襲撃者
職員室、相澤のデスク。 「綾目はあの通り、不安定な時期です。編入したばかりですし、あまりメンタルを刺激するようなことは……」 受話器を耳に押し付けて、その向こう側の人物と会話する相澤。 『そのようだな……私も驚いたよ』 受話器の向こうから返ってきたのは壮年の男の声。先日雄英高校を訪れたコモンマンのものだった。 『だがこれは彼女が卒業するまでに知っておくべきことだ。不安定な時期ならば尚更、この事実も加味して将来を考えるべきではないだろうか』 「一理ありますが……綾目の反応は予想を超えていた。もう少し時間を掛けた方がいいでしょう」 消極的な相澤に、コモンマンは考えるように押し黙る。 『ふむ……もう少し彼女と対話する機会が欲しいな』 「ですからーー」 『聞けば雄英は全寮制になって外出機会がぐっと減ったとか。気晴らしに外に出るのも良いと思わないかね。プロヒーローも同行するなら許可も取ってくれるだろう?』 「…………」 コモンマンのはきはきとした声に、相澤は顰め面をする。受話器から離して溜息を吐いた後、観念したように返答した。 「わかりました。ただしあまり連れ回さないようお願いします」 暫く応酬を重ねた後、受話器を戻した相澤は椅子に背中を預けた。ぎぎぎと鈍い音を立てる背もたれに頭を乗せ、職員室の照明を見上げる。 一時の休息を取りながら、彼の脳は数日前の出来事を再生していた。 面会の翌日、宣言通りにゆめを呼び出した相澤は、ゆめのコモンマンへの態度を問い質した。 が、ゆめの言葉は歯切れ悪く要領を得なかった。 『分からない、です。あの時私の中で何かがどろどろになって、でも私、あんな風に怒鳴るつもりは……どうして、あんなことをしてしまったのか……私、何かおかしいです』 ぽつぽつと言葉を漏らし、顔を上げたゆめ。揺れる瞳は、自分自身に戸惑っているのが見て取れた。 コモンマン……一線を退いたとて今も現役のヒーロー。そんな彼を前に見せたあの態度。十年前の事件に関わった人物。あの事件は、想定より根深く彼女に巣食っているらしい。 もう少し注意して見たいのは山々だが、プロヒーローとしての出動要請――死穢八斎會の動向調査、そしてインターン生達の監督もある。教師とプロヒーローの兼任は、いつもこういった難題ばかりだ。 コモンマンが指定してきた日付は、丁度作戦決行前の最終会議の日付と被ってしまった。彼とゆめを引き合わせた時、妙なことが起きなければいいが、と一人心中でごちた。 *** 授業終わりの放課後、とある駅前。 小綺麗なスーツ姿のおじさんが、私に向かってハットをちょいと持ち上げる。 「こんにちは綾目さん。今日は時間を取ってくれてありがとう」 「……どうも」 あれから結構日にちが経った今日、私は再びコモンマンと相まみえていた。 前回彼の姿を見た時は、どうしようもない感情が膨らんでしまったけれど、学業とトレーニングに打ち込んで無理矢理忘れた。しばらく経てば沸騰していた気持ちも落ち着いて、今度はどんよりとした気持ちが舞い戻ってくる。 インターン組は爆豪くんが爆ギレするほど目覚ましく成長していて、その差に私はますます焦る。焦ってトレーニングを増やして、睡眠時間は更に削れて、不安ばかりが募っていく。 そこに降りかかる、この人のにこやかなスマイル。相澤先生もインターン組も放課後一斉にどこかへ向かって、先生や友達を盾にすることもできない。 げんなりしながら、促されて歩き始める。 「外出は久々なのでは? 雄英高校は自由度が高いとはいえ、最近はそうも行かないようだからね」 「そうですね」 他愛のない世間話でも、最低限の相槌しか返せない。 やっぱりどうしても、どうしてもこの人のことは好きになれない。ちらちらと脳裏に過ぎる十年前の光景が、ふつふつと苛立ちを湧き上がらせる。 「私は雄英に馴染みがあるのでね、少々の無理は利かせられるのだ」 「そうですか」 「実は元雄英生であり、元教師でもある!」 「えっ」 それは知らなかった。 雄英出身のプロヒーローは、それはもう沢山いるけれど、元教師という人はあまり聞かない。 「気になるかい? 当時の話でもしてあげよう。私が担任を受け持ったのは普通科ばかりだったが、あの頃はそうだな……」 「いえ、いいです」 少し興味が湧いたそぶりを見せたら、くるくると口が回り出す。そっけない返事を返すと、すぐに話題を切り替える。 「おやそうか、それは残念。フム――ああそうだ、確か一年生もインターンを実施しているのだそうだね。君は参加していないのだろう? 私の知り合いに、雄英生を受け入れているヒーローがいる。君を紹介して――」 「あの!」 止まらない言葉を遮ろうとして、少し大きな声がでてしまった。 「そういうのはいいですから、要件を言ってください」 自分の声が怒ってるように聞こえて、子供っぽい態度に自分でもげんなりしてしまう。実際イライラはしているのだけれど。 ちょっと驚いたコモンマンは、少しの間口を閉じて、それからゆっくり話し出した。 「……いや、その前に、私と君の関係を改善する必要がある」 「そんなこと……」 必要ない、と言い掛けた私に、コモンマンが足を止めた。 ハットを脱いで私に向き直ると、真っ直ぐに見詰めたまま胸中を吐露する。 「先日の君との対面で、私はショックを受けたよ。私は――今までの活動の中で、自分に出来うる正しい行いをしてきたつもりだった。だが私は十年前、君を真に助けることができていなかった……それは君の態度が告げている。私はヒーローだ、弱きを守る事を生業としている。だのに子供の笑顔一つ守れていなかったのだ」 静かに語るコモンマン。真摯な態度だ。言葉の端々に正義感を滲ませている。 「君に告げるべきことがある。だがそれを口にするのは、君が救われてからではないといけない。そう確信したのだ」 立派な人だ、と思う。 この人は何も悪くない。悪くないのに……どうして、こんなにも怒ってしまうのだろう。 「綾目くん、どうすれば君を助けられる? どうすれば、私は君の力になれる?」 「それは――」 その真っ直ぐな視線に耐えかねて、目を逸らして口ごもる。 私だって、どうしたらいいのか分からない真っ最中だ。いっそ誰かに正解を聞いてしまえたら楽だろうに、一番相談したい人にだって、素直に話せないままだ。 轟くんなら、こういう時どうするだろう。子供の頃のしがらみを越えて、ちゃんと前を向いた轟くんなら―― 「それはなオッサン、あんたがゆめチャンの視界から消えることだよ」 ――その第三者の声は、予想外だった。 閑散とした路地は、つい先程まで私とコモンマン以外に人影は無かった。 空気が形を持ったみたいに、その人は急に現れた。 「何者っ!」 素早く臨戦態勢を取ったコモンマン。私もすぐさま声の方に振り返る。 「え――」 そこに立っていたのは、姿勢の悪い白髪の青年だった。 ぼろぼろの服で、青白い肌をして、ボサボサの髪もそのままに、こちらを向いてニタリと嗤う。 「よォ、また会ったなゆめチャン」 その、顔は。その、声、は―― 「お、まえ、は……!!」 キンと頭痛がして――瞬間、呼び起こされる記憶。 毒ガスの中、浮かぶ影。ガスマスクから覗く瞳。 その続き――毒ガスが晴れた森で、ガスマスクが剥がれた男の顔……眼前の男と、同じ顔。 そうだ……こいつは、このイカレ野郎は――林間合宿の! 「は――ははははははは!!」 思い出した瞬間、私の口から笑い声が溢れていた。 「綾目くん!?」 隣のおじさんが驚いて振り返る。どうだっていいけれど。 「お前、そうだお前、あの時の変態。のこのこ私の前に現れるなんて……殺されに来たか!」 「クハ、イイなその顔! だが殺すのはお預けだァ。言ったろ? 迎えに来るって」 負けじと歪な笑みを浮かべるメタ。 「寝言も大概にしろって言ったはずだ。お前は殺す。ただ殺す。ぐちゃぐちゃにしてばらばらにして殺す!」 ぐちゃぐちゃなのは私の中だ。さっきまでの苛立ちが、別ベクトルの感情に置き換わっていく。不安や悔しさも掻き消えて、身を焦がすような殺意が湧き上がる。殺したい、壊したい、あの男を潰してしまいたい――なのに、笑いが止まらない。何がおかしいのかも分からないのに、どうしようもなく怒っているのに、笑えてくる。 でも、理由なんてどうでもいい。今はただ、こいつを殺す方法を考えていたい。 「ああああっ!!」 素早く距離を詰めて、勢いも殺さずにストレートを放つ。相手は避けるどころかそのまま受けた。 顔面に拳がめり込み、鼻の骨が抉れる感触が伝わってくる。 気色悪い、気色悪い。それでも私は拳を止めない。よろけたメタの顔面にまたぶつけて、倒れた男に馬乗りになって、殴る、殴る、殴り続ける。 「うぶっ、クハ、ハハハハハ!!」 「死ね! 死ね! あははははは!」 殴られる側も殴る側も高笑いする奇妙な光景。 放課後だというのに人通りは全くなく、閑散とした路地に笑い声だけが響く。 余りの異様さに茫然としていたコモンマンだけど、ハッとして私の腕を止めた。 「や、止めるんだ綾目くん!」 無抵抗の人間を殴り続けるのは、彼の正義感に反するらしい。 「その男は何者だ? 君の態度からしてヴィランなのだろうが――しかし彼は無抵抗だ! すぐに拘束して――」 「うるさい! 邪魔すんな!」 その手を振りほどいて、私は再び拳を振るう。私の手も、メタの顔面も、血や他の体液でぐちゃぐちゃだ。 「綾目くん! それ以上はヒーローの行いに反する!」 「うるさい! お前が……お前は私を救ってくれなかったくせに!」 「……ッ!」 私を救えなかったヒーローが、ヒーローの何たるかを私に語る。その事に酷く憤慨して、だというのにひどく滑稽で、また私は笑う、哂う、嗤う。 「そうか……君のその苛烈さは……十年前のあの時から、ずっと燻っていたのだね」 コモンマンが手を下ろす。私も持ち上げた手をメタの顔面に振り下ろそうとして―― 「クハッ」 メタが全身をばねのようにしならせて、私を跳ねのけた。 あれだけ殴ったというのに二本脚で真っ直ぐ立つと、口内に溜まった血を吐き捨てる。 こきこきと軽く首を鳴らせば、顔面の張れが瞬く間に引いていく。"個性"か……? この男の"個性"、紐のようなものを伸ばす能力だと思っていたけれど。複数持ち、ということか? ヴィラン連合とも関わりのある男だ。今は一人のようだけれど、油断はできない。 じりじりと間合いを図っていると、メタはおもむろに口を開いた。 「カハハ……なァゆめチャン、なんで俺がゆめチャンを欲しがるか、わかるかァ?」 ニタリと、狂気を孕んだ目をして。 2021.09.05
DADA