カーテンから漏れる朝日だけ見えた。白んだ頭に映るのは男だった。歩いていた。しかし、その男の身体はいくつもの凶弾に晒され、それでもと歩いていたが、ついには地に膝がつき倒れた。そこから男はぴくりとも動かなかった。私はなにもできない。名も知らない男を思って泣いた。声を上げて泣いた。
自分の泣いた声で思考が戻ってきた。ああ、夢だった。
最近あまり寝付きが悪い。眠っても夢か現かわからない感覚に陥って、眠れた気がしない。あの男は誰だったのだろう。知っている人な気もするし、そうでない気もした。
見た夢の後味の悪さに憂鬱になりながらも黙々と今日の支度をする。どんな気分だったとしても、今日という日は待ってはくれない。
今日は普通に仕事して、その後恋人の家に遊びに行くことになっていた。だからいつもより念入りに支度をする。今日着る服は先日おろしたばかりのもので、化粧もしっかりと。
仕事のほうも散々だった。上司に「今日はいっそうぼーっとしてますね。暇なんですか」と嫌味を言われた。急遽の仕事が立て続けに入った。17:00、18:00、19:00…驚くほど早く時間が過ぎた。仕事が片付く頃には日付が変わろうとしていた。化粧はとうに崩れていた。
恋人に連絡をとるのを忘れていた。
携帯を見ると「別れましょう」の文字。過去にもこうやって仕事で連絡が取れないときがあったから。考えられない展開ではなかった…けれどもこのタイミングで、正直堪えた。なんとか一言「別の機会に直接話を聞きたいです」とだけ送った。
これからどうしようか。なんとなくお酒に頼りたい気分だった。 この辺りには目をつけていたバーが一軒ある。
木製の重い扉を開く。バーテンと私の他に一人だけ客がいた。
「いらっしゃいませ」
「ボウモア、18年、ストレートで」
ウイスキーは好き。香りがいいし気持ちよく酔えるから。
しばらくウイスキーを楽しんでいると、「女の子がストレートでーなんてめずらしいなぁ」なんて、奥の方から声が降ってきた。
独特なイントネーションで話す男は、振り返るとこれまた独特な服を着ていた。
「たまには…こういったものを飲みたくなるんです」
たとえば恋人に振られた時とか。
「こんな時間に1人やと寂しいなぁ。隣はどうや」
男は私の前に立ち、手を引くと、するすると男の席の隣に座らせた。
バーテンダーが音もなく私の前にウイスキーを出す。ストレートで。
「え、あの…」
「俺からのおごりや」
「ありがとうございます」
さすがに警戒した。 隣に来るまではわからなかったけれど、独特な服からはちらちら刺青が見えた。手には皮の手袋、どうみても堅気ではなかった。
そして、私を射止めるように見る目が少し怖かった。
「こ…ここの店はよく来るんですか?」
「たまーになぁ。お姉さんはよく来るんか」
「いえ、私、はここのお店は初めてです」
上手くしゃべれない。 何を喋ろう。頭をフル回転させるのだけれど、会話を続けることが叶わない。
「緊張しとるんか?そないに緊張せんでもええ。獲って食おうなんておもっとらんで」
それから暫くどうでも良い、世間話をした。今日の悲しい顛末も全て。男は真島さんという方らしい。彼の軽快な話ぶりに、緊張の糸は少しずつ解れていく。
「しかしその男も見る目ないなぁ」
「あの後、彼の家に行こうと、思ってたのになぁ」
半ば自棄になってつぶやいてみる。
「しかしほんまに、もったいない」
ぱちりと視線が合う。暫くの間そうしていて、もしかしたらキスされるかもしれなかった。でも、私は今朝の夢を思い出してしまう。
「少し、話してもいいですか」
「なんや、俺の女になりたいんか?」
「違いますよ」
夢の話をした。記憶もだいぶおぼろげだったけど、それでも話をした。真島さんは、そんなとりとめのないような話を聞いてくれる。
「その男の人に…真島さんが似てると思いました」
「あの…見ず知らずの人にこんなこと言うのもなんですけど」
「他人だとは思えなくて、あまり…無理はしないでくださいね」
真島さんは笑っている。
「おおきに。頭の片隅にでも置いとくわ」
「しかし夢で会えるなんてロマンチックやなぁ、俺も萌子ちゃんみたいなべっぴんさんと夢で会いたいわぁ…って現実で会えればええやんな」
現実で?
「ホンマはこのままホテル行くっていうのが定石なんやろうが、俺はそんな趣味ないもんでなぁ。今度一緒に食事でもどうや?また、その変な夢の話聞かしてほしい」
「え、あ、はい」
「ええ返事や。彼氏ともその時までに、ちゃんと別れときや」
「は、はい」
思わず返事をしてしまった。
「ほな、そろそろ店出よかな。萌子ちゃんはどうするんや」
「わたしも、もうでます」
「タクシー乗り場まで見送ったるで」
その後あれよあれよとタクシー乗り場まで連れて行かれた。お代は払わせてくれなかった。手を繋がれて、少しどきどきした。
「ほなまたな。今度また食事やで」
「あ、はい…」
タクシーに乗ってから、真島さんの連絡先を知らないことに気づく。 と、同時に乗車する前に真島さんが私の胸ポケットになにか入れてたことを思い出す。入っていたのは名刺だった。真島さんの名前とメールアドレス、それと東城会の文字。
しはらくどうメールを送ったものか。悩むのは想像に難くない。
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