木枯らしが寒々と身体を冷やす夜だった。私は最後のバイトを終えて帰り支度をする。
 大学の友人に「割の良いバイト」として紹介されたこのキャバレーの仕事はなかなか自分に合っていたと思う。
 女の子同士の諍いも少なくない仕事ではあったけれど、私は仕事と割り切ることができた。男性とのお話は嫌なこともあったけど、私の知らない世界を見せてくれるから楽しかった。支配人のことは尊敬さえしていた。多分、歳はそんなに変わらない。けれど厳しいながらも指示は的確、我々キャストにも気にかけてくれる姿は「できる上司」そのものだった。 まさに天職だったのだ。
 けれども就職活動が終わり、卒業論文を提出し、卒業を残すのみとなった私にとっては名残惜しくても離れるしかない場所だった。就職先は東京だ。もう足を踏み入れることもないのだと思う。
 同日出勤していた女の子に挨拶をし、店長に挨拶をし、私は支配人を探す。
 私は多分、他の女の子より支配人と仲が良かった。といってもこれは私が比較的長く在籍していたからというだけだ。だから、尚更挨拶をしなければと足を進める。
 グランドの屋上、支配人はそこにいた。煙草を吸っていた。遠くを見つめながら。

 「あの。支配人、今お時間よろしいでしょうか」
 「お、萌子ちゃんやないか、ええで」
 「最後の出勤なので、一言挨拶をと思って」
 「…そうやなあ、萌子ちゃん今日で最後やもんな」

 「一本、要るか?」、煙草に火を灯す。

 「今までお世話になりました」
 「こちらこそや。萌子ちゃんおらんかったらグランド潰れとったかもしれへんで」

 支配人は笑う。

 「またまた。真島さ…支配人がいるから余裕ですよ、きっと」

 「名前でええで。もううちの女の子ちゃうしな」

 ――うちの女の子ちゃうしな
 それもそうだ。でも、突きつけられた事実に少し目頭が熱くなる。

 「バイト辞めた後なにすんねん」
 「就職ですよ。就職先東京なんですよぉ。遠くなるなあ」
 「ほんなら蒼天堀も最後なんやな」
 「…そうですね。大阪に住んでいたのは大学の4年間だけだったけど、愛着が湧いてたんでちょっと寂しいですね。真島さんにも会えなくなっちゃうし!」
 
 そう言いながら吸い殻を灰皿に捨てる。
 支配人も同じように吸い殻を捨てると、

 「うっさい支配人と会わんでよくなるなあ」
 
 笑いながら言った。

 「真島さん厳しかったもんなあ。でも、私真島さんのこと尊敬していましたよ。あんな上司になりたいなあって」
 「ほんまか?なんも出てこんで」
 
 本当ですよ、心の中で独りごちる。

 「私、そろそろ行きます。本当に今までありがとうございました。また東京にくることあったら、ご飯でも行きましょう」
 「美味い店探しときや。とびきりのやつ」

 「はい。わかってます」言いながら踵を返す。扉に手をかけようとしたとき、

 「なあ」

 振り向くと支配人はなにかを投げてきた。 オイルライターだった。

 「新しい門出へのお祝いや。俺やとおもって大事につこたり」
 「ありがとうございます。大事にします」

 真島さんからもらったオイルライターを手にしたままそのままグランドを後にした。


 帰宅してオイルライターを眺める。 それで煙草に火をつけると、支配人が点けてくれた時と同じ味がしたような気がした。
 きっと新生活の中で辛いことも逃げたいこともあるかもしれない。 でも、それでもこれがあればなんとかやっていける、そんな気がした。 真島さんに守られている感じがするから。

 東京では美味しい店、探そう。うんといいやつ。いつか真島さんが東京に来た時に紹介できるように。