刺繍

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三吉 / 女体化 / 豊臣軍

※蝶嫁御番外編。

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「ずいぶん綺麗に直ったものだね」
 そう声をかけられて振り返ると、美貌の軍師がにこにこと笑ってこちらへ歩を進めているのが見えた。とたんに、三成はぴっと背筋を伸ばして表情を引き締める。秀吉様の次に尊敬する相手に、だらしないところは見せられない。しかしそれをどうとったのか、半兵衛は苦笑いを浮かべて、
「今さら僕相手に緊張しなくてもいいのに……」
 とこぼしている。思えば、今よりずっと幼い頃は、秀吉様にも半兵衛様にも、そうとは知らないままにたくさん無礼をはたらいてしまった。かっ、とほほに朱を上らせた三成が、慌てて謝罪の言葉を口にする前に、半兵衛の手が伸びてきて、くるりと体を反転させられる。
「は、半兵衛様?」
「近くで見てもまったく縫い目が見えないな……これは誰が?」
 背中にまじまじと視線を感じて、ようやく三成も半兵衛が何に気を向けているのか、合点がいった。急いで陣羽織を脱ぐと、両手でもって半兵衛へ差し出す。
 先の戦で、三成が注意を怠ったばっかりに受けた、背の切り傷のことを、言っているのだ。
「よろしければお手にとってご覧ください。……吉継が、直してくれたのです」
「吉継くんが」
 半兵衛がいささか驚いたように言うのも無理はない。
 吉継は最近めとったばかりの、三成の妻である。
 武家の奥方であっても、よほどの大身でない限り、針仕事の一つや二つはこなせるのが当たり前なのだが、それでも刀ですぱりと斬られた物を、跡も残さず直せるほどの腕前を持つ者はそうそういない。城には秀吉が抱える専門の針子がいるから、てっきりそのうちの誰かが直したものと半兵衛は思ったのだろう。
 ためつすがめつ陣羽織を眺めている半兵衛を見ながら、三成は誇らしい気持ちを抑えることが出来なかった。吉継にこんな才があったとは三成にとっても驚きだが、けれども一方で、さすがは吉継、とも思うのだ。
 吉継は頭の回転がよく、女子とは思えないほど物をよく知っている。性格は穏やかで、そばにいれば心地よい。吉継の他人とは少し異なる容姿だって、三成は気に入っていた。反転した目の色も、白い髪も、この組み合わせは己の妻だけが持つものだと思えば、愛しくないわけがなかった。たまに自分を貶めて言うのは気に入らないが、三成から見て吉継は、間違いなく美しく愛らしい自慢の妻だった。
「……おや?」
 不意に手を止め、声を上げた半兵衛に、三成は何事かと首をかしげた。
「どうかされましたか、はんべ」
「ふふふ」
 急に笑い出す半兵衛に、まさか先ほどの思考が見抜かれたのでは、と三成はぎくりと体を強ばらせた。半兵衛は当代きっての軍師である。半兵衛にかかれば、口に出す前にすべての考えを知られてしまっていてもおかしくはない。
 再び、顔を赤く染めかけた三成の前に、ずい、と白い陣羽織が差し出される。
「ここ、見てみて」
「は……」
 半兵衛の白い指が差しているのは、折り返された左の襟の中辺りである。刺繍の入ったその紫の生地に、特に見るべきものは見当たらないはずだと、戸惑いながら半兵衛の顔を見返そうとした時だった。
「あっ!」
 ひらり、とめくられた裏側に、赤い蝶が飛んでいた。きっちりと折り目がつけられた襟の裏などそうそう見ることもなく、出陣前に羽織った際にはまったく気がつかなかった。
「たしか、吉継くんの紋は対蝶だったっけ」
 くすくすと小さな笑みをもらし続ける半兵衛の目の前で、三成は陣羽織を握りしめたまま顔を真っ赤に染め上げることしか出来なかった。
 蝶がちょうど、心臓の上を飛んでいると気がついたのは、更に後のことである。

 ばたばたばた、と廊下を走る足音に、吉継は書をめくる手を止めて襖を見た。年若い夫がこうして騒々しく戻ってくるのは、特に珍しいことではない。太閤から重要な仕事を任されただとか、軍師に誉められただとか、興奮状態そのままに、吉継の元に駆けてくるのだ。
 子犬のようよな、と吉継は思う。
 ならば、われは母犬か、と我知らず、笑みがこぼれた。歳が離れすぎている為か男として見ることはないが、それでも吉継はこのかわいらしい夫に満足していた。病で変わった見目によって、このまま一人で生きていくものと覚悟を決めていた吉継にとって、何の屈託もなく自分を見つめる三成の目は心地よいとともに、少しの面映ゆさも感じさせた。
 三成の前では、おくびにも出したことはなかったが。
「吉継!」
 すぱん、と襖が小気味よい音を立てて開け放たれ、射し込む光に吉継は目を細めた。逆光に立つ夫の表情はわからない。が、いつものように弾けるような喜びが見えないのは、吉継にもわかった。ハテ、と首をかしげながらも、一応は帰宅の挨拶を口にしかけた吉継であったが、
「よう帰りや」
「吉継! これはどういうことだ!」
 刹那に距離をつめた三成が、具足の上に羽織ったままの陣羽織の襟をぺらりと裏返すのを見て、目眩を起こしそうになった。
「そ、れは……」
 まさか、見つかるとは。
 吉継はうつむき、唇をかんだ。
 ほんのちょっとした、いたずらのつもりだった。切り裂かれた陣羽織をちくちくと縫い合わせ、間違いがないか確認している時、ふっと魔が差したのだ。
 三成にはばれないように場所を選び、表に響かぬようそっと蝶を留まらせた。この蝶を伴って三成が戦に行くのだと思えば、吉継の心は弾んだ。
「すまぬな……つい出来ご」
「貴様が先に言わなかった所為で、半兵衛様に見られてしまったではないか!」
「……は?」
 ぷんぷんと怒る夫は、よくよく見れば、怒っているのではなく、照れているのだとわかる。
「……それはすまぬことをした。軍師殿にからかわれたか」
 その問いに三成は無言で首を振ると、ぎゅっと吉継の首に腕を回してきた。
「き、貴様が言ってくれれば、私が一番に見れたのに!」
 自分で言った言葉に自分で照れたのか、三成はぐいぐいと頭を肩に押し付けてくるが、吉継とて自分の顔が次第に熱を帯びてくるのを自覚せざるを得ないのであった。
 今度はきっと、真っ先に三成に見せようなどと、浮かれた考えが頭に浮かんだ。

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2011/03/31

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