私はあなたに恋していました。テレビの中のあなたに。勝負のさなかに見せる表情、完璧ともいえるポケモン達との連携、勝利を勝ち取った後のインタビューでの態度。すべてが私の中の理想で、焦がれてました。これは間違いなく恋だったのです。



 「萌子、起きなさい。今日チャンピオン戦見に行くんでしょ」

 ママの声で意識がぼんやりと呼び覚まされた。夢を見ていた。いつもの夢。夢の中の私はダンデさんと勝負して、負けるの。それで握手する。握手したところでいつも目が覚める。
 徐々に輪郭をおびていく意識の中で、私はまたダンデさんに出会えたという喜びと夢だった、という落胆が綯い交ぜとなって私を支配していく。その感情が処理しきれなくなって、私は一筋、涙を流した。
 今日はチャンピオン戦を観戦する日だった。倍率の高い、プレミアになっているチケットを手にすることができたのは僥倖だった。彼に、出会える。やっと。やっと会うことができる。
 ダンデさん、私は彼に恋していた。周りは冗談だと笑うけど、これは間違いなく恋だった。彼が出ている試合はすべて録画して、画面越しに彼の試合を応援した。集められるグッズは全部集めて、私の部屋はダンデさんのもので一杯になっていた。「萌子はチャンピオンが好きなのね」ママにそう言われた。そう、私はダンデさんが好き。
 眠い目をこすりながらママの作ったたまごやきとトーストを食べて、ぼんやりとテレビを観る。「今日はエンジンシティでチャンピオンダンデのエキシビションマッチが開催されます」ニュースのキャスターが言っていた。
 食事をしたあとは顔を洗って歯を磨いて身支度を始める。何を着ていこうか。ダンデさんが私を見てくれないとしても、大好きな人に会うのだ、最大限のおしゃれをしていきたいと思った。そうおもったのだけれど。
 迷いに迷ってパーカーにショートパンツにニーソックス…いつもの格好になってしまった。パーカーはダンデさんの相棒、リザードンが控えめにプリントされている。せめてもの戦装束だった。
 あとは、いつもより念入りに化粧をして、完成。まだ子供だけれど、少しでも背伸びをしたかった。だってこんな晴れ舞台だもの。



 「いってらっしゃい。楽しんできてね」
 「うん。楽しんでくる」

 ママは笑顔で私を見送ってくれた。ママはいつでも笑顔だ。私はそんなママのことが大好きだ。ダンデさんの次、だけど。
 私はエンジンシティに住んでいるから、会場までは勝手知ったる道を歩いていく。チャンピオンが来るからだろうか、街は少し浮足立ったような雰囲気をしていて、自然と私の気持ちもざわついてしまう。
 エレベーターに乗りスタジアムに向かおうとしたのだけれど。スタジアムの前は騒然としていた。どこを見ても人人人。スタジアムで試合を観るのは初めてではないのだけれど、ダンデさんが来るとなると、ここまで人が集まるのか、私は彼の影響力を改めて認識させられた。わたしのすきなひとはすごいひとなんです。

 「チケットを拝見します」

 手持ちのスマホロトムの電子チケットを見せると、受付のお姉さんは少しびっくりしていた。多分子供が1人だったからだろうけれど。それでも特になにも言われず、お姉さんからパンフレットをもらって会場の中に入っていく。
 自分に宛てがわれた席に座ってスタジアムを見下ろした。ここで、ここでダンデさんに会える。私の、大好きなダンデさん。何度もテレビで見た。その度に心が震えた。その彼が、本物が私の目の前に。

 「レッツチャンピオンタイム!」

 その掛け声と共にバトルは始まった。姿を見て、私はまず涙を流してしまった。会えたことに。涙を拭いながら試合を見ていく。テレビで伝わる以上のバトルへの気迫がここまで伝わってくる。心が震える。じんわりと汗をかいていく。
 バトルは圧倒の一言だった。ダンデさんの出すポケモンへの指示は的確だった。そして、それ以上にポケモンとの絆が結ばれているのだろう、息の合った戦闘だった。エンターテイメント性としても十分で、ダイマックスを用いたやりあいは圧巻だった。
 バトルが終わり、人が去っていく中、私は暫く放心していた。こんな、こんな試合がこの世に存在するなんて。たとえ私がダンデさんのことが好きでなくてもきっと、おなじように放心していると思う。それだけの試合だった。
 「そろそろ退出お願いします」殆ど人のいないスタジアム、係の人にそう言われてやっと重い腰をあげる。目を閉じると先程の試合がありありと思い出される。荒くなった呼吸を正すように深呼吸をしながら私はスタジアムを後にする。
 


 「ダンデさんとリザードン格好良かったな…」

 スタジアムを出てすぐ、そう呟いていた時のことだった。見知った影が私の網膜に投影される。

 「だ、ダンデさんがいる」

 ダンデさんだった。あんなに焦がれたダンデさん。マスコミもローズ委員長もいなくて、珍しく一人だった。どうしよう、話しかけるなんて、とんでもない。でも、彼から目が離せない。
 そうやって右往左往していたら、彼が私に気付いたようだった。ばっちり目が合ってしまった。彼は私の方に歩みを進める。もしかして、私は彼と会話をする?

 「オレの試合みてくれたのか?」
 「え、あ、はい。みさせて、もらいました」

 彼は飽くまでもにこやかだった。一方で私は大好きな人が前にいて、中てられてしまっていた。彼の顔を見るので精一杯、うまく息ができない。口をぱくぱくさせてやっとこれだけの言葉を発した。

 「そんなに緊張しなくていい。チャンピオンタイムを楽しんでもらえたらなによりさ」
 「あ、はい。とても…とても心に残る試合でした」

 涙を流すほどに。「そうか。そう言ってもらえると嬉しいぞ」彼はウインクしてみせた。好きな人のウインク、私はまた息を忘れてしまいそうになる。

 「今日はありがとう。じゃあ、気をつけて帰るんだぞ」

 ダンデさんが踵を返そうとしたときのことだった。

 「あの!」

 私は思わず声をかけた。彼は私の方を振り向いた。ほとんど頭の中がぐるぐるしたまま次の言葉を探す。私には、お願いしたいことがあった。

 「わ、わたし…萌子っていうんですけど、ずっとダンデさんのファンで、ずっと好き…だったんです。本当に。あの、もし嫌じゃなかったら、握手…してくれませんか?」

 殆ど泣きながらお願いした私の頭を彼はぽんと手を置いた。あの夢の再現を。それが、私の願いなんです。

 「いいぞ、ほら。萌子、ありがとうな」

 差し出された手を取ると力強く、握ってくれた。夢なんかじゃない。本当の温かさ。思わず涙が溢れでた。ちょっとの間そうしていて、やがて手は離れていった。

 「だ、大丈夫か?」
 「大丈夫、大丈夫です。嬉しくて泣いているだけですから。…ありがとうございます」

 心配そうに眉を寄せるダンデさんはバトルの時と違って少し可愛くて、そのギャップにまた惚れてしまった。

 「では、失礼します。ダンデさんに出会えてよかった。スタジアムのときもそう思いましたけど、今は強くそう思います。これからも応援しています」
 「ありがとう。萌子。これからも頑張るぞ。…気をつけて帰ってくれよな」

 帰りの道すがら、握手をした手をぼーっと見つめては今日あったことを思い出す、これを繰り替えしていた。

 「夢、じゃなかったな…」

 そう、夢じゃなかった。これは肉を持った現実で、私とダンデさんは会話をして握手をした。本当はバトルを見るだけだったのに。いろいろなものを与えられすぎて、私は頭がショートしそうだった。

 「ダンデさん。私はあなたをずっと好きでい続けます。ずっと応援してます」

 そう心の中で唱えると私は家のドアを開けた。「萌子、今日はどうだった?」ママの声が聞こえる。さて、どこから話そうか。