オレには好きな女性がいた。いつも行く喫茶店の女の人。多分、オレより少し年上。ひまわりのような素敵な笑顔で、「ダンデくん」オレをそう呼んでくれる。その笑顔を自分のものだけにしたい、なんて柄でもないことを思ってしまう。
  
@

 「ねえ。ダンデくん好きな人いるの?」 
 
昼下がりのカフェ、春の柔い風が頬をなでる。そんな時、彼女はオレにそんなことを訊いた。突然のことだった。「あなたですよ」そう言えたらどれだけ良かっただろうか。
 でも、彼女には付き合っている男性がいた。オレも知っている人で、素敵で尊敬できる男の人。
 オレはしばらくの間考えて、「あー、そういう人はいないんだな」これだけ答えた。

 「きっとダンデくん魅力的だからすぐ彼女とかできそう」

 あの、ひまわりみたいな笑顔でそんなことを言うものだからオレは、
 
 敵わないんだ。


A

 「ねえきいてよ」
 「どうしたんだ?」

 『飲みに行かない?』という連絡がきたのがつい数時間前のこと。急な連絡に驚きを隠しきれず、それでも『いいですよ』これだけ返信をした。彼女に会える、それだけで舞い上がってしまうオレは相当毒されている。
 きいてよ、これから始まった言葉は徹頭徹尾彼氏の愚痴だった。どうやら彼氏が浮気したらしい。尊敬できる男だと思っていたが、それは仮初の姿だったのだろう。

 「別れないんですか」
 「別れたほうがいい、んだよね」

 「オレにしてしまえば良いのに」、喉元まで出かかった言葉を飲み込み、オレは相談に乗ってあげる優しい友人を演じる。

 臆病者はオレだった。


B

 「もう、酔っちゃった」

 あれからしばしば彼女と飲みに行く。大抵は彼氏の愚痴で、好きな人のそういった話に、針を飲まされるような感覚を覚える。でも、オレは拒むことなどできない。彼女のことが好きだったから。
 傍を見ると殆ど酔っ払った彼女が俯いていた。そこから発する言葉にオレは動揺することになる。

 「ダンデくんみたいな人だったら、」
 「飲みすぎたんですよ。帰りましょう」

 彼女の言葉を遮るようにオレは彼女に帰宅を促す。その先を聞いてはいけなかった。

 もし、聞いてたら。


C

 「ねえ、送っていってよ」

 彼女は酔いでフラフラしながらオレにそう言った。

 「え、」
 「ねえ、お願い。酔っ払って、もう」

 彼女はやっとの思いで壁に寄りかかっていて、なるほど、一人で帰るのは難しそうだ。オレは家に、帰るだけ、それだけ。そう心に念じて彼女のお願いに了承する。
 帰る道すがら彼女はオレの腕に自分のそれを絡ませた。一気に近くなる距離に戸惑いを隠せない。ふわりと香る彼女の香水の香りがオレの理性をぐらぐらと揺さぶった。
 こじんまりとしたアパートの前で「ここなの」彼女は組んでた腕をほどき勝手知ったる様子で鍵を開ける。

 「じゃあ、オレはここで…」
 「部屋、入る?」
 
 彼女は挑発するようにオレを見た。


D

 「彼氏は、他の女のところにいっているからいないよ」

 オレは彼女の誘いに乗ってしまった。もう、戻れないところまで来てしまっているのかもしれない。
 生活感のある部屋は彼女と男の生活を想像させた。オレはそれに辟易しながらも、彼女への欲望がむくむくと大きくなっていく。

 「すぐ、帰りますんで」こんなところにいたら、オレは止まらなくなる。

 「嘘」

 一瞬の出来事だった。彼女はオレの側に来ると、オレの首に腕を回してキスをした。夢に見た好きな人とのキスだった。けれど、状況が状況だ。現状を把握するだけの思考が足りない。

 「そんなことできないし、させない」
 
 オレは彼女の術中に嵌っていた。
 

E 

 まだ日が登ろうとしている、そんな早朝、オレは目が覚めた。普段彼氏と使っているだろう寝台にはオレと彼女が存在している。あの後、彼女と――。彼女と結ばれた喜びと罪悪感、オレを弄んだ彼女への怒りが綯い交ぜになってオレの感情を満たしていく。
 早めに家を出よう。いつ彼氏が帰ってくるかわからないし、もうこんな空間にはいたくなかった。
 家を出る支度が終えた頃、見計らったように彼女が目が覚めたようだった。

 「もう帰るの?」
 「はい。…すみません。今日あったことは忘れます」
 「そっか。忘れるんだ」

 彼女は残念そうにそう言う彼女に苛立ちを覚える。尤も同じ毒を食らったオレも同罪だが。

 「では、」
 「ダンデくんみたいな人だったら。よかったな」

 帰ろうとドアを開けようとしたときだった。彼女は爆弾を落としていく。

 「…そうですか」

 これだけ呟いてオレは扉を開ける。

 外は清々しいほどの晴天だった。
 

F 
 
 あれだけのことをしたのに、オレはまだ彼女のことが好きだった。ひまわりのような笑顔に隠された蠱惑的な笑み。どっちもオレを惑わせた。
 あれから連絡をとっていない。カフェへも足を運ばなかった。もう一度会ったらきっと同じようなことになってしまうから。不毛だ、あまりにも。好きだ。好きだけれど、あんなことは二度起こしてはならない。

 あれからオレは日常を送る。元・チャンピオンとしての職務に忙殺されていく毎日は大変ながらも充実している。そうやって日常を消化して、あの出来事を過去のものにしようとしていたとき、彼女から突然の連絡があった。

 『彼氏と別れました。ダンデくんと話がしたいです。今度は真剣に。』

 オレはスマホロトムを呆然と見つめていた。ここで返信したら。きっと。二度はないという気持ちと彼女のことが好きだという気持ちがせめぎ合って、スマホロトムを持つ指が震える。でも、

 きっと彼女にはどうしても敵わないんだ。