恋といふうるわしき名に

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家三 / 死にネタ / ほの暗い

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 死んでくれ、と薄い唇が吐き出した音の連なりを、家康は一瞬理解することが出来なかった。
「貴様は私を愛しているという。ならば、死んでくれてもいいだろう?」
 うっすらと眠たげに開かれた琥珀の瞳が、静かに彼にそう突き付ける。それはけして、愛する者同士が戯れに口にする少々物騒な睦言などといったものではなく、いたって真面目に紡がれた無垢な言葉だということは、家康にもわかっていた。大体、自分たちは愛し合ってなどいないのだ。
 いや、確かに自分は彼を愛していたけれど、彼の方はといえば、自分を愛しく思っていたなどと、間違っても言われたくはないに違いない。
 家康は膝を折り、死に行くばかりの思い人の頬をそっと撫でた。
 いつでも叩き落とされるばかりで、受け入れられたことなど一度もなかったその行為が今は易々となしえたことに、身勝手にも鈍い痛みを感じる。首をほんの少し動かせば、もうそれで家康の手は冷たい頬から離れていくというのに、それさえも億劫なのかわずかに眉を寄せる程度の抵抗しか彼は見せない。
「  」
 見下ろした先で唇がかすかに開き、そうして閉じた。
 家康の耳は彼の声の一欠片をも拾い上げることは出来なかったが、たとえ拾えたとしても、今更彼の何を理解出来るというのだろうか。
 彼の崇拝した君主は己の野望に殉じ、彼の敬愛した軍師は友の天下に殉じ、そうして彼の唯一の友は彼を庇って死んだというのに。
「……すまん、三成」
 彼の愛した人達のように、自身の愛に殉じることが家康には出来ない。
 それこそが、家康が彼に愛されなかった理由のように、今は思えた。
「すまん……」
 何度許しを乞おうとも、美しい想い人の唇は、もう、なんの言葉も吐き出しはしない。

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 恋といふうるはしき名にみづからを欺くことにややつかれ来ぬ(若山牧水)

2011/01/04

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