銀二がクライアントとのミーティングを済ませ終わった頃には、もう深夜になっていた。

クライアントを見送り、自らも帰りの準備をする。タクシーを呼んで、待っている間に煙草に火を点けた。


A taxi driver meets...


沙良が夜勤のタクシーの中で待機していると、本部から連絡が来た。エンジンをかけ直し、せめて客が来るまでは、と好きなCDをかけて客のいる所へ向かう。客のもとへ着くのに、さほど時間はかからなかった。

客がいるであろう場所に到着すると、一人の男、銀二がいた。おそらくこの男が客なのであろう。予想通り、銀二はタクシーを見つけると、吸っていた煙草を地面に落として足で火を消した。

沙良は銀二を中へ入れて目的地を聞き、「了解しました」と答えてアクセルを踏んだ。そこで沙良はCDをかけっぱなしにしていたことに気づく。お気に入りのモータウンサウンドをラジオに切り替えたところ、予想外にも銀二がその動作に声を上げた。

「いいよ、そのまま音楽の方流しててくれや」

「あ、……はい、わかりました」

普通は客が来たらラジオを流すものだが、客がそのままと言うのであれば仕方がない。沙良は一度切り替えたラジオを先ほど流していたCDに戻した。

そしてしばらく、無言の空間が流れる。沙良はCDを聴いているからなのか、少し上機嫌で運転をしていた。沈黙を先に破ったのは、銀二の方であった。

「お嬢さん、この曲は何て曲だい?」

その質問に驚き、一瞬何を訊かれているのかとうろたえる沙良。だがすぐ質問の意味を理解し、答えた。

「えと、マーヴィン・ゲイの『You sure love to ball』という曲のウィル・ダウニングによるカバーです」

「おー、モータウン・レーベルか。良いセンスしてるんだな、お嬢さんは」

「いえ、そんなことは……ただ、昔の曲とかが好きなだけで……」

銀二は沙良が答えたアーティストを知っていたようだ。銀二も少しばかり上機嫌そうにしてくく、と笑う。

そうこうしているうちにタクシーは目的地まで到着し、沙良はギアをパーキングに入れて客側のドアを開けた。そして銀二から運賃を受け取る。何気ない動作で普通に受け取ったら、よく見ればそれは万札で、しかも一枚ではなく数枚ある。

「あ、お金!多いです」

「良いんだよ、良い曲を教えてもらった礼だ。あ、あと」

明らかに動揺した様子が見て取れる沙良を横目に、銀二は懐からメモ帳を取り出し、さらさらと何か書いて沙良に渡す。沙良はそれを受け取る代わりに多い金を返そうと思ったが、銀二はそれを許さず、メモだけを渡した。

沙良がそれを見ると、そこには銀二のものと思われる携帯の電話番号。

「お嬢さん、気に入ったよ」

そう言いながら銀二は車を降り、外から沙良のいる車内を覗き込んで言った。

「金に困っても困らなくても、気が向いたら電話しな」


モータウンの君

その後、沙良の勤めているタクシー会社が突然倒産し、泣く泣く銀二のもとに電話することになったのは、また別の話。