21時。私は職場でキーボードを動かしていた。「明日までに資料をまとめておいてくれ」そう言われたのが17時。とてもではないが簡単には終わる作業ではなくて、心の中で上司に悪態をつきながら、資料作成を進めていく。手にはおやつのチョコバー。これは完全食らしいとどこかの記事で読んだ。食べていると頭が幾許か回る心地がする。

 「俺はそろそろ帰るぞ。お前、まだ帰らなくていいのか」

 22時。私をこの職場に繋ぎ止めている張本人が私に無神経な言葉を投げかける。
 「いいわけないだろ」これは心の言葉で、上司には「気にしないでください」曖昧に笑ってみせた。
 いいわけなかった。今日は私の、私の大好きなダンデの試合が放映されていた。仕事があるから、全ての試合をスタジアムで見ることはできない。けれども、テレビの中継でくらい見たかった。ちらりとスマホロトムの通知バーをみる。『今回も勝ったぞ』好きな人からのメッセージに思わず口元が緩む。こうやって連絡を取り合うだけで心がじんわりと暖かくなって、好きだな、そう自分の気持ちを再確認する。『おつかれ。おめでとう。試合みたかったなあ』それだけ送って、私は私がすべき作業に没頭する。
 24時。資料の作成が完了し、業務から漸く開放される。開放感に浮かれながら、スマホロトムを覗くと『ユリアも仕事おつかれな』彼はとても優しいのだ。忙しいだろうのに、私にこうやって時間を使ってくれる。
 大好きな音楽を聴きながら、帰路を歩いていく。彼からの連絡一つでこんなに舞い上がってしまうなんて。自分でも単純だな、そう思う。でも、そう思うからしかたない。私はこの気持に正直でいたい。
 25時、いつもゆっくり湯船に浸かり、一日の疲れを癒やす。浸かりながら、スマホロトムで今日のダンデの試合のインターネット記事を読む。今日も彼は相手を圧倒し勝ち得たということだった。記事に挟まれる写真のダンデは眩しいばかりの笑みを浮かべていた。
 26時、ダンデの試合の録画を眺めながら、食事を取る。画面の中のダンデは本当に格好いい。惚れた弱みだけではない。普段の私からは見ることができない、そんな全てのものを御す迫力がそこにはあった。アルコールを呷りインスタントの麺を食べながら画面に釘付けになる。バトル自体は一般的な知識しか持ち合わせていないのだけれど。それでもわかるくらいには彼のバトルは本当に。
 28時、ちょっと酔った頭を抑えながら床につく。今日は休みだから怠惰も許されるだろう。『おやすみなさい』彼にメッセージを入れながら。


 「…ユリア」
 懐かしい声に微睡みの中ぼんやり目を開く。時計の針は12時を指していた。

 「起きたか。ユリア」
 大好きなダンデがそこにいた。好きな人がそこにいる、その事実に気付いた途端私はさあっと顔が熱くなった。なんで、どうして。
 
「今日は、仕事だったんじゃ」
 「ああ。でもせっかくユリアの家の近くにきたんだ。少しでも会っておきたくて」

 寝巻き姿なんて、恥ずかしい。紛らわすように髪を弄っていると「気にしなくていいぞ、そんなユリアもかわいい」彼は私の欲しい言葉をくれる。

 「そっか、嬉しいな」

 私とダンデは付き合いこそしているものの、会う頻度はそんなに多くない。私の休暇が不定期であることと、それ以上にチャンピオンである彼は多忙を極めているからだった。だからこうやってサプライズで会えると本当に嬉しくて…何度目かの好きという気持ちの再確認をしていく。

 「でも、言ってくれたらよかったのに」
 「あんな時間に『おやすみ』ってこられたらそっと寝かしたくなるさ。…元気そうだな」
 「うん。仕事が溜まってる以外ねー」
 苦笑してみせると彼は心配そうに私の顔を覗き込んだ。「…ほどほどにするんだな」
 「うん。そっちも、元気?リザードン。ポケモンたちも」
 「ああ。元気だぞ」

 モンスターボールを弄りながら彼は笑った。彼と彼の相棒たちがいるのだ、彼に敵うものはいないだろう。ポケモンバトルだけではない。精神的にも。

 「食事とってく?」
 「あー…これから仕事で、顔を見にきただけなんだ」
 「うん。わかった。また、時間取ろうね」
 「もちろんだ。空いている日また送る」

 彼は帰り支度をするのを私は眺めている。こんな、こんなタイミングで会えるなんて幸せすぎるよ。

 「顔が緩んでるぞ」

 支度を終えた彼が私を見て笑った。きっと私が幸せだってこと、見透かされてる。
 「な、こっちきてくれ」腕を広げながら私のことを呼ぶ。彼は私を抱きしめたいと思うときこういう仕草をする。そんなダンデが私は好き。ちょっとかわいいと思う。
 側に行くと案の定私を抱きしめた。私よりずっと高い身長に、私はすっぽり収まって、その胸板に顔を押し付けるかたちになる。彼の匂いをこっそりかぐといい匂いがした。私の好きなダンデの匂い。

 「充電してる。大好きなユリアをこうやってすると元気もらえるんだ」
 「うん」 
 「本当はもっと会いたい」
 「うん。私も」

 腕が離される。突然できた隙間に少し物足りなさを覚える。きっと彼も同じことを思っているのだろう、少し目線を彷徨わせて、ややあって私の方を見た。

 「早めに連絡するからな」

 彼は私に触れるだけのキスをした。

 「いってらっしゃい。気をつけてね」
 「ああ。じゃあまた、」

 戸を閉める音が響く。私以外誰もいない部屋は少し寂しさを覚えた。でも。
 「私も、充電しちゃった。」最高のサプライズだった。彼は私から元気を貰えると言ったが、彼もまた私に活力を与えてくれる。
 私もあなたと次会う日まで、頑張る、頑張っていこう、そう思った。そんな矢先のことだった。
 『今から会社、来れる?』
 にっくき上司からの連絡に私は辟易した。連絡無視も考えたけれど、仕方ない。今度ダンデにとびきり甘やかしてもらおう。そう心の中で誓って、職場へ向かう支度を始める。

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