私はダイゴに押し倒されていた。もつれ合う体に、吐息が触れ合うほどの至近距離。嫌でも目に入る端正な顔に気後れしてしまう。
 
 「キミを抱こうとしてる」

 ――私を抱こうとしてる。私の体を弄りながら耳元で彼はそう囁いた。
 なぜ、なぜこうなってしまったのか。記憶の糸を辿っていく。ああ、私は彼とアルコールを呷っていた。



 『カナズミを離れるんだって?』

 結婚のために引っ越し支度をしていた最中、突然ダイゴからきた連絡に、私は不思議に思いながら、それでもしばらくぶりの知己からの連絡だ、心を踊らせた。彼は同じスクールで学んだ同級生で、もう過去のものではあるけれども、私の初恋の人だった。

 『うん、そう引っ越すの。ヒワマキシティに』
 『遠くなるな…そうだ、引っ越す前に一度会わないかい?引っ越し祝いにごちそうさせてくれ』

 19時にお店の前で。予約してくれたレストランは、夜景のきれいなところだった。恋人同士で訪れればさぞ華があるのだろうな、私は内心苦笑しつつ彼の訪れを待つ。

 「待たせたかな」
 「ううん。いま来たところ」

 19時丁度に彼は来た。最後に会った時と同じように、彼はスーツをきれいに着こなしていた。

 「ほら」

 急に差し出された手に躊躇いを覚える。「こういう場所では男性がエスコートするものだよ」有無を言わさぬような笑顔でそんなことを言うものだから、拒否するのも憚られた。おずおずとその手をとると、「行こうか」彼は私の手を引いていく。まるで恋人のように振る舞う彼に、私は一抹の罪悪感を覚えた。

 「急な移動だね。何かあったのかい?」

 ワインを傾け、コース料理を口にしながら私に問う。限られた人にしか言っていなかったことだから、彼がなぜ知っているのか疑問に思う。

 「よく知ってるね」
 「ボクの情報網を舐めないでくれよ。…なんてね。クラスメイトに会う機会があったから、たまたま聞いたのさ。で、何があったんだい?」
 「そうね…」

 本当のことを言うべきか、迷った。ここまでの間で、ペースに飲まれてしまっていた。変に異性として意識してしまっている私がいた。彼が何を考えているのか、わからなかった。昔から彼は底が知れないところがある。 
 紛らわすようにワインを口に含んだ。独特のアルコールの臭気が私の理性をゆっくり溶かしていく。そんな私の一挙手一投足を彼は余すことなく眺めている。

 「結婚、かな。」
 「そうだろうと思っていたよ。その指輪。とても似合ってる」

 迷いに迷って、結局本当のことを言う。きっとバレてしまうと思ったから。そして、本当のことを言うことで予防線を張ろうとした。これ以上はお互い踏み込んではいけませんよ。そう主張したつもりだった。つもりだったのだけれど。
 「飲みなよ」彼は笑う。私は彼の言葉どおりにアルコールを呷っていく。止まらない話、彼は私の話を楽しそうに聞いた。虎視眈々と私のことを狙っているということに、その時の私は気付かなかった。理性が麻痺してしまっていたから。
 あれから、私たちは2軒目、と飲み歩いていった。お酒の酔いも手伝って、距離感がおかしくなってしまっていた。ふらついた私をダイゴの腕が支える。「昔ダイゴのことが好きだったんだよねえ」思わず出た言葉に、「そうなんだ」彼は曖昧に笑う。



 「ボクの部屋に来るよね?」

 私の腰に手を回しながら、ずいぶん近い距離で彼は私を誘う。いくつのもの否定の言葉が喉元まで出かかって、それらはすべて飲みこんでしまった。きっとこの誘いに乗ったら私は。



 「ボクもさ」

 彼の部屋に入ってすぐ唇を奪われた。止まらないキスの合間に彼はぽつりと呟く。

 「キミのことが好きだったんだよね。ずっと前から。今も好き」

 あなたが私のことを?今も好きなの?突然舞い降りてきた情報に頭の処理が追いつかなくて、彼の目を見た。彼は欲に塗れた顔をしていて、私の体を緩く拘束し酸素を奪っていく。

 「今更…」
 「今更だと思うかい?いつか、こうしたいと思っていた」
 「いつか?」
 「そう、いつか。キミがこんなにも早く、ここを去ってしまうとは思わなかったよ。まあ、ポケモンがいたらなんてことのない距離だけれど…それでも、遠くなってしまうからね」
 
彼がゆっくり私の指に触れて、左薬指の指輪を抜き取った。もう、戻れないところまで来てしまった。それを取り返すだけの気力ももうなかった。

 「今夜だけは、ボクに時間をくれないかな?」

 ゆっくり私を横たえながら、私にそう訊ねる。私が拒むことができない、そんなの分かっている癖に。