10 years
※10万打&一周年記念のif話。いつも以上に捏造。 それは突然のことだった。 仮免試験に合格し晴れてヒーロー科に編入した私は、座学に実技に追われハードながら充実した日々を送っていた。 今日も今日とてヘトヘトになりながらも、授業の復習と明日の予習のために机に向かっていた。 九月に入ったとはいえ、まだまだ暑い日が続く。 開けた窓から入る風だけでは物足りず、空いた手で団扇を仰ぐ。 窓の外は寮の中庭に面していて、ここからたまに誰かが訓練しているのが見えたりする。 暑さで集中力が削がれたことだし、今日は誰もいないのかなと身を乗り出して庭を見下ろした。 ひゅるるるー…… 「?」 ふと、気の抜ける音がした。 何かが打ち上がったのか打ち落とされたのか、空を裂いて飛ぶような音だ。 いったいどこから聞こえてくるのかときょろきょろしていると、突然星空がぽっかりと闇に切り取られた。 「え」 いや、違う。 眼前に迫った何かが、夜空を遮っていた。 それが何なのか認識するよりも早く、私の顔面に激突する。 ドカアアアン!! 「!?!?!?」 衝撃、爆音、大爆発。 吹っ飛ばされて宙を浮く体。 グラグラ揺れる頭、グルグル回る視界。 えええええ?! 爆弾?さっきの爆弾だったの?! 大きな音と共に煙が広がって、視界が真っ白に塗り潰される。 吹き飛ばされた衝撃で肺から空気が抜けた分、煙を吸って激しく咳き込んだ。 「ゲホゲホッ、何が、どうなって」 片方の手で目を擦りながら、もう片方の手で地面を探る。 ざらりと硬い感触を疑問に思ったものの、探り当てた地面に手をついて立ち上がる。 その途端、煙を突き破って何かが飛び込んできた。 「ゆめ!」 鋭く私を呼んだその人は、力強い手で私の肩を掴む。 え、なに、誰。 というかどこから、ここ私の部屋――? 「モロに入ったか!?動ける、か……」 焦ったように捲し立てるその人が、ピタリと動きを止めた。 立ち込めた煙が徐々に薄まり、視界がクリアになる。 その人は、大人の男性だった。 逞しい腕と、太い首。 鍛え上げた肉体を守るのは、深い青のスーツ。 人目を引くような赤と白の髪、涼しげな目元、大きな火傷の痕。 その顔立ちは、よく知る人のもの。 自分が知っている姿よりもずっと大人びてる。 「と……轟くん?」 思わずその名を口にすると、疑問が強く出た声になった。 そう、目の前の男性は、轟くんにとてもとてもよく似ている。 よく似ているけれど、大人の人だ。 私の言葉に僅かに肩を揺らした彼も、困惑の色を浮かべている。 なんと声をかけていいか分からない、といった風だ。 煙が晴れてきて、彼の向こうに景色が見えてきた。 大きな道路、そのあちこちに穴が空き、それを挟むように立ち並ぶ背の高いビルも、ところどころ壁や窓が壊れている。 そして一面に焦げ跡が付き、一際大きな氷塊が道路の真ん中に鎮座していた。 私の部屋も雄英高校も何もかもない、全く別の場所だった。 状況が呑み込めない。 だって、今まで寮の自室で課題とにらめっこしてたはずなのに。 ちょっと気分転換でもしようかと窓の外を眺めて―― 「……ゆめ?」 「は、え、はい」 轟くんにそっくりな人が私の顔を覗き込みながら名前を呼ぶので、反射的に応えた。 そんな私の反応を見て、その人の表情から疑問の色が少し薄まったようだった。 というか私の下の名前を呼んだ。 顔も声もしぐさすら轟くんにそっくりなので、訳が分からない状況なのにどぎまぎしてしまう。 轟くんのそっくりさん……いやでもこんな特徴的な人、世の中に沢山いるものだろうか。 わ、分からない。頭がパンクしそうだ。 そこへ―― 「今だ、ヴィラン確保!」 「応!!」 混乱している私にお構い無しに、辺りが急に騒がしくなった。 何台ものパトカーから警察官が登場し、道路の真ん中にあった氷のオブジェへ殺到する。 よく見れば、氷の中には見るからにヴィランといった風貌の男が囚われていた。 それと同時に空からヘリがやってきたり、近隣ビルから人影が顔を覗かせ始める。 野次馬達は警官に押し戻されながら、ヴィランの拘束現場や道路の大穴を撮影している。 と、そのカメラがこちらにも向いた。 「!」 「離れるぞ」 身を固くした私を立ち上がらせると、轟くん……のそっくりさんは、流れるように路地の方へ誘導する。 「あ、ちょっとショート!インタビューお願いします!」 背中から、報道陣らしい人の声が飛んできたけれど、彼は黙って歩き続けた。 腕を引かれるままに、歩調の速い彼に付いていく。 さっきの声、この人のことを"ショート"って呼んだ。 それは轟くんのヒーロー名だ。 やっぱりこの人は轟くん? でもなんで大人の姿? それに、突然見覚えのない街と、周囲の人達の反応。 そして―― *** 「……」 「入れよ」 極め付けはこれだ。 連れて来られた小さなビルの一角、彼が押し開けた扉の表札にはいくつかの文字が並び、最後に『ヒーロー事務所』と付いていた。 「お邪魔します……」 おずおずと扉を潜る。 部屋の中央には大きな絨毯、その上にはローテーブルとそれを囲うように並べられた黒い革のソファがあり、部屋の奥には事務所らしい無機質なデスクが二つ並んでいる。 その更に奥の窓はブラインドが下ろされていた。 その他に観葉植物や本棚が並び、いかにも事務所らしい内装だ。 ソファへ促されるまま腰かけると、コップを両手に持った彼がやってきた。 一つは私の前に置いて、彼はそのまま向かい側に腰掛ける。 そして手に持っている方のコップを口へ運び、ぐいっと傾けた。 飲み込むのに合わせて喉仏が上下する。 伏せられた睫毛の奥には、透き通る空色と、灰色の瞳。 私の知る轟くんより少し短い髪が、頭の動きに合わせて小さく揺れる。 見れば見る程そっくりさんである。 いや、多分そっくりさんではない……のかもしれない。 コップを置いた彼は椅子に座り直し、深く腰掛けた姿勢でこちらに向いた。 「……で、状況は飲み込めたか?」 いや、それはちょっと早急すぎでは? 「…………えーっと」 何から言えばいいのか考えあぐねていると、彼が口を開く。 「一応確認しとくか。おまえはゆめ……、綾目ゆめだよな?」 質問だけれど、確信を持った口調だった。 私が綾目ゆめであると知っている。 知っているけれど、彼が知る私とは異なるから、確認を行っている。 ということは、だ。 「はい。それじゃあやっぱり貴方は、轟く……轟、さん?」 目の前の彼は大人の姿をしている。気安く呼んでいいものなのか。 対する彼……いや、大人の轟くんはふっと笑って「呼びやすい方でいい」と返してくれた。 なんというか、余裕のある大人っぷりを見せつけられた気がする。 「もう分かってると思うが、おまえは過去から今に……おまえからすれば未来に飛んできたってことになるな」 「未来」 未来の轟くんが言った言葉を繰り返した。 なんとなく察していたけれど、やっぱり他者から告げられると衝撃だ。 未来に飛んできた。 事実と認めるにはあまりにすっとんきょうな出来事だった。 タイムトラベルを扱った書籍や映画、様々なコンテンツが世の中にはあるけれど、それらは全てフィクションだ。 まさか実際に、それも自分の身に起こるなんて誰が予想しただろう。 「未来……本当に……」 口にすると、じわじわと実感が湧いてくる。 信じられない、けど、実際に様変わりした同級生の姿を見ると、認めざるを得ないというか。 「俺も話を聞いた時は半信半疑だったんだが、実際に高校の頃の格好になってて納得した」 「話?」 「ああ、この時代のおまえから聞いた」 「この時代の、私……」 それはそうか。 未来の私ということは、過去の、今私に起こっている出来事は経験済みということになる。 この先起こるであろう出来事を、あらかじめ誰かに相談しておいても不思議じゃない。 のだけど、気になることがある。 さっきから轟くんの口ぶりは、どうもこの時代の私と面識がある、いやそれ以上の親密な関係であるように感じる。名前で呼ぶし。 どういうことだ。どういうことなんだそれは。 もしかして、未来の私は轟くんと……いやいやいや、待ってストップ!!それ以上はいけない! 過った推論をはぐらかすように、別の疑問を口にする。 「あ、あの、ここってヒーロー事務所だよね。もしかして……?」 「ああ、俺の事務所だ」 「やっぱり!」 すごいぞ轟くん、未来では本当にヒーローになってるんだ! プロヒーロー"ショート"として、名前を呼ばれる程活躍してるんだ。 最初はエンデヴァーさんのところでサイドキックでもするのかと思ってたけれど、というかここってどれくらい未来なんだろう? 「それと、おまえの事務所でもある」 「……え」 「ヒーローでバディ組んでんだ、俺とおまえで」 「えええ!?」 なんてこった、私もヒーローになってた。 それを目標として頑張ってたわけなんだし、そりゃ当然というか、そうならない未来なんて考えたくもないけれど。 それでもやっぱり嬉しい。 私はちゃんと、辿り着いていたんだ。 「そうだったんだ……へへへ……そうだったんだ」 思わずにやけてしまう私に轟くんの視線が刺さってるのを感じて、緩くなった頬を押し戻した。 ヒーローになっていたという事実は分かったけれど、更に気になる点がある。 「バディってどういうことです?」 思わず身を乗り出した私に、まあそうなるよなと頷いた轟くん。 食い付く私を手で制した後、大人になっても変わらぬ淡々とした口調で応えた。 「色々あったんだが、説明すると長ぇし今は無理だ」 む、それはそうか。 私の知らないことを一から説明するってことになるし、それはちょっと大変だろう。 私も心の準備ができてない。 「暫く休憩室に居てくれるか」 轟くんが指さした方向には、すりガラスのはめ込まれた扉があった。 「休憩室?轟くんはどこへ……」 立ち上がった轟くんを見上げたところで、インターホンのチャイムが鳴った。 それと同時にわめき出すのはテーブルの上の電話。 「!?」 小さく息を吐いた轟くんが、インターホンに応答しながら、視線で休憩室に行けと告げてくる。 慌てて休憩室に転がり込むと、スピーカー越しに声が聞こえた。 テレビのリポーターか新聞記者か、轟くんに取材を付けようとしているらしい。 「いや、後にしてください。先に警察へ――」 ちらほらと聞こえてくる会話では、どうやら轟くんがヒーローとして解決した事件について取材をしたいらしい。 事件……思い返してみれば、この時代に飛ばされて一番最初にいた場所は、まさに事件現場だった。 破壊された町、氷と炎の跡、警察と野次馬達。 まさにショートの活躍によってヴィランが倒された直後だったんだろう。 もしかして私、とんでもないタイミングで飛ばされて来てしまったんじゃなかろうか。 轟くん結構焦ってたみたいだし。 今更だけど、私が現れた場所にはこの時代の私がいたんだろうか。 この時代の私と入れ替わったんだとすると、この時代の私は……? けたたましく鳴っていた電話の呼び出し音が途切れた。 轟くんの声が何事か告げ、次いでやや乱暴に切る音がした。 どうやらメディアの突撃にうんざりしているらしい。 応対にも手慣れた様子だし、こういう事態には慣れっこなのか。 この時代の轟くんは、ヒーロー活動を始めてどれくらい経ったんだろう。 今は何年何月なのか…… カレンダーでも無いかと机の上に手を伸ばした時、少し開いたままだった扉ががばっと開いて、轟くんが顔を覗かせた。 「悪い、今から出てくる」 「へあ!?」 びっくりして不自然に固まった私を見て瞬きする轟くん。 ちょっと探ろうとしただけだけど、なんとなく居心地が悪い。 「……休憩室は好きに使っていい。戻ってくるから、少し待っててくれ」 「あ、はい。えと、いってらっしゃい……?」 語尾が疑問形になったものの、挨拶を送る。 轟くんの目が少し大きくなって、それからふっと目尻を下げた。 「ああ、行ってくる」 パタンと閉じた扉の向こうで、慌ただしい物音がする。 その最中にも電話が鳴っていたけれど、ボタンを押す音がした後は、すっかり黙ってしまった。 最後に玄関扉が閉まる音がして、事務所内に静寂が訪れる。 「……ふう」 せわしない空気が落ち着き、なんとなくベッドに腰を下ろす。 改めて見渡した室内は、黄色い照明が一つついた小さな部屋だった。 一人用のベッドはシーツがひっぺがされ、乱雑に丸められている。 小さな戸棚は中身があまり整頓されていない。 机の上には軽食やポット、そして新聞が置いてある。 時計も無い簡素なインテリアは、仮眠を取るためだけの場所といったところだろうか。 室内で得られる情報が少ない分、気分も落ち着いてきた。 改めて今の自分について考える。 どうしてこういう状況になったのか、それは分からない。 突然未来の世界に飛ばされたなんて。 でも、思ったよりもパニックになっていなかった。 それはきっと、轟くんがいてくれたからだ。 大人の姿は少しドキドキするけれど、本来の私がいた時代と変わらず傍にいてくれた。 見知った人が近くにいる安心感たるや。 この時代について分からない以上、轟くんの言葉に従うのが妥当だろう。 原因はわからないけれど、未来の私がこのことを知っていたということは、どこかで必ず帰れるということだ。 慌てず騒がず、その時を待てば良い。 それはそれとして、やっぱり気になるのでちょこっと物色するくらいはいいかな? 膨れ上がる好奇心には勝てず、もそもそと新聞を手に取った。 日付をチェックすると、元々私がいた世界からおよそ10年後の日付の朝刊のようだ。 つまりここは、10年後の未来。 25歳くらいの私がいる未来。 一面に載っているのは知らない事件、知らないヒーロー。 そして見知った顔のヒーロー……ショートの活躍がつらつらと述べられていた。 でかでかと映し出されているのは、警察に連行されるヴィランの姿。 轟くんの小さな顔写真と共に、その目覚ましい活躍をひたすら賞賛している。 英雄繁忙期という見慣れない単語と、その近くに中面で活躍中のヒーローをピックアップしたコーナーについての案内が目に付いた。 「……」 そのページを開く気にはなれなかった。 なるほど轟くんが大活躍しているのは、高校生の彼を見ても納得の未来だ。 そして、緑谷くんやお茶子ちゃん、飯田くん達も、きっと華々しく活動しているのだろう。 でも、そこに自分の名前が連なっているか、自信がなかった。 私の"個性"は分かりにくい。 ヒーローとしての資格は得たとしても、周知されないようでは、目標を達成したとは言えない。 私の目標は、ヒーローになること。 ヒーローになって、そして―― だから、未来の私がどうなっているのか、知ってしまうのが怖かった。 「……」 日付が分かっただけでも上々だ。 新聞を読むのは止めて、他のものを何か探してみようかな。 新聞紙を元の場所に戻して、休憩室の中を見渡した。 目ぼしいものは見当たらないけれど、散らかっているのが違う意味で気になる。 片付ける暇もないくらいよっぽど忙しいんだろうか。 机の上や戸棚の中身をちょちょいと集めて揃えて重ねるくらいすれば、見た目だけでも綺麗になった。 「よし」と満足感は得たけれど、結局何の情報も得ていない。 ここは捜索範囲を広げるしかない。 扉を開いてそっと顔を出した。 広い部屋には当たり前だけど誰もいない。 デスクの上の電話だけがチカチカと光りっぱなしだけれど、触らない方がいいだろう。 こちらの本棚は辛うじて整頓できているようで、事件名の書かれたファイルが五十音順で並べられている。 他にも、ヒーロー名鑑やらヴィラン一覧やら、地図や線路図、その他小難しい本がびっしり詰まっていた。 中身まで拝見しなくても、この事務所がどれだけ仕事をこなしているのかよく分かる。 ただ、こちらの部屋も机の上は散らかっている。 ヴィランの人相書きや事件の分布図、そして走り書きのメモ。 これは……私の文字だろうか? ていうことは、こっちが私のデスク……いや、電話の近くに置いてあるから電話を取った時に書いたのかも。 引き出しを開けるのは、ちょっとはばかられる。 あと目についたのは、茶封筒から出されたままになっている書類……履歴書だろうか? うーん、机の物色は諦めよう。 散らかった書類を片付けようにも、勝手にいじくってまぜこぜにするのも困るだろう。 手を入れるのは止めて、ローテーブルの上にあったリモコンを手に取った。 世の中を知るにはニュースが一番。 勝手に流れる映像を眺めるだけなら簡単だ。 「お」 と、テレビを付けた瞬間画面に映し出された轟くんの姿に硬直した。 ニュースのテロップには『ショートまたも活躍』なんて書かれている。 轟くん、事件のインタビューを受けるために出ていったのか。 ヒーローの活動報告も仕事の一環だ。 轟くんが画面の向こうにいるのが新鮮で、なんとなくエンデヴァーさんの取材放送を思い返していた。 エンデヴァーさんより威圧感はないけれど、無表情で淡々と語る轟くんのマイペースぶりに取材陣も食い込めないらしい。 投げかけられる質問に二言三言応えるだけで、会見はどんどん進む。 『相方のヒーロー名さんが活動休止ということですが、原因は今回のことでしょうか?』 おや? それはもしかして私のヒーロー名だろうか。 『はい。戦闘時に負傷したので休養を』 『復帰の時期はいつ頃の予定ですか?』 『……怪我の経過を見て。まだ詳しい日時はなんとも』 どうやら未来の私はヒーロー活動を休むことになったらしい。 それもそうか、今の私が人前に出ては混乱を招くだろうし、そもそも今の私は残念ながらヒーロー免許は持っていない。 なんやかんやと質問が飛び交ううちに会見は終わったらしく、画面がスタジオに切り替わる。 あ、このニュースキャスターさん、まだ続けてるんだ。私の時代に比べて白髪が目立つようになったなぁ。 先程の映像は緊急ニュースとして放送されたらしく、ニュースキャスターさんがまとめの流れに運んでいく。 本日はこのようなニュースをお伝えしました、と定型句で締めくくられ、ニュースの時間が終わった。 続いて始まったのは、有名タレントがアポなしで道行く人の家に突撃する内容のバラエティだった。 こういう番組は未来になってもやってるものなんだ。 タレントに声を掛けられて飛び上がる人を眺めていると、鍵の開く音がした。 「わっ」 慌ててテレビのスイッチを切ると、すぐに扉が開かれる。 入ってきた轟くんは、リモコンを持った姿勢で固まる私を見て、ぱちりと瞬きした。 「お、おかえりなさい……」 無言で見詰められると無性に恥ずかしい。 誤魔化すように挨拶を述べると、消え入りそうな声になってしまった。 「待たせて悪かった」 「い、いやぁ……」 休憩室で待っていられなかったので、こちらこそ申し訳ないというか。 部屋の奥へ移動した轟くんは、荷物を机に置いて点滅している電話のボタンを押す。 『お忙しい中すみません、こちら××新聞の……』 『もしもし、私○○放送の者ですが……』 『こんばんは、本日のご活躍耳にして……』 流れる録音を次々と飛ばして、点滅が止むと溜息をついた。 なんともお疲れの様子だ。 日中はヒーロー活動に精を出し、今日なんてヴィランを相手に大活躍したのだろう。 そんなところに畳み掛けるようなマスコミの突撃……ヒーローの裏側を目の当たりにしてしまった。 職場体験にも行ったりはしたけれど、エンデヴァーさんの事務所は大きなところで事務の人が取次をしてくれていたので、エンデヴァーさん本人やサイドキックに直接電話が来ることはなかった。 こうなると、机の上にあった履歴書の理由もなんとなく見えてくる。 未来の同級生のリアルな職場を見るのは、なんとも奇妙な気分だった。 「……もう少し待ってくれるか、着替えてくる」 「あ、はい。どうぞ……」 轟くんは気怠げな様子で休憩室の隣の部屋へ消えていった。 あそこは更衣室なのかな。 留守電を消化して、ヒーロースーツから着替えて、となると次にするのは…… *** 「乗れよ」 助手席のドアを開けた轟くんが言った。 淡いブルーのシャツとブラックのパンツというシンプルな格好に着替え終わった轟くんは、「送ってく」と私を連れて事務所を後にして、ビルの裏にある駐車場までやってきた。 そして車である。 轟くんの手に握られたキーは、この車のものである。 未来の轟くんは免許の取得できる歳なのだ。 頭では分かるけれど、高校生の身である私には実感できないことで、そのギャップに面食らってしまった。 轟くんの持つ車は、パールホワイトの美しい流線型をした車種だった。 車体は低く、ドアは両脇に一つずつ。 後部座席も付いているものの、人が乗るには少々狭い。 大人数を乗せることを目的としていないタイプの車だ。 見たことのない車種だけれど、恐らくスポーツカーに分類されるものだろう。 頭を下げて乗り込んだ車内は、背の低い見た目に反して意外と広い座席だった。 背もたれに背中を預けると、フロントガラスの向こうが遠く見える。 反対側のドアを開けて、慣れた動作で運転席に座る轟くん。 事務所よりも狭い空間の中で、隣のシートの気配がやけに近く感じた。 轟くんが腕まくりをして、鍵を差し込みエンジンを掛ける。それからハンドルを握って前を向く。 その動作一つ一つに、何だかドキドキしてしまう。 こ、これが大人の魅力というやつかな。 本来の私にとっては同級生だと分かっていても、ちらりと横目で見盗み見ると、そこにいるのは大人の姿の轟くんだ。 なんというか、緊張する。 未来の私は、轟くんとバディを組んでヒーロー活動に勤しんで、毎日こんな風に送ってもらっているのだろうか。 大人になった私は、変に緊張することもないのかな。 胸の鼓動を悟られないように、深呼吸をした。 地面を滑るように走り出した車は、道路に出ればグングン速度が上がっていく。 低い視界はスピード感がある。 慣れない感覚に怯んでいると、車が交差点を曲がった。 サイドを確認してハンドルを切る姿も様になっているというか……大人の余裕、包容力みたいなものが滲み出てる。 とかいって見惚れている場合ではない。 そろそろ気になる問題を解決したい。 「……あの」 「なんだ?」 真っ直ぐ前を見詰める轟くんの横顔に控えめに声を掛けると、すぐさま返事が返ってきた。 運転に集中してるかと思ったので、ちょっと驚く。 「あっと、あの、この時代の私の家って……」 そう、家である。 着替えて事務所を閉めて車に乗り込む。 あとは完全に帰宅の流れなのだけれど、今の私は帰る家が分からない。 轟くんが「送ってく」と言ってくれている以上、このままいけば家までは連れて行ってくれるだろう。 けれど、それがどんなところなのか全くわからない。 10年前の私はアパートを引き払って寮生活だし、ここから実家までは遠すぎるし、そもそも鍵も持ってない。 もしも家に入れたとしても、10年後の世界のことは何も分からないし、一人で過ごすには難易度が高すぎる。 不安を吐露したところ、轟くんは「ああ」と薄い反応を示した。 そのまま無言になる轟くんに、不安と疑問が膨らむ。 やがて赤信号で車が止まると、隣の気配が動いた。 「……どのタイミングで言うか迷ったんだが」 顔をこちらに向けて、轟くんが口を開く。 真っ直ぐな視線は、10年前と変わらない。 「この時代のおまえ、結婚してる」 「…………え」 突拍子のなさすぎて、耳が日本語として聴き取ってくれなかった。 脳内で何度か反芻して、やっと単語を理解する。 轟くんは何て言った、けっこん? けっこんって、あの結婚? 「ええぇ?!」 結婚!?私が!? 10年も経てば適齢期ではあるので、可能性は無きにしも非ず、でも、まさか。 結婚……マジでか…… いきなりすぎてビックリした。 ショックが大きい、全く構えてない方向から殴られた気分。 ていうかさっきの会話、結婚話になる流れだった?! 脈絡がなさすぎて訳が分からな―― ……もしも、轟くんにとっては脈絡があるのだとしたら。 いや、待って。それってつまり……え? 「え……ええ……?」 動揺する私の前で、轟くんがシャツの胸元に片手を突っ込んだ。 細いチェーンが持ち上がり、その輪に通されたものが顕わになる。 シンプルなシルバーのリング。 控えめなストーンがリングに埋め込まれており、裏に文字のようなものが彫ってある。 それは、間違いなく、指輪。 「俺と。だからおまえん家ってのは、俺の家のことだ」 そうして彼は、さらりと変わらぬポーカーフェイスで告げた。 「えええええええ!!?」 2018.07.08
DADA