閉会式
目が覚めたのは、リカバリーガールの出張保健所だった。 何度か瞬きをして意識がハッキリしてくると、体を起こす。 少し頭痛がして顔をしかめた。 「目覚めたかい。全くあんまり無茶するんじゃないよ」 リカバリーガールが振り返って水を手渡してくれた。 それを受け取りつつぼんやり思い出す。 私、気絶してたんだ。 轟くんとの対戦、その直後に。 マイク先生の放送が、次の試合が間もなく始まることを告げた。 どうやら合間のレクリエーションは終わったみたいだ。 結構長い間眠っていたな。 リカバリーガールがいうには、個性の限界を超えた使用による過負荷が原因らしい。 確かに私の個性は使用しすぎると脳が熱暴走する。 沢山訓練したのに、結局足りなかったのか…… 気絶する直前に妙な吐き気に襲われたのは覚えているけど、前後の記憶が曖昧だ。 気になるだろうと、リカバリーガールが保健所から戦況を確認するためのモニタを運んでくれた。 患者に気遣って音は出ないタイプのもの。 映し出されたトーナメント表を見ると、私から延びた線は途切れ、轟くんの線が延びていた。 それは、はっきりと明示された覆らない事実。 「負けちゃった……」 言葉にすると、一気に実感がわく。 くやしさがじわじわと募り、目頭が熱くなる。 画面の向こうで、戦いが始まった。 轟くんの氷を吹き飛ばす度に、緑谷くんの指が砕けていく。 これが緑谷くんの個性……確かにデメリットが高い。 リカバリーガールも渋面になる。 緑谷くんを氷結で追い詰める轟くん。 苦し紛れの高威力のパンチが、轟くんの氷と緑谷くんの腕を砕いた。 トドメとばかりの氷結の一撃。 緑谷くんは満身創痍、絶体絶命だ。 でも戦いは終わらなかった。 壊れた指でさらに個性を放って氷を吹き飛ばした緑谷くんが何か叫んでいる。 何を言ったのかは聞こえない。 動きが鈍くなった轟くんのボディに重い一撃が入った。 両手がボロボロの状態で、緑谷くんが反撃している。 何か叫びながら。 全力をぶつけて。 それに反応した轟くんが、あれは…… 左だ。 炎……使った。 まるで抑え込んでいた、忘れていた気持ちを呼び起こしたような熱が、画面越しに伝わってくる。 笑ってるのか、泣いてるのか、絡み合った感情が溢れるその表情。 ぼろぼろの緑谷くんが、それに応えるように向かっていく。 緑谷くんを真っ直ぐ見据える轟くん。 怒りじゃない、ただ目の前のライバルに向けた想い。 私と向き合ったときとまるで正反対の。 刹那、画面が真っ白になって、会場全体が揺れた。 地面を揺るがすほどの大爆発。 画面の向こうで広がった蒸気。 何が起きた? 相澤先生の解説によると、轟くんの個性が起こした爆発らしい。 炎と氷、両方使うことで出来た技。 緑谷くんの訴えは、轟くんに怒りではない一歩を踏み出させた。 その姿は、その想いは、まるでヒーローそのものだ。 私は何をしていたんだろう。 「うっ、うぅ……」 後悔で涙が出て、情けなくて余計に止まらない。 轟くんが何を思ってあそこにいたのか、何も知らなかった。 エンデヴァーさんの幻影。 それを見た轟くんの目。 さんざん固執していた炎の封印。 冷たい、冷たい、瞳。 拒絶の氷。 そこに何があったのか知らない。 でも、相手の心を弄ぶような行いをしたのは事実。 そんなの全然ヒーローじゃない。 勝ち上がるためとか言って、平気で嘘をついて、相手の心に漬け込んで、だまし討ちのようなことをして。 目的のために手段を選ばないなんて、ヴィランと一緒じゃないか。 ごめん。 ごめんなさい。 ここで謝ったってやってしまったことは変わらないのに。 場外に吹き飛ばされた緑谷くんはリタイア。 轟くんの準決勝進出に会場が沸き立つ。 緑谷くんはボロボロで、すぐにここに運ばれてくるだろう。 目立った怪我はないし、私は出て行かなくちゃいけない。 「思うこともあるだろう、今は沢山泣けばいい。その代わり、ちゃんと立ち上がるんだよ」 そう言ってリカバリーガールが送り出してくれた。 なんだかおばあちゃんを思い出すな。 廊下を歩いて観客席へ向かう途中、担架で運ばれる緑谷くんが前からやってきた。 あんなに大怪我していては、気遣う余裕がなくても流石に気にはなる。 ちらりと横目で覗くと、なぜか目が合った気がしてドキッとした。 まさか、あんな状態で意識がはっきりしてるかも分からないのに。 見掛けない痩せた人が付き添っていたけど誰だろう。 緑谷くん、満身創痍でボロボロだった。 私と正反対だな。 姑息な小細工を仕掛けて何も残せなかった私と、真っ直ぐ向き合って何かを成した緑谷くん。 私は…… 「ゆめちゃん!」 「綾目くん!」 突然大声で呼びかけられた。 この声は麗日さんと、飯田くん。 振り向けば、二人の他に蛙吹さんと、小さい男子……A組の生徒。 緑谷くんの見舞いに行くんだろう。 「目ぇ覚めたんだ良かった!試合残念だったね。最後の様子が変だったから心配したよ」 「惜しかったな。轟くんをあんなに翻弄させていたのに、あの個性で……」 駆け寄ってくる二人。 その目は確かに心配そうに揺れている。 でも、ほんの少し疑念が混じっている。 「ありがとう、でもごめん……今は、一人にしてほしい」 私の個性、もう知られているだろう。 そのことについて言わなくちゃいけない。 騙して利用してたって。ごめんなさいって。 けど、今の私にその気力はなかった。 「あ、ゆめちゃ……」 止まったと思った涙がまたこぼれてきた。 隠すように顔を背けると、二人はそれ以上追いかけてこなかった。 背中に視線を感じながらも、無言でひたすら歩を進める。 廊下を曲がったタイミングで、たまらず駆け出した。 負けた。 沢山準備して、色んなものを投げ出して、他人の全てを利用しようなんて思ったほどで。 じくじく痛む良心も押し込めて、ただ頂点を求めた。 それなのに、負けた。 後に残ったのは、拭えない罪悪感と、なんの称号も得られなかった結果だけ。 私、ヒーロー志望失格だ。 もういっそ消えてしまいたい。 観客席にも行かず、大盛り上がりの会場から外へ。 競技場の外壁に寄りかかって、涙を流し続けた。 マイク先生の実況が、次の試合の始まりを告げる。 湧き上がる歓声も聞きたくないと、耳を塞いで目を閉じた。 *** 大盛況の体育祭が終了した。 結局会場に戻ったのは決勝戦が終わった後だった。 今までの私なら、全部見逃さず糧にしようとやっきになってただろう。 1年の表彰台に並んだのはみんなヒーロー科A組の生徒で、轟くんも2位の表彰台に立っていた。 優勝者は例の爆豪くんだ。 まるで磔にでもあっているような酷い有様で暴れている。 優勝メダルを拒否して相当駄々をこねて、オールマイト手ずから口に掛けられていた。 1位がこれじゃしまらないなと笑う観客。 和やかな閉会ムード。 そんな中、気になってしまうのは轟くんの表情。 緑谷くんと戦ったときは晴れていた顔が、今は少し俯いている。 決勝戦では炎の個性は使用しなかったらしい。 きっとまだ、心の中にわだかまりがある。 誰彼構わず言いふらせるものじゃない複雑な事情があるんだ。 思えば思うほど申し訳なくなってくる。 轟くんだけじゃない、緑谷くんにも、麗日さんや心操くん……他の人たちにも、それぞれの想いがあったはずなのに、それぞれの想いがあって、ヒーローを目指していたはずなのに、それを見てなかった。 何も見えていなかった。 「それでは皆さん、せぇーの!お疲れ様でした!!」 ヒーローってなんだろう。 オールマイトの姿を見上げて思う。 No.1と謳われて、悪を挫き、弱きを救う、おちゃめなところもあって親しみやすい、笑顔が素敵なスーパーヒーロー。 ヒーローはきっと、誰もが憧れる、誰をも助ける存在だ。 それなのに、騙して、貶め、傷つけて、私が目指していたものはなんだったんだろう。 他人の心に付け入るようなことをして、ヒーローになりたいだなんてどの口が言うのか。 ……分からなくなっちゃった。 なんでヒーローになろうとしたんだろう。 私なんかがなれるようなものじゃなかったんだ。 自己中心的な考えで、他人の想いすら無視したくせに。 心の中でぐるぐると負の感情がループする。 息苦しい。頭が痛い。 誰か、助けて。 *** 体育祭後のホームルームも上の空、重たい体を引きずって教室を後にする。 クラスメイトが何か言いたそうにしていたのも構う余裕がないほど、どっと疲れていた。 下校する生徒が向かう校門。 人の流れの中で、誰かが立ち止まっているのが見える。 「綾目さん」 逆光で陰るその姿は、私の知っている人。 「緑谷くん……?」 私よりよっぽどぼろぼろの体をしてるくせに、さっさと帰らずに私を待ち構えていたらしい。 ……今は合わせる顔がない。 お疲れ、とだけ言って通り過ぎようとする。 「君が、助けを求めてたから」 横切る瞬間掛けられた言葉。 ハッと目を見開く。 緑谷くんは私を引き止めるでもなく、ただ力強く語りかける。 「でも、今の君を救えるのは、多分僕じゃない」 突き放したような言葉だったけど、違う。 私の足は止まっていた。 緑谷くんは、私の個性を見抜いていた。 いつからか、多分予選のときには既に。 何か言いかけていたのはそれだったんだ。 緑谷くんは知っていた。知っていた上で、助けを、なんて。 緑谷くんの言葉を聞いて、自然と振り返っていた。 ボロボロで包帯だらけの掌をぎゅっと握りしめて、緑谷くんは真っ直ぐ立っている。 「だから……待ってるよ。また皆で、訓練できる日まで」 夕日を浴びて眩しそうにして、でも、最高の笑顔を向ける緑谷くん。 その姿はまるで、オールマイトのようで。 ヒーロー、みたいだ。 なんだそれ。 なんでさ、私は君にも嘘をついてたんだ。 なのに、まるで、ヒーローみたいなことを言って。 待ってくれる、なんて。 「……ありがとう」 そんなこと言われたら、応えるしかないじゃないか。 今は無理でも、いつか必ず。 きっとまた、皆のところに戻ってくるよ。
DADA