「ごめんね、こんな忙しい時期に」
「おまえこそ、わざわざ悪い」
「ううん、私がしたかったことだから」
そう言いながら私は、ホットココアの入ったマグカップを一つテーブルに置いた。小さくお礼を言ってそれを取った焦凍くんが、ちょっぴり口につける。エアコンの効いた室内は仄かに暖かくて、湯気の立つココアは少し熱かった。口の中に広がった甘味をこくりと飲み込んで、何とはなしに口を開く。
「去年は凄かったね。爆豪くんがクラッカー爆発させて」
「……そうだったな」
去年の今日、一階で小さなパーティを開いた。緑谷くん初めA組の皆が轟くんに笑いかける中、一人悪態をつく爆豪くんがいた。折角だからとその手に無理矢理押し付けられたクラッカーは、紐を引かれることなく爆発した。その直後一斉にクラッカーを鳴らしてお祝いムードに包まれたので、爆豪くんが更に爆ギレしていたのはまだ鮮明に覚えている。一年、経ってみればあっという間だ。
今年の冬は忙しい。目前に迫った三年生の一年間は、プロヒーロー達に最も注目される時期だ。自分の将来が決まる大事な一年、その最後の準備期間に当たるのが二年生の冬……つまり今だ。
ラジオから流れる音楽の合間に、微かに外からの音が聞こえる。土を踏む音、何かを振るう音。他の皆がトレーニングに励んでいるこの時間に、私と焦凍くんは部屋でのんびりココアを啜っていた。そんな場合じゃないのかもしれない。私達もトレーニングをすべきかもしれない。でも、今日だけはそうしたいとお願いした。だって今日は、特別な日だから。
「えっと……はい、これ」
テーブルの下をごそごそと探って、ラッピングされた袋を取り出した。ふわふわした手触りの袋やクルクルと巻かれたリボンがそれらしい。
「私からのプレゼントです」
「ん……ありがとな」
開けてもいいかと問われたので、こっくりと頷いた。焦凍くんの細長い指がリボンを解き、袋から中身を取り出す。
なんてことはない、普通の手袋だ。
落ち着いた色合いの五本指の手袋。品定めの時、なんとなく自分の手に嵌めてみたら、思ったより大きくてびっくりしたものだ。
「焦凍くん、手袋付けてないでしょ。あれ、すごく気になってたんだ」
「……そうだったのか」
「そうです。見てるこっちが寒いのです」
「気をつける」
言葉を交わしながら、焦凍くんの両手に手袋を嵌める。うん、この色にして大正解だ。よく似合っている。
手袋に収まった焦凍くんの手を取ってふと気付く。大きさ、焦凍くんにぴったりだ。私が嵌めると先っぽが余ってしまったのに。
「あったけぇ」
焦凍くんが両手で挟むと、私の手はすっぽりと隠れてしまった。ふわふわの手袋越しに感じる大きな手の温もり。安心感に目を細めると、僅かに動く焦凍くんの指が私の指に絡まった。顔を上げると、焦凍くんもこちらを見ていた。タイミング良くラジオから流れ出した穏やかなラブソング。お互い無言になれば、だんだん鼓動の音が大きくなる。目がそらせなくなって、呼吸の音すら拾えるくらい鼓膜がピンと張り詰めて。お互いの顔が、少しずつ近づいて。
「……あ、あのね、もう一つ渡したい物があるんだ!」
その空気を破って立ち上がった。焦凍くんは包んでいた中身を失った両手を宙ぶらりんにしたまま、急に離れた私をじっと見上げる。何かを訴えかける視線から逃げるように冷蔵庫ヘ向かった。心臓が去年のクラッカーみたいに爆発しそうだ。あのままだと大変なことになっていた。心を落ち着かせながら冷蔵庫を開けて、目的のものを取り出す。テーブルに運んだそれを見て、焦凍くんはくるりと目を丸めた。
「手作りか?」
「うん。砂藤くんほど上手くはないけど……美味しくなるよう作ったので、食べてくれると嬉しい」
ちょっぴり不格好な小さなケーキ。改めて見てもクリームの傾き具合が気になってしまう。焦凍くんはといえば、目の前に置かれたケーキを一向に手をつけようとしない。食い入るように見詰めたまま固まってしまった。そんなに注目されるとは思っていなかったんだけれど、それ程クリームの傾斜が気になるのか。やっぱりもう少し整える努力をするべきだったかな。段々羞恥心が膨らんできて、焦凍くんが手をつけないのならばいっそ私がとフォークに手を伸ばした。
「……昔」
その時、焦凍くんが小さく口を開いた。溜息と間違える程小さな声に、伸ばした腕を引っ込める。本人も何処か遠くを見詰めていて、半分無意識のようだった。
「誕生日に、手作りケーキを食べた」
記憶の糸を辿るように、焦凍くんはゆっくりと言葉を並べる。
「本当に昔の、小さな頃だ。少しクリームが偏った丸いケーキ。あれは……あの時のケーキは、母の――」
はたと、焦凍くんの言葉が途切れた。過去を遡った轟くんの瞳が、淡く揺れている。
「……」
目を閉じて、瞼の裏に想った。
小さな男の子が、母親の膝の上で笑っている。傍らには姉や兄がいて、父は少し離れたところからその様子を盗み見ている。
目の前には少し不格好なケーキ。傍らには家族の温み。
――その男の子は、十七年前のこの日、祝福されて生まれてきた。
「焦凍くん」
目蓋を上げて、正面に座る彼を見る。名前を呼ばれた焦凍くんが顔を上げた。切れ長の瞳が丸く開かれていて、あどけなく見えた。
「生まれてきてくれてありがとう。出逢ってくれてありがとう。……誕生日、おめでとう」
心のままに述べた言葉を聞いて、焦凍くんの目が更に大きくなった。なんだか鼻の奥がツンとして、腕を伸ばして抱きしめる。
「……ありがとう」
肩に埋もれた唇から紡がれた小さな声は、少しだけ震えていた。
一年で一度の今日という日に、沢山の祝福を貴方に。
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轟くん誕生日おめでとう。
2019.01.11