猫の目

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髭さに

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 ある朝、目が覚めたら千年後だったなんて今時ラノベにもないような超展開だが、実際に起こってしまったのだから仕方がない。すわ誘拐かと傍に立っていた超絶美形を掴まえて問いただせば、誘拐じゃないよ、だって僕は人間じゃないもの、とよくわからない答えを返された。電波ゆえの犯行か、いよいよやばい、と思っていたら、いかにも胡散臭い狐が現れて、ここはあなた様がいらっしゃったのとは異なる千年後の時空なのです、などと宣うものだからますます訳がわからないが、とりあえずそんなこんなで不思議な狐の言うがままに、その日から、わたしは超絶美形こと髭切と歴史の改編を目論む歴史修正主義者なる敵を相手にドンパチやる羽目になったのだった。

「正直、神隠しとか言われた方がわかりやすかった」
「僕も隠し神の仲間入りかあ。それもいいね」
「いいのか」
 畑で採れた野菜で作った自家製野菜チップスを食べながら、畳の上に寝転がる。寝ながら食べても行儀が悪いと注意するような人間はここにはいない。正確に言えば人間はわたししかいないのだが、髭切も大概ゆるい性格なのでそんなことは気にしないのだ。なんでもかなり良いところの出らしいのだが、刀の来歴とか興味がないのでどうでもいい。そう、超絶美形の髭切は人間でないだけではなく、なんと刀の付喪神なのである。簡単にいうと、おばけだ。
「あー、やっぱり、現代人は時計ないと堕落するね。今何時だろ」
「猫の目を見ればいいじゃない」
「ほんっと、アナクロニズムだな」
 本丸と呼ばれるここは時空の狭間だか隙間だかという、どこでもなくてどこででもある場所らしく、電磁波がどうこういうなんだかよくわからない難しい理由で電化製品がまったく使えない。だから、時計どころか冷蔵庫も洗濯機もテレビもない。思わず昭和かと突っ込んだが、昭和にはもうテレビはある筈なので、大正か、が正しい突っ込みだろう。そんなことはどうでもいいが、とにかく平成育ちの現代っ子にはつらい環境であることは間違いない。千年後の未来から見たら大正も平成も変わりないのかもしれないが、当の本人にしてみれば大違いである。
「瓜ざねだから、昼八つ」
 持ち上げた猫の目を覗きこんで、ふふふと楽しげに笑う髭切も平安時代の生まれだそうだ。ここが千年先の未来なら、彼は千年前の刀である。人間ではないのでご先祖様ではないが、とにかくジェネレーションギャップが甚だしい。腰に生首をぶら下げて戦場から帰ってきたりするし(本丸で首実検パーティーをする気はないと言って無理やり元の場所へ返させた)、時計が欲しいと言えば猫を拾ってきたりする。この髭切というおばけ、嘘みたいな美形であるということを差し引けばどう見ても良い歳をした大人の男なのだが、常識というものがないのだ。もしくは平安の常識しか持たないと言うべきか。
「ねえ、猫の名前はどうするの」
 髭切が膝の上で猫をもみくちゃにする。なあなあと不機嫌そうに鳴く猫を見下ろして、にぱっと笑う髭切の口から獣のような鋭く尖った犬歯が覗く。
「ししのこでいいじゃん」
「獅子の子は子獅子だよ。この子は子猫だから、猫の子じゃない?」
「……じゃあ、ねこのこで」
 わたしとしては嫌味のつもりだったのだが気づかなかったか、気にしないのか。さっきから髭切に好きに玩ばれている猫がかわいそうになってきて、おいで、と手を出すと、猫だけではなく髭切まで寄ってくる。
「あんたは呼んでない」
「まあ、そう言わず」
 猫を抱きよせ、体を起こして座りなおす。この数分で誰が本当の味方か理解したのか、猫はわたしの腕のなかでおとなしく前足を舐めはじめた。髭切の拾ってきた猫は本人に似て真っ白だが、目付きが悪くて鼻の潰れたぶさねこだ。そんなでもやっぱり猫の仕草はかわいいもので、
「かわいいねえ」
 にこにこ笑って髭切がわたしの頭を撫でた。猫じゃないのかという文句は、ゆっくり近づいてくる唇に飲みこまれる。分厚い舌が咥内を暴れまわって、口の端から飲み下しきれない涎が溢れて落ちた。にゃんと不機嫌な声がして腕のなかの熱が逃げていく。見つめあったままのキスの最中、髭切の鬱金色の瞳孔が、すうっと細くなるのが見えた。こんなに簡単に変わるのなら、やっぱり猫の目時計は当てにならないなと思った。
「気持ちいいなあ」
 わずかに離れた唇がうっとりと呟いて、あまりの声の艶かしさに、わたしは堪らず舌を伸ばす。ぺろりと猫のように唇を舐めれば、くすくすと笑いながら髭切が応えてくれる。堪え性のない自分に頬が熱くなっていくのがわかるけれど、一度触れれば触れたところから蕩けてしまって二度とは離れられないほど、彼との触れあいは気持ちがいい。もう彼なしでは生きていけないと思うほどに、わたしは髭切を愛している。

 本当は今からもう八百年も前に世界は既に滅んでいる。けれどもどうしてもそれを認められない人たちが、世界の滅亡を防ごうと歴史を修正しているらしい。過去の人間であるわたしは世界が滅ばなくなるのならそれは良いことじゃないかと思うのだが、狐曰く、世界は正しく滅ぶ必要があるそうだ。本来、ここで立ち上がるべき未来の人間はそもそも存在しないから、過去の時代に生きるわたしに白羽の矢がたったというわけだった。未来においては二百年も千年も大した違いはないらしく、時空間というのは紙切れより薄い。わたしも歴史通りちゃんと世界が滅んだら、元の時空に返してもらえるそうだが、こんなに髭切を愛してしまってはもう帰れそうもない。
 未来の世界は狐や髭切のような、美しいおばけたちによって滅んだそうだ。あんまり彼らが綺麗だから、もう人間は同じ人間を愛さなくなって、子どもができずに死んでしまった。わたしも偉大で愚かな未来人たちと同じように、髭切の美しさに溺れて滅びるのだろう。

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2018/02/24

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