ハケンの女

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三孫 / 現代パロ

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 雑賀孫市は百の資格を持つ女である。
 百という数はものの例えなどではない。漢字検定に英語検定、秘書検定といった一般的なものから、危険物取扱資格や、eco検定といったものまで、その数は優に百を越えているといって過言ではない。孫市自身、自分がはたして一体いくつの資格を有しているのか、正確には把握していないくらいである。
 彼女がこれほどまで執拗に資格にこだわるのは、彼女の養い親の影響が大きいだろう。“雑賀孫市”という、己と全く同じ名前を彼女に付けた男について、孫市が知っていることはほとんどない。孫市の物心がつく頃には既に一緒にいたくせに、自分と彼の間には血の繋がり等欠片もないということだとか、会社や家族といった何か、普通の者ならば必ず属しているような組織には縛られたがらないとか、それぐらいのことだった。
 定職につくことを嫌った“孫市”だったが、幼い孫市を養う程度の甲斐性はあったらしい。
 毎月、日こそ正確に決まってはいなかったが、少ないとは言えない現金をぽん、と持ち帰っては、これぐらい朝飯前だと笑っていた。
 彼に感謝こそすれ、尊敬していたわけでも、ましてや憧れていたわけでもない。
 それなのに、結局、似たような生き方を選んでしまったのは、多分、羨ましかったのだ。
 何にも縛られず、誰にも媚びず、孤高の生き方を貫けるほどの、優秀さや、強さが。

 ……また、カ○リーメイトか。
 その男は、今日もパソコンにかじりついたまま、カ○リーメイトを頬張っていた。顔色は白を通り越して青白く、頬は痩けてこそいないものの、手首など女の孫市よりも細く見える。
 まったく、そんなもので昼を済まそうとするからだ、カラスめ。
 胸の内で、孫市は毒づく。孫市がこの会社に派遣社員としてやって来てから、もう今日で二週間になる。こう毎日ということは……多分、孫市が来る以前からあの調子なのだろう。
 カラスと進んで関わり合うなど、真っ平ごめんなのだが、しかし、ここでの孫市の仕事は、そのカラスと積極的に関わり合いにならねば済まぬものなので、始末に悪い。思わず、ため息もつきたくなるというものだ。
「……孫市、何か文句があるのか」
「たまにはカ○リーメイト以外の昼をとったらどうだ?」
「下らない。そんな口を叩くぐらいならば、寸暇を惜しんで豊臣の為に働け!」
「……今は一応、昼休みの筈だが?」
 もう、聞こえていないらしい。
 再びカタカタとキーボードを叩き始めた男に向かって、孫市はわざとらしくため息を吐く。効果など欠片も期待していなかったが、案の定、ちらりとも向けられない視線に、頬がひきつりそうになる。
 なんとか平静を装った孫市は、回転椅子を鳴らして立ち上がると、緑の風呂敷包みを片手にひっつかみ、大股で男の席まで歩み寄った。そのまま、ずい、と包みを顔の真ん前に突きつける。
「……なんの真似だ」
「食え」
「は?」
 なんの真似だ、孫市ィ!とにわかに騒がしくなった男を、どうどうと片手で制しつつ、孫市は包みを広げて見せた。しゅるりとほどけて、赤い裏地を見せた風呂敷の真ん中に、孫市の手のひらより少し大きいくらいの二段の弁当箱が鎮座している。
 それを見て男は、ぐっと唇を引き結んだ。
「……多い」
「カラスが。この量は普通、女用だぞ。大体、わざわざ作ってきてやったのに、ケチをつけるな」
「それは、貴様が勝手に……!」
「契約のうちだ。我慢しろ」
 今回の契約――派遣内容は、この男、石田三成の世話をすること、である。
 若くして部長職に就いている石田の仕事上の“補佐”だけではなく、何故か就業時間内の健康管理までもが、業務内容に入っているとは奇妙な契約だが、何分、時給もよく、派遣先も豊臣商事という大の上に更に大が付くような大会社であった為に、孫市も多少訝しがりながらも、契約を結ぶことに決めたのだった。
 ……しかし、本当に健康管理までさせられるとは思わなかった。
 普段は大谷という部長補佐の男がいて、何かとこの手のかかる男の世話を焼いてやっているらしい。しかし、その大谷が手術で入院中らしく、派遣社員を雇うことにしたのだそうだ。
 よくもまあ、ここまで手間をかけられているものだ。
 実際、石田が一人で十人分以上の仕事を処理出来るような能力の持ち主でなければ、今頃、とっくに路頭に迷っていただろう。
 もしもこの男が、一般の独身成人男性のように、自分の身の回りのことを十分なくらいにはこなせていたら。今の仕事量など、とてもさばけたものではあるまい。
 きっと、それでも優秀な男なのだろうと思う。“孫市”か、それ以上には。
 けれど、彼は何もかもを、己さえもを捨て去ることで、この有能さを勝ち得たのだ。孫市には出来ないし、したくもないことではあるが。
 しかし。
「……お前は本当に、面白い男だな、石田」
 ゆっくりと口角を引き上げる孫市を怪訝な目で見やった石田は、だが何も言わずにもぐもぐと弁当を頬張り続けている。
 本当に、面白い男だ。
 普段は何か不満があると、途端にぎゃんぎゃんと噛み付くような勢いで吠え始めるというのに、食事をとっている時は、行儀の良いことに一言も喋らない。早食いではあるが、箸使いも達者で、物をこぼすこともしない。
 契約終了までまだ二ヶ月以上あるとはいえ、たったそれだけで済ませるには、石田は面白すぎる男だった。
 ぱちり、と軽い音に視線を下へやると、箸を箸箱に納めた石田がちょうど首を動かして、こちらを向いたところだった。
「馳走になった」
「あぁ」
「ところで聞くが……貴様は卵焼きが苦手なのか?」
 卵焼きに、得手も不得手もないだろう。不思議に思いながらも、孫市は一応首を振った。
「特に苦手ということはないと思うが」
「そうか……吉継の卵焼きと味が違うから、苦手なのかと思っていた」
 なんの悪気もなしに言う男の顔を、無表情に見つめ返しながら、まずは最初にして最大の敵たる大谷吉継なる男の情報を集めようと、心に決めた孫市であった。

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2011/01/16

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