午睡の夢

――コンコン。 扉の向こうから軽やかな音があり、数拍の後ノブの回る音が続いた。 「ルシファー、そろそろ一段落ついた?」 名を呼ばれた部屋の主は、机に落としていた顔を上げ、扉の隙間から顔を出した人物に視線を向けた。 「名前か。丁度設計が定まった所だ」 「だと思った」 片腕に盆を乗せた状態で、名前は散らかった室内を器用に進む。そうしてルシファーの座る机にたどり着いた名前は、盆を端に置いてから、そこに広げられた大きな設計図を覗き込んだ。 「これが完成図?」 「そうだ」 「ふーん……コアの接続はこうして……羽の設計は?」 「これだ」 しげしげと眺めながら小さく頷く彼女に、ルシファーが別の紙束を差し出す。受け取って熱心に捲ること数秒、顔を上げた名前は目をきらきらと輝かせる。 「流石だねルシファー、これだけ規格が固まれば量産も視野に入る」 「相変わらず理解が早いな」 「それはどうも」 それは、天司の設計図。 空の世界の概念をコアに落とし込み、それを原動力とした被造物――星晶獣の創造を、彼等は行おうとしていた。 「あとは実装だが、設備の用意が課題だ」 「必要なものは?」 「リストは作成してある。後ろの棚だ」 「これだね。どれどれ……んー、わかった。見積もりは私が作っとくよ。君はあのお堅い連中を乗せる口車でも考えてて」 棚から取り上げたリストに目を通し、名前はそれをソファに置く。 「もちろん休憩の後でね。せっかく運んできた紅茶が冷めちゃう」 「……フン」 広げていた設計図を丸めて紐で縛り、名前は盆を中央にずらした。ポットの中身を注ぎ、カップの一つをルシファーの前に置く。ほわりと漂う湯気と香りが鼻腔をくすぐるが、ルシファーは中身を気にすることなるさっさと口に運ぶ。 「はい、甘いものも取ってね」 ルシファーの喉が温かい液体を嚥下したところで、名前がソーサーの隣に容器を置く。 中身は昨日見たものと異なる種類の菓子。名前が以前空の民の菓子に興味があると言っていたが、おそらくここ数日寄越してくるのは調査した結果なのだろう。 それがどのような菓子なのか、どこで入手したものなのか、名前はルシファーの前で口にすることは無い。その情報はルシファーにとってどうでもいい事で、名前もそれを理解しているからだ。 ――幼い頃から名前はそうだった。 同年代の子供達の中でずば抜けた知性を発揮したルシファーは、星の民の中でも異質と気味悪がられた。そんな彼に唯一懐いたのが、この名前だった。 少女名前は、ルシファーに及ばずともその思考速度は秀でており、ルシファーが提示した理論をすぐに理解してみせた。 『これしきの計算、俺には容易いものだ』 『わあ、ルシファーすごいねぇ! どうやったら答えが出るの?』 『単純な論理だ。重量と圧力の関係を把握すれば誰でも解ける』 『うーん、うーん……あっホントだ! できたよルシファー! 同じ答え!』 『ほう……お前は飲み込みが早いようだな』 かつての一場面、幼い笑顔の名前が手に抱えていたのは、成人ですら頭を悩ませるような計算式だった。 過去の記憶を想起して、ルシファーはふと口を開く。 「一つ思い出したが、お前の意見を聞きたい。エーテルの均衡についてだが、島毎の天候について、ランダム性と重み付けをどう定義する?」 「休憩中くらい難しい話は止めなよ……まあいいけど」 若干眉をしかめた名前だが、カップを置いて暫し思考する。 「そうだね……島毎のデータを収集してテーブルを作るのがいいと思うけど、人力でやるにはコストが――だからコアの形成を先に――」 つらつらと並べた言葉に、ルシファーは口角を吊り上げた。 「フフ、同意見だ」 「なにさ、もう考えてあるんじゃんか」 肩をすくめる名前。 ルシファーは彼女を試すように、しばしばこういった問答を交わす。戯れのようなそれは、ルシファーの数少ないコミュニケーションだった。 空の民が平均的に持つ感情を人間性と呼ぶのなら、星の民は比較的それが希薄だ。感情が薄ければ自我も薄く、興味や疑問を抱くこともない。無表情で多くの可能性をふいにする同族たちを見てきたルシファーは、彼等に苛立ちを覚えていた。 けれど名前だけは、ルシファーに共感を示した。彼の言動に興味を抱き、彼の持論に賛同した。 「紅茶のおかわりは?」 「不要だ。実機の構造を練る」 空になったカップを押し付け、ルシファーは新たな紙を広げる。すぐさま文字を並べ始めた手元を覗き、名前は声を上げた。 「一機目からエーテルの管理をさせるの?」 「その予定だが、調達状況次第だ。お前がプロトタイプを作るか?」 「いいの?」 「検証の余地はある」 「わかった。じゃあ考えてみるよ」 盆と資料を抱えて、名前は立ち上がる。 「それじゃ、また夕方に来るから」 「ああ」 パタンと扉が閉まり、部屋の中には自身のペンを走らせる音だけが響く。 思考の波に飲まれる直前、ふと名前とのやり取りを思い返す。 絶妙なタイミングで休憩を取らせ、雑務の消化も請け負う名前。 空を侵略した星々は、植民地を管理するためにルシファーを呼びつけた。それは合理的に最適者を選んだだけのこと。同意したルシファーは、条件として名前を同行させた。 他に比べて使い勝手がよく、自分にとって利益がある――それだけだ。空の世界へ共だったのも、研究所で自分に次ぐ権限を持たせたのも、それだけが理由だ。 名前に理解されることが、傍に居ることが存外心地よいなどと、検証することも無意味だ。無意味だと断定して、凍結させなければならない。自分の感情が、他人によって揺らぐことなど在ってはならない。 それに――名前では、成長するにつれ増していく欠落感を満たすことは出来ないのだから。 先の問答で得られた満足感は、瞬く間に消えていく。 知らず力んだペン先の、インクが黒く滲んだ。 --- 幼い頃に得られた満足感を得たくて問答を繰り返すが、成長するにつれて神の思惑に感づき始め、満たされなくなるファーさん。 神の思惑に気付けるのはサハルの写身であるファーさんだけなので、夢主はいつかファーさんを理解できない日が来る。 2021.09.28
DADA