「おら、なんか言えや!」
「…」

 ドスを構えた目の前の男に対して、私は何もすることができない。



 私のもつ家族の記憶は、母が知らない男とベッドに潜り込んでいた、そういうところで終わっていた。男と寝る、そうやって生計を立てていたときいたのは、私が施設に入ってからしばらくしてから知った話だった。もう何年も、母は私のことを見てはくれなかった。父の姿は見たことがなかった。
 その最後の姿を目にした私は母と男のことを刺し殺したのだった。当然私は警察に捉えられ、しかし未成年であったことから、然るべき手続きをとった後に施設に入ることになる。
 してはいけないことをした自覚はあった。けれど、この生活を終わりにしたかったのも事実だった。肉を断つあの感触を私は忘れることはないだろう。
 施設では、教育や奉仕といった、おおよそ私が嫌いなことをやっていたのだけれど、それでも、「あの」生活がない分、ずいぶんましに見えた。同じような悪いことをした、同じような闇を抱えた少女たちと交流を交わしたりもして、私は居場所を見つけることになる。
 しかし、安寧と思えた生活はつかの間であった。 当然のことだった。施設は犯罪を起こした子供を更生させるものであって、私たちの衣食住や生活を賄うものではなかった。
 18になるかならないかのその頃、私は施設を出ていくことになる。
 人を殺した子供を引き取ろうなんて親戚はいなかった。そもそも親戚付き合いなんてあったのかどうか定かではなかった。私は一人でこの、この馬鹿げた社会を生きていくことになる。
 冷たかったのは親戚だけではなかった。遠くの国で超巨大企業が崩壊を起こしたばかりで、世界の経済は混乱していた。普通の人でも就職が難しかった、そんな時代だ。学もない少女に与える仕事などなかった。ある場所を除いて。
 東京の神室町、東アジア最大の歓楽街、そこに私の居場所があった。

 男に拾われた。「お前くらい若ければどんどん売れる、儲かるだろう」衣食住を提供した男は私にそう笑いながら言った。処女はその男で散らした。私はこの街で母がそうしたように、春を売って生きていくことになる。
 若さだけが取り柄だった私は、確かに「儲かった」。男の取り分が多くて、生活自体は裕福ではなかったけれど、不自由なく暮らす、そんな収入は得ることができた。
 仕事はきつかった。特殊性癖を持つ男、反吐がでるほど汚い男、セックスをしにきているのに説教を垂らす男…どんな男にも私は「奉仕」をした。私はこれでしか生きることができない、そんな諦めもあった。
 男は下衆な笑いを常に浮かべて、多くの取り分を私から奪った。それだけれではない。体を求められることは少なくはない。それでも、私を拾った人だ、逆らえるはずもなかった。
 そんな日常が何年も続いたある日、出勤した時のことだった。男が蜂の巣になって倒れていた。

 体いっぱいに銃弾を受けて倒れていた男は、もう事切れてずいぶん経っているようだった。血と死体特有の匂いが鼻腔に広がって、私はその場で吐いた。
 どうしよう、警察か?救急か?もうこの人はしんでいる。 吐ききった後、携帯を取り出し、どう連絡すべきか迷っていたときのことだった。

 「あーあかんあかん」
 「この男はなぁ、ずいぶん東城会に借りがあってなあ‥おまけに俺の部下に手だしおったんや」

 奥から声が聞こえてくる。人がいるとはおもわなくて、思わずぎょっとした。ぞろぞろと男が何人かやってくるのがわかった。喋っているのは先頭の妙な格好をした男だった。

 「責任とってもらわな、あかんやろ?」

 男は笑っていた。私はその姿に恐れ慄く。

 「あ、あなたは…誰」
 「名乗る時は自分の名前から、て教わらんかった?」

 男はゆっくりと近付いてくる。目と鼻の先の距離になったところで、男は私を覗きこむ。隻眼が私を射止めて、目を逸らすことを許さなかった。

 「し、知らない男に名乗る名前はないわ」
 「おお、そうかそうか。強気なのんも悪くないわ」

 男は笑った。ヒヒヒと妙に耳に障る笑い方だった。笑いに笑って、笑い疲れる、それくらいの時間がたった後、男はあろうことかドスを取り出して、私に突きつけた。

 「おら、名前を聞いとるんや。なんか言えや!」
 「!!」

 ドスを構えた目の前の男に対して、私は何もすることができなかった。

 「萌子…です佐々木、萌子…」
 「萌子ちゃんか。よう言えたなあ」

 途端に機嫌が良くなったような男は、突きつけたドスを降ろしてまた笑った。私の頭を撫でながら。とたんにこの男が恐ろしく感じた。この男は、いつ、何をしでかすか分からない。

 「あなたは誰「この男の女か?」
 「え、」
 「もう一回いったろか?萌子ちゃんはこの男の女か?言うとるんや」

 男は私に質問を許さなかった。再度ドスを掲げた男は有無を言わせない口調で私に訊ねた。

 「ここの、従業員です」
 「男はおるん?」
 「い、いません!そんなの!いないです」
 「ほんまか。良かったわ。萌子ちゃんのこと気に入ってもうたから、誰かの女やったらそいつもどうにかしてまうところやったわ」

 満足そうに笑う男をみて、地雷は踏まなかった、と安堵する一方で、新たな疑問が頭を擡げる。どうにかって何なの。どうするの。私はどうなるの。死体が転がった狭い店内、狂気だけがこの場を支配していく。

 「親父、この女はどうしますか」
 「何って決まっとるやろ、俺の女にする」

 首にドスが当てられる。私に拒否権はないのだろう。上手く息ができない、私はやっとの思いで男を見る。それだけしかできないのだ。男は至極愉快そうな顔をしていた。男はニヤリと笑うと残酷とも滑稽ともとれる質問を私にしていく。

 「どないする?俺の女になるか、このまま死ぬか。しゃあないから選ばしたるで」