新学期
波乱の夏休みが終わって、新学期が始まった。
前日の内にA組の皆に挨拶は済ませていたので、教室では簡単な一言で済ませて早々に始業式へ向かう。
因みに席は八百万さんの後ろ……隣には誰もいないちょっと寂しいところだ。
委員長の飯田くんがキビキビと指示するところへ、不意に声が掛かった。
「聞いたよーA組ィィ!二名!そちら仮免落ちが二名も出たんだってええ!?」
高笑いしながら現れたのはご存じB組の物間くんだ。
先の仮免試験、B組は全員合格したらしく鼻高々といった感じだ。
「こちとら全員合格、水があいたねA組」
「……悪ィ……みんな……」
物間くんのドヤ顔に中てられて、轟くんの顔に影が差す。
轟くんも緑谷くんに負けず劣らず律儀というか、何と声を掛けたものかと考えていると、物間くんの絶妙な角度の顔がこちらに向いた。
「残念だよ綾目さん、折角ヒーロー科に編入出来たっていうのにA組だなんて。我らがB組なら落ちこぼれる事無く成長できたっていうのにねえ!」
物間くんの屈折した対抗心が飛び火してきたので、とりあえず思ったことをそのまま返す。
「えっと……それは私の頑張り次第だと思うので……」
「正論!!」
その後角取さんにおかしな日本語を吹き込んだりと色々暴れた物間くんのせいで玄関が渋滞し、後ろから急かす声が上がる。
「かっこ悪ィとこ見せてくれるなよ」
ずいっと前に出たのはC組の心操くんだ。心なしか体育祭の時よりも体格がよくなっているような……?
飯田くんが謝罪したところで、ヒーロー科生徒達はぞろぞろと進み出した。
靴を履き替えて顔を上げて、何気なく振り返ると心操くんとばっちり目が合った。
クラスが違うとあまり接点はなく、体育祭以来殆ど言葉も交わしていない。
けれどもあの時は同じ目的の元で意気投合したわけで、それから私が一足先にヒーロー科へ編入したという状況なわけで……ううん、何を言ったものだろうか。
「編入、したんだって」
言葉に迷っていたら向こうから話しかけられた。驚き半分うれしさ半分で返事を返す。
「! う、うん! そうな……ッ!?」
途端に体が石みたいに固まってしまった。
焦る私の視界に入ったままの心操くんが唇の端を持ち上げた。
これは心操くんの"個性"か……!
「先越したからって、油断してるなよ」
自由が効かない私を追い越しざまに心操くんがぽつりと零す。
と、氷が溶けるように体の緊張が解けた。
お、驚いた。いきなり"個性"を仕掛けられるなんて。
結局私から何も言えなかったけれど、心操くんも志を持ち続けているみたいだ。
確かに心操くんの言う通り、気を抜いてる場合じゃない。私はここから頑張らなくちゃいけない。
***
――と、気合いを入れたつもりだったけれど、自分で思っていたより私は浮かれていたようで。
初日の座学が終わり二日目、初めてのヒーロー基礎学。
詳細は割愛するけれど、内容はチーム対抗の実技訓練だった。
これまでA組と一緒に行動することはあったし、訓練実践諸々合わせた戦闘経験も少なからずある。
だから、皆とそんなに差はないと思っていた……思い込んでいた。
「……うぐぅ」
運動場から教室の自席に帰ってきた直後、机に突っ伏す。
……結果は惨敗。
発目さんに作ってもらった武器とか、同じチームになったお茶子ちゃんとの連携とか、初めは上手くいったように思ったけれど、流れはすぐに覆された。
"個性"の差もあるけれど、大きいのは経験の差だろうか。
戦況の読み、咄嗟の判断、瞬発的な反応、その他様々な局面で差を感じた。
「疲れたか」
机の前に気配を感じて顔を上げると、轟くんがこちらを見下ろしていた。
「……うん、そうだね」
チーム対抗訓練で、轟くんは相手チームに入っていた。
轟くんとの対戦も体育祭以来になる。
相対した轟くんは、あの時よりも遥かに強くなっていた。
彼の努力は知っていたし、チームが分かれた時から最大の脅威と考えていたけれど……それでも、実際に眼前に迫られた時、それを実感した。
……負けると、直感した。
『――心構えが違う』
訓練後、相澤先生に言われた言葉を反芻する。
『A組の奴らは敗北なんぞ考えちゃいない。負けの可能性を考えた瞬間お前は力を失った。ヒーローに敗北は許されない。どんな窮地に追い込まれても、打てる手を考えて動く。それを肝に銘じておけ』
相澤先生は淡々と告げた。
ドライアイの冷たい視線が、愕然とする私の肩に重く圧し掛かる。
『綾目、編入生だからといって甘やかすつもりはない。見込みの無い者は――』
――……
「綾目?」
名前を呼ばれてハッとすると、小首を傾げた轟くんがいた。
他の生徒は既に帰宅準備を終えて、ぞろぞろと教室を後にしている。
「ごめん、ぼーっとしてた。やっぱり疲れてるみたい」
へらりと笑うと、轟くんは無理をするなと気遣ってくれた。
「部屋戻って、ちゃんと休めよ」
気遣いは嬉しいが、私は首を横に振る。
「……ううん、訓練しなくちゃ」
今の量じゃ足りない。皆に追いつけない。
それに、追いつくだけじゃいけない。
トップヒーローを目指すならもっと訓練しないと、もっと努力しないと。
私にはそれしかないのだから。
ヒーローになるために。
***
ヒーロー科生活三日後、謹慎していた緑谷くんが復帰した。
それから本格的にインターンについての話があって、雄英ビッグ3がぞろぞろと教室に入ってくる。
ヒーロー科三年生の中でもトップの実力者、その佇まいも何だか違って見える。
「頭が真っ白だ……辛いっ……! 帰りたい……!」
「けどしかしねえねえところで君は何でマスクを?風邪?オシャレ?あらあなた轟くんだよね!?ね!?何でそんなところを火傷したの!?芦戸さんはその角折れちゃったら生えてくる?動くの!?ね?峰田くんの――」
「前途ー!? 多難ー!っつってね! よォしツカミは大失敗だ!」
ただなんというか、キャラが濃い人達だ。
自己紹介(?)も程々に、ビッグ3とA組が戦う流れになり、体育館γへ移動した。
なんと通形先輩一人でA組二十人を相手にするという。
緑谷くんが先鋒として前に出て、近接スタイルの生徒もそれに続けと構える。
「よろしくお願いしまーっす!!」
そして掛け声と共に踏み込んだ緑谷くん。
瞬間。
「あーーーー!!」
通形先輩の服が大変な事になった!?
女子の悲鳴と男子のどよめきの中、先輩の正面に潜り込んだ緑谷くんだったけれど、その攻撃は通形先輩をすり抜ける。
続く遠距離の攻撃もすべて、通形先輩は一歩も動かないまま躱した。
かと思えば姿を消した通形先輩が一瞬で遠距離部隊の元に現れ、あっという間にノックアウトしてしまう。
「一瞬で半数以上が……!」
皆より離れたところで轟くんが驚いていた気がするけれどそれどころじゃない。
決めポーズもばっちりな通形先輩に、私含む残る近接部隊もたじたじだ。
「何かからくりがあると思うよ!」
ぶつぶつと語る緑谷くんの観察眼は冴えている。
そうだ、攻めあぐねている場合じゃない。
"個性"が予想できないとはいえ、相手は近接タイプ。
私の"個性"なら、接近してきた瞬間がチャンスだ。
再び消えた通形先輩。
現れたのは緑谷くんの背後。奇襲だ。
しかし、合わせたように緑谷くんが振り向く。
通形先輩の出現位置を予測した……?
しかし通形先輩は僅かな反撃をものともせず一撃で緑谷くんを制する。
再び床下に沈んだ先輩の姿。
消えてから現れる時間はほんのわずか。
でも、距離と時間に一定の法則がある。
次に現れるタイミングは――ここだ!
「!」
足元の床に通形先輩の頭が現れた瞬間、バックステップで後退する。
同時に手首に巻いた金属製のブレスレットを外し、地面から飛び出した体目掛けて放――
「フェイント……ッ!?」
しまった――緑谷くんの時点で、通形先輩は読んでいたのだ。"相手に動きが読まれる"ことを。
浮かびかけた頭部は一瞬で沈み、直後背後に感じた気配。
振り返った先には、全裸の通形先輩がいた。
***
「うっ……」
胃酸が逆流しそうだ。
通形先輩の太い腕から放たれたパンチをお腹のど真ん中に喰らい、皆腹部を押さえて俯いている。
参戦しなかった轟くんは一人涼しい顔をしていた。
轟くんにちょっと恨めしげな視線を送りつつ、通形先輩のスピーチに耳を傾ける。
「俺はインターンで得た経験を力に変えてトップを掴んだ! ので! 恐くてもやるべきだと思うよ一年生!!」
なるほどインターン、飛躍的な伸びが期待出来るのなら、今の私にはぴったりだ。
けど、インターンは体育祭のコネを使うという話だ。
私がスカウトを貰ったのはエンデヴァー事務所だけで、今やあそこは繰り上げNo.1ヒーローとしててんやわんやの真っ只中。
どうにかしてインターンをやりたいところだけど……
***
「ダメだ」
放課後の職員室で、相澤先生はピシャリと言い切った。
ビッグ3の説明会の翌日、爆豪くんも復帰したところで、一年生のインターン活動についての先生方の見解が知らされた。
『インターン受け入れの実績が多い事務所に限り一年生の実施を許可する』ということで、インターンの許可は出ている。
一応エンデヴァー事務所に連絡をして見たものの、今は受け入れ余裕が無いとのお話だった。
そうすると誰かに紹介をしてもらうしかない。
そういう時は、プロヒーローでもある担任の先生が一番だ。
という訳で、至極合理的に相澤先生に相談したのだけれど、その返答がこれだ。
「ど、どうしてですか」
乾燥気味の目でジロリと見られると、何となく萎縮してしまう。
「綾目、おまえは編入して日も浅い。クラスの他の奴らと比べても能力不足は明らかだ」
それはおまえも自覚しているだろう、と付け加えられ、図星を付かれて言葉に詰まる。
「今は授業に専念しろ。出遅れた分を少しでも早く挽回することだな」
その挽回のために、インターン活動をしたいのだけれど……と思いつつ、先生の血走った目を見て唇を閉じた。
インターンはおままごとではなく、本場のヒーロー活動なのだ。
授業すらついていけないようでは、インターンなんて更に足でまとい。
「はい……」
焦る気持ちをぐっと堪えて、しぶしぶ退る。
もやもやが胸の内で燻っているけれど、授業の復習と毎日のトレーニング、今はそれを続けるしかない。
「失礼しました……」
職員室を出る際、私の背中を意味深に見つめる相澤先生の視線には気付かなかった。
***
更に翌日、お茶子ちゃんと梅雨ちゃんがインターン活動を始めることを意気揚々と発表した。
「いいな〜、頑張って二人とも!」
「まあ、どちらの事務所でなさるんですの?」
羨ましがる芦戸さんと、尋ねる八百万さん。
「ドラグーンヒーローリューキュウのとこだよ!」
「波動先輩が紹介してくれたの」
元気よく腕を振り上げたお茶子ちゃんと、その隣でニコリと笑う梅雨ちゃん。
二人とも期待にうきうきとしている。
「頑張ってきてね」
「うん、頑張る!」
フンと鼻から息を出したお茶子ちゃん、気合い十分といった感じだ。
梅雨ちゃんは、指を口元に当てて私に視線を送る。
「ゆめちゃん……」
「梅雨ちゃんも、頑張って」
「ええ……ありがとう。ゆめちゃんも、最近夜遅くまでトレーニングしてるでしょう。無理しないでね」
にこりと微笑んで見せたら、梅雨ちゃんは何かを察したように労りの言葉をくれた。
……本当は、羨ましくて仕方がない。
私は参加出来ないまま、お茶子ちゃんや梅雨ちゃん、そして緑谷くんや切島くんもインターンに参加して、どんどん差が開きそうで。
私は全然、今のままでは足りないのに。もっともっと頑張らないといけないのに。
胸の底で、じわじわと焦りが募っていた。
2020.01.11