「そろそろ兄さんの誕生日だ。何か祝ってやるつもりなのか?」

 

 私はあまり誕生日だとか記念日だとか、そういったものに頓着しない人生を送ってきた。親からも大して祝われたことがないし、交友関係もそうだった。ずっと無縁の生活をしていたのだ。けれど。
 先日言われた桐生さんの言葉を思い出す。祝うのはさも当然と言わんばかりの言葉。「ち、ちゃんと考えてます…よ」心にもないことを言う私に「そうか。萌子は流石だな」にこやかに言うものだから、私は後にも引けなくて、「喜んでくれるといいなって思います」自信ありげに答えてしまう。

 別に祝いたくない、とかそんなことを考えているわけではなかった。本当に大好きな恋人、その誕生日を祝いたい、これは心の底から思っていたことだった。ただ、祝い方が分からないのだ。今までされたことが無かったから。誕生日、どう祝おうかしら?暫くの期間、真島さんの誕生日をどうするかに東奔西走することになる。
 
 いくつかの記事を読み、次のことを頭に入れた。
 ・誕生日ケーキがあると良い
 ・良い酒で良い食事があると良い。もちろん外食でも良い
 ・男性へ渡すプレゼントはアクセサリやネクタイが好ましい
 プレゼントに煙草なんてどうかと考えていた私としては寝耳に水な情報ばかりだった。まずはセオリーどおりが良いだろう、頭に入れた内容について、少しずつ準備を始めていく。
 
 まずはケーキ。ケーキなんて作ったことが無かったから、適当なレシピ本を買って、練習として、ケーキを焼いていく。…つもりだったのだけれど。オーブンから出されたスポンジはぺったんこになっていてとてもではないがケーキと呼べる代物ではなかった。でき損なった「それ」はしばらく私の主食となる。引き続き練習が必要そうだ。

 食事と酒。これも苦手な分野だった。酒を除いては。食事はデパ地下のちょっと良いお惣菜に頼ることにした。外食については最初から考えなかった。正直彼の風貌からして行くことができる店はだいぶ限られるだろう、と容易に想像できるからだった。
 酒に関しては贔屓の酒屋でちょっと背伸びするようなシャンパンを購入した。真島さんはもっと良いシャンパンを飲んでいるだろうから、これも大したものではないのかもしれないけれど。

 最後にプレゼント。これが本当にわからなかった。普段は「あの」格好をしているけれど、たまに正装とも呼べるような格好もする。ネクタイ…と思っても、普通の売り場には「堅気」の人向けのものしか売っていなかった。アクセサリや他のものも同様だった。仕方がない、と売り場を出ようとしたときのことだった。あるものが私の目を引いた。

 「ネクタイピン…」

 黒と金であしらった控えめながらも存在を主張しているそれは、真島さんの「正装」にも合うような代物だった。残り一点のそれ、迷わず購入した。クレカの明細で目玉を飛び出すことになる…のはもっと後の話。

 こうして、私は真島さんを祝う準備を進めていく。戸惑うこともあったけれど、好きな人のために考えて何かをする、というのは思いの外楽しい。彼の喜んでくれる顔を想像しては幸せな気持ちになっていく。

 『誕生日はウチ、きてくださいね』
 『ほう…楽しみにしとるわ』

 こんなやりとりをした。少しずつケーキも形になってきた。きっと当日はうまくいく。――行くはずだった。

 「仕事が、終わらない…」

 当日私の仕事が終わらなかった。終わらせるように今まで調整してきたつもりだった。休暇も取る予定だった。でも。急に振ってきた業務に私は為す術なく残業を重ねていく。

 『ごめんね…仕事が』
 『気にせんとき。大事な仕事や。』
 
 彼はどこまでも優しい。優しさに泣きそうになる。目頭を熱くさせながら仕事を終え、帰宅したら23時だった。
 
 「あれ、なんでいるの」
 自分の部屋には真島さんがいた。中途半端だったケーキは完成されていた。シャンパンは飲めるようにグラス2つダイニングに。私の好きなデパ地下のお惣菜がきれいにお皿に盛り付けられていた。

 「なんで…」声が震える。だってこんなのって、
 「萌子お仕事お疲れな」

 真島さんが私のことを優しく抱擁する、その腕の暖かさに私は思わず涙を流してしまう。

 「ど、どおして」
 「萌子、たくさんのことしてくれようとしとったんやろ?慣れとらんのに。たまたま早く俺がついて暇だからちょっとだけ手出しただけや」

 ちょっとって。こんなにたくさんのことを。彼はどこまでも優しいのだ。そして、私が何をしたかったのか、なんでもすぐ分かってしまうのだ。

 「真島さん…手伝わせてごめんね。主賓なのに。…ありがとう」
 「気にせんでええ。ケーキのデコレーションだけまだなんや。一緒にどうや?」
 
 軽くシャワーを浴びて、二人でケーキのデコレーションをした。生クリームに苺、不格好だがそれっぽく仕上がった。
 「なんか格好悪いなー」
 「俺はこういう方がすきやで」

 ケーキをダイニングテーブルに置くとささやかなパーティーが始まる。
 「ほら、ロウソクをふーってするの」
 「こ、こんなんか?」
 ろうそくを吹き消す真島さんを見て微笑ましい気持ちになる。 
 シャンパンの酔いが軽く頭に回り、おいしい食事に舌鼓を打ったところで二人でソファに座る。ふたりがぴったりとくっつく距離、真島さんの体温が優しい。

 「よーこんだけ企画できたな。ゴロちゃんほんま嬉しいわ」
 「本当はね、こういうことしたことないから、うまくできるか分からなかった。ううん。結局帰り遅くて、うまくできなかったし。でも、真島さんが喜ぶところ、見たかったから」
 「さよか。もちろんいろいろしてくれるのも嬉しいんやけど…何もなくても、こうやって萌子と二人で過ごせるだけで俺は幸せやで」
 
 真島さんの言葉にじんわりと心が温まる。彼の方を見たら彼もまた私の方を見ていて、どちらからともなくキスをした。

 「あ、忘れてた」
 どーぞ。とネクタイピンが入った包を手渡す。
 「誕生日プレゼントだよ」
 「なんやと?」
 
 そわそわとした様子で包をあける真島さんがちょっとおかしくて私は思わず笑ってしまう。
 「何わろてんねん。…ネクタイピンか?」
 「そう、気にいるかわからないけど。よければ使って」
 
 「ええデザインや。おおきに。萌子からもらったものは何でも使うで」

 傍から見ても嬉しそうにしている彼をみて、こっちまで幸せな気持ちになった。来年もまたこんなことができるのだろうか。できたら良いと思った。


――ねえ、真島さん。
 「改めて言わせて。誕生日おめでとう」