千日千夜

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みかさに

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 わたしが審神者になってから、本日で三年の月日が過ぎ去った――ということは、わたしの精神的結婚生活も、同じく、三周年を迎えたということだった。

 わたしの生まれた家は、代々、女の子どもに審神者の才能が色濃く出る家だった。祖母も母も審神者を務め、その血を引くわたしも例外ではなく、幼い頃より審神者になることが周囲の大人達によって決められていた。16の誕生日を間近に控えたある日、滅多に連絡も寄越さない母が電話口でわたしに言った。
「貴女もそろそろ審神者になりなさいませ」
 元々、高校を卒業するまで、現世にいられるとは思っていなかったから、わたしはおとなしく頷いた。もう初期刀も誰にするかは決めていて、その事を口にすれば、母は、政府の配る初期刀なんか、と呆れたようにわたしを笑った。
「あんなもの、なんの役にも立ちやしません。まるで育っていないんですからね。そも、新人が回される戦場は太刀や大太刀の方が使えるのだから、政府もそれなりの刀を寄越してくれればいいものを。貴女、私の刀から一本連れていきなさい。可愛い娘に苦労はさせたくないものだわ」
 反論はしなかった。本当は、誰のものでもないわたしの初めての刀と、一から本丸を築き上げていくのを夢見ていなかったといえば、嘘になる。けれども、母は昔からわたしの意見に聞く耳を持たなかったし、自分の思い通りにすべてを動かすことを好んでいた。それでも、どの刀にしますか、と聞いた母に、わたしはたった一つ、わがままを言った。
「お母さんが、一番嫌っている刀をください」

「母御から電話か」
 通信終了後、大きな溜め息を吐いたわたしにすかさず声をかけたのは、寝室から顔を覗かせた三日月宗近だった。先ほどまで眠っていたのだろう、まだ半分閉じたままの目を擦りながら、わたしの傍へと腰を下ろす。わたしは端末の電源を落とすと、三日月へと向き直った。
「起こしてしまいましたか?」
「いや、ちょうど目が覚めたところだ」
 すこぶる朝に弱い三日月だが、嘘をついている様子はない。天下五剣と名高い彼こそが、母がわたしの審神者就任に際して初期刀として寄越した刀だった。
 三日月宗近は入手の困難さもさることながら、極めて性能の高い刀として有名だ。時間遡行軍との戦いが始まったばかりの、戦争初期の頃には、政府と契約を結んだ天下五剣は彼のみだったこともあり、他にも多くの名刀名剣が参戦を表明した今となっても、審神者の間ではいまだ熱狂的な人気を誇る刀である。
 当初、わたしは母がわたしの戦績を気にするばかりに、即戦力となる刀を寄越してきたのだと思った。けれども、彼と暮らしはじめてから、わたしは確かに、ああこれは母が嫌うのも無理はないと思うようになった。
 三日月宗近は、根っからの自由人で、人の話を聞かない。主人の命令も、都合の悪いところは聞き流すところがある。追及すればお得意の、じじいだからな、で流される。よく言えば、天真爛漫。悪く言えば、傍若無人。早くに寝るくせ、寝起きが悪い。聞くところによれば、彼が打たれた平安時代の貴族というものは、昼まで眠るのが常だったというが、それでも今は23世紀も半ばである。病気でもないのに日が高くなるまで眠っているのは、怠惰と一刀両断される世の中だ。母は彼の、そういうところが許せなかったのだろう。母の本丸ではすべてが四角四面に決まっており、タイムスケジュールは分単位。女王である母の発言は絶対厳守で、三日月は随分と居心地の悪い思いをしたらしい。
 そんなことを譲渡されてきた初日に、よよと涙ながらに訴えられた時には可哀想だとも思ったものだが、その晩のうちに主の寝床に転がり込んできた時点でわたしの中の三日月の説得力は地に落ちた。
 寒い寒いと言いながら勝手に添い寝を買ってでた三日月との共寝は、今日に至るまで続いている。肉体関係こそもっていないが、良い歳をした男女が一つの布団で寝ることが、端から見てけして良い事ではないことはわかっていた。それでよかった。不束者ですが末永くよろしくお願いします、と頭を下げたわたしに、三日月がうむ、と鷹揚に頷いた時から、わたしは三日月の妻のような気持ちでいた。血統を保つため、結婚さえもままならないわたしはある頃から、初めて得る刀を夫だと思うことに決めていた。一生を戦争に身を捧げる審神者というあり方は、夫婦生活によく似ている。
 何かを期待するようにわたしの顔を見下ろしていた三日月が、ふるり、と寒さに体を震わせた。薄着のままでいるからだとも思ったが、そのまま放っておくこともできず、三日月の手をとって擦ってやる。氷のように冷たい手だった。二三度擦れば、そなたは温かいなあ、と三日月が顔をほころばせた。
「三日月さんが、冷たいのです」
「人の姿をとってはいるが、この身は鋼だからな。仕方がない。そなたが暖めておくれ」
「はいはい」
 がばり、と正面から抱き締めてくる三日月の背に腕を回して、擦ってやる。筋肉のついた、広い背中だ。最初こそ照れもしたものだが、三年も経てばもう慣れた。頬をあわせるように擦り寄ってきた三日月が、耳のそばで、はあ、と息を吐く。
「寒いなら、もう少し眠りますか」
「共に寝てくれるか?」
「わたしは目が冴えてしまいましたので、このまま朝餉の用意をします」
「そなたがやらずとも、いつものように歌仙がやってくれよう」
「いつも任せてばかりですので、たまには手伝いなりしなければ」
 そなたは真面目だなあ、と言いながら、三日月が体を離す。空いた空間に朝の寒い空気が入り込んでひやりとする。三日月は名残惜しそうにぺたぺたとわたしの髪やら腕やらを触りながら、ところで、と首をかしげた。
「母御の用件はなんだったのだ?」
「……もうそろそろ、婿を迎えろと」
 審神者になることと同様に、優秀な審神者と結婚して家の血を残すことも、わたしに課せられた義務だった。あの家に女として生まれた者が、すべからく果たすべき務め。今日の電話ではまだやんわりとした言い方だったが、はたして20歳の誕生日をわたしはこの本丸で迎えることができるのか。
「三日月、もし、わたしが」
 あなた以外とは結婚したくない、と言ったら。あなたはわたしを拐ってくれるだろうか。
 馬鹿馬鹿しい夢物語を最後まで口に出す勇気はなく、笑顔で誤魔化す。この独りよがりの精神的結婚は、当の本人である三日月にも、誰にも言っていなかった。来るべき本当の結婚生活までの、自分勝手なモラトリアム。神様のように顔の良い男を相手に、妻気取りで世話を焼いて回るのは案外気持ちが良いものだった。三日月も、そんなわたしを受け入れて好きなようにさせてくれていたから、余計に。
「なんだ、詰まらぬ話をしていたのだな」
 三日月が笑って、わたしの唇に指をかける。左手をつつむ手が、薬指を緩く撫でた。美しい顔が、近くなる。
「そなたは既に、俺の妻であろう?」
 三日の間、共に眠れば妻になる。千日眠れば何になろう。三日月が笑って、それから先は、温かい舌に惑わされて、もう何もわからなくなった。

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2018/02/04

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