(※手コキでいかせるだけ。)


いつもの喫茶店。
セピア色の空気とオルゴールが静かに流れる、『喫茶 いつか』というお店だ。
江洲直生人と出光ヒカルはいつも此処で待ち合わせをしていた。
今日も然りで、12時に此処で待ち合わせだった、のだが。13時半を回っても未だにヒカルが来ない。
直生人は、ハァ、と溜息を吐いて、ぬるくなったアイスコーヒーを一口飲むと、スマートフォンが震えた。
スマートフォンを開くと通知が来ていて、直生人はストローから口を離し、アプリを起動してショートメールの全文を確認した。

『ちょっと遅れる』

短い文章。時間が無かったのだろうと言うのが見てとれた。
まあ、短い文章は本人の性格もあるだろうが。

『待ってるから、急がなくていいぞ』

直生人はそう返して、スマートフォンを乱暴にカウンターに置き、頭をボリボリ掻いた。
というのも、工場勤務の直生人は今朝まで夜勤で、勤務が終わってから、寝ずにこの喫茶店まで来たのだ。
明日は休みとはいえ、流石に眠い。
一応、ヒカルに気を遣ったショートメールを返したが、だいたい、1時間半も遅刻しておいて、今更『ちょっと遅れる』は無いだろう、と直生人は思っていた。
毎回遅刻をするヒカルは、若い女性に人気のファッションモデル。忙しいのは百も承知だが、たまには時間通りに来てくれてもいいではないか。

「あーーー、クソっ…」

直生人がローズウッドのカウンターに頭を突っ伏していると、カウンターの向こう側でグラスを磨いていたマスターが「フッ」と笑った。
頭を上げてマスターを苦い顔で見る。

「…なんすか」
「ヒカルちゃん、また遅刻なんだろ?寛大な心で待ってやりな。あの子はお前と違って忙しいんだから」
「…分かってますよ。俺は凡人、向こうは有名人なんだから」

直生人とヒカルの出会いをサポートしたのは、他でも無い、このグレーヘアーが似合うダンディーなマスターだ。
勿論、直生人とヒカルの関係も、実の親より知っている。

「今日はヒカルちゃん、雑誌の撮影かい?」
「らしいっすよ。撮影が午前中までとかで、12時に終わるから、12時半に此処って約束だったんスけど」
「撮影が押してるんだろ。仕事なんだから、不貞腐れたって仕方ないじゃないか。あの子だって申し訳なく思ってるよ」
「アイツがそんなタマっすか…?」
「あの子は真面目な子だよ。何事にも真摯だ」
「……俺にはいつもワガママと罵声しかしないっすよ…」
「それは気を許してる証拠さ。愛情の裏返しってヤツだよ。お前に甘えるのが恥ずかしいのさ」
「そおっすかぁ…?」

直生人は「そんな訳あるかい」と言いたげにマスターに疑問をぶつけた。
アイスコーヒーをズズッと飲みきる。
口の中に氷で薄まったコーヒーの味が広がるが、眠気覚ましの為のコーヒーの効果は最早無く、もう眠くて頭も回らなくなってきていた。

「…直生人、お前も夜勤明けだろ?少し寝たらどうだ。ヒカルちゃんが来たら起こしてやるよ」

マスターが直生人を察してそう言ってくれた。

「悪いな、マスター。そうしてくれると、有難い……」

そう言って両腕に顔を埋めてカウンターに突っ伏した。
すぐに泥のような眠気が襲ってきて、美声なマスターの「おやすみ」を聞きつつ、直生人は意識を手放した。



「…ちょっと、いつまで寝てんのさ」

ゆさゆさと揺すられ、直生人はユルユルと意識を取り戻した。
寝惚け眼で少し顔を上げると、マスクを顎にずらした、薄い化粧の整った顔が、眉に皺を寄せている。

「ん……ひかる…?」
「そうだけど。いつまで寝てんの。マスターにも迷惑だし、早く起きてよ」

直生人はやっと覚醒して欠伸を噛み殺すと、カウンターに伏せで置いていたスマートフォンの画面を見た。そこには『17:00』の文字。

「……は?」
「『は?』じゃないよ」
「…お前、いつ来たの」
「んー、2時間位前?マスターに『寝かせてやれ』って言われたから寝かせておいたけど、そろそろ閉店時間なんだから、さっさと起きてよ」

隣に座ったヒカルはキャラメル色のセミロングの髪を耳にかけた。
ピンクゴールドの小さなリボンを象ったピアスが喫茶店の優しい明かりを反射する。
マスターは自分で入れたコーヒーを飲みながら、その様子を微笑ましく見ていた。

「マスター、ヒカルが来たら起こすって約束じゃないすか…。なんで更に2時間も放ったらかすんスか」

直生人は起き上がると、頭をボリボリ掻いて、マスターに文句を言う。

「あんまりに気持ちよさそうに寝てるんでな。それに、ヒカルちゃんも『無理に起こさなくていい』って言うもんだから」
「ちょっ、マスター!なんで言っちゃうのさ!」
「すまん、すまん」

マスターは悪怯れずに笑うと、アイスコーヒーを2人に差し出した。

「これはお詫びだ。飲んだら帰れよ」
「お、あざす」
「ありがとう、マスター」

2人でコーヒーを受け取った。

「……で、今日はなんで遅れた訳よ」

直生人は水出しのアイスコーヒーを飲むと、ヒカルに向かって口を開いた。
ヒカルは溜息を吐いて、前髪を掻き上げた。忌々しい記憶を呼び起こしたのか、眉根に皺が寄っている。

「撮影が押してた……までは良かったんだけど、終わった途端、この前デビューしたばかりの新人に言い寄られて、なかなか帰れなかったの」
「はあ?!何だそれ。そんで、そいつどうしたよ」
「そんなの、そいつのマネージャーに言いつけて逃げて来たに決まってんじゃん。ホント、気持ち悪かった」

ヒカルは腕をさすりながら身震いをした。
本当に気持ち悪かったらしい。口がへの字に曲がってる。

「…そいつ、名前なんてーの」
「多分言っても知らないよ。この前のモデル発掘コンテストで審査員特別賞もらった男。なんだっけ、高城卓也、とか言ったっけ?」
「ふーん。知らねー名前……イケメンなの?」

直生人はカウンターに片肘をついて掌に顎を乗せる。

「んー、まあまあかな。どっちかっていうと今時人気の塩顔男子って感じ。これから売れそうではある」

イケメンかどうかを聞いたのは直生人の方だったのに、ヒカルの評価が思ったより良かったので、直生人は内心ムッとした。
…非常に面白くない。
アイスコーヒーを一気飲みすると、直生人は立ち上がって昼頃飲んだアイスコーヒー代を財布から取り出して、マスターの前に置いた。
財布を尻ポケットにねじ込む。

「…マスター、金置いとく。ごっそさん」
「あ、ちょっと!……なんなのさ…。マスターご馳走様!また来るね」

ヒカルも急いで飲むと、トートバッグを持って立ち上がって、直生人の後を追った。
「また来いよ」と言ったマスターに、直生人は手を挙げて店を出て、街のネオンが灯り始める中をコンパスの長い足でズンズン先に行く。その後を小走りでヒカルが追う。

「ねえちょっと。ボク何か変なこと言った?…ねえってば!」

ヒカルは顎にずらしたままだったマスクを鼻まで上げ、直生人の背中をバシッと叩いた。
直生人は頭一つ小さいヒカルの方へ顔を向けた。ヒカルは直生人の隣に並ぶ。

「いってーな。何でもねぇよ。飲んだら帰れって言ったのマスターだろ。その通りにしただけじゃん」
「本当にそれだけ?……じゃあ何でそんなに怒ってんの」
「怒ってねーよ、別に」

直生人は口を尖らせて、前を向くと、ジャケットのポケットに手を突っ込んで、猫背気味に歩く。歩くスピードが上がった。

「はあ?訳わかんない」

ヒカルはトートバッグを抱え直すと、もう一度直生人の背中をバシッと叩いて、彼との距離が離れないように歩みを早める。
大通りから一つ曲がると、だんだん人の通りが疎らになってきた。
また一つ道を曲がって、住宅街に入ると、直生人は脇目も振らずに白い壁のアパートに入って行った。ヒカルも後を追う。
二階への外階段を登って、部屋の鍵を開けている直生人に追いついて、ハァ、と息を吐いてマスクを外した。
直生人はチラリとヒカルの顔を見ると、そのまま部屋の扉をあけて入って行く。その扉が閉まる前にヒカルも体を滑り込ませた。
直生人が電気を点けたのだろう、玄関が明るい。

「……もうなんなの。ちょっと聞いてるの、なお…ッんンッ!!」

名前を呼んでいる途中に口を塞がれた。一瞬何が起きたか分からなかったが、目の前にはどアップの直生人。口を塞いでいるのは直生人の唇。
後退ったら、閉まった扉に後頭部が当たり、逃げる事が叶わず、ヒカルは直生人の胸元を押したり叩いたり抵抗を試みるが、工場勤めと普段の筋トレで鍛え上げられた頑丈な胸板はビクともしない。

「ふ、ン…ぅ……」

窒息しないように口元を緩めたら、直生人の舌が差し込まれ、暴れ回る。
ヒカルは喉の奥に舌を逃していたが、彼の舌を押し戻そうと暴れ回る舌を恐る恐る触ると、思い切り絡め取られて、吸い上げられた。
酸欠で頭がだんだんボーッとしてくる。
胸板を叩いていたヒカルの手は、直生人のジャケットを握り、側から見たら縋っているように見えた。
直生人の舌が好き勝手にヒカルの口腔内で暴れ回っていたが、彼の気が済んだのか、漸く唇が離れると、銀の糸が間を繋いだ。

「ッハァ……も、なに…」

すっかり腰抜けになってしまったヒカルは、ドアに凭れたままズルズルとしゃがみ込もうとするのを、直生人が腰に左手を回して支えた。
右手はヒカルの太腿を這う。
ヒカルは内股にして抵抗をする。

「ちょっと、やっ、……やだ……」
「やだじゃねえだろ…なぁ、ココどうなってる訳?」
「やッ……やめっ……!」

太腿を擦り合わせて逃げようとするが、ジーンズのショートパンツの上から女には無い中心を触られ、思わずヒカルは息が詰まった。
すぐに直生人の手を振り払う。
そう、ヒカルは正真正銘の男だ。女性と間違われてモデル事務所からスカウトされた事から、女性モデルとしてファッション誌のモデルをしているが、これは事務所の一部と直生人、マスター以外、誰も知らない。知られてはいけない。
…それも、こんな、男同士で付き合ってるだなんて。事務所だって知らない。
直生人がしつこく触ると、くちゃりと音がして、下着が濡れてるのが分かった。

「濡れてんじゃん。いつから?まさか、あの塩顔男子に言い寄られた時から濡れてたわけ?」
「そんな訳ないじゃん!なんでそんなこと言ッ……うあっ!」

ショートパンツを越えて下着に手を潜り込ませて、直に握られる。

「グッチャグチャだけど?」
「やあっ……も、や……」

一生懸命腕を突っ張って腰を引くが、ドアに当たって引くことができない。右へ左と大きな手から逃げようとするが、結果として直生人の手に自身を擦り付ける事になってしまった。
少し乱暴な手つきで扱く直生人の手をビクビクと身体を震わせて耐えるが、だんだん目尻に涙が溜まってくる。

「ぃ、やっ……ぁあっ!!」

そのまま直生人の手の中でイったヒカルは、膝の力が抜けてカクンと崩れ落ちるのを直生人に抱き抱えられ、玄関にゆっくり腰を下ろした。

「なんで…?…や、って言った……」

涙を流しながら、ヒカルは直生人の体を力の入らない腕を突っ張らせて抵抗を見せた。
そこでやっと直生人はハッとして、彼を抱き寄せる。

「わり……」
「やだ……。なんでしたのか、教えてくれないと……許さない」

メイクが崩れるのすら気にせずにさめざめと泣くヒカルに、直生人はもう一度謝った。

「悪い。……だってお前、言い寄ってきた男の事をイケメンとか言うから…面白くなくて。……お前の男が誰なのか、教え込まねーといけねーのかって……思っちまって、つい…」

だんだんと声がフェードアウトしていく直生人に、ヒカルはキッと顔を上げると、思いっきり頭を叩いた。

「『気持ち悪かった』って、言ったじゃん!」

泣いて鼻声になったヒカルに思い切り怒鳴られて、直生人は「え?」と聞き返した。

「……言ったか?」
「言った!」
「まじか?」
「まじ!!」

うんこ座りで顔を覆って長く溜息を吐いた直生人に、もう一度ヒカルは頭を叩いた。

「溜息吐きたいのはこっち!もうホント、バッカじゃないの!」
「……俺がバカです…」
「バーカ!」
「バカです…」
「もう、どうしてくれんの!?ホント、そういうところがバカ!バーカ!バーカ!」

腰が抜けたまま動けないヒカルは「バーカ」と連呼して、腕や頭をバシバシと叩き続ける。

「…バカでいいから……とりあえず、コレ、どうにかしてくんね?」

叩いていたヒカルの右手を掴み、直生人は自分の股間に手を持っていくと、ヒカルは目尻を吊り上げて思いっきり左手で直生人の顔面を引っ叩いた。

「〜〜調子乗んなッ!自分でどうにかしろ!この粗チン野郎!!」

そう言って、ヒカルはまだ震える足を叱咤して立ち上がると、サンダルを脱ぎ散らかし、勝手知ったるシャワールームへ電気を点けて行ってしまった。

「ヒカルー…そりゃねえよー……」

直生人の情けない声が玄関に虚しく響いた。

…………………………
(20190811)
ええ、BLです。
突っ込んでませんのでぬるいですが。
こんなのも書きますよって事で。