたボウルを引き寄せようとして、揺れたボウルから玉ねぎが転がり落ちる。 「あっ」 「ん」 反射的に手を伸ばして、テーブルから落ちかけたそれを止めようとして。 玉ねぎに注目した視界の端から、同じように伸ばされた轟くんの手が見えた。 あ。 スローモーションで動く世界。 ぶつかる、と思ったときにはすでに。 轟くんの手が、私の手ごと玉ねぎをキャッチしていた。 その時世界が瞬いた。 今、私の手は轟くんに握られている。その上には玉ねぎがあるんだけど。 その手の平は、骨ばった甲と比べて柔らかい。 同じ歳でも、轟くんの手は私のものよりずっと大きくて、すっぽり包み込まれている。 触れた肌はパサついた玉ねぎの皮よりしっとりしていて、しっかりと受け止めようと丸められた指先が、私の指と絡まっている。 ふと、昨日の芦戸さんの言葉が蘇った。 "男子って意識したことないの!?" なんであの言葉が、このタイミングで。 「――」 あ、れ。 なんだか、変だ。むずむずする。 重なり合った手が両目に映ると、体の奥から何かがこみあげてくる。 轟くんの手の感触が、妙にはっきり感じるような。 轟くんとの距離が、近い、ような。 なんだか、変だ。妙だ。お、可笑しい。 じわじわと熱が昇ってくる。 か……顔が熱い!! 「……どうした?顔赤いぞ」 「!!!」 心臓が飛び跳ねた。 こちらを覗き込む轟くんの顔が、近い!! 「な、なんでもない、なんでもないです!ほら作業しなきゃ、飯田くんに怒られる!」 言葉を連ねて、パッと手を抜き取る。 轟くんは不思議そうにしながらも、手に残った玉ねぎの処理に取り掛かった。 心臓が早鐘を打って、呼吸が荒くなっている。 顔中が熱くて、汗が噴き出そうだ。 ええと、作業、作業……ジャガイモ、包丁、それからええと……ダメだ、集中できない! あ、ああ、なんか、変だ。 気に、なって、しまう。 隣に感じる人の気配が、何故かとても近く感じて。 轟くんの動かす腕の、野菜を切る音とか、衣擦れの音、呼吸の一つですら、聞こえてくるようで。 耳が、それ以外の音を拾ってくれない。 おか、おかしい、おかしいぞ。 汗が出てきて、頭が上手く働かない。 バクバクと鳴り響く鼓動が気になって、落ち着こうとしても落ち着けない。 私、どうしてこんなに焦ってるの。 手に触れることなんて、今までも何度かあったのに。 さっきの距離だって、一昨日くらいも似たようなことがあったはずなのに。 男子の大部屋でのこと、職場体験で触れた手、病院での微笑……今までの轟くんとの出来事を思い返すと、逆に余計に恥ずかしくなった。 わた、私今まで何の気なしに、なんてことを……!? あ、あ、あ。おかしい、おかしい、こんな!! 頬の熱が治まらない。 それどころか、どんどん熱くなってきた。 妙な焦りを気取られてないか、隣を盗み見る。 手元をしっかり見詰めながら玉ねぎに包丁を入れている轟くん。 さらりとした紅白の髪と、長い睫毛、水晶のように透き通る左目、真剣な眼差し。 その横顔を見ただけで、また心音が大きく響いた。 うっかり悲鳴まで出そうになって、咄嗟に顔を逸らす。 なにこれ、なにこれ!? フィルターでもかかったみたいに、まるで別人みたいに見える。 そんなことはない。轟くんはさっきまでとなんら変わらないはずだ。 変わったのは、私の方……? "男子って意識したことないの!?" "……意識したことないの!?" "……ないの!?" 芦戸さんの言葉が脳内で反響する。 ああああんなこと言われたから、逆に意識しちゃってるんだ!! こんな急に、そんな、そんなのって! 轟くんとの距離感が分からない。 今までどうしてたっけ? 何を話してた?何をしてた? 一緒にご飯を食べたり、普通に会話してたはずなのに。 思い出そうとすればするほど分からなくなって、恥ずかしくなる。 頭が、個性を使った時より熱暴走してる。 目がぐるぐるして、思考が空回りする。 なんだっけ。なんだっけ。何をどうすればいいの!? 「綾目」 「はわぁ!!?」 「……本当に大丈夫か?」 「だ、ダイジョブ、大丈夫!えっと、何か用ですか!?」 すっとんきょうな声が出てしまった。 轟くんが無言で指をさすのは、私の……手元? 「それ、そんなに細かくすんのか?」 「……あっ!?」 まな板の上にあったはずのジャガイモが、見事なこま切れになっていた。 これじゃ煮込むと形も残らないだろう。 手元がおろそかになるほど焦ってたなんて。 ダメだ、このままではとにかくダメだ。クールダウンしないと、色々と持たない。 深呼吸、深呼吸! そして一旦轟くんから離れよう! 「や、やっぱり疲れてるみたいっ、片付けてくるね!」 「そうか。しんどいなら休んどけよ」 「う、うん」 笑顔でごまかしながら、半ば逃げるように生ゴミ入れに向かう。 何度か深呼吸を繰り返して、なんとか落ちつけた。 うう、焦って変な汗をかいちゃった。 轟くんにも絶対変だと思われたよね…… いや、別にそれがどうこうとかじゃないけど、変に意識しちゃったから、迷惑かけちゃったなっていうので。 意識といってもそういう意味じゃなくて、変な態度だったし謝らないとっていうだけで。 そんなんじゃない、そんなんじゃないんだけど…… いやいや、これ誰への言い訳!? 全然冷静になれてない! ううう、さっきから轟くんの顔とか声とか、頭の中で色んな場面が浮かんでは消えていく。 "男子って意識したことないの!?" この言葉も、呪いかってくらい繰り返されてる。 くそう、芦戸さんが変なこと言うから…… こんなの初めてで、どうすればいいのか分からない。 昨日の茹蛸みたいになってたお茶子ちゃんを思い出して、申し訳なさと共に自分の現状を自覚する。 た、大変なことになってしまったぞう。 *** ご飯も食べて、片付けも終わった。 夕暮れの紅も過ぎ去り、空が青と黒に染まる頃、森の入り口にA組生徒たちが集まっていた。 三日目の息抜きイベント、肝試しが始まろうとしている。 肝試しと言っても、ただ日の落ちた森の中を抜けるだけのものだ。 クラス対抗の方が盛り上がるとかで、B組が仕掛け人として先に森に入ってるらしいけれど所詮は子供だまし、そうそう驚くようなものはないだろう。 とはいえ、森の中は鬱蒼として雰囲気がある。 自然の中での肝試しというのは、いかにもなお化け屋敷よりも何が起こるか予想し難い。 仕掛けてくるだけなら大丈夫なんだけど、問題は…… 「綾目さーん」 眉間にしわを寄せていると、芦戸さんが手を振りながらこちらにやってきた。 満面の笑み、だいたい予想はつくけど…… 「ねえねえ、炊事のとき見てたよー?二人で作業なんていい感じだね!」 「いや、ただの実習だから……」 「えー?でもすっごく照れてたでしょ。やっぱ気にしてるんじゃん!」 「それは……芦戸さんが変なこと言うから」 うりうりと肘でつついてくる芦戸さん。 やっぱり見られてたか。 でも、あれは芦戸さんの言葉で変に意識しちゃっただけで、期待するようなことは何もない。 発作みたいな心臓の音も緊張も、今はすっかり収まっていた。 だから何もない。ないったらない。 じとっと睨むも、当の本人はニヤニヤするだけだった。 「いいじゃんいいじゃん。ちょうど肝試しだし、押していこう。可愛さアピールしちゃおうよ!」 「いや、だから……」 そういうのではない。そういうのではないんです。 完全に火が付いた芦戸さんが意気揚々と腕を上げたタイミングで、相澤先生の無気力な声が差し込まれる。 「その前に大変心苦しいが、補習連中は……これから俺と補習授業だ」 「ウソだろ!!!」 なんということでしょう。 先ほどまでにこやかな表情だった芦戸さんが、一気に絶望顔へと変貌した。 唯一の羽を伸ばす時間、どれほど楽しみにしていたかは傍から見ても十分に伝わっていた。 この落ち込みようは決して大げさじゃない、心からの悲哀だった。 さっきの絡みも水に流すほどかわいそうになってくる。 「うわああ堪忍してくれえ試させてくれえ!!」 簀巻きにされて無慈悲にも連れて行かれる芦戸さん以下補習組に、そっと目を閉じて黙とうを捧げた。 同情はするけれど、これで恋だなんだの妙な誘導はないだろう。 あとは肝試しを突破するだけ…… あっ。 というか私も補習に入っていいかな。 ヒーロー科の授業、少しでも体験しておきたいし。 うんうん、ヒーロー志望としては、やっぱり勉強が大事だもの。 追いかけようと相澤先生の消えた方向に一歩踏み出したところで、透明な手が肩に置かれた。 「綾目さん、あっち集まるんだって!」 くっ、葉隠さんがいたか! *** 補習組以外のA組と私が揃ったところでルール説明が始まった。 ルートは一本道。二人一組で3分置きに出発して、中間地点にあるお札を持って戻ってくること。 所要時間はおよそ15分。 綺麗に均された道はピクシーボブの個性によるものだろうか。歩くには問題なさそうだけれど。 鬱蒼とした森は、お化け屋敷みたいな人工の施設じゃない分、嫌な方向に想像が膨らみやすい。 クジを引いてペアを決めるそうだ。 ぞろぞろとクジを引きに行くA組達を遠い目で見つめる。 さてはて…… 「ゆめちゃん、どうかしたかしら?」 動かない私を見て、早々に引いてきた梅雨ちゃんがケロっと小首をかしげた。 「いや……」 言葉を濁す私に、察した梅雨ちゃんが言う。 「……ゆめちゃん、怖いの苦手なのね」 一言、簡潔かつ的確な内容。 「べべべ別に?私は個性の性質上想像力に長けておりますのでちょっと暗がりに何かいそうとか想像に容易いだけでして怖いとかそういうのは無関係で日々個性の育成に余念がないというかまさに林間合宿の目的でもありますし何もないようなところにこそ想像力を働かせる絶好の機会ではありますしええ心も奮い立つといいますかしかし今回の肝試しの目的は林間合宿のハードスケジュールの中の束の間の安息でありまして私の個性の育成は先生もおっしゃっていたように翌日にきっちり時間は取られておりますし夜も引き続き個性の訓練を行っては休まるものも休まりませんので今回は自室に戻ってゆっくりと脳と目を休めることにいたしたく存じ上げますのでいやむしろやっぱりこれから補習を一緒に受けることで個性の休息と新たな知識の獲得が同時に臨めるわけですし私はここで失礼し」 「ハイこれゆめちゃんのくじね!最後の一枚だったから!」 「……ありがとお茶子ちゃん」 悪気のないうららかな笑顔に、突き出されたくじをしぶしぶ受け取る。 『2』とだけ書かれたくじは、同じ番号の人とペアになると同時に森へ入る順番も示している。 2番目……早い分、先に終わるからいいかもと思うことにしよう。 「さあさ1組目から早速行くよ!並んだ並んだ!」 ピクシーボブがちゃきちゃき取り仕切り、ぞろぞろと生徒が整列する。 ええと、2番だから前の方の…… 「ん゛うっ」 「ん、綾目も2番か」 ジーザス。 轟くんが持ってるクジも2番だった。 途端に、この場にいない芦戸さんの声が蘇る。 "男子って意識したこと……" 「……!」 再び顔に熱が集まるのを感じて、咄嗟に手で覆った。 だらだらと汗を流しながら、必死に熱を押さえようとする。 お、落ち着け!落ち着いて! 大丈夫、変な気持ちはないんだから、いつも通り、いつも通りに……!! 「おまえ、やっぱ体調悪いんじゃ……」 「だ、大丈夫。大丈夫、うん!」 頬をぎゅうぎゅうに押さえつけながら、なんとか笑ってごまかしていると、轟くんと逆隣、つまり3番目らしい爆豪くんがなにやってんだこいつみたいな顔で睨んできた。 ううう、もうなんなんだこれ、情けないような恥ずかしいような、いたたまれない。 「3分経ったね。んじゃ2番目のペア、GO!」 ピクシーボブに促され、順番が回ってきたことに気付く。 いつの間にか1番目のペアも出発していたらしい。 ええい、こうなったら早く行っちゃおう! 「よし行こう、さっさと行こう轟くん!!」 「……肝試し好きなのか?」 ポーカーフェイスで呟いた轟くんをあまり見ないようにしつつ、この場から逃げ去るように森の中へ一歩足を踏み入れた。 ――瞬間、一気に視界が狭まり、暗闇が襲う。 「、は」 一寸先は闇。 木々の隙間から僅かに届く月明かり。 冷たい風が吹き抜け、夏だというのに酷く涼しい。 視界が捉える景色が、空気が、豹変する。 闇が蠢いているような、木々のざわめきに混じって何かの息遣いが聞こえるような、そこかしこの暗がり、木々の隙間に、何かが潜んでいるような気がして。 あ、まずいこれ。 さっきまで熱かった頬が、一瞬で冷めた。 2017.10.24
DADA