肝試し(前編)
鬱蒼と茂る森。 プッシーキャッツの私有地の一角で行われる、クラス対抗肝試し大会。 ヒーロー科でない私はA組と行動を共にしているので、A組の方に組み込まれている。 何の因果か轟くんとペアになって、いざコースに足を踏み入れたわけだけど。 はい。うん。正直に言ってとても怖い。 さっき唐突に登り詰めたテンションはどこへやら、すっかり心も体も冷え切っていた。 "アイジャック"の性質上、普段から想像力を鍛えているので、色んなイメージが湧き起こってくる。 そこかしこから色んなものが飛び出てきたり浮き出てきたりしそうな気がして、一歩進むたびに視線が彷徨う。 本当は何も見たくないけれど、目をつぶったりうつむくと余計に想像が膨らんでしまいそうで。 鼓膜を揺らす、風の音、木々のざわめき、どこか遠くで鳴く鳥の声、そして二人分の足音。 自分の呼吸音ですら震えてしまいそうで、ただただ必死に足を動かす。 「……」 「……」 轟くんは無言だった。 私も口を開けなかった。 恐怖が勝っている今、轟くんへの変な照れも消えてしまった。 今のうちに夕飯の時の態度を謝る……なんて余裕は無い。 小道の先は、ぽっかりと口を開いた闇に飲まれ、延々と続いているように見える。 そんなことはない、すぐに中間地点に着くはずだ。 けれど、恐怖心から焦りが生じ、焦りが時間感覚を狂わせ、視界を狭めている。 今、どこを歩いてるんだろう。 ゴールまで、中間地点まで、どれくらいなんだろう。 轟くんは怖くないのかな…… うろうろしていた視線を、隣に移す。 轟くんは、光の少ない足元に注意して、俯きがちに歩いていた。 その表情は相変わらずのポーカーフェイス。 歩く振動に合わせて揺れる髪が、肌色とのコントラストを生んでいる。 涼しげに整った顔立ちは、伏し目がちな目も様になって……いや、何の解説してるんだ私は。 って、う、わあ! 視線を感じたのか、轟くんの顔が上がるのを察して、すぐさま視線を正面の地面に移す。 な、何を焦ってるんだ。 やっぱり変だ。轟くんをまともに見れない。 "男子って意識したことないの!?" またも脳内に反響する芦戸さんの声。 たった一言、されど一言。恋も知らない初心な乙女には絶大な言葉だったらしい。 頭を抱えたい。 ――その時。 ずるり、と。 地面から、何かの塊が。 いや、これは…… 生首。 「びゃっ」 「お」 頭だけの女が、地面に落ちている。 青白い肌、黒い髪、無表情。 瞳がゆらりと動き、こちらを見上げて―― ナニコレ。 頭は真っ白、体は硬直。 受け入れがたい現実に、そっと目蓋を閉じようとして。 「……あっはは、綾目、すごいビビってるじゃん!」 その場に似つかわしくない明るい声。 近くの茂みが揺れたと思うと、見覚えのある人物が現れた。 意志の強そうな瞳に、キリリと整った眉、サイドテールの女の子。 「けん、どう、さん」 錆びたロボットみたいにギギギと首を動かした。 そこには確かに、腹を抱えて笑い転げる拳藤さんがいた。 すると、前方の生首が震えたかと思うと、ずるりと浮い……!? いや、違う。体がついてる。 よく見れば地面が沼みたいにぬかるんでいて、そこにまるっと健康体が納まっていたらしい。 生首なんてとんでもない。見覚えのある人物だ。 「小大さん……」 「ん」 「カッカッカ、いい反応するじゃねえか。さっきの組は逆にこっちがビビったからな」 茂みの中から、拳藤さんに続いてB組の……骨抜くんも現れたところで、ようやく全身のこわばりが解ける。 骨抜くんの個性で沼になった道に、小大さんが潜んでいたわけだ。 少しリアクションをした轟くんも、今は普段通りに戻って骨抜くんに言葉を返している。 「さっきてのは、常闇と障子か?」 「ああ。あいつらビビっても妙な迫力あっからな……」 正体が分かってしまえばなんてことはないけど、かなりびっくりしてしまった。 変な声出たし……恥ずかしい。 がっくりと脱力する私に、拳藤さんが話しかける。 「意外だね綾目、怖いの苦手なんだ?」 「うう……そうです。お化け屋敷とかホラー映画は平気なんだけど、墓地とか森とか古い建物とか、人の手がかかってなさそうなところは苦手で……」 「へえー、可愛いとこあんじゃん」 「ん」 にやにやしている拳藤さんと、こくりと頷く小大さんにむくれっ面を返す。 まんまとからかいの種を与えてしまった。 「それにしても轟、『お』てなんだよ!『お』て!」 骨抜くんが爆笑している隣で、轟くんが小さく口を開く。 「まあ、少し驚いた」 「少しぃ?」 「少しだ」 どこまでもポーカーフェイスで譲らない轟くんに苦笑する骨抜くん。 轟くんに負けない無表情の小大さんも、「ん」と短く頷いている。 言葉を交わすうちに、ビックリしていた心臓もいくらか落ち着いてきた。 顔見知りの人が多くてよかった。特にペアが轟くんだったから。 これが良く知らない人とのペアだったら……って。 そうだ、私、轟くんと二人で肝試ししてる。 思い出すととたんに熱が出てきた。 や、やばいやばい! 夕飯の時からいくらか落ち着いたとはいえ、あの時の挙動不審も相まって、轟くんの方をちゃんと見れない。 恥ずかしさが暴走しそうになるのを、きゅっと唇を噛んで堪える。 すると拳藤さんが、轟くんと私を交互に見比べて、意味深に頷いた。 「ふーん、へえー」 「な、ナンデスカ」 多くは語らなかったけれど、にやにやしている拳藤さん。 いやなにやけ方だ。 ジト目で抗議すると、拳藤さんの手が肩に置かれた。 「ま、この先もたっぷり楽しんできなよ。B組の奴らがとっておきの仕掛けを用意してるからさ」 「……努力します……」 拳藤さんはさわやかなウインクを寄越して、再び茂みの中に消えていった。 何を期待してるんだ、何を。 「仕掛け人の俺らが言うのもなんだけど、そろそろ行かねえと後ろの奴らが来るんじゃないか?」 「ん」 そう残して、骨抜くんと小大さんも同様に元の配置に戻る。 ずぶずぶと沈んでいく小大さんをしげしげと見つめてしまった。すごく体張ってるなぁ。 って、モタモタしてる場合じゃない。3分後には3番目のペアがやってくる。 けど、この先の道をまた二人で進むことになるんだ。 それは、その…… 「行くか綾目。……綾目?」 大きなため息をついた私に、轟くんがずいっと、か、顔近い!! 「わあ行こう!だ、大丈夫だから!」 暗がりで見え辛いからだろう、ごく自然に顔を寄せてきた轟くん。 はじけるように距離を取って、もつれるように歩き出す。 だ、ダメだ。挙動不審すぎる! さっきから怖がったり恥ずかしがったり、私の心はしっちゃかめっちゃかだ。 もうこんな状況さっさと終わらせたい。 でも、この先もB組の生徒達が色々仕掛けてるのを思うと…… 拳藤さんのくれた情報は、あんまり嬉しくない。 15分……短いと思っていたけれど、案外長い旅路になりそう。 この先の道を思って渋い顔をした。 その時―― 「……」 轟くんが小さく口を開いて、けれど閉じてしまったのに気付かなかった。 *** それから―― B組生徒達の趣向を凝らした仕掛けに、隣の轟くんの存在も忘れるほどビックリしっぱなしだった。 正体が分かれば大丈夫だけど、わっと飛び出すようなものにはめっぽう弱い。 特に中間地点のラグドールなんて、B組しか想定してなかったから大ダメージだった。 「はぁ……はぁ……」 どれだけ叫んだだろう。 悲鳴のバリエーションも出尽くしたんじゃなかろうか。 足を止めて肩で息をする私は、心身ともにへろへろだった。 「……綾目」 「轟くん……?」 名前を呼ばれて、頭を持ち上げる。 疲れ切ったおかげか、轟くんを見ても緊張する余裕すらない。 「ん」 「ん……?」 轟くんが、私の前に立って、手を差し出した。 「手、繋ぐか」 ……んんん?? 差し出された手と、轟くんを交互に見る。 轟くんは、相変わらずの無表情だ。 久しぶりに正面から見上げた轟くんは、夜の帳に塗れていつもより大人っぽい。 しっとりと闇に溶けるような肌色に、髪や睫毛の影が落ちている。 形の良い唇や、筋の通った鼻や、左右色違いの瞳が光を受けてほんのり煌めいていた。 すり減った心臓が、性懲りもなくどきりと鳴る。 でも、暴走することはなかった。 「怖ぇんだろ。ちょっとは安心するかと思ったんだが」 「あ、ああ……」 意外だ。 轟くんは、戦闘や救助みたいな、ことヒーロー活動においては行動的だけど、こういう場面でも積極的だとは思わなかった。 ……いや、これもヒーロー活動の一環と考えてるのかも? そうだよね、変に意識してるのなんて私だけだもの……いや、意識してない。してないけど! ああもう、なんでこうなるかな! 「……嫌ならいいんだ。悪かった」 アクションを起こさない私を見て、手を引っ込める轟くん。 「ううん!嫌じゃない、ありがとう!でもその……なんというか」 轟くんと手を繋ぐ。 改めて考えると、それは、とても緊張する。 恥ずかしい。視界がぐるぐるする。 どうしよう。どうするのが自然なんだろう? 今の状態じゃ、とても手なんて握れない! あわあわしている私に、轟くんの視線が刺さっているのを感じる。 今日一日焦りっぱなしで、相当変な姿を見られただろう。 そう思うと余計に恥ずかしくなって堂々巡りだ。 焦る私を見つめていた轟くんが、おもむろに口を開いた。 「……なあ、俺、なんかしたか?」 「えっ!?」 ついに言われてしまった。 これだけ変なことをしていたら、指摘せずにはいられないだろう。 「いやなにも、轟くんは全然悪くないし強いていうなら芦戸さんというか、ごめん私が勝手に焦ってるだけで!」 「そうなのか?」 「うんうんうん!」 必死に首を縦に振る。 逆に必死過ぎてやっぱり変だと取られたらしく、微妙に眉を八の字にした轟くん。 「やっぱ俺のせいか?昔からなんでかよく女子に泣かれてたから、なんかしてたら悪ぃ」 「あ、あー……」 その言葉に妙に納得してしまう。 A組女子も騒ぎたてるハイスペック男子、轟焦凍。 昔からそれはそれは女子にもてたんだろう。 でも、本人は恋愛に興味なさそうだし、そもそも会って間もない頃の轟くんの冷たさを思い返すと、これまであらゆる女子が玉砕していったのが想像できる。 「だから、女子には優しくしろって言われたんだが……」 言われた? 誰かに注意されたということかな。 轟くんの無自覚な女泣かせなところを見兼ねた人がいたんだろう。 それは、轟くんに注意できるような、轟くんの身近な人……? 「えっ誰に!?エン……」 「ね……姉貴に。……親父じゃねぇぞ」 「あ、ああそっか」 乗り出した体を元に戻す。 そっか、お姉さん。 まさかエンデヴァーさんがそんな気が利くような人だとは思わないしびっくりした。 「相変わらずだな、おまえ」 「うえへ……ごめんね」 「まあ、別にいいけど」 へらりと笑うと、轟くんは呆れているのか笑っているのか、よく分からない顔をした。 さっきの申し訳なさそうな表情は消えているのでほっとする。 轟くんにいらない心配をさせてしまうところだった。 ……あれ?なんだか普通に会話してる。 さっきまでのおかしな緊張も焦りも収まっていた。 よく分からないけど、よかった。轟くんと上手く会話できないのは申し訳ないし。 きっかけの話題がエンデヴァーさんなのは私らしいというか、我ながら呆れてしまうけど。 軽く息を吐いて、上体を起こす。 「よし、足止めてごめんね。行こうか」 「いいのか?」 「うん。急がないと、後ろの組に追いつかれちゃうかも」 「そうだな……なら、ほら」 再び差し出された手。 ……怖いのは事実だし、また足を止めるのも悪い。 今度は素直に厚意を受け取ることにしよう。 「……ありがとう」 「ああ」 おずおずと重ねると、軽く握られた手にドキリとする。 それは、さっきみたいな爆発みたいな鼓動じゃない。 少しだけ恥ずかしいけれど、逃げ出したくなるようなものじゃない。 触れた肌から伝わる温みに、ほっとする。 恐ろしかった暗がりが、今は、気にならない。 誰かの体温って、こんなに安心するんだ。 お互い口は開かずに、ゆっくりと道を歩き出した。 二人分の足音と、小さく鳴り続ける鼓動。 そっと息を吐く。 とくり、とくりと、少しだけ早い心音を自覚する。 でも、嫌じゃない。 この気持ちはなんだろう。 穏やかな、少しだけむずかゆい心地は。 まだ、私には分からない。 --- 後書き。 束の間のデート。 次からオリキャラが登場してオリジナル展開が挟まると思います。 2017.11.06
DADA