林間合宿・最終日
窓から入るそよ風がカーテンをはためかせる。 蝉の声を遠くに聞きながら、ベッドの上で半身を起こしてスマホの画面を眺めていた。 そこへノックの音がして、ゆっくりと扉がスライドする。 「轟くん」 現れたのは、紅白の髪をした涼しげな顔立ちの男の子だった。 スマホを横に置いて座り直すうちに、轟くんがベッドの近くまでやって来る。 「起きてたか」 「うん、昨日ね」 ここは病院、白を基調とした個室の一つだ。 今の私は入院患者だった。 普通科から特別に参加した林間合宿。 その三日目の晩、突如襲来したヴィラン連合。 学校側の被害はかなり大きくて、たくさんの生徒がここに運ばれたらしい。今もまだ回復していない人もいるとか。 私も昨日意識が回復したばかりだ。 目覚めて最初に見た人がおばあちゃんだったときは驚いた。 およそ一週間も昏倒していたらしく、遠いところから家のことも置いて飛んできてくれたらしい。 それから診察や検査を受けて、先生や警察の人がやってきて現状の説明や事情聴取を受けたり、今日になるとお茶子ちゃんや梅雨ちゃん達もお見舞いに来てくれた。 「もう大丈夫なのか」 「うん、調子もほぼ元通りだし、今日の検査次第で退院できるって」 と笑いながら腕を持ち上げてみせると、轟くんの視線がベッドの上のスマホに注がれているのに気付いた。 「あ」 画面には映りっぱなしのニュース。 オールマイト引退と題打たれたページには、いつものパワーに満ち溢れた姿とはかけ離れ、ボロボロになったオールマイトの写真が載っている。 それは、私が眠っている間に起きた事件。 林間合宿の延長戦とも言える。 幾度も雄英を襲撃してきたヴィラン連合の拠点を、ヒーローと警察が制圧に掛かったもの。 ところが、とんでもない"個性"を持ったヴィランが現れ、街中を破壊、市民にもヒーローにも多数の犠牲者が出た。 ついには最悪の被害をもたらしたヴィランとオールマイトが激しくぶつかり、結果ヴィランは捕えられ、オールマイトは力尽きた。 爆豪くんが誘拐されたというのも驚いたし、雄英が大変なバッシングを受けていることも辛いけれど、このニュースが何よりも心をえぐった。 日本を支える柱がぽっきりと折れてしまった。 その事実を知った今、まるで世界ががらりと変わったみたいだ。 お茶子ちゃんも梅雨ちゃんも、私が目覚めたことに喜んでくれたけど、不安が隠しきれていない様子だった。 老若男女、誰もが憧れるNo.1ヒーローが失われてしまったのだから。 期末試験の時の大きな背中を思い返す。 あの時すでに、限界は近かったんだろうか。 そう思うと、何とも言えない気持ちになった。 もどかしいような、寂しいような、悲しいような…… 轟くんはどうなんだろう。 オールマイトの引退は轟くんにも少なからず影響はあると思うけど…… 「轟くん、あの――」 顔を挙げた瞬間、ドキリとした。 轟くんの視線がまっすぐ私を射抜いていたから。 その淡泊な表情は、微かに何かをにじませているようだったけれど、動揺してか上手く読み取れない。 でもそれは、オールマイト引退の不安、ではないような。 私に向けられた視線は、そのまま私のことを案じているようだった。 「……綾目」 「は、はい」 「……警察に聞いたんだが、あの夜のこと、覚えてないんだってな」 「あ……それは、うん」 轟くんの切り出した言葉で思い出した。 昨日の事情聴取のとき、警察の人から言われたこと。 私の証言と轟くんや爆豪くんとの証言が異なるという。 敵のガスを喰らったせいか、襲撃を受けた夜の記憶が曖昧になっていた。 肝試しで森に入ったことは覚えている。折り返し地点を過ぎて暫く経った頃からヴィランの"個性"のガスが立ち込め始めたことも。 そして何かしらの原因でガスを吸ってしまった私は、そのまま意識を失ったはずだ。 その後爆豪くんが合流して、ヴィラン側も二人の男が現れたらしい。 一人目の男は辛うじて記憶に残っていたけれど、具体的にどんな姿で何をしていたのかまでは思い出せない。 轟くんの話では、一人目の男が私を攫おうとしていたけれど、爆豪くんの姿を見てその場にとどまったという。 ガスを吸って意識不明だった私は、男に抱えられたままで。 でも、そこで食い違いが発生した。 「確かにおまえは気絶してるみてえだったけど、すぐに目を覚ました。それから……"個性"を使って応戦してた」 「そんなことは……」 轟くんは、私がパスもつながずに幻覚を見せたと語った。 でも、私にそんなことはできない。だって方法が分からない。 第一そんな強力な"個性"を使えば、私の脳は負荷でパンクしただろう。 相当寝込んだけれど、医師の診断ではガスの影響のみで"個性"による熱暴走は見られなかったという。 でも、轟くんと爆豪くんの証言は一致しているし、記憶が欠落してる私の証言はあまりあてにならない。 いずれにせよ重要なのはヴィランの話なので、警察側では被害以外の部分は些細な齟齬として処理されるそうだ。 そこはあくまで警察側の話、当事者にとってはちっとも些細なことじゃない。 全く記憶にないし、そもそも意識もなかった筈なのに、"個性"を使ったなんて聞かされたら、なんだかモヤモヤする。 しかもとんでもなく強力で、おまけにデメリットもない……らしい。 いったい何が起こったというんだろう。 不可解な事実にヒントが欲しくて、ベッド脇の轟くんを見上げる。 と、普段表情の乏しい轟くんが、なにやら難しい顔をしていた。 どうやら一時的に目覚めたらしい私を見ていた轟くんは、何か思うところがあるようだった。 私の"個性"についてそんなに気になることがあったのか、それとももっと別のことだろうか。 「……本当に覚えてねえのか」 「……うん、ごめん……」 「いや、責めてるわけじゃねえ。病み上がりに悪かった」 轟くんが何を見たのか、多くを語ることはなかった。 何も覚えていない人に話しても、実りはないと思ったのか、轟くんは視線を逸らして思案し始めた。 なんとなく居心地が悪い。 私も当事者だったはずなのに、何も覚えていないなんて。 「あの、本当ごめんね轟くん。何にも覚えてないけど……攫われかけたってことは多分、また迷惑かけちゃったね」 恐らく爆豪くんと共に轟くんが助けてくれたんだと思う。 もしかしたら、私のせいで爆豪くんが大変な目に合ってしまったのかもしれない。 毎度毎度助けられてばかりで、申し訳なくなって頭を下げた。 すると轟くんはその目を僅かに見開いて、かと思うとすぐに逸らしてしまった。 「いや、俺は何もできなかった。あの時おまえは自分で窮地を凌いでたよ」 「えっ」 じゃあ、本当に強い幻覚を使ったんだろうか。あの場にいたすべての人を翻弄するくらいの。 信じられないことだったけれど、横を向いた轟くんの拳に力が入っているのを見て、何も言えなかった。 微妙な空気を断ち切るように、轟くんがこちらに向き直る。 「まあ、元気になったみたいで安心した。じゃあな」 「あ、また学校で」 僅かに頷いてから踵を返す轟くんを、小さく手を挙げて見送った。 扉が閉じて、再び静寂が訪れる。 上半身から力を抜くと、ぼすりと音を立てて後ろに倒れた。 轟くんが何を思っていたのか、分からなかった。 元々感情表現の乏しい人だけど、今回は更に分からなかった気がする。 轟くんは、私の何を見たんだろう。 私、変なことしてたのかな。 わざわざ合宿所近くの病院にやってくるほど不可解なことを。 ……そういえばそうだ。 轟くん、目的はなんであれお見舞いに来てくれたんだ。 短い間だったけど、わざわざ来てくれたのは嬉しい。 "元気になったみたいで安心した" 先程の何気ない言葉が思い出されて、じわじわと胸が暖かくなる。 ああ、変といえば、今の私も相当変だ。 轟くんがお見舞いに来てくれたこととか、肝試しのときの出来事を思い出して、顔をにやけさせてる。 そこへ神の啓示の如く、芦戸さんと葉隠さんの声が降ってきた。 "綾目さんってやっぱり〜……" "轟と仲良いよね〜?" ニマニマ顔の二人の姿がはっきり想像できたところで、慌てて顔を振る。 いやいやいや、そんなんじゃない。そんなんじゃないし!! ええい邪念よ消え去れ!! 一人でベッドの上で暴れて、不意に虚しくなってやめた。 何やってるんだろう私…… ため息を軽くついて天井を見上げる。 空気の静まった部屋は、一人だと妙に広く感じた。 「……」 お茶子ちゃんや梅雨ちゃんも襲われたり、緑谷くんや八百万さん始め沢山の生徒が怪我を負ったり、攫われた爆豪くんや、悔しさを感じた生徒達が沢山いた。 林間合宿中に起こった事件は、私達に様々な影響を及ぼしている。 そして……オールマイトという光を失った世界は、どうなっていくのだろう。 それと、もう一つ気がかりがあった。 私を攫おうとした男。 多分私がぎりぎり覚えているのはそちらの方なんだろうけど、どうして私を攫おうとしたのか。 緑谷くんがヴィランから聞いた拉致対象は爆豪くんだけという話だし、男の個人的な行動だったのかもしれない。 その男について考えようとすると頭がひどく痛んだ。 断片的に蘇る、ガスの中、男の目。 声すら思い出せないけれど、何か話していた気がする。 あの時男は何を語ったのか。 そして、私は何を思ったのか。 全ては靄の向こう側。 *** 簡単な別れを済ませて、轟は廊下に出る。 病室の扉を閉じて、小さく溜息をこぼした。 意識が回復したと聞いたので訪れたゆめの病室。 病院は何度か訪れているが、知人が入院している姿を見るのはまだ少し緊張する。 ベッドの上のゆめが笑顔を見せたことには安堵したが、心中の靄は払拭できなかった。 いつものゆめと同じ顔。 同じ雰囲気、同じ口調。 何も覚えていないと困ったように言う姿。 訊ねたいことがあった。 あの夜の出来事。 "個性"の事も気がかりではあったが、それ以上に忘れられない"野心顔"。 殺意に染まったゆめの顔。 それ程の事をあの男にされたのか。 あの時ゆめは何を言われて、何を思ったのか。 それを聞いてどうしたいのかは分からない。 それに、本人が忘れてしまった今となってはどうにもならないことだ。 けれどあの男の異常な執着は、必ず再びゆめの元へ現れることを予感させた。 その時ゆめがどうするのか、そして自分は何が出来るのか、考えておく必要がありそうだ。 ここ数日の出来事は轟にも大きなショックを与えていた。 自分の無力さ、悪の強大さ、支えの喪失を味わって、自分の中の価値観が崩れかけたほどに。 それでも―― 顔を上げて、廊下の先を見据える。足を踏み出し、前に進む。 それでも、目標は見失わない。 自身の歩みを止めるつもりはない。 そして、ゆめが道を踏み外しかけているのなら全力で引き止める。 共に歩くと約束したのだから。 *** ところ変わって某所。 モニターの薄明かりのみに照らされた、暗い部屋。 壁のいたるところに貼り付けられた無数の紙や、床に散らばったゴミが目立つ汚いところだった。 狭い空間には数人の男女が集まり、ある男を中心に取り巻いている。 「先生……」 その男は、みすぼらしい姿をしていた。 無造作にうねる髪、ぼろぼろの肌。 その目は光を失い、亡者のように何かを求めてさまよっている。 「あーあ、じめじめじめじめやだねェここは」 そこへ、似つかわしくないほど能天気な声。 扉から入ってきたのは、中心の男に負けないほど不健康な姿をした男。 "メタ"と名乗る男だった。 中心の男――死柄木弔が顔を上げ、地に這うような声で言う。 「おまえ……よくもぬけぬけと姿を現せたもんだな」 怒りを隠さぬ死柄木の目は、メタを射抜かんとしている。 ヴィラン連合の隠れ蓑となっていたバーはヒーロー達に制圧され、死柄木が"先生"と仰いでいた男も逮捕された。 急遽身を寄せた第二の拠点に集まっていたヴィラン達は、緊張した面持ちで二人を見る。 「あァなに、敵前逃亡のことそんなに怒ってるわけ? いいだろォ、アンタに協力するとは言ったけど、それはあくまでアンタの"先生"に借りがあったからだ。俺の目的は別なんでね、わざわざアンタのために危険を冒す真似はしたくないんだよォ」 「その先生が捕まったんだ……おまえがあの場に居れば状況だって変わったはずなんだよ……」 わなわなと拳を震わせる死柄木に、ちゃかしたように頭を振って両手を挙げた。 「おいおいおい、自分の失敗を人のせいにするなよォ。ま、俺だって失敗したし、お互い反省して次に活かそうやァ」 「おまえ……!」 「邪魔しない限りは協力してやるんだ、よォく考えろ」 「……、…………」 頭髪を逆立てる勢いだった死柄木だが、長い無言の末、全身から力を抜いた。 「今回は見逃してやる。この先を考えるなら、手ゴマは多い方がいい」 眼前の飄々とした男への怒りをひそめ、その代わりに瞳に宿した暗い炎。 子供のような癇癪は形を潜め、全ての憎悪も怒りも一点へと収束させていた。 その目に映るのは、破滅の未来か。 「懸命な判断だ死柄木ィ……なら、ついでに教えてやるよォ」 それを見たメタが嗤う。 「爆豪克己以外にも良いコマになりそうな奴がいる。俺の目的はそいつだ」 「……聞かせろ」 狂った笑みを貼り付けた男を値踏みするように、死柄木は睨み付ける。 その死柄木の中で渦巻く炎も同様に狂気を孕んでいた。 この場にいる人間は全て同類だ。狂気に堕ちた仲間だ。 同胞達に語りかけるべく、メタは口を開く。 「なァに平凡なガキだよ。だが素質を持ってる。名は、綾目ゆめ――」 *** ――大きな柱を失った世界。 惑う者、暗躍する者、全ての人を巻き込んで、次の時代へと流転する。 --- 後書き。 林間合宿編はここまでです。 今回から轟くんと距離を縮めたつもりですがどうでしょうか。 一気に登場キャラが増えたのでちょっと動かすのが大変でした。もっと活躍させたかったです。 ライバルも登場してここから徐々に物語の核心へ迫っていくつもりです。 オリジナル要素が増えていきますが、お付き合いいただければと思います。 2017.12.16
DADA