侵食
緑谷くんの鋭い蹴りがメタの鼻先を掠める。
着地してすぐ私とコモンマンを庇うように立ちはだかった緑谷くんの背中を見上げた。
「緑谷くん……」
「助けに来たよ、綾目さん!」
メタから視線は外さずに、私を勇気づけるような力強い声が返ってきた。
メタは大きく仰け反った姿勢のまま、ギョロリと血走った目で緑谷くんを睨み付ける。
「雄英の――チッ」
腕を上げた途端、何かに気付いたように動きを止めたメタ。
直後その身体を拘束する布。白く特殊な材質のそれは――
「先行し過ぎだ緑谷!」
抹消ヒーロー、イレイザー・ヘッドの捕縛布だ。
ゴーグルで目元を隠した相澤先生は、確実にメタを視ているのだろう。
「ゆめちゃん!」
「大丈夫かしら?」
次々に集まるのは、お茶子ちゃん、梅雨ちゃん、切島くん……インターンに出ていたA組の面々だった。
「綾目を狙ったって事は……コイツが合宿の時の野郎か!」
がちんと硬くした拳をぶつける切島くん。
五人は確実にメタを取り囲み、じりじりと距離を詰めていく。
「みんな、どうしてここに……」
「インターンの集まりがあって、その帰りに偶然見かけたんよ!」
「ケロ、間に合ってよかったわ」
少し振り返ったお茶子ちゃんと梅雨ちゃんが、小さく頷いてくれる。なんて心強いんだろう。
立ち上がれ。みんなと一緒に。今こそ並び立つべきだ。
それなのに私の足は動かない。
先程の衝撃が私の中で何重にも渦巻いて、立ち上がる力を奪っていた。
目の前で起こっている出来事が、なんだか酷く遠く感じる。
そんな中、拘束された状態のメタが脱力して項垂れた。
相澤先生の髪は逆立っている。"個性"を封じられてろくな抵抗もできない今、諦めたようにも見える。
乱れた白い髪に隠れてその表情は分からないけれど、ぼそりと吐いた言葉が耳に届いた。
「あーあーあーあー……うるせェオーディエンスだなァ。いっつもいつも俺とゆめチャンの邪魔ばっかしやがって」
メタの気配がどろりと濁る。苛立ちが尖り殺意へと変貌していく。
ぴりぴりとした空気に息を呑む面々。捕縛布を握る力を強める相澤先生。次の瞬間――
「ぉえ゛――」
メタの喉が蠢き、ごろりと吐き出された――手の内に収まる程度の固形物。
「ッ――全員伏せろ!!」
相澤先生の大声とほぼ同時に、カシャンと無機質な音が鳴った。
――閃光。
音に鼓膜が麻痺して、視界が奪われる。
「ゆめちゃん――!」
真っ白になった視界の中、誰かが私を庇うように覆い被さった。
その隙間を縫うように――
「仕方ねェから退いてやるよ。けど忘れんなよゆめチャン、おまえは"こっち側"の人間なんだってことをな」
声が届く――
「おまえはいつか、大事なオトモダチを裏切るぜ――……」
私の心臓に絡みつくような、脳に侵食するような声。
そして声は遠のき、白んだ世界が急速に色を取り戻していく。
視界が正常に戻った時、すでに相澤先生の捕縛布は切られ、メタの姿はどこにもなかった。
「逃げられたか!」
「あんな一瞬で……まだ近くにいるはずだ!」
「深追いするな、奴は複数"個性"持ちだ!」
駆け出そうとした緑谷くんを、相澤先生の鋭い声が静止する。
「ゆめちゃん……よかったぁ〜! ほんまによかったよ!」
私を必死に抱き締めていたのはお茶子ちゃんで、私の姿が変わらず腕の中にあるのを見た時、心の底から安堵したように笑った。
「うん……ありがとう、お茶子ちゃん」
うららかに笑うお茶子ちゃんに、私も精一杯の微笑みを返す。
けれど上手く笑えない。今の私には笑い方がわからない。
私の膝には、目蓋を固く閉ざしたコモンマンの姿があったから。
***
コモンマンは正真正銘のヒーローだった。
正義感に溢れ、自分に嘘が付けないような人。
身を呈して私を庇って、その結果……
「…………」
白い部屋、清潔なシーツ、その上で眠るコモンマン。
嫌という程見覚えのある光景に、薄ら寒い心地がする。
――お母さんと同じだ。
メタの襲撃の後、病院での検査と警察からの事情聴取を受けた。
それが終わった後も、意識を失ったコモンマンは目覚める気配が無かった。
病院の見解によると、私のお母さんと同じ症状なのだという。
つまりメタが放ったあの"個性"は、十年前にお母さんが受けたのと同じものだということだ。
その事から、メタが十年前の事件に関わっている説が濃厚になったと警察から聞かされた。
見た目からはとてもそうは見えないけれど、もしかしたらそれも何かの"個性"によるのかもしれない。
メタは複数"個性"持ち――脳無のような存在らしい。
今回は単独行動を取っていたし、完全な一味というわけではないようだけれど、敵連合との関わりも深いだろう。
「…………」
握った拳に力が入る。
あの男が、お母さんの仇。
そう思っただけで、どろりとしたものが私の中に生まれる。
メタと相対したとき、自分の精神が異常な程湧き上がったのを感じた。
世界がぐるりと回ってしまったみたいに、抱いていた感情が反転した。
でも――そのせいで、そのお陰で思い出した。
体育祭の最後も、林間合宿のときも、私の感情は火山のように噴き出した。
あの時私の脳内を支配していたのは、ドロドロでぐちゃぐちゃの、でも明確な――殺意、だった。
「……っ……」
力の入った拳を開いて、自分で自分を抱きしめる。
私の肩が小さく震えるのは、恐怖からだった。
――怖い。
あの時の私の行動は、今思い返しても信じられなくて、まるで自分が自分で無くなったような心地だった。
あれは本当に私だったのかと疑いたくなるけれど、あれは間違いなく自分の意思だったと脳が記憶してる。
荒々しい口調になって、激情に突き動かされるように拳を振るった。
自分の拳が壊れるのも気にかけず、笑いながら殴り続けて……その感触が、今も残ってる。
あんなのはヒーローの、誰かを助けるための力じゃない。
自分も相手も破壊するだけの、独りよがりの力だ。
ただ自分の障害となるものを壊して、邪魔なものを殴って、気に食わないものを貶して、それで……そのせいでコモンマンは……
私のせいだ。
私のせいで、また誰かが傷付いた。
私が弱かったから……
「……ッ!」
――違う。
違う、違う、違う!
私は、私は弱くなんかない!
ただ守られるだけの、可哀想な存在なんかじゃない!!
肩が持ち上がり、再び指先に力が入る。
自分の腕に食い込むそれが、ギリギリと痛みを生む。
でも――ふ、と。力の抜けた私は、だらりと腕を落とした。
「……違う、それこそ"違う"んだ……」
これはエゴだ。
この、強さを証明したいという願望は。
エゴを通す者は、ヒーローと対極に位置する者。
なら……私は……私、は――
お父さん……どうして私達を裏切ったんだ。
あなたも私みたいに、感情に支配されてしまったのか。
この激情は、私があなたの娘だからなの?
わからない……わからないよ……
***
病室を後にした私は、深いため息をつきながらエントランスへ向かった。
「ゆめちゃん!」
入口すぐの待合室、座席に座っていたお茶子ちゃんがぴょこんと立ち上がった。
お茶子ちゃん、そしてその隣で無言で立ち上がる相澤先生が、コモンマンの面会に付き添ってくれていた。
「お待たせしました」
ぺこりと頭を下げる私を、お茶子ちゃんが眉を八の字にして見詰める。
何か言いたげなお茶子ちゃんの後ろで、相澤先生が僅かに目を伏せた。
「すまなかった、綾目。今回の件は俺の認識不足だ。お前に付いていてやるべきだった……」
「先生は悪くないです。悪いのは私です、私が未熟だったから……」
「ゆめちゃん……」
「私は大丈夫だよ」
心配そうに揺れるお茶子ちゃんの大きな瞳に、気を使わせないよう答える。
「大丈夫だから、お茶子ちゃんはインターンを頑張って」
お茶子ちゃんや緑谷くん、梅雨ちゃん、そして切島くん……あの時駆け付けてくれたのは、インターンに参加している面子だ。
バラバラの事務所に所属していた皆がどうして集まったのか、なんとなく想像できる。
「詳しくはわからないけれど、何か大事なことがあるんじゃないかな。なら、今はそっちに集中しなくちゃ」
ぴくんと跳ねたお茶子ちゃんの肩。
バツが悪そうに頭をかいた相澤先生が、ゆっくりと口を開く。
「それをお前に言わせるのは――だが綾目の言う通りではある。麗日、参加すると決めた以上、優先順位を間違えるな」
「はい……」
相澤先生に釘を刺されては、お茶子ちゃんも引き下がるしかなかった。
改めて私の方に振り返った相澤先生が、ドライアイの瞳をじっと向ける。
「綾目、ことが片付いたら必ず時間を取る。十年前の事件についても改めて話す。だから……少し待て」
「……はい」
その言葉にどういう意図が込められていたのかは、推し量ることができなかった。
そうして私たちは病室を後にする。
今回の件で私が本格的に狙われていることが確定したので、外出制限がかなりきつくなってしまった。
雄英教師かプロヒーロー、少なくとも二名以上の付き添いが必要……どちらも多忙な人々ばかり、実質外出禁止みたいなものだ。
ふと見上げた空は夜が訪れようとしていて、太陽の隠れた地平線は、闇に飲まれようとしていた。
***
――後日、ニュースの一面を飾ったのは、指定ヴィラン団体、死穢八斎會邸宅への突入捜査についてだった。
警察と複数のヒーロー事務所が結託した大規模な作戦で、そこには雄英ビッグ3を始め、1-Aのインターン組など雄英生も参加していた。
通勤ラッシュの前に始まった戦いは苛烈を極め、若頭を筆頭とした構成員の抵抗や、裏で見え隠れする敵連合の陰、違法薬物による強化された"個性"に、ヒーロー達は苦戦を強いられた。
そして……中には命を落とすヒーローもいた。
オールマイトの元サイドキック、サー・ナイトアイ。
緑谷くんのインターン先のヒーローだった。
夜遅くに戻ってきたインターン組は、皆怪我だらけでボロボロだった。
俯きがちの表情、噛み締めた唇や握りこぶしに、それぞれが感じた想いが詰まっているように見えた。
「大丈夫だったかよォ!?」
「ニュース見たぞおい!!」
出迎えたAクラスの皆がいっせいに取り囲むのを、後ろから眺める。
大変な事件の後だから、お茶子ちゃんも緑谷くんもボロボロだった。
そんな彼らを心配しないわけじゃない。
けれど、私の足はそっと後ろに下がっていた。
「ありがとう。でも……大丈夫」
「私、助けたい」
「……うん」
「……まだまだだわ」
誰かのために戦って、救えたもの、救えなかったものの大きさに悔しさを覚える。
自分の無力を思い知って、それでも託されたものを受け止めて前を見ようとしている。
……インターンに参加したのは、そんな人達だ。
それに比べて私は……今、皆を気遣える余裕はない。
メタの襲撃は、八斎會に比べれば小さな事件だけれど、私にとっては大きすぎて、処理しきれなくて、持て余した感情が延々とループしていた。
ぐるぐる、ぐるぐる、円を描くそれが、私の喉を徐々に締め付けていく。
解き方がわからなくて、苦しさから逃れるように、きゅっと口を閉じて下を向く。
だから気付いていなかった。
そんな私のことを、唯一見ている人がいることを。
無言で部屋に戻ろうとする私に、轟くんが振り返っていたことを。
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夢主が襲撃されたことについては直後の死穢八斎會事件でうやむやになるのでした。
2021.12.24