昨日かもしれない

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源氏さに / SFパロ / 刀剣破壊描写あり

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 ――ここで緊急ニュースが入りました。太陽系第四惑星マールスにおいて、民間の研究所より旧政府軍所蔵の戦闘兵器一体が脱走したとの情報です。兵器は無作為に戦闘を行いつつ、研究所のある第七工業地区より住居地区方面へ逃走を続けている模様です。当該区域にお住まいの方は即時避難を、

 ブツン

 エネルギー供給の途絶えた家の中、少女は無重力機能の切れた扉をなんとかこじ開けると、地下倉庫に繋がる階段を飛ぶように駆け下りた。体温を検知して作動する人感センサー式照明は、今はぴくりとも反応せず、真っ暗な部屋を手探りで進む。向かう先の倉庫には、少女が顔も知らぬ縁戚からこの家を受け継ぐ時に引き取った、大量の有象無象が納められていた。
 データベースを含むすべてのシステムが停止した現在においては、頼れるのは少女自身の記憶のみである。確か、あれは少女がこの家に越してきてすぐのこと。暇潰しに倉庫の管理データを眺めていた時、その見慣れない名前に興味を引かれて、思わず手を止めたのだった。格納場所の整理番号は、確か、
「ティー、イチゼロナナ」
 立ち並ぶ棚の上部に打ち付けられた銀のプレートを黒い目がたどる。R、S、Tと来て、107番の棚の前で、少女の足が止まる。
「あった!」
 揺れが大きくなってきている。もたもたしている時間はない。少女は引出しを開けて、中に納められたアタッシュケースを引っ張り出した。重さに負けるようにして床の上へと転がすと、急いでロックを解除する。
 パチン、と音を立てて開いたケースの中には黒の緩衝材に埋もれるように、二振りの日本刀が納められていた。それぞれの刀の側に、銘を示すプレートが付く。
 少女は迷わず二振りの刀に飛びつくと、起動コードを口にした。
「起きなさいっ、《髭切》! 《膝丸》!」
 これで駄目なら万事休すだ。今から逃げても間に合わない。祈るような気持ちで少女が柄を握る手に力を込めた瞬間、ぱっ、と視界一面に、桜の花が弾け飛んだ。
「源氏の重宝、髭切さ。うーん、随分よく寝たなあ……」
「源氏の重宝、膝丸だ。兄者、あくびの時には頼むから、口に手をやってくれ」
 ふわああ、と大きなあくびをした白い男が、桜を掻き分け現れる。ついで現れた黒い男が、顔をしかめてそれを嗜めた。緊張感もなにもない、ぱっと見は、ただ見目麗しいだけの若い男達だ。けれども、これが。
「……これが、刀剣男士」
 銀河連邦統一革命以前に旧政府軍が生み出したスタンドアロン式戦闘用アンドロイド――刀剣男士シリーズ、太刀‐髭切と太刀‐膝丸。二振一具の兄弟機。日本刀をモチーフにして造られた、対人戦において無敵を誇ったと言われる史上最強の戦闘兵器が、今、少女の目の前にいる。
「ん? なあに、主」
「どうした、主」
 男たちが揃って少女の方を向いて首をかしげる。その腰に下がる物々しい日本刀を見て、少女は体の力を抜いた。刀剣男士シリーズが活躍していたのはもう何百年も昔のことで、あまりの年代物に起動さえできないかもしれないと思っていた。が、少女を主と呼び、無事に所有者認証もできている事が確認できた。これで、少女はこの状況からなんとか助かることができる。
 しかし、一息つく暇もなく、再びの轟音とともに床がぐらついた。ありゃ、と髭切は呑気な声をあげて、地震かな、と呟いた。その傍らで、床にへたりこんでいた少女の体がぐらりと後ろにのけ反った。今にも倒れそうなその体にすかさず手を伸ばして、髭切は少女を抱き上げる。
「えーっと、弟。どうやら、ここは危ないようだね」
「膝丸だ。そのようだな、兄者」
 膝丸は、腕を組んで天井を睨んだ。ぱらり、と震動で壁の一部が崩れ出していた。
「本丸ではない場所で呼び出されるなど何事かと思ったが、主の危機とあれば、とにもかくにもこの場を脱出せねばなるまい」
「うん。君もそれでいいかな、主」
 髭切の腕の中で、少女はこくんと頷いた。助かった、という安心感に、まだ体がうまく動かなかった。
「それでは、兄者は主をつれて下がっていてくれ」
 すらり、と刀を抜き放ち、膝丸がぐっと腰を落とす。そののま助走もなしに飛び上がると、天井を真一文字に斬りつけた。一見、無謀にも思えたその太刀筋だが、しかし次の瞬間には、ずるり、と天井が斜めに滑り落ち、見えないはずの空が覗く。たったの一撃で地下から二階建ての家の屋根までを斬り裂く、想像を絶する切れ味だった。崩落する天井の欠片を軽やかに避けると、膝丸はかちんと刀を鞘に戻した。
「よしよし。行くよ、肘丸」
「肘ではない、膝丸だ、兄者」
 どこか間抜けな会話を交わしながらも、二体のアンドロイドはたんっ、と床を蹴り、崩れた家から飛び出した。

 家の外に広がる光景は、髭切や膝丸の知るものとはまるで異なったものだった。千年以上生きている身ではあるが、彼らの知るどの時代の町並みとも違う。光沢のある黒い石造りの四角い箱がいくつもいくつも並んでいる。髭切たちの出てきた家も、振り返れば同じような四角い箱であったので、これが現代における邸宅のようだったが、まるで墓石みたいだなあという感想を髭切は抱いた。それも今やすべてが縦横無尽に切り刻まれて、欠片が通りにごろごろと転がっている。地面を走る蔦のような管は、ところどころが切れて、隙間から青い炎を上げていた。中世に流行った地獄絵図もかくやである。うっすらと血の匂いは漂っているものの、不思議と人の気配はしなかった。
「なによ、これ……」
 髭切の腕の中からこの光景を見た少女は、眉間にしわを寄せてうなる。歴史を守るのを使命としている主の生きていた時代は戦争のない、平和な時代だと聞いていたが、どうやらこの状況を見るに、髭切たち兄弟が眠っている間に世の中は随分と物騒になったらしい。隣で惨状に眉をひそめる弟と違い、何の感慨も持たない髭切は、まあ主が無事でよかったな、と思う。主と弟以外には、それほど興味があるわけではない。
「それで? これからどうするの、主」
「このままここにいても、いつ逃げ出した戦闘兵器が戻ってくるかわからないわ。家の転移設備は壊れちゃったからショートカットは使えないし、とにかく公共ポートに移動して、早く他の惑星に転移しないと」
「よくわからないなあ。わかる? 冷え丸」
「俺の名前は膝丸だ、兄者……。俺にもよくわからない。とにかくぽおと、という場所へ向かえばいいのか、主」
「うん。そう……だけど、主要施設も全部破壊されたのか、体内デバイスのマップ機能もアクセスエラーで使えないし、どっちに向かっていけば、ポートに辿り着けるかわからない……」
 マールスは植民計画が始まってかなり歴史が古いから恐らくポート施設も大型の筈だけどここからはそれらしいものも見えないし、と続ける少女の言葉に、兄弟は顔を見合わせて首をかしげる。主の時代と源氏の兄弟刀が実際に人の暮らしの近くにいた時代とでは、随分な隔たりがあるとは言え、本丸で共に暮らすうちに彼女の時代の言葉もそれなりに覚えたつもりでいた。しかし、今、少女が語る言葉の十分の一も、彼らは理解できていない。そもそもここはどこなのか。本丸は、仲間達は、一体どこへ行ってしまったのか。
 しかし現状に頭を悩ませる暇もなく、突然に、髭切が刀を抜いた。膝丸は険しい顔で少女の腕を引くと、自分の後ろへその身を庇うように隠す。二振りの唐突な行動に怪訝な顔をする少女だったが、抜き身の刀を見て言葉を飲み込んだ。
 兄弟の見つめる先には落ちそうな程に大きな月が浮かんでいる。月を背後に従えて、佇む人影が一つ。三人から数キロも離れた先、崩れてもなお周囲から頭一つ高く突き出た建物の頂点に、凛として立っている。刀剣男士の恐るべき視力はその人物の姿形を正確に捉えた。
 青みを帯びた黒髪。上等な仕立ての紺の狩衣。所々に付けられた金の装飾が風に靡いてきらきら光る。人形染みた左右対称の完璧な美貌に、三日月を浮かべた蒼の双眸。
「三日月宗近……」
 髭切の呟きに、少女がぴくりと反応する。
「それ……っまさか、逃げ出した兵器って、刀剣男士シリーズだったの?!」
 銀河連邦の樹立を機に、それまで存在したありとあらゆる戦闘兵器は全て消却の道を辿った、と現在の歴史教育では言われている。刀剣男士シリーズも勿論その対象となっており、少女もまた、教育機関を離れ、独り暮らしの為に得た家でその存在を思いがけず手に入れるまでは、この世に現存するとは思ってもみなかったのだ。まさか、一つの星に失われた筈の旧時代の兵器が三つも揃うとは、なんて出来すぎた物語だろうか。
 突拍子のない話ではある。しかし、これである意味己の安全は確保できた、とも少女は思う。同じ刀剣男士シリーズならば、複数体を所持しているこちら側が圧倒的に有利だった。三日月宗近と呼ばれる刀剣男士を髭切、膝丸で倒してから、安全を確保した上でゆっくりとポートを探せばいい。もしくは、救助隊が来るまで待つこともできる。急に好転した事態に少女は顔を緩ませる。けれど、髭切と膝丸は警戒を崩さなかった。
「来るよ」
 髭切が腰を落とし、刀を構えるのと同時に、三日月宗近の姿がふっと消えた。ついで、ガキンッと鋼の打ち合う音が夜の廃墟街に高らかに響き渡る。
「髭切!」
「前に出るな、主!」
 膝丸に止められて、少女は慌てて踏み出していた足を戻す。ガンガンと音を立てて噛み合う二本の剣。目にも止まらぬ速さで繰り出される剣戟は、わずかに髭切が圧されているように見える。上から圧し斬るように振るわれた三日月宗近を跳ねあげて、髭切が後ろに飛びすさる。
「敵でもあるまいし、いきなり斬りつけることは、ないんじゃないかなあ」
 探るように髭切が話しかけても、三日月は何も答えない。無言のまま一気に距離を詰め、刀を横薙ぎに薙いだ。その一撃を体を捻って、髭切は避ける。
「三日月宗近、君の主はどうしたの?」
 ぐにゃり、と三日月の無表情が崩れた。月のような美貌が憤怒に歪む。
「白々しい! お前達が主を隠したのだろう!」
「は?」
 三日月の怒声を受けて、少女が間抜けな声を漏らす。膝丸が振り返ると、少女はぶんぶんと首を横に振った。
「し、知らない知らない! 大体、あんた達以外の刀剣男士なんて、初めて見たし」
「……演練で見たことがあるのではないか?」
「えんれんって何よ?!」
 演練は演練だろう、そう膝丸が言い返す前に、髭切が脇腹を蹴られて吹っ飛んでいった。刀を構え直し、こちらに向かってくる三日月をみとめて、膝丸は顔を青くする。ばっ、と少女を小脇に抱えると、踵を返して走り出す。
「な、何逃げてるのよ!」
「舌を噛むぞ! 黙っていろ!」
「うるさい! 命令しっ!?」
 途端に少女が黙った。舌を噛んだらしい。言わんこっちゃないと思いながら、膝丸はちらりと後ろを振り返る。三日月宗近が案の定、追ってきていた。確かに三日月は天下五剣、かなりの強さを誇る刀剣だが、足の速さでは膝丸の比ではない。このまま走り続ければ、問題なく撒くことができるだろう。問題は膝丸に土地勘がないということだった。頼みの綱の主といえば、ぐったりとしてなされるがままといった様子だ。仕方なく膝丸は、できるだけ三日月を引き離すように、倒壊した建物の間を右に左へ振り回すように走り抜けた。行き止まりがあれば壁を蹴り、瓦礫の上に飛び上がってひたすらに直進する。後ろで建物の崩れる音がしたが、もう膝丸は振り返らなかった。とにかく走って走って――急に視界が開けた。
 見渡す限りの、砂の海。隠れる場所のない広大な土地に、戻るべきかと一瞬ためらい、膝丸は背後を確認した。三日月の姿は、もう見えなかった。
「……無事、撒けたようだ」
 少女を地面へと下ろすと、上手く立てずにべしゃりと崩れ落ちた。げほげほと大袈裟に咳をしながら、少女は涙目でぎっと膝丸を睨み付ける。
「いい加減に……!」
「すまない、大丈夫か、主」
「これが大丈夫に見えるの?!」
「見えないな」
 かっと頬を朱に染めて、少女がまなじりをつり上げる。今にも怒鳴り出しそうな少女の口を、膝丸は慌てて押さえ込んだ。
「叫ぶな! 見える範囲にいないとはいえ、また三日月宗近に見つからないとも限らないんだぞ」
 顔を寄せて注意すれば、少女はますます暴れた。押さえ込む腕を振り払い、力一杯吐き捨てる。
「っだから、命令しないでってば! 大体、なんで逃げたの!? 二人がかりで戦えば、同じ刀剣男士なんだから倒せたじゃない! なのに、」
「それは無理かなあ」
 のんびりとした声が、少女の言葉を遮る。はっとして少女が振り返ると、そこには腕を組んで何事もなかったように笑顔を浮かべる髭切の姿があった。膝丸は既に気づいていたのか、兄者、と静かに声をかける。
「やられた傷はどうだ」
「大丈夫大丈夫。手加減してくれてたし。肋もいってないよ」
 ひらひらと手を振って、髭切が否定する。
「髭切! 良かった……!」
「うんうん、心配してくれるの? 主は可愛いねえ」
 髭切がにこにこ笑って少女に手を伸ばした。猫の子でも撫でるように、ぐりぐりと頭を撫で回す。遠慮もなにもない手つきに、ぎゃっと少女は声をあげて首をすくめた。
「や、やめてよ!」
「可愛い可愛い」
「膝丸!」
「兄者、その辺りでやめてやれ」
「えー、どうして。逃げ丸だって、可愛いなあと思うものは、たくさん可愛がりたいでしょ」
「その名前はよしてくれ、兄者……」
 膝丸がげんなりとして肩を落としたが、髭切の頭を撫でる手は止まらない。最終的に無理矢理両手で手を掴み、少女はやっと髭切を止めることに成功した。髪の毛は既に修復不可能なレベルで乱れていたが。
「それで、何が無理なの?」
 髭切がにぎにぎと手を握ってくるのにもめげず、少女はきっと兄弟を見据えた。精一杯に胸を張って強がる様子もまた琴線に触れたのか、髭切の笑みが一層深くなる。膝丸はそれに気づいていたが、指摘するのは止しておいた。
「だって、あの三日月宗近と僕達じゃ、強さが違いすぎるもの」
「は?」
「あれは、顕現してから相当経ってるよ。修行にこそ行ってないみたいだけど、本気を出されたら僕ら二人がかりでも、三分も持たないんじゃないかなあ」
 ねえ、と同意を求められて、膝丸は渋々頷いた。認めるのは癪ではあるが、あの三日月宗近は強かった。自分達もまだまだ強くなれる伸び代はあると思うが、それでも今の段階では太刀打ちできる気がしない。
「ど、どういうこと?! 同じ刀剣男士じゃないの?」
「確かに同じ刀剣男士だが、君も知っての通り、励起されてからの戦闘経験によって、刀剣男士の強さは異なる。そもそも三日月宗近は能力の全体的な配分が良く、弱点と言える弱点がないと言われている」
「まともにぶつかったら、押し負けて終わりだろうねえ」
「そん、な」
 主がこの世の終わりとばかりに絶望した表情を見せる。髭切は握ったままだった少女の手を引くと、力の抜けた体を自分の懐にすっぽりと納めた。後ろから小さな体にのし掛かりながら、相変わらず緩んだ笑みを見せている。
「まあまあ、主、がっかりしないで。打撃はあちらが上だけど、偵察や速さでいったら、いい勝負ができるんじゃないかな。少なくとも、弟の足なら負けはしないよ」
 それに、と髭切は続けた。
「さっきも言ったけどね、あの三日月宗近は僕相手に手加減したんだ。僕らを本気で折る気はないんだろう。……ねえ、どうしてかな?」
「知らないわよ!」
 唇を尖らせる少女の頬を、髭切は宥めるようにやさしく撫でる。その手を避けて、ぷい、と少女は横を向いた。
「ね、主、本当にあの三日月宗近に会ったことはないの?」
「ないに決まってるでしょ?!」
「なんで断言できるの?」
「だからっ、」
 言いかけた少女の口を、髭切がぱっと押さえた。もごもごと暴れる少女を上着の中にしまい込む。膝丸も眼光を鋭くして、街の方を見つめた。
「やはり、ここに長く留まるべきではないな」
「そうだね」
 街には戻れない。理由はわからないが、三日月宗近はこちらを敵視している。彼の言によれば、彼の主を隠したからだという事だが、少女が否定する以上、髭切にも膝丸にも心当たりはない。対話の余地はなく、鉢会わせれば、再び逃げることになるだろう。
「逃げるだけなら、こちらに分がある。市街地より、いっそ砂漠に逃げた方が時間を稼げるかな。主はどう思う?」
 押さえた時と同じく、唐突に手が外される。ぷはっ、と大きく息を吐くと、少女は強い目をして言った。
「海へ」

 太陽系第四惑星マールスが人類史上二番目の入植地として選ばれたのは、地下に存在する豊富な水資源が理由であるが、その地表の多くは元々、乾燥した砂に覆われた不毛地域であった。しかし、発達した科学力によって、人類は己の生存に適した環境へと星それ自体と自らを変化させることに成功した。適切な気温に、酸素濃度。太陽に代わる熱源と、紫外線を含む電磁波の確保。それでも、彼らはすべてを変えようとはしなかった。変える必要がなかった、とも言える。当初、人口の増加によって開始された地球外への移植計画は――もはや、衰退するばかりの種族には、火急の物ではなくなったからだ。
 マールスの住居地域西南に位置する砂漠、通称「海」はそうした移植計画の頓挫により残された未開発地域である。
「海って言ったら、湖の大きいやつのことを言うと思ってたんだけど」
「この星に湖はないわよ」
 ざく、ざく、と砂を踏み分け一行は砂漠を行く。髭切と膝丸の履く革靴は明らかに砂漠の旅には適していないが、特に文句もなく歩いている。少女は数歩歩いたところで砂に足をとられて倒れ込んだため、今は膝丸に抱え上げられていた。
「なあ、主、そろそろ説明してくれ。ここは一体どこなんだ? 他の者達はどこにいる?」
「どこって、見ての通り海ですけど? それ以外の何に見えるのよ。っていうか、他の者ってなによ、誰のこと?」
「説明をする気がまるで感じられないな! 大体、君は俺たちが来るまでどうしていたんだ。こんなところに供も付けずに、」
 説教の始まる気配に、少女は顔をしかめて耳をふさいだ。それを見て、膝丸がまなじりを吊り上げる。げんなりした顔で背を反らせた主を落とすまいとする膝丸が腕に力を込めれば、それに反発して少女はばたばたと足を動かす。
「おい! じっとしていろ!」
「きーこーえーまーせーんー」
「主、いい加減にしないか!」
 いよいよ膝丸が、臣下の礼もかなぐり捨てて一喝した。夜の砂漠に、膝丸の怒声が響き渡る。
「命令しないでってば!」
 並の人間ならばそれだけで萎縮するものを、少女も負けてはいなかった。負けず劣らずの大音量で怒鳴り返すと、腕を突っ張って、膝丸の腕から飛び降りようとますますの抵抗を見せた。ぎゃあぎゃあ騒ぎながらもみ合っていた二人は、そのうちにバランスを崩して砂の上に仲良く転がることになる。
「もー! 最悪!」
「主! 女人がそんな風に服の裾を大きく振るんじゃない! 肌が見えるぞ!」
「はあ?! なにその女性差別発言! さすが旧時代の遺物!」
 はん、と少女が鼻で笑う。その間も服のあちこちを引っ張って、砂を払い落とすのに余念がない。ぐいっと躊躇もなく首元を引き下げて、服の中を覗き込むのには、流石の膝丸も言葉が出ず、口をぱくりと大きく開けた。白い胸の上あたりが、襟ぐりからちらりと覗き見えていた。
「やだ、中まで砂入ってる。ねえ、一旦休憩していい?」
「いいよ」
「やったー!」
「あ、兄者!」
「むっつり丸、顔が赤いよ」
 髭切のにこやかな指摘に、膝丸の顔がますます赤くなる。俺は別に、とぼそぼそと口にしかけた言い訳は、次の瞬間、少女の行動によってどこかへ飛んでいった。
「ありゃ」
「あ、主!?」
 ばさり、と服を脱ぎ捨てて、下着だけになった少女が、月の光の下、大きく伸びをしていた。あー、と気の抜けた声を出すと、砂の上にごろりと寝転がる。その無防備な姿を目にした膝丸はすぐに放り出された服へと飛び付き、さすがの髭切も慌てて自分の羽織っていた上着を少女に被せた。
「ちょっと、何するのよ」
「……いや、これはあまりにも目の毒だなあと思って」
「き、き、君は! 何を考えているんだ!」
 真顔で困惑する髭切と、顔を真っ赤にして怒る膝丸。二人を前にして、少女は面倒くさげに息を吐いた。
「せっかくついでに光合成しようと思ったのに、邪魔しないでよ」
「……光合成?」
「そうだってば。トランスヒューマンのデータ持ってないの? あのね、簡単にいうと、光を浴びるのが食事の代わりになるの」
「君は、食事をしているの?」
「そう」
 言って少女はかけられた上着をどかすと、横向きに寝そべって目を閉じる。白い肢体が月光を受けて、真珠のように光っていた。その表情が気持ち良さそうに緩むのを見て、兄弟は黙って主をはさんで腰を下ろした。
「疲れているなら、寝ても大丈夫だよ」
「ほんと?」
「ああ、眠った君を俺が抱えて歩こう」
「じゃあ、ちょっと、寝るね」
 少女は目をつむったまま微笑んで、体を丸めた。すぐに、すうすうと穏やかな寝息が聞こえてくる。先程までの騒がしさが嘘のように大人しく眠り入る姿は、まるで糸の切れた人形のようだった。
「……兄者」
「なあに、弟」
「主、いや、この娘は、もしや」
 ためらいながらも、膝丸が口にしようとした疑問を、髭切は視線だけで制した。
「誰かの言葉じゃないけどね、細かいことはいいんじゃないかな」
「だが!」
「膝丸」
 しぃ、と髭切はその薄い唇の前に指を立てた。その動作を見て、膝丸は慌てて傍らの少女を見下ろした。よく眠っていて、起きそうにはない。少女の顔にかかったやわらかい黒髪を脇に避けてやりながら、髭切は静かに笑った。
「僕らは刀。持ち主がいなければただの鉄の塊に過ぎない。僕らを刀として扱ってくれるこの子が、今の主だよ」
 膝丸はしばらく釈然としない顔をしていたが、そのうち諦めたように、そうだな、と言って顔を伏せた。

 少女が目を覚ました時、月は既に沈みきっていて、自身は膝丸に抱きかかえられていた。少し前を髭切がこちらに背を向けて歩いている。わずかに身をよじった気配だけで、髭切が気づいて振り返る。
「おはよう、主」
「あー、おはよう……」
「ちょうど良かった。ねえ、僕、聞きたいことがあるんだ」
「なに?」
 また訳のわからないことを聞くつもりか、と少女は身構えた。以前に起動された際の古いデータが残っているのか、彼らは今の状況に違和感を持っているようだった。悪く言えば、適応力が低い。デフォルトのデータが昔のものだから仕方がないが、責めるような口調であれやこれやと訊ねてくるのは勘弁してほしかった。
 少女が頬を膨らませて無言の反抗を示すのに、髭切はご機嫌ななめだねと笑った。
「うるさいわね! それで、何が聞きたいのよ?」
「あのね、この砂漠の向こうに、何があるのかなって思ったんだ」
 すうと髭切が長い指で彼方を指した。無限に続くかと思われる砂の海。見えるのは一面の砂と、風によって作られる、刻々と変わる影だけだ。生き物の気配はまるでしない。
「知らない」
「は?」
「だって、外のことなんて興味ないし」
 膝丸が信じられない物を見る目をしていた。髭切も、思わず少女をじっと見つめる。なによ、と少女がたじろいだ。
「わ、悪い?!」
「悪くは……ないが……」
 歯切れ悪く膝丸が答える。主を否定できないのは、刀の性だ。だが、現実的な問題として、行き先もわからず歩き続けるのは悪手という他はない。てっきり髭切も膝丸も、なにか目的があって少女が砂漠への逃避を選んだものだと思っていた。
「でも、そうなるといつ砂漠を抜けられるかわからないよ? ええと、さっきの……こーごーせー? だけで、君は何日生きられるの?」
「そうだぞ、人間は水を飲まないと死ぬのではなかったか?」
「やだ、水がないと死ぬとかいつの時代の話? 空気中の水分だけで十分だし、光合成さえできれば何日だって生きられるわよ」
 顔色を悪くした兄弟の言を、少女はけらけらと笑って否定する。光さえ浴びれば生きていけるという話は、平安の昔から人間の営みを見てきた髭切、膝丸にはにわかには信じがたい。刀剣男士として人の身を得て、食事を覚えた身とあっては尚更だった。
「じゃあ……君はこれからどうするつもりだったの?」
「遅かれ早かれ、体内デバイスの微弱電波を検知して他の星から救助が来るでしょ」
「援軍が来るのか?」
「援軍じゃない。救助だってば、救助」
 この星はもうダメかもね、と少女がぽつりとこぼす。人は産まれてから義務教育期間の終わる18年間、教育機関と呼ばれる連邦議会直結の施設で過ごす。そこで一定の教育を受けた後、人類の生存可能な入植地のいずれかに配属されるのだ。多くの場合は六等親以内の血縁者が入居していた住居を引き継ぐことになるが、出生率の低下に伴って、人の棲まない星も増えてきているという。ここマールスも、現在の人口は200人ほど。それもあそこまで壊されては、もう復興は無理だろう。
「三日月宗近はどうするの?」
「議会が回収するんじゃない? もっとも、あいつを無力化できるような兵器なんて、あんたたち以外にはもう残ってないだろうから、エネルギーが切れるのを待つしかないかもね」
「そうか」
 しかつめらしい顔をして膝丸が頷く。実際のところ、膝丸にはすべての意味が理解できたわけではないが、少女が一応の展望を持っていることだけは把握した。もはや、自分達の力を当てにしてはいないということも。
「僕たちは、とにかく三日月宗近に会わないように逃げ続けていればいいんだね?」
「そういうことになるわね」
 地平線の彼方から、日が昇りはじめていた。

 次の日、彼らは昼に眠り、夜に歩くことにした。この星の太陽は光が強く、砂漠の白い砂に反射するとまともに前を見ることができない。ただ、昼は数時間で終わるので、立ち止まっている時間はわずかだった。少女が眠っているうちに出発して、目を覚ますのは夜も更けた頃になる。いざという時の為に膝丸が少女を抱えて歩いたが、髭切もちょくちょく足を止めては少女の髪を撫でたりしていた。眠りこけている間だけは、少女は何も文句を言わなかったので。
 三日目の夜、月がやっと地平から顔を出し、膝丸が少女を抱え上げようとしたところで、砂漠に稲妻が落ちた。雨雲も伴わずに予兆もなく落ちた雷は、凄まじい轟音を辺りに響かせた。膝丸はとっさに少女に覆い被さり、髭切はすぐさま落雷箇所へと鋭い目を向けた。細かい砂塵の向こう側、ひらり、と白い布が翻る。
「おやおや」
 見覚えのある姿に、髭切は躊躇なく刀を抜いた。膝丸の陰から、あまりの音の大きさに目を覚ました少女が顔を出す。その顔が、砂漠に現れた新たな影をみとめて、むすりとしかめられた。
「……まさかまた、刀剣男士じゃないでしょうね」
「残念だが、その通りだ」
 雷の中から現れた男は、頭から白い布を被っていた。風にあおられ、はたはたと揺れる布の下から、青い瞳が覗いている。
「膝丸」
「ああ」
 髭切の声に答えて、膝丸が少女を抱え上げる。ごくり、と少女が喉をならした。
「さすがのお前も打刀相手では分が悪いかな」
「ならば、俺も打って出るか? 兄者」
「馬鹿を言うんじゃないよ」
 笑う髭切の口元から犬歯が覗く。
「主の命が第一だよ」
 言い捨てると、髭切が男に向かって走り出す。それと同時に、反対方向へと膝丸も走り出した。足場の悪い砂の上だということを全く感じさせない速度で、彼らは飛ぶように駆ける。膝丸の背後で、ガン、と刀と刀が噛み合う音がした。片や平安時代の太刀、源氏の重宝髭切。片や戦国時代の打刀、足利城主長尾顕長の命により刀匠堀川国広によって造られた霊剣の写し――山姥切国広。
「あの娘はお前の主か」
 上から押し潰すように、髭切は切り結んだ刀にぐっと体重をかけた。単純な力の強さであれば、刀種からいっても髭切の方が上のはずだ。ぶつかる刃がガチガチと音を立てている。全力で相対しているにも関わらず、まったく余裕の表情で山姥切が口を開いた。打刀相手と相手を甘く見ていたかな、と髭切は舌打ちをこらえて頷いた。これは、もしかすると三日月宗近よりも強い可能性がある。
「そうだよ、僕らの主だよ」
「そうか」
 山姥切がふむと頷いた。唐突に刀身が傾いで、力が横に流れる。急に相手を失って体勢を崩した髭切から、山姥切はさっと離れて距離をおいた。今、踏み込まれればひとたまりもない。内心焦りを感じる髭切の視線の先で、かちん、と山姥切が刀を鞘に納めた。
「つい応戦したが、こちらの人違いだ。すまない」
「人、違い?」
「そうだ。俺が探しているのは、主を亡くした刀剣男士だからな」
 髭切が思い出すのは三日月宗近のことである。主を探しているようだったが、もう死んでいたのか。彼は、気付いていないのか。それとも、気付こうとしないのか。おそらくまだ街の方にいると口を開いた瞬間、はっ、と山姥切が顔を上げた。遅れて、髭切も覚えのある気配に体を強張らす。
 無言のまま、二人は走り出した。

 一方の膝丸は兄とは逆の方向へと一心不乱に走り続けていた。足の早さには自信があったが、さすがに打刀には太刀打ちできない。加えて、今は夜だった。太刀の刀剣男士は夜目が利かない。一直線に逃げるだけならまだしも、組み打ちになれば勝ち目はほとんどない。髭切が足止めできる時間もほんのわずかな間だろう。その間に、出来るだけ遠くへ逃げなければならない。
 少女は黙って目をつぶり、口をつぐんでじっとしていた。手足を縮めて、丸くなっている。膝丸の走りを邪魔しないようにだろう。主だけは守らなくてはならない、と膝丸は思った。兄の言う通り、第一に考えるべきは主の命だ。その為ならば、刀のひとつやふたつ、折れても何の問題もない。ない、はずなのだが。
 兄は無事だろうかと、そればかりが膝丸の頭を過ぎる。雷とともに現れた山姥切国広。三日月の時と違い、直接髭切と打ち合う姿は見ていないが、不安を覚えずにはいられなかった。街を破壊していたらしい三日月といい、どうして刀剣男士同士が敵に回らねばならないのか。刀剣男士とは、歴史を守るために呼び出されたのではなかったか。膝丸もまた、歴史の守り手たれと主に呼び出された刀だった。
 腕に抱きかかえた主によく似た少女を見下ろし、膝丸は思う。
 ――なぜ自分は兄を置いてまでして、主でもない少女を守ろうとしているのか?
 前方に現れた気配にすぐ気付けなかったのは、余計な考えに耽っていたからだ。言い訳のしようもない。膝丸が気付いたときには、もう三日月の姿は互いに目視できる距離にあった。まだ米粒ほどの大きさでしかないが、砂漠の向こうで三日月が刀を抜くのを、膝丸ははっきりと見た。
 引き返しはできない。山姥切が追ってきている可能性があるからだ。だからといって、方向を変えて逃げたところで、すぐに追い付かれるだろう。どうする、兄ならば、他の刀たちならば、主ならば。
 膝丸は少女を地面へ下ろした。ぽかんとして少女は膝丸を見上げる。何もわかっていないだろうその表情に、膝丸の胸は痛んだ。
「主……、君一人で逃げてくれ」
「……は?」
 言葉の意味を理解して、みるみるうちに少女の眉がつり上がった。膝丸のシャツにつかみかかると、つま先立ちで少女は怒鳴り散らす。
「何言ってるのよ!? 一人で逃げられるわけないでしょ!」
「俺がここで三日月宗近を食い止める。だから、君はその間に少しでも遠くに逃げるんだ」
「あんた馬鹿なの!? わたしの足じゃ逃げてもたかが知れてるでしょ!?」
「すまない」
 膝丸は自分のシャツをつかむ少女の手をほどくと、彼女の肩をとんと押した。たたらを踏んで、少女が二三歩後ろに下がる。
「俺にはもう、君を守る資格がない」
 少女は絶望した顔をすると、くるりと膝丸に背を向けて行ってしまった。その後ろ姿がどんどんと小さくなっていくのをいつまでも見ていたい気がしたが、膝丸は首を振り、どうにか気持ちを切り替える。時間は戻らない。手放した手を後悔してももう遅い。膝丸はきっと前を見据えると、三日月を迎え撃つべく、刀を抜いて走り出した。ぐんぐんと距離が縮まって、三日月の能面じみた無表情が近付いてくる。膝丸は速度を落とさぬまま三日月へと迫ると、不意に直前で腰を落とした。三日月の脇をすり抜けるように走り抜け、足元を狙うように刀を一閃させる。確かな感触に期待を込めて振り返れば、倒れ込んだ三日月がむくりと砂漠から身を起こすところだった。砂を払って立ち上がる姿には目立った傷は見えない。眉をひそめて、膝丸は改めて刀を構え直す。お互いに刀装の手持ちはない。打ち合えば打ち合うだけ、傷つくはずだが、膝丸の攻撃が効いていないのか。なんにしてもと、体勢を整えられる前に肉薄する。死角になるよう下から振り上げるように切りつければ、さすがに近すぎたのか刀で攻撃を防がれる。ぐっと押さえ込まれるのに、一度逃げるかと力を抜いた瞬間、籠手に包まれた手が膝丸の腹を殴った。思わず咳き込み、砂漠に転がる。
「っ、行くな!」
 少女の駆けていった方向へと一歩踏み出した三日月の足に、膝丸は飛び付いた。冷たい蒼の眸が膝丸を見下ろす。
「離せ」
「離すものか! 主の元へ行く気だろう!」
「当たり前だ。俺の主の居場所を吐いてもらわねばならなん」
「しかし、主は知らないと……!」
「そんな訳があるかっ!」
 がらりと三日月の表情が変わった。憎々しげに膝丸を睨み付ける。全身に殺気をみなぎらせ、右手に下げていた刀を振りかぶる。
「あの娘以外は皆、殺した! あの娘が知らないで、他の誰が知っている!」
 三日月宗近が膝丸の腕を目掛けて振り下ろされる。襲い来るだろう衝撃に備え、膝丸は歯を噛み締めた。せめて、少女を少しでも遠くへと逃がせられれば、それで良い。
 覚悟を決めて三日月を睨み上げた膝丸の視界一杯に、唐突にばさりと白が割り込んだ。
「その目、気に入らないな」
 ガン、と重たい音を立てて、三日月宗近を山姥切国広が受け止めていた。膝丸は驚きに目を見開く。なぜ、この男がまるで膝丸を庇うように戦闘に参加しているのか。しかし、山姥切はちらりと膝丸を見下ろすと、
「邪魔だ、退いてくれないか」
 心底、煩わしげにそう言った。あまりにもな言い様に、唖然として膝丸は手を離す。途端に、三日月が砂を蹴りあげ、山姥切から離れようと走り出す。間をおかず追走した山姥切が刀を振り抜けば、逃げ切れなかった紺の狩衣の切れ端が砂漠に舞った。
「膝丸!」
「あ、兄者!?」
 聞こえてくるはずのない兄の声に、膝丸は慌てて視線を動かす。こちらに向かって、その死さえ覚悟した兄が走ってくる。見たところ、目立った傷はないようだった。兄の無事に喜ぶ間もなく、その腕に抱かれた少女の姿をみとめて、膝丸はひゅっと息を飲んだ。
 少女は、髭切の胸に顔を埋めて泣いていた。
 髭切はつかつかと膝丸へ歩み寄ると、地面に倒れ伏す膝丸の胸元をぐいと掴んで無理やり立ち上がらせる。
「ねえ、お前は何をやってるの?」
「兄、者」
「主の命が第一だって言ったよね?」
 黙りこむ膝丸を、髭切は容赦なく突き飛ばす。なんの受け身もとらないまま、膝丸は砂漠に転がった。口のなかに砂が入る不快感さえ、今の自分には受けるべき義務のように感じた。兄の追及を甘んじて受けることが、膝丸にできることのすべてだった。
「お前のそれは、自己満足だよ」
「……すまない」
「僕に謝ることじゃないでしょう」
 膝丸はのろのろと顔をあげた。髭切の腕の中でこちらに背を向けている少女に向かって、震える声で呼びかける。
「主」
 少女は答えない。泣き声は止んでいた。
「主、すまない。俺が、身勝手だった。すまなかった」
「……馬鹿」
 くるり、と少女が振り返った。わずかに濡れた瞳が、きっと膝丸を睨んでいた。
「馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿! 今更謝って許すわけないでしょ、ばっかじゃないの!?」
 怒り心頭な様子の少女は、髭切の首に回していた手をほどいて、膝丸を糾弾する。
「持ち主の命令も聞けないなんて、頭悪いの?! 壊れてんの?! あんたなんか、あんたなんか……わたしが死ぬまでこき使ってやる!」
 怒鳴り散らす少女の腕が、膝丸に向けてばたばたと振られている。思わずふらふらと近寄った膝丸は、少女の平手にばしりと胸を叩かれた。そのまま、ばしばしと少女のやりたいように叩かれたままでいれば、呆れたような顔をした髭切に、はい、と少女を差し出された。
「僕はなんだか疲れた。お前が持ちなよ」
「だが」
「さっきから、主の手が僕にも当たってるんだけど」
「す、すまない、兄者」
 慌てて膝丸は少女を受け取る。わたしは荷物じゃないわよ、と言いながら、少女の腕は膝丸の首にぎゅっと回った。答えるように、膝丸の少女を抱える手にも、力が入る。
「向こうも決着がついたようだね」
 髭切の見つめる先、山姥切が三日月に刀を突きつけていた。

 砂漠に倒れた三日月の白い首へ、山姥切国広の切っ先がぴたりと押し付けられている。力を入れればすぐにでも皮膚を切り裂き、血が流れる、そういった距離にある。今にも片方が殺される、そんな状態にある二人は、見た目に反して穏やかに会話を交わしてしていた。
「主を探していると言ったな」
「そうだ。知らぬところで目が覚めたかと思ったら、主の姿が見当たらないのだ。探したが、どこにもいない。お前、俺の主を知らないか」
「……あんたの主はもう死んでる」
「そうか」
 三日月の唇がわななくのを、山姥切はじっと見下ろしていた。三日月はしばらくの間、逡巡するように口を開けたり閉じたりしていたが、ついに観念したように呟いた。
「俺は、いかねばならない。俺の主は弱い子どもだ。俺が守ってやらなくては」
「俺と一緒に行って刀解されるか、ここで俺に折られるか、どちらか好きな方を選べ」
「折ってくれ」
 わかった、と言って山姥切は刀を一度引いた。
「お前の主に、よろしく伝えてくれ」
 そうして、三日月の胸に、すっと刀を突き刺した。紺の狩衣を切り裂いて、赤い血が溢れ出す。ア、と三日月は一言、言葉を漏らして、見開いた目から涙を一粒こぼした。
 それで終わりだった。
 瞬きの間に崩れ去る、三日月宗近だったもの。山姥切は刀を鞘に納めると、ゆっくりと振り返った。
「刀剣男士の最大の欠陥は、忠義が強すぎるところだ」
 少女と、彼女を守るように立つ男二人に向かって、山姥切は言う。
「二人目の主を認めない。だから、主を亡くした刀剣男士は折るしかない。俺の主はもうとっくの昔に死んだが、主は死ぬ前、俺に人間を守れと言った。その所為で、俺はまだ折れることもできない」
 少女は黙って聞いている。髭切と膝丸も、内心はどうであれ、何か口を挟むことはなかった。
「お前たちは、俺の手を煩わせるなよ」
 それだけ言うと、山姥切は布を翻して、少女に背を向けて歩き出した。その姿が、砂塵の向こうに消えていく。ついに見えなくなったとき、少女はやっと口を開いた。
「あーあ、つかれた」
 どすんと砂漠に腰を下ろして、少女は膝丸に手を伸ばす。
「光合成する。脱がして」
「お、俺がか!?」
「そうよ。こき使ってやるって言ったでしょ?」
「だ、だが、主の服を脱がすというのは……」
「僕がやってあげようか?」
「あんたは間違えて破きそうだから、ダメ」
 えー、と不平を口にしながら、にこにこして髭切が腰を下ろす。膝丸は目を白黒させながら、少女に手を伸ばしかけては引き戻すのを繰り返す。一向に思いきる気配のない膝丸を見て、少女はため息を一つ吐く。
「まあ、わたしが死ぬまでまだ何百年かあるもの。気長にやるわ」

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2018/01/21

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